千秋真一×野田恵
![]() 「はうー、美味しかったです〜。ごちそうさまデシタ」 朝食を食べ終わったのだめが、箸を持ったまま、胸の前で手を合わせて言った。 「飯食ったなら、早く支度して行けよ。今日は朝からレッスンだろ?」 「はうーん、もうちょっと。お腹パンパンで動けないデスよ・・」 「おまえ、食いすぎ!ったく、それでなくても今日はいつもより遅くなったのに」 「それは、真一君がなかなか寝かせてくれないから・・・」 「なんの話だ!」 ・・・まったくこいつはいつもいつも・・・ どうせこれからもずっと変わらないんだろうな・・ずっと・・・ 千秋が空いた皿をキッチンに運びながらぼんやりそんな事を考えていると、 「先輩? あの・・・」 とのだめが声をかけてきた。 「ん?」 「先輩・・・こども好きデスか?」 「はぁ!?」 あまりに唐突な質問だったので、千秋は危うく皿を落としそうになった。 「なんで急にそんな・・・」 「・・・」 「子どもかー。由依子はかわいいよな」 「・・・先輩、顔がニヤけてマス・・・」 「っ・・。でもなんでそんなこと、おまえ・・・」 千秋ははっと気が付いた 「まさか、えっと・・・お、遅れてる?」 驚いてのだめの方を振り返ると、彼女は少しうつむき加減にうなずいた。 「1週間くらい・・・」 永遠に続くかと思われる気まずい雰囲気を破ったのは 「・・・ぷ・・・うきゅきゅ・・・」 いつもの能天気なのだめの奇声だった。 「なっ・・、お前、冗談にもほどがあるっ!」 「冗談じゃありませんよー。でも、のだめ、もともと生理不順ですし、 このくらいの遅れはヘでも無いデス。先輩ったら慌てちゃって、凄い顔。ぷぷぷ・・」 「おまえ、ひでー!!今日の夕飯抜き!もうこの部屋にくんな!」 「またまた、そんな事言って。またすぐ会いたくなっちゃうくせに」 「お前、そんなに死にたいのか・・・」 「むきゃー! あ、のだめもうガッコ行かなきゃ。じゃ、いってきまーす」 ・・・逃げられた・・・。 朝食の片付けを終え、洗濯物を干す段階に入っても、千秋のイライラは消えなかった。 「くそ、のだめのやつ、人をおちょくりやがって・・・」 だいたい、この俺様が避妊を失敗するわけない。ゴムだって、こっちのは劣悪だから、わざわざ日本から輸入してるって言うのに。 洗濯が終わり、掃除をしていても、のだめが散らかしたものを見るたびに、今朝の怒りがこみ上げてくる。 まったくあいつはいつも嘘ばっかりつきやがる。態度に出るからすぐ解るっつーの。 ふと千秋は掃除機を動かす手を止めた。 「まてよ・・・?」 今朝の会話を思い出してみる。 「1週間くらい」の時ののだめは、目をそらしてはいたが、嘘をついてるからって感じじゃなかった。 「もともと生理不順・・」って時は、俺の目を見て話してた。 ・・・でも、「遅れはヘでもない」って時は?視線が宙を舞ってた? あいつ、本気で相談したかったんじゃねーか? 「遅れてる」と聞いて、俺、そんなに酷い顔したのか? あいつの全てを拒否するような顔になってたかもしれない。 もう終わりだと、あいつに思わせたのかもしれない・・ なんだか気が抜けて、千秋は掃除機を放り出してソファにもたれるように座り込んだ。 コンドームをしていても、妊娠する時はある そんな事は解っていたはずだ。 だいたい、子どもを作るための行為をしているのは最初から解ってたじゃないか。 いつかはこういうことだってあるってことも。 どうすればいいんだ?俺・・・ とりあえず病院、だよな?産婦人科?そんなのどこにある?総合病院行けばいいのか? ・・・俺も行くのか? だいたい、産むのか?あいつ。 せっかくここまでピアノに本気になってるのに、子どもを産むとなると、それどころじゃないだろ。 あいつのことだから、自分の子どもの為なら、ピアノなんて簡単に捨てるだろうし。 どうすればいい?俺はどうしたい? 俺は・・・・産んで欲しい・・・ 千秋はそう思ってしまった自分に驚いた。 産んで欲しい?俺は、のだめと俺の子どもが欲しいのか? 父親になりたいのか? だって、俺の父親は、家族より音楽をとる男だったじゃないか。 俺の中にはあの人の血が半分流れてる。 俺だって、音楽をやめるつもりはないし、あの人と同じ道を辿る可能性だって・・・ そこまで考えて、千秋は首を横に大きく振った。 そんなこと無い。あの人の様にはならない。 あの人は、結局、ジジイが言うように「分ける」事ができなかったんだ。 俺は・・・もう大丈夫。ちゃんと分ける事を覚えた。 千秋は思わず「ふっ」と笑みを漏らした。 結局・・・師匠の言う事は絶対って事か・・・。 **** いつの間にか、太陽が真上を通り越して、下降しつつあった。 もうそろそろ、のだめが帰ってくる時間だ。 千秋は、のだめが好きなようにさせよう、と思っていた。 産みたいなら産めばいい。でも、のだめ自身がそれを望まないなら、 今回は運が無かったと思って諦めよう。 それでのだめが受けた傷も一緒に俺が引き受ければいい。 けじめをつけないと・・・結婚しよう・・・。 どうせ、これからもずっと一緒にいるんだ。 紙切れを提出するかしないかなんて、本当に些細な事だ。 それでのだめが安心するのなら。そんなの簡単な事じゃないか・・・ あ、もし、結婚したら、あいつ、もう『のだめ』じゃなくなるな。 俺はやっぱり名前で呼ぶべきか?「恵」?うわ・・・ 千秋が変態の森の袋小路にはまっていると、隣の部屋のドアが開く音がした。 「のだめ?なんで自分の部屋に?」 いつもは、千秋が部屋にいると解っていると、必ず自分の部屋ではなく、千秋の部屋に直接来るのに。 やっぱ、落ち込んでるのかな? 千秋は、のだめに自分の決意を伝えようと、のだめの部屋のドアをノックした。 「のだめ?」 中から返事がない。 「のだめ?どうした? ちょっと話が・・・その、今朝のことなんだけど・・」 しばらくすると、のだめの部屋のドアがゆっくりと開いて、中からボーっとした青白い顔ののだめが出てきた。 (ひ・・・ホタル化してる・・・!) 「の、のだめ?どうした??あ、あの、今朝のことなんだけど、俺、悪かったよ、凄い変な顔したよな。お前、本気で不安だったんだろ?俺は、なんていうか、その、心の準備が出来てなくて・・ でも、1日考えてたんだけど・・・」 「せんぱ・・い・・・」 「・・・え?」 「先輩、の、のだめ、生理痛で、、、つ、辛いんです。今回なんか酷くて・・。 だから、今晩夕飯いりません。で、もう、寝たいんですが、用が無いなら、帰ってもらえマスか?」 「いや、用が無い訳じゃ・・・って、え?生理痛!?」 「・・はい、だから先輩の相手も出来なくて、すみません・・じゃ、また・・・」 呆然としている千秋の前で、ドアは静かに閉まった。 「・・・今日の俺っていったい・・・」 ふらふらと自室に戻り、そのままベッドに倒れこんだ千秋であった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |