喪失 ミニコンサート後編11
千秋真一×野田恵


そして息がかかるほど近くにぴたりとくっつくと、のだめの体躯が驚くほど熱いのが分かる。

―――そういえばこいつ、熱があるんだった……。

のだめに無理をさせたくはないけれど……。でも今夜のオレは……もう止められそうもない。

「やっぱり怖い……?」

緊張で身体を固くしているのだめにオレは尋ねた。
頬を薔薇色に染めたまま、こくん…とのだめは小さく頷く。

「大丈夫……。」

のだめの髪を優しく掻き揚げ、その耳元にそっと囁く。そしてそのまま耳朶を…甘噛みした。

「あ…んん……。」

のだめは感じたのか、艶やかな吐息を漏らした。

「ほら…な?……身体が憶えているから。」

それからのだめの耳裏をねっとりと一舐めし、その耳の中にふっ…と息を吹き込む。
オレの言った言葉の意味を一瞬で理解すると、のだめは顔をぼっと上気させた。
そして瞬間的に紅潮させた頬を隠すようにぱっと両手で抑えると、恥ずかしさからか顔を伏せてしまった。

―――くっくっく……。こいつ今ようやく、オレに抱かれる事をはっきりと意識したな……。

耳まで真っ赤にして両手で頬を押さえ、未だ硬直したままの初心な姿をのだめ頭越しに見ながら、
オレは悪戯っぽい笑みを密かに浮かべた。


のだめのおとがいに軽く指を添え上を向かせると、オレは再びゆっくりと顔を寄せた。

**********

『身体が憶えてるから。』

千秋先輩にそう言われるまで、私は今からすることを漠然としか考えていなかった。
でも“その事”をはっきりと意識させられた瞬間、猛烈な羞恥心に襲われ一人でパニックに陥る。

―――私は今から…千秋先輩に抱かれる。
―――先輩の……ものになる。

もちろん私だって、それがどういう事か知らない程…子供じゃない。私だって先輩の事が……ちゃんと欲しい。
でも…でも…やっぱり恥ずかしくて……自分がどうなってしまうのか知るのが怖くて……。

私にとってこれは、“初めて”の事だから……そういう意味でも、期待と不安で私の胸は今にも張り裂けそうだった。
でも記憶を失う前の私は、何度も先輩と…その、“そゆこと”してたハズで……。
私は憶えていなくても、身体は憶えているなんて……。

―――ヤだ……!そんな事言われたらのだめ…どんな顔して先輩の顔見たらいいんデスか!

いつの間にか私のおとがいに、男らしい骨ばった手が添えられていた。
それに誘われるように顔を上げると、再び顔を近づけてきている先輩の瞳と目が合った。私は慌ててぎゅっと瞼を閉じる。
先輩の甘い吐息が顔にかかったかと思うとすぐに……優しいキスが降りてくる。

最初にされたのは唇のすぐ横だった。そして鼻の頭へ、額に、髪に、固く閉じられた瞼の上へ……。
でも何故か先輩のくれるキスの全部が、さっきのそれとはまるで違い、軽く掠め取るようなソフトなものだった。
これはあのキスだけで、頭の中が痺れてどうにかなってしまいそうだった私を気遣って…なのだろうか……?

―――でも、何か…かえって焦らされているみたい……デス。

さっきの深く濃厚なキス……。もちろん生まれて初めてで…最初はどうしていいか分からなかったけど……。
でも何故か……全然嫌じゃなかった。
先輩の熱い舌が、私の口の中を、まるで生き物みたいにいやらしく動き回って……。
こんなえっちなキス、先輩としか出来ない……って自分の舌を吸われる度にそう思っていた。

―――ううん…それよりもむしろ……。
―――千秋先輩のこのキスは、もうのだめだけにしかして欲しくない……て思っていたかも……。

何時の間にかキスが降りてこなくなったので不思議に思い目を開けると、先輩が困ったような顔をして私の顔を覗き込んでいた。

「のだめ……。」
「……?」
「やっぱりイヤ…か……?」
「……え?」
「だって、何だか泣きそうな顔してるし……。」

先輩は諦めにも似た表情を浮かべ、溜め息を小さくつくと、私の額を指で軽く弾いた。

「ったく、無理すンな。……今夜はもうこれで」
「千秋先輩……あの、お願いがありマス!」

先輩の言葉を遮るようにして言った“お願い”という言葉に、先輩は不審げに眉を寄せた。

「お願い?……何?」

私は呼吸を整えると、まるで宣言するみたいに大きな声で言った。

「もう一度、さっきのあのキス、のだめにして下サイ!」
「は!?」

先輩は私の発言に吃驚したのか、目を白黒させた。

「今みたいに焦らすようなキスじゃなくて……のだめ、その…ちゃんとしたキス……して欲しいんです!!」

勢いに任せて一気に言ってしまった。
けれどやっぱり後から自分が言った事が今更恥ずかしくなって……私は俯いた。

「おまえなー……。」

どこか呆れたような先輩の声が頭上からする。

「何を言い出すのかと思えば……。」

そう言いながら先輩は、はぁー…と小さく吐息を零した。

―――どうしよう……。先輩に変な女だと呆れられて……嫌われた?
―――いや、先輩はのだめの事、前から“変態”…とは言ってはいたけれど……。

「…ったく、おまえ……可愛すぎ。」
「……え?」

後悔していた所に全く予想外の言葉が降ってきて、私は慌てて顔を上げた。
先輩はいつものどこか怒ったような…それでいて見たこともない位真っ赤な顔をして、私をじっと見詰めている。

「言っとくけどオレを煽ったのはおまえの方だからな……。覚悟しろ。」

低く掠れた声で先輩はそう言い放つと、私の顔をその大きな両手でがしっとホールドした。
……そして気がついた時には、私は再び先輩に強引に唇を奪われていた。

さっきとはうって変わって、最初から先輩の舌を私の口の中に無理やりねじ込められた。
ひるんだ私の舌を喉の奥まで追いかけて乱暴に絡め取り、きつく吸い上げ、そして何度も何度も痛いくらいに歯列をなぞられる。
息をつくのもままならない程に、激しい愛撫の連続……。私の身体の奥の方が自分の意思に反して、ジンジンと熱く疼いてくる。

今度は先輩が私の口の中に、唾液を大量に流し込んできた。
自分の唾液と混ざり合ったそれを、飲み込むには抵抗があった私は、口元から滝のようにだらしなく溢れさせてしまった。
すると先輩はキスを続けたまま、ナイトテーブルの上にあったティッシュを数枚取って、私の口元を拭ってくれた。

「……のだめ…ちゃんと飲んで。」

先輩はキスの合間に熱い吐息と共にそう囁くと、いったん唇を離し私の後頭部を掴んで限界まで上を向かせた。
そして再び私の口の中めがけて、今度は酷く緩慢なスピードでたらーりと、自分の唾液を落とした。

「ほら……。」

そうして私の頭への拘束を解く。私は口の中に先輩の唾液を入れたまま……恥ずかしくて俯いた。
さっきみたいに零してはいけないと、一生懸命口を固く閉じて、でも未だ決心がつかず…まごまごしていると……。

「ほら…のだめ…ごっくん……。」

命令されている事はすごくいやらしい事なのに、先輩はまるで小さな子供にあやすかのような声色で、私にそれを促した。

ゴク…ンッ……

喉を鳴らす音が…ひどく部屋に響いた気がした。私は先輩の唾液を自分の唾液と共に喉の奥へ飲み込んだ。

「……よくできました。」

そう言って満足げに笑う先輩の表情は…どこかサディスティックだった。
それなのにそんな先輩に……ゾクゾクしてしまう……自分がいる。
でもどこか楽しげに、余裕の表情を浮かべてる先輩を見ていたら次第に口惜しくなって…私はプイと先輩から顔を背けた。

「……千秋先輩の、イジワル。」
「ちゃんとしたキスして欲しい…って言ったのおまえだろ。」
「だってさっきは先輩がしてくれたの、こんなに乱暴なキスじゃなかったデスよっ!!」
「……怒った?」
「……。」

それなのに、怒ってる私を全く意に介さないといった様子で、先輩は私の頬にちゅ…と音を立てて優しくキスをする。

「なぁ、機嫌直せよ。今度はちゃんと、のだめがとけちゃうの……するから。」

そう言って先輩は、喉の奥をくつくつ鳴らして笑う。それを見たらひどく頭にきて、私の感情は一気に爆発した。

「ムキーーー!!千秋先輩、のだめの事からかってマスねっ?」
「え?からかってなんか……。」
「からかってますヨ!!のだめが…は、初めて、だからって……バ、バカにしてっ!!」

抗議の意味で先輩の胸を握りこぶしでドンドンと叩くと、先輩は私の両手首をやんわりと捉え、それを止めさせる。

「そんなつもりじゃ……。」
「じゃ、どんなつもりだったんデスか……!!」

いつのまにか涙目なってしまい、文句の言葉も最後は震えた声になってしまった。
私のそんな姿に驚いた先輩は、さっきまでの余裕はどこへやら、盛大にうろたえた様子で私を自分の胸の中に抱きしめた。

「ご、ごめん。」
「のだめ……怒ってんですよ?優しくハグされたって…ごまかされませんから!」
「ごまかしてなんか……。」
「じゃ、どんなつもりだったのか、ちゃんと説明して下サイ!返答によっては……許しませんから!」
「いや、だからその…ただ、おまえの可愛い反応が見たくて……。それでつい…苛めたくなって……。」
「……え!」
「正直に言ったんだから……。」

そう言って先輩は、少し腕を緩めて胸元から私の身体を起こす。見上げると、先輩の顔は耳まで真っ赤だった。

「だからもう……。」

叱られた小さな子供がするみたいな瞳で私の顔を覗き込み、私の額に自分の額をコツンとくっつけた。

「……許してくれる?」
「どっしよーかな……。」

意地悪した先輩におかえしとばかり、私は口を尖らせて拗ねた表情をしてみた。

「なー…もう勘弁して……。」

先輩は駄々っ子のように甘えた口調で、私に赦しを求める。

「おおまけにまけて、今回は許してあげてもいいデスけどー。でも一つ条件がありマス……。」
「条件?何?」
「今度はちゃんと……のだめがとろけちゃうヤツ……して下サイ……。」
「……了解。」

先輩は口元にニヤリ、と微笑を浮かべると、承諾のしるしに額をくっつけたまま、私の鼻の頭を自分のそれで軽くこすった。

先輩の優しく甘い腕の拘束の中、私達は再びキスをした。
もちろん最初は啄ばむような軽い口付け……。私達はお互いに、わざとちゅっ…ちゅっ…と音を鳴らしてキスしあった。
先輩が顔をだんだんと傾けてくるのが……愛撫を深くしていく合図なのを…初めて理解する。

先輩はさっきと同じように私の背中を優しくさすりながらも、粘膜質の音を立てて私の口内を淫らに蹂躙していた。
いつしか私も積極的に口を開いて、先輩が私にしてくれるように唇をはみながらキスをしていた。
でもやっぱり先輩が攻めたてる、熱い舌の感触に時々意識が飛びそうになって、私は先輩の首に腕を回してしがみついた。

「んふぅ…あ……ふぁ…。」
「おまえ……相変わらずキス、好きだよな……。」

キスの合間に自分でも驚く程えっちな吐息が漏れてしまう。それを聞いた先輩は、くぐもった声で笑った。

「いつもオレがキスしただけで……。」
「んん…キス…した…んふぅ……だけで…何でふかぁー……?」

口をふさがれているので途切れ途切れに吐息混じりにそう尋ねると、先輩はクスリと笑って唇を離した。

「……今からそれが何だか教えてやる。だからのだめ……腕上げろ。」
「……へ?」

先輩の言ってる意味が分からなくて、私は間抜けな返事をしてしまった。

「これ……脱がしたいから。」
「……えっ!?」

いつの間にか先輩は、私の夜着の裾を太もも半ばまで、両手で捲り上げた状態でこちらを見ている。
どうやら私に、母親が子供の服を脱がす時のようにバンザイをさせて、服を引き抜こうとすでに待っていたらしい。
でもそんな脱がされ方はかえってえっちで…恥ずかしくて……私は慌てて捲り上げられた裾を元に戻そうと先輩から引っ張った。
途端に先輩は抗議の声を上げる。

「なに……。」
「だって先輩のそのやり方、やらしかー……。」
「……しょうがないだろ。これ、後ろにファスナーないし。前開きかと思えば中途半端にしかボタンがないし。」
「なっ……!」

気がつくとリネンの夜着の胸元にある6個のボタンが全部外されていた。
大きく肌蹴られていたその胸元から、
若草色の刺繍と白いリボンフリルでデコラティブされたブラが丸見えになっていて、私は慌てて合わせ目を閉じる。

私がキスに夢中になっている間に、先輩はそれには完全に溺れることなく、こっそりと器用にボタンを外していたらしい。
そういえばキスの最中にやたら背中を撫でられるな…とは思ったけど……。
あれは私を落ち着かせる為でなくて、ファスナーを探しての事だったようだ。

―――ヤだ!!全然気がつかなかった……!

千秋先輩の凄腕を目の当たりにして、これから先にある行為の……を猛烈に意識してしまった。
でも先輩にそんな風に脱がされのはやっぱり恥ずかしいので、私は小さな声で告げた。

「のだめ…自分で脱げマスから……。」
「……え。」
「だから後ろ向いてて下さい……。」
「……わかった。」

先輩は肩を竦めて笑うと、後ろを向いた。

「まだ?」
「……まだデス。」

…………

「……なぁ、まだ?」
「ま、まだデス……!」

自分で服を脱ぐと言ったのに、なかなか決心出来なくて、私はベットの上で裾を捲くったり戻したりを繰り返していた。

「……もう、オレが脱がしてもいいだろ?」

痺れを切らした先輩が振り向く気配がしたので、私は背中を向けたまま慌てて言った。

「灯り……。部屋の照明…消して下さい…。こんなに明るいの……のだめイヤです。」
「……オレは明るい方が、おまえの顔をよく見れていいんだけど?」
「だって…のだめは初めてなんデスよ……?恥ずかしいデス……。」
「分かった。でもベットサイドの灯り位は……つけたままでいいか?これならそんなに明るくないし……。」

私は後ろ向きのまま…こくこくと頷く。
先輩がベットから腰を上げたので、私の下のマットレスのスプリングがふわんっ…と弾んだ。
ドアの脇にある部屋のスイッチをオフにする為に歩いていく、先輩の小さな足音がだんだんと遠ざかっていく。

私は今一度深呼吸をして、気持ちを落ち着かせていた。








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