2つの伝説―エピローグ―(非エロ)
千秋真一×野田恵


「………ぇっくしゅ!」


―――自分のくしゃみで目が覚めた。
まだ人々が起ききらない、早朝。
アパートメントからは人の気配は全く無くて。
かすかに鳴いている、早起きの小鳥たち。


「………」


すこしまばたきをして。
体が少しだるい事に気付く。…風邪?
そっと起き上がり、自分と周りを見回してみる。


「…はぅ……」


自分の格好がTシャツ一枚とパンツだけだったことに気付く。
ベッドのシーツは中途半端にしかかかってなくて。
あまりの寒さに、目が覚めてしまったのだ。今は、12月。まごうかたなき冬。


―――12月。

ぼんやりと昨日のことを思い出す。
シャワーを浴びて、執事さんのしてくれたメイクを落として。
シャワーを浴びて、ランベール夫人宅から自分の部屋まで走って帰って掻いた汗を落として。
シャワーを浴びて………。


目から流れ出た、何を落としたんだろう?


「…ハァ…」


すっかりかじかんでる手に、熱がこもった息を吐きかける。
部屋は冷え切っていて、床には風呂敷からはみ出た背中のファスナーが壊れたワンピース。
練習していたときのまま、散らかり放題の部屋は何も変わってなくて。


………誰の熱も感じない。

”ブラボー!”沢山の拍手を浴びて。
自分はピアノの勉強をするためにここにいる。
”トレビアン!”沢山の口から喝采を浴びて。
ピアノを練習して、音楽を理解して、経験をつんで。
”ブラボーのだめ!!”沢山の人を感動させて。
プロのピアニストになるために。


『でも………ね』『楽しい?』


冷たい床に素足を下ろして、歯を磨く。
今日はアナリーゼ。
時間にはまだまだあるけど、折角目が覚めたのなら。
まだ寝ているアパルトマンの皆を起こさないよう、学校に行って練習をするために。
破れていないいつものワンピースを手に取る。
ブーツを履くときに、膝をすりむいていたことに気がついた。


「…気がついてないとでも、思ってるんですかネ…」

昨日、シャワーと共に目から流れ落としたものは、
『確信』を覆っていた、心の幕。
気のせいのままでいたかったけど、否応も無くそんな不確かさは流れ落ちていって。
沢山の賞賛も、期待の言葉も、嬉しさも、喜びも、全て巻き込んで、消し去った、『確信』の正体。


………ノダメハ――サレテナイ。


「どうってことないですヨ」
執事さんに言ったあの言葉をもう一度繰り返す。
「千秋真一の一人や二人」

バッグを手に取り、部屋に鍵をかけ、門を開け、まだほとんど人気のないいつもの道を走り出す。


「楽しいですヨ」誰かと肩を並べたいだけで、ここまで来たわけじゃない。
「ピアノ、大好きデスし」誰かと一緒にいたいだけで、ここにいるんじゃない。
「ベーベも卒業しマシタし」誰かを追い抜かしたいだけで、ここから進んでいくんじゃない。


「のだめは、これからが本番なんデスから!」


たとえ、誰かに聴かれていなくても。
真っ直ぐに、目を前に向けて。
これからも、自分の足で、自分の道を歩いて、―――歌い続けてみせる。






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