千秋真一×野田恵
![]() 耳の浅いところでふんわりと聞こえていた水の音が、 だんだんはっきりとして朝が来たことを認識する。 意識も徐徐に鮮明になるけど、なかなか目を開ける気にはならなくて。 ベッドの反対側へ転がってみても、そこはただ冷たくて。 起き上がったのは、目が覚めてから10分程経ってからだった。 寝室から出ると見えたのは、キッチンに立つ先輩の後ろ姿。 「…寝過ぎ」 「………誰のせいデスか」 いつものようにコーヒーメーカーがこぽこぽと音を立てて、 いつものように玉子焼きのいい匂いがする。 ―そうやって、いつもと同じ朝を演じてるつもりデスか? いつもの"おはよう"がありまセンよ、と先輩の背中に言い捨てるように呟いて、洗面所のドアを開けた。 鏡の前に立てば、そこにあるのは気の抜けた顔と、紅い痕が残された首筋。 その印が思い起こさせる昨夜の事。 もっと長く、もっと深く触れていたいと思うのとは反対に、 この夜と次の日に訪れる夜のギャップが 身体が重なる度に大きくなっていく気がして恐かった。 長ければ長いほど離れづらくなる。 短ければ短いほど物足りない。 嬌声をあげながら寂静に包まれて、快楽と悲哀に溺れていく。 ――――こんな矛盾だらけの夜になったのは誰のせいデスか。 カラン、と歯ブラシを元の場所に立ててリビングに戻ると、 「そんな夜にした」張本人がテーブルの支度をしているところだった。 お皿を並べて、またキッチンに戻ろうとする。 ――――待って 思わずその背中に抱きついた。 「わっ、何だよいきなり」 ――"いきなり"はこっちのセリフですヨ。 「………邪魔なんだけど…」 ――邪魔したって、行くんデショ。 「おい……離せ」 ――昨日は離してくれなかったクセに。 「………………何泣いてんだよ」 「………泣いてマセンよ」 「…のだめは大丈夫、じゃなかったか?」 「………バカ……カズオ………」 おへその前で固く組んだ手がゆっくりとほどかれて、 先輩が身体を返すけど、顔を上げることができなくて。 そのまま体重を預けて、その胸に頭を埋めた。 「………分かってマスよ、仕方ないのは。仕事なんですから」 「………」 「………今日だって『何ともない』って顔して、 先輩の寂しがる顔でも見てやろうと思ってたんですケドね…」 「……………バカ」 少しずつ視線を上げる。 先輩の顔を見る暇もなく、唇が重ねられた。 朝の挨拶程度じゃない深いキス。 ただ、微かなミントの香りだけが爽やかな朝を演出する。 「………あ……っん…先輩…時間」 「……まだ余裕あるし」 「でも朝御飯………」 「……いいよ後で……」 ちらりと横目に見えたコーヒーカップから、ふわりと半透明の湯気が立ち上っていた。 - - - - - - - - - - - 今朝開けたばかりのカーテンをまた閉めると、部屋が薄暗い影に覆われた。 ほんの僅かな隙間から差し込む光が、ベッドの上に細く一筋の線を引く。 向かい合うように座ったのだめの腰に掌を添えて、キャミソールの中へ滑り込ませる。 その背骨をゆっくりとなぞるだけで、甘い吐息が洩れた。 今日の朝まで、たった数ヶ月離れるくらい平気だと思っていた。 仕事だってもちろん嫌々行くわけじゃない。 むしろ行けることは楽しみで、ありがたいと思う。 けど目が覚めて横に眠るのだめを見るとただ単純に、離れたくないな、と思った。 今触れているこの柔らかさも、 今聴こえているこの声も。 すべてが愛しく、名残惜しい。 膨らみの中心を舌先で触れると、のだめの背中が退け反る。 うねって浮き上がる身体を片手で支えながら、 滑らかな太股を撫で上げ、付け根のところで結ばれたリボンをさりげなく解く。 そっと内側へ忍び込むと、その奥は既に熱く溶けていた。 「……………もうこんなになってる」 わざと音を立てるように中で指を二周させると、首に回された腕に力が入る。 「あっ、……は…ぁ……」 「…朝からその気だった?」 「違…ぁ………あ、あ…っ!」 ぬめりを帯びた指で一番敏感なそこを責めると、のだめの脚が小刻に震えた。 肌が触れ合う処々から、熱が高まって全身へ巡る。 冷えたシーツも今ではこんなに心地いい。 のだめが両膝を立てて脚を開いたその間から、はたりと一滴の雫が落ちた。 「…………そろそろ」 ベッドサイドの引き出しから、いつものを取り出す。 準備ができてそっと身体を組み敷くと、脚に手をかけ膝を割り、自己を熱の中心に宛がう。 中を進むほどに、交差する指と指が強く絡み合った。 とても遠くから聞こえるような、行き交う人々の賑わいや車の走り抜ける音。 カーテン越しに入ってこようとする晴天の太陽。隙間からその眩しさが見て取れる。 月光とも、電灯とも違う、淡く暖かな光に満たされたこの部屋には、 熱っぽい空気が立ち込めて、ただ二人の声と繋がる音だけが響く。 「……あ……あ、…っん……」 ゆっくりと引き抜いてはまたゆっくりと挿し入れる。 こうしているとつい、別れることを忘れてしまいそうになる… たった今繋がっている、この朝と、今日訪れる夜は同じ日なのに。 その数時間の夜ですら……触れられない、この髪にも、この首筋にも、この胸にも、この腰にも…… ひとつひとつ確かめるように、指を上から下へ滑らせた。 オレはこんな未練たらしい男だったのかと心底情けないとは思うが、 それと同時に湧き上がるのは、このまま繋がっていたい、という想い。 目が合っても、何も言えないから、何も言わない。 すがるようなのだめの眼がオレの視線を捕らえる。 奥深くに、ぐっと体重をかけてだんだんと強く突く。 「はぁ…あ…、あっ、いや……せんぱ、い…っ!」 終わりが近づくのを察して、のだめが横に首を振った。 潤んだ瞳が「やめて」と訴えかける。 それはいつもの口癖ではないことは、その表情が物語っていた。 心とは裏腹に、出口を求める欲望。 そうだ、たった数ヶ月。ただ出張は久しぶりなだけ、そんなに大袈裟に考えることじゃない。 どうせ一週間も経てば何とも無くなるに違いない。 見まいとしていた部屋の隅のスーツケースをわざと横目で見ると、 ずっと力が入りっぱなしののだめの手を強く握り返し、 深く、強く貫いた。 「あっ、あ、や…っ、しんいちく……ん…っ」 「…のだめ……愛してる…」 「あ…っ、あ……んっ、あぁぁっ!」 急激に狭くなる中に締め付けられ、のだめの後を追いかけるように上り詰めた。 紅くなった目尻を親指で拭い、その熱い頬を包んで静かにキスを交わす。 - - - - - - - - - - - - すっかり冷えてしまったコーヒーや玉子焼きを温め直し、 もう昼食とも言うべきかなり遅めの朝食を取った。 朝から…というのは、終わってみればなんとなく恥ずかしくて、 食事中も何か言わなければと思うがお互い何も言い出せなかった。 昨夜と同じように、まだ身体の熱が冷めないままで―――。 朝食の片付けと荷物の確認も済ませて、時計を見ると刻々と出る時間が迫っていた。 「…ちゃんと飯食えよ」 「…分かってマスよ」 「…ピアノさぼんなよ」 「…分かってマスってば」 「…部屋散らかすなよ」 「…………それは自信ないデスね」 「…汚くしてたら土産やらないからな」 「う……了解デス…」 「……じゃあ、そろそろ行くから…」 「…ハイ」 のだめを引き寄せ強く抱きしめ、最後の口付けをした。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |