千秋真一×野田恵
![]() 「え?のだめ達に?誰でしょ!」 「…ま、まさか……。」 悪い予感は的中した。身を伸ばして前方を見ると、今一番顔を合わせたくないあの人物が、ニヤニヤ顔でこっちを見ていた。 「“音楽はとても尊敬できる”あなたの師匠デ〜ス!!はぁーい!のだめちゃんも!」 「ムキャーーーー!!ミルヒー!ミルヒーじゃないデスか!」 ―――もうチェックされてるのか……。 「あれー?何でミルヒーが同じ飛行機に乗ってるんデスか?自家用ジェットは?」 「ふふふ。可愛い“唯一の弟子”の晴れ舞台。師匠の私が行かない訳ありまセン!」 「ふぉぉぉぉ〜!そだったんデスか!」 ―――嘘をつくな。嘘を……。 「それから京都の方で、西欧文化と日本文化の交流についてのフォーラムにも招待されていたのデ〜ス!」 「へぇぇぇ!文化交流のフォーラム……。」 「おい、こら、だまされるな!そりゃーただの置屋遊びの事だ……。」 「うっ!!」 「ぎゃぼっ!?そうなんデスか?ミルヒー!!」 「ま、まぁ…ソレはともかく。今回は色々と大変だったネ〜のだめちゃん!」 「はぅっ!?」 ―――くそ〜…ジジイ!!どこまで知ってンだ!! 「でも、記憶が戻ってよかったですネ〜!どうして記憶が戻ったのか、その辺詳しく、後で千秋に聞かないとネ!」 「……な!?」 シュトレーゼマンはオレの方をいやらしい目つきで、笑いを堪えながら見ていた。 何故、ジジイはのだめが記憶喪失になっていた事まで知っているのだろうか。 オリバーにもその辺の詳しい所は全く話していなかったのに……。 『ったく!!千秋のおかげで、大変だったんですからね!!』 『えっ!?エリーゼっ!?』 シュトレーゼマンの隣から、凶暴そうなオーラと共に、エリーゼが顔を出した。 『当たり前でしょ。うちの事務所がマエストロに単独行動を許すと思ってるの?』 『あ……。』 『言っておきますけどね。千秋には当分ただ働きしてもらうから、そのつもりで!!』 『え……!?何で?』 『フン!これを見なさいよ!』 そう言ってエリーゼは、簡単に装丁された雑誌の束を、オレの方に投げて寄越した。 「先輩、これなんデスか〜?」 のだめも不思議そうに覗き込む。オレは一枚目をめくって唖然とした。 「な、何だこれはっ!!!」 +++++++++++++++++++++++++++++++++++++ 《クラシック界の若き貴公子、千秋真一のミューズは1歳年下のピアノ留学生》 巷では、最近クラシック・ブームが巻き起こっているが、そのムーブメントの中心人物の一人でもある、 千秋真一(23)が、プラティニ・指揮者コンクール優勝記念の凱旋公演の為、現在日本に帰国している。 その彼の音楽のミューズとも言う女性の存在を、当紙はいち早くキャッチした。 彼は若い女性に圧倒的な人気を誇り、クラシック界では“王子様”として知られているが、そんな彼の 心を独り占めにしているのが、一つ年下のAさん(22)である。Aさんは大学時代の後輩にも当たり ………… +++++++++++++++++++++++++++++++++++++ そこには一昨日の公演で、オレがロビーでのだめに跪いて、ちょうど抱きしめようとしている瞬間の写真が、バーン!と載っていた。 右下の小さい方には、のだめの手を引っ張って、楽屋の方に歩いて行くスナップも掲載されている。 「千秋先輩。何でのだめに黒い目線が入っているんデスか……犯罪者みたいですヨ……。」 「おまえ…見る所がそれかよ……。」 『今日発売の写真週刊誌だったのよ!ソレ』 『千秋、男前に写っているネ〜!』 『マエストロ!!』 エリーゼがキッとシュトレーゼマンに鋭い眼光で睨みつけると、さすがのジジイも首を竦めた。 『まぁ!大物外タレを沢山有している我が事務所ですから、その中の一人が次回来日する時に、 独占インタビュー記事を書かせるという事で、手打ちにしました!!』 『えっ…じゃあ、この記事は……?』 『勿論今日発売の雑誌には、掲載されていません!!感謝する事ね!!千秋!!』 『す、すみません……。』 『千秋は当分ただ働きの件を了解した、と解釈してもいいのよね?』 『……はぁ。』 オレは深い溜め息を零した。また馬車馬のように働かされる(しかも報酬なし)のは正直辛かったが…仕方がない。 『言っておくけど、その記事が本当に世間に出て困るのは千秋、あなたじゃなくてそのコの方よ? まだそのコは学生で、つまり音楽家の卵なんでしょ?“千秋真一の女”という色眼鏡をあなたがつけてどうするのよ!! そのコが本当に大事だったなら、その辺も気をつけなさいよね!!』 エリーゼはフン!と鼻息荒く言い放つと、座席に座ってしまった。 『まぁまぁ。エリーゼのいうことも一理あるからネ。千秋もよく考えてみるといいですヨ〜。』 シュトレーゼマンも何時になく真面目な顔でそう言うと、隣に座ってるマネージャーと同じように座席に戻る。 「先輩…エリーゼさんと、何をお話してたんですか?」 「いや…別に。」 手元の紙面に目を落とすと、どうやらゲラ段階の記事らしい。 しかしよく調べてあって、オレ達のパーソナルな情報は、ほとんどいっていい程間違いはなかった。 ふと、最後にある、この記事を書いたライターの名前を見る。オレはようやく自分の失態に気がついた。 ―――この名前…喫茶店で取材を受けた時の…あの女性誌のライターだっ! そういえば、あの時先に喫茶店を出て、店のウィンドウから見ると、彼女は何か思惑を秘めた瞳をして、じっとこちらを見つめていた。 変だな…とは思ったけど、まさかあの時からオレはマークされていたのか……。 「……はぁ。」 「先輩?大丈夫ですか?」 「ああ……。」 「ねー先輩!それ、のだめに下さい!!」 「っは!?これ?」 「ハイ!記憶にはないですケド、のだめと先輩の愛のツーショットですから!家宝にしマス!」 ビリッ!バリ!ビリ!ビリ!バリッ!…… 「ああああ!!何するんデスかーー!!」 「こんなモノ、とっておくな!バカっ!」 「ムキャーーーー!!せっかくの愛のスクープがぁぁぁっ!!」 オレはゲラ記事の一枚目だけをビリビリと破り捨てた。 のだめは慌てて、紙の欠片をジグソーパズルの様に当てはめようとするが、無駄な事だった。 「むー……!先輩のイジワル。」 のだめは頬を膨らませて、拗ねていた。 そこでまた飛行機が盛大に揺れたので、オレはのだめにしがみつこうとする。するとのだめにその手をピシャリ!とはたかれた。 「なに……。」 「もう、先輩は一人で震えていればいいんデスよ!」 「のだめ……機嫌直せよ。」 「フーン!」 オレはゆっくりとうかがう様にのだめに身体を寄せると、慎重にのだめの柔らかな身体に腕を回した。 「のだめはいつもこうやって、先輩に抱っこさせてあげてるのに……。」 「うん……。ありがとう。」 「記事破いちゃうんだもん…ヒドイ!!」 「……なー、のだめ。パリに帰って、オレのマルレの定期公演が終わったら、どっか行こうか?」 「むきゃ?」 「ほら、せっかく日本に帰ってたのに、何処も行けなかったし。パリはちょうどバカンスシーズンだろ?」 「モキャーーーー!!お出かけデスか?何処に?」 「……何処でもいいよ。でもなるべく近場でな……。」 「千秋先輩…のだめ、先輩と一緒なら、何処に行ってもデートなんですヨ?」 「へー……。」 「先輩と一緒にカフェに行くのだって、のだめにとってはいつもデートです!ぎゃはぁっ!」 のだめは優しくオレの髪を撫でていた。 オレはのだめの身体に身を預けながら、のだめの楽しそうなおしゃべりに相槌を打つ。 「でもまずパリに帰ったら……。」 「帰ったら?」 「やっぱり最初に、おまえのピアノが聴きたいな。久しぶりに……。」 「いいですヨ。じゃあ先輩も、のだめに呪文料理、ご馳走して下さい!」 「分かった……。」 のだめがすっと小指をオレの目の前に差し出した。少し気恥ずかしかったが、オレもその指に自分の指を絡める。 ―――ちょっと先の未来を、お互いに拘束する幸福…か……。 “指きりげんまん♪”と小さな声で、嬉しそうにのだめが歌うのを聴きながら、オレは瞼を閉じた。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |