千秋真一×野田恵
![]() 最高に、楽しかった。 千秋の指揮するウィルトール・オケとの共演。 千秋の紡ぐ音楽。 名だたるマエストロ達と比べれば、まだこなれてはいないのかもしれないけれど そのひたむきに、真摯に編まれた美しい音の羽衣は わたしが今まで表現しきれなかった、音階を超えた楽曲の情景をすくい上げてくれた。 そしてわたし自身もその情景を捉え、不思議なほど自然にこの手から送り出せた。 あの惜しみない拍手。パリのお客さん達も喜んでくれたはず。 (千秋、もう、支度出来たかしら) このあと打ち上げがてら開かれるウィルトール団員達とのパーティ。 今日の演奏会のために開かれる催しなのだから、一緒に会場行くくらい、普通よね。。 着いてしまえば、ゆっくり話す機会がないかもしれないし、静かなところでちゃんとお礼が言いたい。 千秋の楽屋の前に着いたわたしは一呼吸おいてドアをノック、しようとして、ふと気づいた。 (ドア、少しあいてる・・・。話し声?誰か来てるのかしら。ま、いいか。きっと関係者だろうし) 改めてドアをたたこうとして、わたしは思わず手を止めた。 部屋内から、「Rui」と呼ばれたような気がしたから。 (もしかして、わたしのこと話してる?!) なんとなく気まずくて、でも気になって、わたしはこっそり楽屋を覗いてしまった。わりと広い室内。 手前に見えるのはイスに横向きに腰掛けた千秋の背中、そして千秋と同じ方向に向かって立っている女の子がひとり。 (・・・・あれは、のだめ?そうよね、来てるわよね、当然・・・) 何故かちょっとがっかりしてしまう。 でも、どういうわけかのだめは、千秋に背を向けて、壁に向かって話しかけていた。 「今日の先輩とRuiの共演、もうすっごい格好良くて、感動しました! Ruiも先輩もオケもイキぴったりで〜!ムキャ♪」 底抜けに明るい声。どうやら日本語らしい。意味は解らないけれど、ほめてくれている様子だった。 ただ、話の相手は明らかに千秋なのに、何故か後ろ向き。 それは千秋にとっても同じ疑問だったらしい。 イスから立ち上がってのだめに歩み寄ろうとした・・・次の瞬間、鋭い声が響いた。 「来ないでくだサイ!」 伸びかけた千秋の手を振り切るように、のだめがもうひとつの奥のドアへ飛び込むのが見えた。 慌てて千秋が追いかける。 その緊迫した様子に吊られて、わたしもつい室内に飛びこんでしまった。 (はっ、どどど、どうしよう・・・・声掛けそびれた。これじゃ完全なのぞき、だよね。でも、気になる・・・) 奥はたぶん、シャワールーム。わたしの楽屋とつくりはそう変わらないだろう。 ドアは半分あいたままだから、ふたりの様子は見えた。 瞬間的に、見つかったらまずい、と思いパーテーションの陰につい身を隠してしまう。ますますドツボにはまってるわ、わたし。 ******* 「のだめ?どうした?こっち向いて話せよ」 千秋の低いけれど、よく通る声、そして・・・。 「30秒、待ってくだサイ。そしたら、振り向き、マス、から・・・」 会話の内容が解らなくても、のだめの声の最後が震えたのは、わたしにも解った。 (のだめ、泣いてる・・・?) 千秋も気がついたらしい。彼はゆっくりと歩を進めると、背中越しに両腕でのだめを包み込んだ。 「なに、泣いてんだよ、おまえ」 「泣いてなんかないデス。さっきの感動が残ってるだけデス」 「泣いてるじゃねーか、今。・・・Ruiとの共演、気にしてる・・・?」 「のだめは、そんな、ケツの穴の小さか女じゃなかと・・・デス。 ・・・先輩はプロなんだし、これからもっともっとたくさんの人と出会って、演奏して どんどん、おっきくなってゆくんデス。それはとてもウレシイことで、のだめが泣くことなんて何もないんデス。 そんなの筋違いなんデス。寂しい、なん、て、思っちゃ、いけ、な・・・い・・・ん、ひっく、・・・んんっ」 のだめの言葉が終わらないうちに、千秋は抱きしめていた腕を放し、のだめの半身を引き寄せると、 彼女の声がかすれていくのを抑えるかのように唇を塞いだ。 相手の何もかもを吸い尽くすような深いキス。 斜め後ろからだから千秋の表情は解らないけれど、その力強い腕はのだめの身体を壁に押しつけ、 唇はなおも執拗に、貪るように彼女を求めていることは、見て取れた。 のだめの、壁に押しつけられた左手と千秋のシャツにすがるように掴まっていた右手から、だんだん力が抜けていく。 千秋の頭が動いた。唇を離したらしい。のだめの顔が見えた。やっぱり泣いてる。。 すると、絞り出すような声が聞こえた。千秋・・・? 「・・・おまえだけの夢だと思ってんのかよ。コンチェルト・・・」 「え・・・?」 (コンチェルト) その単語だけは聞き取れた。ああ、やっぱり。 あのカフェでわたしが希望したラフマの2番を断った千秋。なんとなく解ってたけど、本当にのだめの為に、なんだ。 千秋はのだめの身体を引き寄せて、もう一度抱きしめた。 その時初めて、ずっと後ろ姿だった千秋の顔が見えた。 (・・・なんて、顔してんの、千秋。) 切なげで、もどかしくて、持て余して。まるで痛いのを我慢してる子供みたい。 言葉で伝える術を持たないかのように、千秋はのだめにもう一度キスをした。 ******* 抱き合う、ふたり。言葉の代わりになるものを探して、触れあう手。 千秋の長いしなやかな指が、のだめの背中を伝い、ワンピースのファスナーをすぅっと引き下ろす。 その手は流れるままスカートの裾をたくし上げ、のだめのショーツを顕す。華奢な白いリボン。 もう一方の手は開いたファスナーの隙間から差し入れられ、ブラのホックを外した。 あんな表情してるくせに、すごい早業。 のだめの両の手は千秋の胸元に添えられ、シャツのボタンを外し、上半身から滑り落とす。 彼のすべてを受け入れたいと願っているのだろう、背中に回されてゆく。 「あ・・・っ、ん」 のだめが声をあげた。腰にワンピースを残しただけの裸体がドア横の壁に押しつけられている。 ドアの隙間からでもわかる豊かなバスト。千秋の手がそれをぐんにゃりと変形させている。 千秋の顔が下りて行き、その頂きを口に含んだように見えた。愛おしげで優しい仕草。 (この男、こんな風に恋人を抱くんだ・・・) このふたり、なんでこんなとこで、てゆうか、ここに隠れてるわたしもだけど。でも。 ・・・目が、離せなかった。 必死で、手探りで、足りないものを埋めようとして。愛し合ってるように見えるのに、どこか切ない。 ひどく不器用で、かわいらしくて。 そして、なによりも求め合う2人の姿がすごく、すごく・・・、 「・・・キレイ」 ふと、呟いてしまって、我に返った。 本当にまずい!ど、ど、どうしよ、見つかったら言い訳できない。 「あぁっ、はぁん」 のだめの声が少し高くなった。千秋の手が彼女の片足を持ち上げようと体勢を変えたのが見えた。 い、今! わたしは瞬時にパーテーションの陰からドアの外へ滑り出た。 ******* 「は、はぁ〜〜・・・」 腰が抜けた・・・・・。わたしはドアの外でへたり込んでしまった。バレて、ないよね。 そこへ、大きな声が・・・・。 「あれ?Rui?何やってんの〜?」 ターニャ達だった。 さすがに楽屋内まで聞こえたらしい。千秋の部屋から慌てて動くような、ガタガタッという物音が聞こえた。 あのふたりもやっとここがどこなのか思い出したみたいね。。。 「今日のコンサート素敵だった〜、ほんと。 千秋のとこ来たの?のだめ、いたでしょ?なんか最近またちゃんと逢ってないみたいだったから 2人きりにさせてあげようと思って。でも遅いから迎えに来ちゃった。・・・・それにしてもRui、 なんでこんなとこで座ってるの?顔、なんか赤いし」 「あ、えっと、わたしもたった今ここ来たばかりヨ!でも忘れ物思い出して、戻ろうとしたら転んじゃって!!。 だから、ちょっと楽屋戻るヨ、ち、千秋とのだめに宜しく〜」 我ながら苦しい言い訳だと思ったけど、ターニャ達は納得したらしくあっさり「また後で〜」と見送ってくれた。 急いで曲がり角を曲がって、その場を離れた。まだ、動悸が収まらない。 気持ちを落ち着かせようと深呼吸をして、さっきターニャに赤いと言われた自分の頬を抑えた。 (・・・・あれ、なんで濡れてるの?・・・わたし、泣いてる?) 泣いてる、と悟った瞬間、次から次へと涙がこぼれて止まらなくなった。 (あのふたり、噛みついたり、思いっきりぶっとばしたり、仲いいんだか、悪いんだか。 千秋引っ越しとかするし、のだめのこと話せば変態とか妄想癖があるとかしか言わないし。 結局、ベタ惚れなんじゃない。素直に好きだって言えばいいのに、バカな男。 ちくしょー、あんなバカ男、・・・こんなに好きになっちゃってたんだ。) わたしは途中にあったトイレに飛びこんで、盛大に、泣いた。 泣いて、泣いて・・・・。気がついた。 (なーんだ、わたし、ちゃんと恋、出来るんじゃない。感受性が乏しいのかって悩んだこともあったけど、 これって十分「青春のトキメキ」ってやつよね。・・・気づいて即、失恋だったけど) 少し可笑しく思えて、笑って、また、泣いた。 「・・・Rui?!いったいどうしたの!」 水で洗って冷やして平気な顔になったつもりで楽屋に戻ったけれど、さすがにママにはバレた。 「なんでもないの〜♪・・・ね、ママ、わたし、パリに来て本当に良かった」 ママは訳がわからない、という顔でまだ何か言いたげにしてたけど、それ以上は何も言わなかった。 パーティ会場の入り口近くで千秋とのだめ達に会った。大丈夫、ちゃんと笑える。 わたしは千秋に近づいてこっそり言ってやった。 「千秋、なんか首に赤いスジ付いてるけど、ネコにでも引っかかれたの?ずいぶん大きなネコね〜♪ あと、楽屋の戸締まりくらいキチンとね」 千秋は耳まで真っ赤になって固まって、口をぱくぱくさせている。 (こんぐらいはしても、いいわよね) 「さ、いこ〜、のだめサン!」 「はにゃっ、Rui?!」 まだ固まってる千秋をおいて、わたしはのだめの手をとって走り出した。 「のだめサン、いつか聴かせてヨ、ラフマの2番」 「へ?」 のだめは一瞬きょとんとしたけれど、次の瞬間、花が開くように微笑んだ。 「ハイ!もちろん!」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |