千秋真一×野田恵
![]() 「シンイチ、新居はどう?」 ニナがティーカップの紅茶にミルクを注ぎながら尋ねてくる。 「おかげさまで、ずいぶん…。良いところを紹介してもらって、本当に感謝しています。」 そう言うと俺は、シンプルなデザインのティーカップに手を伸ばした。 「それはよかった。安心したわ。」 微笑んだ後、紅茶を口にして、ふと思い出したような表情になったかと思うと ニナは嬉々とした表情でこう言った。 「そういえばシンイチ、あなた恋人がいるんですってね!」 「…え?」 「ニールがこの間、調律に来てくれた時に話してくれたのよ。『シンイチも意外と情熱的なんだな』ですって!」 …俺は飲んでいた紅茶を思わず噴いてしまった挙句、ゴホゴホとむせ返ってしまった。 思い出すだけでも恥ずかしい…今でもあの時の状況が鮮明に脳裏によみがえる。 (ヤバイな…オレ今、耳まで赤いんじゃ…) そんな俺を楽しそうに見ていたニナは、構わずに話を続ける。 「ぜひ紹介してほしいわ。きっと音楽やってる子なんでしょ?楽器は何?」 「…ピアノですよ。」 とりあえず、なんとかクールダウンさせようと言葉を発する。 「まぁ!ならウチへ連れておいでなさいよ。聴いてみたいわ。」 「…そうですね、ぜひ。」 そうだな、一度聴いてもらうのもいいだろう。アイツにとってもいい機会だろうし…。 幾分落ち着いてきた頭で、そんなことを考える。 「楽しみだわ〜ふふっ。噂の彼女に会えるのはいつの日になるかしら。」 ニナは本当に嬉しそうだった。 その『噂の彼女』は、今夜新居に来ることになっている ********** 予定していた時間より遅く、のだめが部屋にやって来た。 「遅かったな」 「ハイ、すみません…。もうちょっと早く来る予定だったんデスけど、ターニャが…」 そう言うと、なにやら箱の入った紙袋を差し出す。 「何?」 「明日、バレンタインですヨ〜先輩。のだめ、がんばって作ってみました。」 すごく甘い匂いが鼻をくすぐる。 「チョコレートケーキなんデスけど…ターニャに『日本では、女性が男性にチョコレートをプレゼントするんだー』 って話したら、突然『一緒に作ってあげる!』って。『自分の分も作るから』って言ってすごく張り切ってて… で、遅くなっちゃったんデス」 そう言うと、そっと覗き込むように俺を見て… 「遅くなって心配しましたか?さみしい思いをさせて、ゴメンナサイ。」 「…別にさみしくなんかねー。」 「ぎゃぼっ。そですか…」 つまらなさそうに唇を尖らせて、のだめは拗ねたような表情を見せる。 (たとえ遅くても、絶対来るって信じてたし…) 言葉には出さないけれど、目の前の拗ねたのだめをかわいく思う気持ちを表すように そっとその体を抱きしめる。 「おまえ、今日は腹減ったって言わないの?」 「ムキャ、人を腹ペコ虫のように言わないでくだサイ」 「夕飯の用意しようか?」 「いや…実はケーキ作ってる最中にチョコの味見をちょっとずつしてたから、なんだかお腹がチョコでいっぱいで…」 「ふーん」 抱きしめ合ったまま、少し体を離して、額と額をくっつける。 「ん、甘い匂いがする」 そう言ってじっと瞳を覗き込むと、みるみるのだめの頬が赤く染まっていく。 「味も、する?」 「え…何がデスか?」 「ここ…」 そう言うと俺は、ゆっくりと唇を重ねる。 ゆっくりと味わうように… ********** 舌を差し入れると、少し遠慮がちにおずおずと舌を絡めてくる。 いつまでも初々しい反応ののだめが、いつもかわいく思えて仕方がない。 …ほんのり、チョコレートの味がする。 ゆっくり唇を離すと、耳まで赤くなっているのだめが、 「どデスか?チョコの味…しましたか?」 と聞いてくる。 「うん。すっげー甘い。」 「先輩、甘いの食べられマスよね?」 「食えるけど…今はいいかな。」 「ほぇ?」 「先に食べたいものがあるし。」 そう言うと、きょとんとしたのだめを抱き上げて、ベッドまで連れていく。 「せ…せんぱい!むきゃっ」 甘い香りが漂うその体をベッドに下ろし、ゆっくりとまた唇を重ねる。 「ん…」 (本当にチョコの味がするな…) そんなことを考えながら、ふとニナとの会話を思い出した。 今ここで、遠くからあのノクターンが聴こえてきたら、最高のBGMになるだろうな… ********** ********** 存分にのだめを味わった後、ターニャと作ったというケーキを食べることになった。 「ジャジャーン!見てくだサイ!」 と言って箱から出したものの、のだめはなぜかケーキを見て固まっている。 「どうした?」 「いや…のだめが作ったケーキよりすごく出来が良くて…おかしいなと思っていたら…」 一緒に並んでケーキを見ると、たしかにのだめが作ったとは思えないくらい上出来なケーキがそこにあった。 のだめがびっくりしたのは、どうもケーキそのものではないらしい。 「これ…どうしましょ?」 箱からメッセージカードが飛び出してきたらしく、のだめがそれを手に取って見つめている。 『To YASU』 「…見なかったことにして、今スグ返しに行ったほうがいいでしょうか?」 「いや、今日はもう遅いし…」 二人で顔を見合わせて、とりあえず明日…ということになった。 のだめが俺に作ってくれたというケーキも、明日のお楽しみ。 楽しみは、毎日あるほうがいい。 ********** その頃、アパルトマンでは… 「キャーッ、どうしよ!?」 素っ頓狂な声でターニャが叫んでいた。 (見られたかしら…どうしよう…) 何と言ってごまかすか、必死で考えるターニャの長い夜は始まったばかりだった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |