トンネルの向こうに(Lesson67)
千秋真一×野田恵


トンネルの向こうに(Lesson67より)

「エリーゼのやつ……本当に仕事をきっちり取ってくるというか、オレの実力というか」

千秋はのだめと並んで歩きながら、少し厳しい表情でそう言った。
しかし前方を見据えながらも、自分を見つめるのだめの視線には気付いていた。
その、千秋を見つめるのだめの頬は心なしか紅く染まっている。
のだめはどこか、近くて遠いものを見るような、静かな面持ちで千秋を見上げていた。
千秋とのだめの身長差は20センチほどあるので、
二人が会話する時は、自然とのだめが千秋を見上げるような形になる。
しかしその高さは、単に身長差だけの問題ではない気がして。
そうして二人は歩みを進め、一定の距離を保ったまま無言で、
古びたレンガでアーチ状に模られたトンネルの入り口に差し掛かった。
目の前は、どこに続くとも知れない暗闇。
二人は、今までも、沢山のハードルを越えてきた。
自分自身との闘い。音楽への飽くなき追求。
暗く長いトンネルの先に何が見えるのかなんて、今はまだ何もわからない。
二人は、どちらからともなくそっと手を差し出し、…軽く、つなぎ合った。

「のだめもがんばらないと……ですね」

のだめは今、パリの冷たい空気の中で、身が引き締まるように決意を新たにしていた。
傍らの千秋に語りかけるように。自分自身を鼓舞するように。
トンネルの影に差し掛かり、出口の見えないその暗闇をひしひしと感じながら。
そうしてまた千秋も、暗がりに身を滑り込ませながら厳しい表情で応える。

「うん……」

同じ音楽を志す者同士が理解し合える、堅い決意だった。

二人はトンネルを進んでゆく。
目の前には、暗闇の道。
穏やかな日の光が、名残惜しそうに、最後の一筋を二人の繋がれた指先に投げかけていた。

カツーン、カツーン、と、靴音が響く。

トンネルは意外に広く、二人きりで歩くには結構なスペースだった。
先の方に見える出口は小さく、まだ大分距離があるようだ。
二人は、繋がったお互いの手の温かさだけを頼りに、歩調を緩めた。

「そういえば学校どう?あれから……」

千秋はふいに口を開いた。

「あ……」

のだめは、そんな千秋に応えるように、しっかりと千秋の手を握り締めた。
千秋の手の大きさと温かさがこそばゆく、思わず頬が緩んでしまう。

「順調ですヨ。先生はとってもいい先生だし。
最近はのだめ、初見もなかなかやるんでス!」

他愛のない近況報告。世間話。
そんな今まで通りのやりとりでも、想いの通じ合った二人には、新鮮なものだった。

「へぇ――」

千秋もまた、握り返してやる。
すると、のだめの手が微かにぴくりと動き、僅かに引かれた。
千秋の声が、トンネルの中で反響して、何度も遠くに聞こえる。
千秋は再び、のだめの手を強く握った。
今度は、おずおずと、軽く握り返してくる感触。
千秋はそっとのだめを見遣った。
暗がりといっても、相手の姿が見えないほどではない。
しかし薄い闇は、のだめの姿を、いつもより小さく頼りなく見せていた。

千秋はそっと歩みを止め、伺うようにのだめの顔を覗き込んだ。
少し俯きがちに、のだめは前方から目を離さない。
しんと静まりかえった薄闇の中、千秋は、のだめの手を握る掌にそっと力を込め、
もう片方の手…右手をのだめの左肩に伸ばす。
その手に誘われるように、のだめはのろのろと視線を上げた。

二人の熱っぽい視線が交錯する。
千秋は、のだめの肩に置いた手を、ゆっくりと移動させる。
コートをまとった背中をすっと撫でると、のだめはぴくりと身じろぎした。
そんな些細な反応も可愛らしくて。
千秋は思わず目を細めて、のだめの細い腰を捕らえた。
彼女を抱くように引き寄せると、のだめはくすぐったそうに笑みを零し、
ほんの一瞬目線を落としたが。
再び、千秋を見上げる。
物言いたげに軽く開かれた唇は、浅い吐息を繰り返していて。
千秋は、この上なく優しく、微笑んだ。
そうしてそのまま、千秋の影はのだめに溶けていき……
唇を重ねた。

そっとのだめの唇に触れる、千秋の唇。
もう何度となく交わしたキス。
マシュマロの如きその感触と、えもいえぬ甘やかな香に、千秋は感嘆して目を瞑る。
ほんの少し、味わうように押し付けて、ふと千秋は唇を離した。
目を開けると、のだめは未だ目を瞑ったまま、
自分が今口付けたそのままの形を残したままで軽く唇を開いている。
長く濃い睫。
小さい鼻。
紅く、ふっくらした唇。
そのうちにのだめはゆっくりと目を開けると、ごく間近で見つめ合う千秋の視線に照れて、
はにかんだような笑みを零した。
千秋はその微笑みに誘われるように、再び唇を落とす。

柔らかく、触れて。食むように愉しんで。
――そうして千秋は、そっと、舌を差し入れた。

「……ッ…………。」

のだめの身体はびくりと波打ち、千秋から逃げるように僅かに後ずさる。
しかし千秋は、腰を抱く右手をのだめの首筋に移動させ、逃げ場を封じた。
千秋は、徐々に深く舌を差し入れていき、のだめの口内を味わう。
絡ませようとすれば逃げる舌を追い、歯列をなぞって、滑らかな歯茎を舐め取る。
その度にのだめの華奢な身体は小さく反応し、つないだ手にはきゅっと力が込められる。
そんなのだめの慣れない反応が可愛くて。
首筋を捕らえる指先でそっと耳たぶを弄びながら、
一層のだめの口内を蹂躙し、その唇で彼女の唇をやわやわと食んだ。
お互いの唇から溢れた唾液が、一滴、のだめの顎を伝って滴り落ちる。
いつしかのだめの左手は、千秋の背にしがみついていて。
もどかしげにコートを手繰り寄せるのその感覚に、千秋は益々高ぶってゆく。

手をつないだまま、隙間の無いほどぴったりと寄り添い、二人は唇を重ねていた。
いや、重ねるというより……千秋がのだめの唇を、口内を、貪っていた。
のだめの苦しげに寄せられた眉、熱く激しい、…甘い、吐息。
徐々に力を失ってゆく華奢な身体。

「…〜〜〜ッ、………………」

のだめの身体が危うく膝から崩れ落ちそうになると、千秋は口付けたまま慌ててその背を支えた。
千秋の手をしっかり握り締め、コートを掴んで。
全身を弛緩させながらも懸命に千秋の口付けに応えようとするその様は、
この上なく愛らしく、健気だった。
千秋は、飽きることなくのだめの唇を味わいながら、危惧すら覚えた。

……オレ、あんまり待ってやれなそうだな…………

そうしてすぐ、そんなことを考えてしまった自分に頬を染め、バツが悪そうに眉を寄せる。
そんな千秋の思惑なんて知る由もないのだめは、ただただ求められるままに、
千秋の口付けを一心に受けていた。

……ずっとこのままこうしていたいくらいだけど。
千秋は長い長いキスの後、そっと唇を離し、
名残惜しそうに、のだめの頬へ、額へ、鼻先へ、…そうしてもう一度紅い唇へ口付けてから、
のだめの乱れた髪を梳いてやった。
のだめは未だ興奮冷めやらぬような様子で、
くぐもった吐息を漏らしながら、千秋の愛撫に身を任せている。
千秋がのだめを労わりながら、頭、頬、背中…と優しくさすってやると、
薄闇の中でもわかるほど頬を紅潮させたのだめが、大きく息をつきながら目を開けた。
その瞳は とろん としていて。
視点が定まらない様子でふらふらと千秋の顔を見上げるその拙い様子に、
千秋は胸を突かれて、思わず強く抱きしめた。
温かく、柔らかい、のだめの身体。
その癒されるような感覚に、千秋もまた、深くため息をつく。
自覚してからは、せきを切ったようにのだめへの想いが湧き上がってくる。
溢れ出るような愛しさを吐息に乗せ、千秋は、
のだめの髪に顔をうずめて、暫くの間そのままのだめを抱きしめていた。

どのくらい時間が過ぎたのか、わからない。
暗がりの中にいる千秋は、己の中で猛った熱情が徐々に穏やかな心地良いものになってゆくのを感じ、
そっとのだめの身体を離した。
そして千秋は、もう一度のだめの紅い唇にそっと口付けると、
しっかりと彼女の手を握り直して、またゆっくりと歩き出した。
よろよろとおぼつかない足取りで、半ば千秋にしなだれかかるようにして歩くのだめを気遣いながら。
絡めた指先の1本1本まで、のだめのの柔らかさを感じながら。

歩き出してみれば、トンネルの出口は意外とすぐで。
明るい日の光が眩しい。
アーチをくぐる頃になっても、傍らののだめは、まだ頬を上気させてふらふらと歩いていた。
改めて千秋は、先ほどの熱情を思い出して言葉に詰まる。

……あんなに激しくするつもりなかったのに。こいつに触れてたら、なんか、……

俯いて、頬を染める千秋。
千秋は、のだめの指に絡ませた自身の指先にいささか力を込め、わざとしっかり脚を進めた。

…そう、トンネルの出口で、自分がどうなっているかなんて、入る前はわからない。
精一杯、がんばるだけだ。
わざと理知的な考えを巡らせながら、千秋はのだめの手を引いて歩く。
しかしそんな建前とは裏腹に、千秋がのだめの甘やかな香に酔い、
柔らかな唇の感触を思い出しては高まる衝動を必死で抑えているのは、
彼の、彼女の手を握る強さが物語っていた。
つないだ手の熱さは、千秋が少しでものだめを強く感じようとしている証拠だった。

…トンネルを抜ける前、ねぇ……

ため息をついて自嘲的な笑みを零しつつも、
「アヘー」といつもの奇声を発しながら幸せそうに寄りかかるのだめの様子に、
密かに目を細めてしまう千秋だった。
そして千秋は、俯きながらも、噛み締めていた。
のだめが自分のことを「真一くん」と呼んだ、その意味の深さを……。


<暗がりの向こうに(Lesson67)終>






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