千秋真一×野田恵
![]() きらきらとした甘い旋律が消えると、一瞬の沈黙の後に場内は歓声に包まれた。 賞賛の声の中心には、ナイトブルーのワンピース姿の東洋人。 はにかむような笑顔を浮かべて、背の高いフランス人に囲まれている彼女は さっきまでの迫力あるピアノの音の主とはとても思えない。 オレ・松田幸久は彼女の演奏を、少し離れた場所から誰よりも熱く見つめていた隣の男に にやりと笑ってワイングラスを傾けた。 「で、千秋君はこんなものを大事に隠し持っていたわけだ。」 「別に隠してませんよ。コンヴァトの生徒だって言ったでしょうが。」 ―――顔でも赤らめるかと思ったら、相変わらず可愛くない奴。 ここはフランス郊外のパーティー会場。 デシャン・オケ常任のジャン・ドナデュウが日本人の恋人と結婚するとかいうことで オレを始め、彼の友人や仕事仲間たちがお祝いパーティーに駆けつけているというわけだ。 デシャンとR管の指揮者がいるからには、もちろんマルレの常任もやってきた。 それどころか、ジャンと仲が良いというあの「変態ちゃん」の姿もある。 食事を心底美味しそうに食べ、ジャンの婚約者(ゆうこ、とか言ったっけ)のドレスに感心し ときおり「ふおぉぉ」だの「はうん」だのわけのわからない奇声を発しながら いつの間にか彼女は、周りのフランス人たちにとけこんでいた。 プロの演奏家である彼らが、コンヴァトの生徒である彼女のピアノに興味を持ち 「ご祝儀代わりに」と弾かせはじめたリストの「愛の夢 第三番」。 ―――彼女の音が響いた瞬間、その場に居合わせた全員が食べるのも喋るのもやめていた。 多彩な音、表情豊かなフォルテシモ。技巧に囚われることなく大胆に躍動する旋律。 それを聞いて初めて、千秋が彼女を選んだ理由に合点がいった。 「千秋真一を惚れさせた音、か。」 「なんですか、その言い方。」 「だって君、彼女の変態さに惹かれたわけじゃないんだろ?」 ゆうこに涙ぐみながら抱きつかれ、デシャンのコンマスに握手を求められている彼女は10代の少女みたいに笑う。 「こうして遠くから見てると、ルックスも結構可愛いしね。すっぴんも可愛かったなぁ肌綺麗で。」 あの夜のことを蒸し返すと、千秋のまとう空気が少し動いた気がした。 これだから後輩いじめはやめられない。 「結構胸も大きいしねー。ちらっと見ただけだけど。」 「じゃあ忘れてくださいよ。」 不機嫌そうに眉を顰めると、彼は彼女――野田恵ちゃんのもとへとつかつか歩いていった。 先輩、一緒にバイオリンソナタやりましょうよ、なんて能天気な日本語が聞こえる。 突っぱねているけれど、あの様子じゃ多分やらされるんだろう。 暑苦しい若き恋人たちを見ながら、オレは一歩先にホテルへ帰ることにした。 手の中には、さっきのリストの最中に千秋のポケットからがめた、あの2人の部屋のルームキー。 いちゃいちゃと戻ってきたふたりを脅かして、朝まで酒に付き合わせるって寸法だ。 だいたいパリにアパルトマンがあるなら、ぎりぎり終電で帰れなくもないのに わざわざオレと同じランクのホテルを取るあたりのお坊ちゃん的思考回路が気に食わない。 ―――酔いで火照った身体を起こすと、オレは上機嫌で会場を抜け出し歌いながらホテルへ戻った。 ダブルベッドがあつらえられたホテルの一室に、がめたキーで忍び込む。 サイドボードにキーを置くと、クローゼットの中に忍び込んだ。 何とも都合のいいことに、こちらからは向こうの様子がよく見える。 帰ってきたタイミングで脅かしてやろうとほくそ笑んで座り込んだ瞬間、オレは睡魔に襲われていた。 「…あんっ!」 女の嬌声が聞こえ、オレは目を覚ました。 クローゼットから外を伺うと、頬を染めて壁に手をつく彼女の姿が目に飛び込んできた。 ナイトブルーのドレスを身に纏ったまま、恋人に後ろから貫かれている。 「はうぅ…しん、いちくんっ!」 とがめるように名を呼びながら、快感に攫われていく彼女――野田恵ちゃん。 我が後輩・千秋は彼女の首筋に舌を這わせながら、こぼれ出た白い胸をまさぐっていた。 (やばい…真っ最中じゃねえか…) オレは自分の血の気がさあっと引く音を聞いた、気がした。 「せんぱいっ…今日、なんか変っ!」 耳朶を舐められながら、彼女が艶めいた声で彼をとがめる。 気付いているんだろうか、そんな声で叱られても男はあおられるだけなのに。 彼は激しい抽送を抑えると、ゆるゆると焦らすように彼女を揺さぶった。 「あー、じゃあ止めるか?」 「…あんっ!それは、嫌…デス…。」 「だって、変なんだろ?」 「やっ…だから、せめてベッドで…ちゃんと服、脱いで。」 真っ赤な、今にもイきそうな顔でたどたどしく喋る様が何とも色っぽい。 彼はそれを見て満足そうな笑顔を浮かべると、彼女の耳元に唇を寄せて囁いた。 「お前、やらしー。」 「なっ…」 一瞬ひるんだ彼女から、ずるりと自身を抜き取ると もう身体にひっかかっているだけになっていた彼女のドレスと下着を剥ぎ取り 彼自身の服も脱ぎ捨て、今度は正面から深いくちづけを交わした。 角度を変えては貪るような、熱くて野生的な…随分とこなれたキス。 ぴちゃ、と唾液を絡める音がここまで聞こえてくる。 唇を離すと彼女は、とろりとした目で彼を見つめていた。 そのままふたりはベッドに倒れこむ。 …他人のラブシーンを間近で見るなんて得難い経験だけれど、 世の中には経験しておきたいことと、そうじゃないことってあるだろ。 これは…どっちになるんだろうか。 興味深いし、なかなかいい眺めだけれど、正直もう勘弁願いたい。 シャワーでも浴びにいってくれないかな、というオレの願い空しく 千秋はさっきまでつながっていた、彼女のそこに指を這わせていた。 愛液がてらてらと光り、糸を引く。 「お前…濡れすぎ。本当にやらしい身体してるよな。」 「…誰が教えたと思ってるんですか。」 「さあね。」 …なんつー嬉しそうな声で、顔で。お前ってムッツリすけべだったんだな、千秋。 「むきゃ。ひどい男デスね。」 頬を染めて彼女が呟く。 「で、今日はどっちがいいですか?上、下?」 …リクエスト聞くのか。なんだか羨ましいぞ。 「じゃ、お前上。」 ちゅ、と音を立ててキスをすると、彼女がさらりと千秋の上にまたがった。 すべてを収めると、それだけで軽くイったらしい。身体をふるりと震わせ、眉根を寄せている。 オレは、いつのまにかそんな彼女――変態のはずの野田恵ちゃんに、目を奪われていた。 すんなりと伸びた手足に、肌理の細やかな肌。 ピアニストらしい、まんべんなく筋肉のついた引き締まった腕に まるくふくよかな胸、そしてすべすべと平らな腹部。 月明かりに照らされた彼女の裸体は、女らしい美しさに満ちていて。 ついさっきまで、子どものような表情で食事を頬張っていたのに。 つい数時間前には、その豊かな音色で周りの人間を魅了していたのに。 今、彼女は男の上で嬌声をあげて腰を振っている。 白いのどをのけぞらせ、頬を桜色に染め、栗色の髪を乱れさせる様は 限りなく情熱的で、いやらしく、そして美しかった。 「あんッ…も、ダメ…。」 腰を上下にストロークさせながら、可愛い声で喘ぎ声を上げている。 「ダメ?じゃ止めるか?」 息は荒いがまだまだ余裕の表情の彼が、下から彼女の胸を弄び意地悪く聞いた。 「それは…」 「だって、ダメなんだろ?」 「違っ…気持ちよすぎて、おかしくなっちゃうから!ひゃんっ!」 深く腰を下ろした瞬間、千秋が突き上げたらしい。 不意打ちにイってしまったらしい彼女は、白い喉をのけぞらせがくがく震えて彼にしなだれかかる。 それを合図のように、彼は身を起こし彼女を抱きしめた。 「いいんじゃない?おかしくなれば。」 オレには丸聞こえの、耳元で交わされる甘い囁き。 そうしてふたりは、深く深くつながったまま一緒に高いところを目指す。 こぼれ出る喘ぎ声とため息、交わされるくちづけと甘い言葉。 彼女がひときわ高い声で啼くと、ふたりは抱き合ったまま果てていった。 「…もう。」 彼女が拗ねて口をとがらせる。 「真一くんはテンションあがると抑えがきかないんだから。」 「お前だって乗ってたじゃん。よさそうだったし。」 「それは…誰のせいだと。」 「んー、オレ。」 心底満足気に目を細める彼を見て、彼女は頬を真っ赤に染めそっぽを向いた。 「ムッツリの首位打者…!」 照れ方が、やたら初々しくて可愛く見える…のは、あんなところを目撃したせいか。 その反応がツボだったらしい千秋は、彼女を後ろから抱きしめていた。 「よかったですね。松田さんに捕まらなくて。」 唐突に出てきたオレの名前に、びくりとさせられる。 …そういやオレ、ものすごい非常事態の中にいるんだった…。 「当然だ。捕まってたまるか、オレたちだって久しぶりなんだから。」 「確かに。」 「松田さんだって、さすがに空気読むだろ。大人なんだから。」 「わかりませんよー。もしかしたら覗かれてたりして。」 「変な妄想すんな!」 全裸でシーツに包まりながら、夫婦漫才をする2人の部屋のクローゼットで 覗きでしかない行動を取っているオレは…心底、透明人間になる力が欲しいと神に祈っていた。 結局オレは、さんざんじゃれあった若いバカップルが いちゃいちゃとバスルームへ向かうまで、クローゼットの中で息を潜め続けたわけで…。 翌朝。 あれから結局ほとんど一睡もできなかったオレが、目を擦りながらレストランへ降りていくと 件のふたりが朝食をとっていた。 朝からずいぶんな量の朝食を、また口いっぱいに頬張る彼女は少女のようにしか見えなくて。 あの月明かりの中、色っぽく乱れまくっていた面影はどこにもない…。 昼は少女、夜は娼婦ってことなのか? でもってピアノの腕は超一級で、けっこう可愛くてスタイルもよくて、変態? なんか色々ありすぎて、すでに羨ましいのかどうかもわからないが すまし顔の後輩が少々、癪に障ることは事実で。 でも、昨夜の事をばらすのは、どう考えてもオレの分が悪い。 (R☆Sオケにばらされたら、確実にあのオケでオレは振れなくなるし) 結局、何もなかったことにするべきだという結論に達したオレは 周りのフランス人どもに聴こえないよう、日本語で「女って、すげーな。」と呟いたのだった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |