月のしずく(非エロ)
千秋真一×野田恵


月はいつも何を思っているのだろう。
自分の何分の1か程の薄い空気をまとって、
自分の海にずっと波を引き上げながら、
太陽の光で淡々と自分の姿を変えつつ、自分の周りを回り続けている。ずっと。

『もしもし……、オレ』
『…あひゃ〜、千秋先輩。何ですかー?』

自分に渦巻く暴風が吹こうと、雲ひとつ無い青空が差し込もうと、
お構い無しにずっと自分の軌道を周り続ける月の気持ちは、
どんなに波を高くしても直接触れられないようで。

『お前、昨日ウチに来なかったか?』
『へ? 昨日ですか? 行ってませんケド…』
『ホントか?』
『嘘言ってどうするんですか〜。…夜這いなんてかけませんヨ』
『かけそうなんだよ! お前の場合!』

でも確実に、潮を満ち引きさせる力だけは持ち続けている。

『ぎゃぼっ。どーゆー意味ですか!』
『言ったまんまの意味だよ! つーかお前マジに来てないんだな?』
『…なんでデスか?』
『灰皿がねーんだよ…。ちょっと一服しようと思ったら…』
『……のだめ、盗んでまセンよ?』
『本当か? 吸殻と一緒に持ってったんじゃねーのか!?』
『本当デス。のだめ灰皿には用はありませんから』
『っお前なぁ…だから普通の人間に……!』

だけど、このくらいのことなら言ってもいい。きっと。

『灰皿なら、洗濯機の上に置いてあるんじゃないですか?』
『…え?』
『洗濯機の上デス。先輩洗濯しながらご機嫌にタバコ吸いますから』
『洗濯機?』
『多分吸殻の本数は3本デス』
『…はぁ?』
『ちなみに2本は洗濯中、1本は乾燥中に吸ってマス』
『………』

宇宙の中で、地球と月の寿命がどのくらいなのかは知らない。
自分たちに当たるのは、太陽だけじゃなく、幾億もの星の光。
どのくらいちっぽけなのか、計り知れないけど。

『……あった…』
『ネ? 先輩洗濯物に夢中で、灰皿忘れたんデス』
『………怖い……』
『ハイ?』
『お前、なんでうちに洗濯機入れたこと知ってんの? この間来た時はまだ買ってなかったのに…』

4年も追い続けた、あなたの光。
地動説も天動説も知らない。私から見れば太陽の光でもあなたの光にしか見えなくて。
どんなに私に向ける光が細くなっても、時には姿を消しても。

『愛の力ですヨ。何当たり前のことを言ってんデスか』
『覗いてんじゃねーだろーな!?』
『そんな離れたところにまで覗きに行きませんヨ! のだめだって色々忙しいんデス!』
『離れてても覗かれてるよーな気がするんだよ!!』
『ギャハっ!そんなにのだめの愛を感じてるんデスね!』
『…ふざけんなーーーーーーーーーーーー!!!』

あの時摘み取った、あなたの光。
滅多に姿を見せない、見せても自分が雲で覆っていたり、なかなか刻が合わない。
―――”満月”は。

『…まぁいい…わかった、サンキュ。じゃ…』
『あ、先輩、ちょっと待って!』
『…何?』

全てを言葉に出さなくても、あなたがあなた自身を全て私に向けてくれた瞬間だったから。

『先輩、今どこにいます?』
『…自分の部屋に決まってんだろーが』
『じゃなくて。部屋のどこにいますか?』
『お前バカか? 洗濯機のところで灰皿見つけて礼言ってんだろ!』
『ムキャー! お礼言う相手にバカとはなんデスか!』
『バカなんだからバカとしか言えないだろ!』
『………。も、いいデスから、窓のところに行って下さい』
『はぁ? 窓?』

あなたのいない広いこの部屋で、窓を見上げてみて。
かすかなあなたの残り香と、電話の声。
差し込む月の光の形は、少しずれているかもしれないけれど。

「…今日は何月(ナニヅキ)ですかね?」
「月?」
「あとどのくらいで満月ですか? もう少しデスよね?」
「…月がどうかしたのか?」
「見えマス?」
「…見えるけど」

きちんと満月を受け止めてあるから、
少し軌道が離れても、もうあなた本来の姿を見失うことはない。

「月って…」
「29.53日」
「フギャッ、まだのだめ何も言ってないですヨ? 早押しウルトラクイズですか?」
「お前の言いそうなことぐらいわかる。土曜日でいいか?」
「…ハイ?」
「土曜日ならオレもオフだし。お前も学校午前中で終わりだろ?」

だから大丈夫。
月だって、ぐるぐる粘着質にずーっと地球の周りを回り続けてるんですヨ?

「フフーン、先輩も充電切れですネ?」
「…やめた。じゃな」
「あっ! 嘘デス嘘デス(汗)! 今度はどこで待ち合わせしますかね」

相変わらず頑なで、全然甘くなくて、近づくのは大変デスし。
空気が薄くて、密着して嗅がないと、すぐに薄れてしまいますケド。

「ブローニュの森なんてどうデスか?」
「お前、それ意味分かって言ってんのか…?(ブローニュの森は別名ホモの森)」
「もちろんデス! 先輩の貞操はのだめがお守りしますから」
「…ふざけんなーーーーーーーーー!!!」

そんなのはもうご愛嬌デス。
夫婦ですから、慣れたもんデスよ。

約束をして、電話を切って、
ベッドサイドに携帯を置いて、無意識に左側をあけて。

(………)

言われたとおりの、3本の吸殻をゴミ箱に捨てて。
つい作りすぎてしまって、味が落ちて捨てた料理の上に。

約束をして、電話を切って、
ベッドサイドに灰皿と携帯を置いて、1本ふかしながら、無意識に右側の枕を抱いて。

(…あの部屋に来い、とは、言わないんだな…)



パリの2つの窓に降り注ぐ、少し欠けただけの、月のしずく。






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