緊張
千秋真一×野田恵


パリデビューを果たした夜。
舞台裏でマヌケ面して待っていたあいつに向かって、俺はその場で抱きしめながら、
シュトレーゼマンに言われた「はっきりと分ける」ことを俺なりに、
具体的な言葉にして伝えてみた。

いざ言葉にしてみると、それはずいぶん今更なことだと感じられた。
生真面目に改まっている自分がなんだかとても気恥ずかしくなって、居た堪れなかった。
でも、言った瞬間に舞台裏で失神したまま楽屋に引きずっても起きなかったあいつには、
……それくらいに大事なコトだったんだろうな。

あの時シュトレーゼマンに突き放されて言われなければ、そしてピアノを遮ってしまった
俺をあいつが激しく拒絶しなければ、俺はいくら経ってもこの先、気付けなかったのだろう。
このままずっとこの状態を続けて、あいつに対して身勝手にも苛立ったり怒ったりをずっと、
俺はこの先も、繰り返していたのだろう。
……悪かったな、と思う。
でも、らしくなく焦ってリストを弾き狂うあいつを見てキスしたくなったのは本当だったし、
まさかキスをして拒まれるとは……あの時は、思いもよらなかったし。
ちくしょう、あれは結構ショックだったんだぞ?のだめのクセに。
そういうとこはいつもキッチリ分けていやがって。

……ああ、いざ「分けて」しまえば。
あいつの行動も、なにより俺自身の行動も、とても分かり易いことに気付く。

呆けた笑顔のままで楽屋の床に転がったのだめを無理やり立たせて、
俺はウィルトールの皆へのねぎらいや遠方から来てくれた家族への挨拶も程ほどに、
指揮者としてのデビューを果たした劇場を、後にした。

演奏後の拍手に興奮した余韻が心地良くて、乗り込んだタクシーの隣に座るのだめの手を握ると、
のだめはうつむいたまま顔を赤くして、こちらに重みを寄せてきた。
俺らにしては珍しく沈黙したままの車内で、しばらく静かに互いの体温を感じあう。

ああ、いいな。
こういうのは、変じゃない。

俺は静かに、ゆっくりと息を吐き出した。
正面から真面目にこんな、いかにも恋人めいた事は今までしてこなかったけど。
流れるパリの夜景を眺めながらこうしていると、
こうして触れ合っていない今までのほうが不自然だったんじゃないかと思えてくる。
まるで猫のように俺の肩にもたれているのだめの体は結構小さくて、おどろくほど柔らかくて、
そして、感動するほど暖かかくて。
こいつがこんなに……静かに体重を寄せてくる程度であっても、こんなに可愛らしく、
控えめに俺に甘えてきたことは、今まで共に過ごしてきた年月の中にどのくらいあったんだろうか。
そして俺は今まで、それに気付いてやれていたのだろうか。

タクシーの車内での、アパルトマンへの静かな帰り道。
俺も、こいつに甘えてみたい。
と思った時点で、俺は確実にこいつの変態の森に、足を踏み入れていたのだった。

各自部屋でシャワーを浴びて、その後で俺の部屋に来い、と言った時点で、
それがどういうことなのか、普通は分かりきっているようなものなのだが。
普段どおりの色気も皆無な寝巻き姿で再び俺の前に表れたのだめは、
もうすっかりいつもの変態に戻っていた。

「ふぉぉぉぉ…!先輩が全裸…!!」

ベットで向かい合った俺にのだめは奇声を上げて興奮している……。
なんだって言うんだ、お前だって素っ裸だろうが。
と突っ込みたくなるのを、そのキラキラした目を見て、痛むこめかみを押さえてグっとこらえる。
もういい……こういう変態を彼女にするって覚悟したのは数時間も前のことだ。

「いいぞ、もう好きなようにしてくれ……どこ触っても怒らないから」
「え……何しても、ひっぱがして殴ったり、蹴っ飛ばしたりしないんデスか?」
「俺はどこのDV亭主だ!? クソ、煮るなり焼くな好きにしろ!」

むきゃ〜!!と真正面からダイブして俺にくっつくのだめ。

「ほぁぁぁ、先輩、肩幅、大きいデス」

よく分からないコメントをしてひっつくのは普段となんら変わらない。
お互いに全裸、ということを除けば。
あぁ…なんだか動かないんだけど、きっと匂いとか嗅がれてんだろうなぁ。
腕の中で微動だにしないのだめを見て、俺は情けなくもそれなりにしていた緊張を緩めた。
ゆっくりと、のだめの背中に腕を回す。それは意外な程すべらかで、柔らかい。
のだめはのだめだ。どんな時だろうと変わらないし、変わっても、所詮はのだめだ。
そんなことをぼんやりと思う。

しかし、
…しばらくは我慢しつつも、いつまでたってものだめは動かない。
いいかげん焦れてくる。
ダイレクトに当たる胸の感触や、脚の微妙な重なり具合に痺れをきらしたのは
情けないことに俺のほうだった。

「……どうした。のだめ」
「え、……えっと、先輩……。も、もうちょっとこのままで、いいデスか」
「ふざけんな、そろそろ朝になるぞ、俺の我慢も限界だ」

ひっぺがしたのだめは、
真っ赤だった。
しかも半泣きだった。

「や、いや、なんか、のだめ、柄にもなく緊張してマス…」

至近距離で視線がぶつかる。
のだめは態度こそ本当に腹が立つほど普段どおりだったけれど、
けれども、今はそれに加えて色気もあり、常識にも沿う……ただの普通の女のようにも見えた。
気付けばその白い肩も硬直していて、いつもは表情豊かにくるくる回る目は大きく見開かれていて、
重なった豊かな胸から伝わる鼓動は壊れてしまいそうな程で。

……人って普通は極度の状態に陥ると隠された異常行動なり変体性が出てくるものだけど、
こいつは本心を取り繕うときに、よく分からん変態の皮を被るんだな。
そんなことを思う。
奇抜な行動に隠れて見落としちだけども、そういやこいつはいつだって、
穏やかで、気取らなくて、なんだかんだいっても優しくて、
そして、けっこう人や俺に、気を遣うのだ。のだめのくせに。

かわいいなぁ。

全裸の自分に抱かれながら柄にもなく緊張すると言っている、同じく全裸ののだめに、
俺は柄にもなく、自分に出来る限り優しくしてやりたいと、思った。

ゆっくりと、本当にゆっくりと、のだめにキスをする。
柔らかい口唇の感触を味わうのは何時振りだろう。
甘やかな感触が自分の無骨な唇と溶け合うのを感じる。
いい加減じれて突き飛ばされるんじゃないかというくらいまで待ってから舌を絡めると、
のだめは怖々と、俺に応じてきた。
なんだ。このくらいでいいんじゃないか。
少し唇を離すと、のだめはぼんやりと俺を見上げていた。

「……俺、お前にボヘーって突き飛ばされたのがトラウマになってるみたいなんだけど」
「……へ?ボヘ?それって、いつのことデスか?」
「……なんだよ、覚えてないの」

酷いよなぁ、俺は生涯忘れられそうに無い夜になったのに。
そう言ってまた唇を重ねる。より深く、執拗に、ゆっくりと時間をかけて。
舌と舌が絡まって、意外に固いその感触を確かめるように追いかけて、重ねあう。
背中にチクリとした感覚があって気を向けると、のだめの回した手の爪が食い込んだようだ。
息苦しそうに酸素を求めるのだめの変な顔を堪能して、俺は少しだけだが気が済んだ。

「俺を拒むなんて、100年早いんだよ、ばかのだめ」
「……先輩、やっぱり、カズオデス」
「この優しい俺様のどこが?」
「ぷ……、そういうところが、デスよ」

緊張がほくれたのだめとクスクスと笑い合いながら、次は全身でお互いを感じる。
ゆっくりと肌と肌が重なる感触に、ふと泣きたくなる。
回したままだった腕をのだめの体に這わすと、その体がふるりと震えた。

「なんだよ。……もしかして、怖い?」

顔を覗き込むと、のだめは目をぎゅっとつぶって耐えていた。
その顔は、やっぱり泣きそうだった。

「……怖い、デス」

俺はそれが、我ながら酷いことに、なんだか無性におかしく感じた。

「今更だろ、どうして俺が怖いっていうんだよ」

俺のほうがこえーよ。いつもの彼女からは想像もつかない態度に笑いながら囁くと、
のだめは顔を上気させながら唇をとがらせた。
ああ、この顔だ。ピアノを弾くときの、いつもの、ひょっとこみたいなこの顔だ。

「……真一くんが、好きだから、でショウか」

のだめの瞳がぱちりと開いて、真っ直ぐに俺を見る。

「……真一くん、顔が、真っ赤デス」
「……うるせえ、そろそろ黙ってろ」

いいか、今俺は音楽抜きに、お前が好きなんだからな。
そう言うと、のだめは小さく「むきゃ」と、奇声を発した。






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