千秋真一×野田恵
![]() 「はあ…」 今日、何度目のため息だろう。 これから、また松田幸久に会わなくてはならないなんて。 おととい、こともあろうにあんなシーンを見られてしまい。 しまった、という言葉が頭の中を駆け回りながらも、なんとか打ち合わせを 乗り切って、ため息をつきつき部屋に帰ってきた。 すると昨日の夜、電話が鳴ったのだ。河野さんからだった。 明日、松田さんと食事をしないか。彼が振っていたR管時代のソリスト達も来る。 あなたもいろいろ話を聞けるいい機会になるのではないか。 ……確かに、その点は魅力だった。顔つなぎにもなるし。 そもそも、俺は松田さんの棒は好きだ。 だからこそ、自分が創ったオケを任せたいと思ったわけだし、とても尊敬できる 音楽を創る人だ。だが、人間としては、正直……苦手。 よければ彼女も一緒に、と言われたので断ろうとしたとき、 電話の向こう側の相手が変わった。松田さんだ。 「千秋くん?よければ、じゃなくて、絶対に一緒においで。待ってるよ」 それだけ言って、電話は切れた。 ……どうして奴は、こんなにエラそうなんだろう……? というより、どうして俺は奴が苦手なんだろう……? ……まあいい。とりあえず今日は行かなければ。もう出ないと間に合わない。 「のだめー、そろそろ出かけるぞー」 「はぁいー」 出て来たのだめは、襟元が大きく開いた黒のワンピースを着ている。 似合ってるけど……ちょっと、胸が開き過ぎじゃねーのか。 「おまえ、それ着てくの?」 「洋子の新作なんですけど、ヘンですか? それにしても松田サン、いい人ですネ♪」 「いい人だあ〜?」 「だってのだめのことも誘ってくれてるじゃないデスか! 先輩、そうじゃなかったら1人で行っちゃうつもりでしょ?」 「そりゃ、そう、だけど……」 「たまには、のだめをちゃーんと紹介してくれてもいいんじゃないデスか?」 「ちゃんと、って…?」 「コイビトだって」 「…………」 こいつ、最近、……生意気だ。 「あー、先輩、赤くなりましたヨ」 「知らねー!いいから、行くぞ!」 予約をしてあるというレストラン近くの、ホテルのロビーで待ち合わせをした。 松田さんと河野さんに、あらためてのだめを紹介する。 この間はあわててのだめを帰してしまったので、名前を言うのすらここで初めてだ。 「はじめマシテ、野田恵です。千秋先輩と同じガッコのピアノ科にいて、 今はコンセルヴァトワールでピアノの勉強中デス!」 平然とほほえむ松田さん。笑顔が、どーも何かをたくらんでいるように見えて仕方ない。 「このあいだは邪魔しちゃってごめんね、せっかくの恋人同士の語らいを」 「ふぉ〜、“恋人同士”……あへー」 「もういい、お前、しゃべるな。…松田さん、………どうして今日は俺…と、 その、こいつを、誘ってくれたんでしょうか」 「別に? 日本人同士、交流したいし。千秋くんは僕を知っていたんだろうけど、 僕は千秋くんのことを、佐久間さんを通してしか知らなかったからね。 結局日本でも、R☆Sの引き継ぎのときに2−3回会っただけだったから、もうちょっと 話したくて。彼女も、いい機会だろ? 昨日、せっかくいい場面も見られたことだしさ」 ……出た。 「千秋くん、ああいうことするようなタイプには見えないけどね。人前で、彼女と、キス」 オレだってそう思ってるよ! 「……あれは、あなた達が来るまでは、誰もいなかったので……」 「日本で峰くん達から話は聞いてたんだ。千秋くんの彼女が、とっても変わってるって」 「変わってるどころか、あいつは変態ですよ」 「……その変態が好きな男のことは何て呼べばいいのかな?」 「………」 くそー、言い返せねえ。 「彼女と学生時代から同棲してたんだって?」 「違いますよ。部屋が隣だっただけです。どこから聞いたんですかそんなホラ話」 「どうやって付き合い始めたんだい?千秋くんから申し込んだの?」 「……なんでそんなこと聞くんですか」 「単なる興味。世間話? 千秋くん、もてるからねえ。 奥山くんや高橋くんがきっと泣くだろうね、あのシーンを見たら。いい土産話ができたなー」 「………」 「けど、とてもすてきな子じゃないか。かわいいし、スタイルもいい。 ピアノを聴いてみたいもんだね」 ……絶対聴かせたくない。そう思った。 「はじめまして、千秋真一です」 「オー、チアキ!君のことはよく知ってるよ。コンクールの関係者から話も聞いたし、 この間の公演も気に入った!まだ20代だっていうのに、その落ち着きは何なんだい!? 日本人独特のワビサビと関係があるのか?」 「そういえばユキヒサも若い頃から妙に落ち着いてたしなーハハハ」 「シュトレーゼマンは元気か?あのエロオヤジぶりは健在なんだろ?」 名だたるソリストに囲まれ、俺が会話を交わしている間に松田さんはのだめを 自分の隣にさっさと座らせてしまった。 俺の隣には、ヴィオラ奏者のダニエラ。妖艶なタイプで、つい胸元に目が行く。 しかしそれよりもなによりも、松田さんがのだめの傍にいるのが、どうしても 気になってしまい、気もそぞろになるのが自分で分かる。 ……なんだってんだよ。 「野田さん、…恵ちゃんって呼んでもいいかな?ピアノ科で千秋くんと一緒だったん だってね。ぼく、R☆Sオケの話を受ける前にニューイヤーコンサートを聴きに行って、 千秋くんとも会ってるんだけど、そのときも恵ちゃんには会ってないよね?」 「あー…のだめ、あの時実家に帰ってたので、センパイの最後の舞台聴けなかったんデスよ」 「そうなんだ。残念だったね、千秋くん、格好よかったよ。指揮は独学だなんて、やるね」 「松田サンは、指揮科出身なんでスカ?」 「うん、森光。……あれ、恵ちゃん、手が大きいんだね。ちょっと比べてもいい?」 「あ、ハイ………」 あいつ、なにやってんだ、のだめの、手、触りやがって…… 「何度届く? かなりの難曲でも弾きこなせそうだね。ほら、僕と比べても。 白くて、きれいな指だ。でも、ちょっと寂しいかな。指輪とか、千秋くんは プレゼントしてくれないのかい?なんなら僕があげてもいいんだけど」 「そんな〜」 「いや、僕は本気だよ。魅力的な女性には、いつだって美しくいて欲しいからね」 なんだ、この会話は。 俺の目の前で繰り広げられる、ラブアフェア。ラブアフェア……って、 自分で考えておいて何だが、「ラブ」って、なんだよ!違うだろ! この俺様の目の前で! 歓談はいい具合に進んでいた、と思うが…… 曲の解釈や新人演奏家の印象、パリや世界のオケ事情、クラシック界の裏事情。 とてもためになる話をいろいろ聞けた、ような気がするが。 どこまで記憶に残っているかあやしい。 食事も美味かった、と思うが、正直味なんてよく分からない。 食事を終え、もう1軒どこか踊れる店へ行こう、とおっさん達が言い始めた。 俺はもちろん帰りたかったが、ダニエラに無理矢理腕をとられる。 「チアキ、私と踊りましょうよ?ダンスが得意、特にフラメンコが上手だって聞いたわよ」 聞いたって誰からだよ。クソジジイに勝手に写真を撮られた挙げ句、それをのだめに 送り付けられ、後で言い訳が大変だった思い出が蘇る。 案の定、それを耳にしてのだめも思い出したらしく、こっちを恨みがましくにらみ始めた。 「踊ればいいんじゃないデスかー、のだめも見てみたいデス、センパイのフラメンコ。 バラの花もくわえてくださいネ!キー!」 目が座っている。こいつ、また飲み過ぎてるな……。 結局、オヤジ達に無理矢理連れていかれた次の店で。 入るなり、松田さんはのだめの手をとった。 「じゃあ恵ちゃん、僕達も踊らないかい?教えてあげるから」 「いいデスね、行きましょう!」 2人、フロアへ連れだって行ってしまった。 チクショウ。ふざけやがって…… 私たちも、と急かされ、仕方なく、俺もダニエラの手を取って2人の後に続いた。 流れるのは、ダンスミュージックというよりは良質のポップス。 どちらかというと男女がくっついて踊るほうが似合うタイプの。 何組ものカップルが、楽しそうに動いている。腰に手を回し、手をつないで。 その中に、あの2人もいる。 近くにいたところで、話し声もこれでは聞こえない。 それを逆手にとってか、時折、のだめの肩に手を回し、耳元に、必要以上に 顔を近寄せて話しかける松田さん。 ダニエラと当たり障りのない会話をして音楽に合わせて適当に踊りつつも、 俺はずっとのだめの姿を目で追ってしまい、ダニエラの言葉にも上の空だ。 曲が、ショパンのノクターンをポップスにアレンジしたものに変わる。 何か語っている松田さんに。 のだめが、ものすごく柔らかい、とろけるような笑顔になったのが見えた。 まるで花が開くような……。 ……あんな笑顔は、俺だけに向けてくれ。 「じゃあ千秋くん、また。次は日本で、かな。楽しみにしてる」 「……ありがとうございました。それじゃ、タクシー拾いますんでこれで」 俺はさっさと早足で歩き出した。 「センパーイ、早いですよ、歩くの。のだめいっぱい飲んだから、追い付けませーん」 「さっさと来い…!」 「……松田さん、知りませんよ、千秋くんもう口きいてくれませんよ。 まったく、どうしてそう意地悪するんですか」 「いやー、面白いね彼」 「ご自分の彼女が昔、シュトレーゼマンにちょっかい出された事があるからって、 弟子の千秋くんに……」 「……けえ子さん、どうしてそれ知ってるの?」 「クラシックライフの情報網をナメないでくださいね」 「……それ、他言しないでね」 「さあ、どうしましょうか」 のだめが、まったくもー、と文句を言いながらついてくる足音がする。 アパルトマンのドアを開け、階段を上る。俺の部屋のドアを開けて、 のだめを先に部屋へ入れる。 ドアを閉めて。 「センパ………!?」 俺は、驚くのだめをドアの内側に押さえつけ、唇を重ねた。 無理矢理。 自分でコントロールできない感情。 貪る、という言葉がぴったりくるような。 唇を舌先でなぶり、口中ではくまなく、 どこも、かしこも、「俺のものだ」とでもいうような痕をつけようと。 「や……こんな、ところで……」 「うるさい……」 だめだ、こんな乱暴なこと。 そう頭の中では言っている、けれど止められない。 キスをしたまま、俺の左手はのだめの背中を這い降り、ヒップのまろやかな曲線を荒々しく 上下する。右手は乳房。全体をつかみ、たぷん、と揺れる乳房を震わせて、揉みしだく。 俺の手が触れるだけで、いとも簡単に立ち上がる両の頂を親指で転がすと、 ふさがれた唇のすきまからか切ない息が漏れる。 熱い肌。電灯を点けていない部屋の、暗がりの中で浮き上がる白い肌。 柔らかい乳房。いつもの俺は、この上なく大切な宝物のように、優しく、優しく、撫でる。 今夜はできない。 「………っ!」 ワンピースの裾をたくし上げ、下着に手をかけてさっさと取り除く。 最奥にまで指を差し入れ、柔らかい部分を刺激する。 乱暴に突起を摺ると、それでも、だんだんとそこは潤ってきて。 首筋を、乳房を、舌できつく蹂躙した。 のだめの、声にならない声が聞こえる。 立ったまま、片方の腿を高く持ち上げたとき、のだめは一瞬抗議の声をあげようとした。 だが、俺の唇でその声は遮られる。 俺はベルトを外してジッパーを下げ、既に屹立しているものを、乱暴にのだめ自身にあてがい、 そのまま一気に沈めた。 すぐに飲み込まれる快楽の波。 のだめの腰を抱き、欲望にまかせて自分の腰を打ち付け続ける。 肌が擦れる音と、かすかな水音、そして2人のくぐもった熱い息の音が部屋に響き渡る。 のだめ。 「のだめ……好きだ……オレは、おまえを……」 おまえを。 その後、何と言うつもりなんだろう。 その答えを考える余裕もなく。 目の前を閃光が走った。 どのくらい、そのままでいただろう。 息が整ってから、ふたりでシャワーを浴び、裸のままベッドに転がりこんだ。 後ろから、ぎゅ、っとのだめを抱きしめる。 ……今夜は、疲労困憊、だ。 気持ちは良かったけどな……。 「………悪かったな」 「んー……確かに、ちょっと乱暴だった、カナー。だけど、ワイルドな先輩もステキでしたよ? のだめ、ちょっぴり、興奮しちゃいマシた……」 俺は赤くなった。 「……お前さ、松田さんと踊ってたとき、何話してたんだよ。ノクターンが掛かってたとき」 「えー?あの時?えーと……松田さん、たしか… 『千秋くんは、どんな彼氏?』 『のだめには、すっごくエラそうで……すごーく、すごーく優しいデス!』 『はは……なるほどね、分かるよ。彼はそれが音に出始めてるね。いい彼氏じゃない』」 は……。 どこまで、本気なんだろう、あの人は……。 「松田さんって、清良たちが「大人にしたオレ」みたいだって言うんだけど……」 のだめは、ぶほっ、と吹き出した。 「やだ〜、松田サンが、センパイ〜!?全然違いマスよー! それに、と、俺の目を見つめて。 「キスしてくれマスか?」 素直に、口付けた。 さきほどのことを詫びる気持ちもあり。優しい、キスを。 「……松田サンは、こんなキスはしてくれないデスよ… こんな風に優しく、のだめにキスするのは、センパイだけデス……」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |