千秋真一×野田恵
![]() 久しぶりの休日が、のだめの休みと久しぶりに重なった。 昨夜の睦事を思い出しながら心地よいけだるさと眠気のなかで、 朝と呼ぶにはずいぶんと遅い時間だけれど、もうしばらくベッドに身を横たえて 更に寝坊することを自分に許すことにした。 隣にいるはずの温もりを探して手をのばして、しかしどうやらそこにもはや 求めるものがないとわかると、仕方なく身体を起こす。 キッチンから何やら音が聞こえて、淹れたてのコーヒーのいい香りが漂ってきた。 やがて探し人はドアからひょっこり顔を出して、いつもの笑顔でオレを呼んだ。 妻がおいしいコーヒーを淹れました。ごはんの用意は夫の仕事デスよ? はいはい、と半ば溜息をつきながら、オレは近くに脱ぎ捨てられた服を身に付ける。 この後、お散歩にでも行きませんか? とカフェオレを飲みながらのだめが言った。 何か買いたい物でもあるのかと訊くと、いいえと首を横に振る。 オレは家でのんびりしたいんだけど、と言うと少し困り顔で笑う。 あんまり家でゴロゴロしてると身体がナマっちゃいますヨ? いや、寧ろほぐれていいと思うけどね。お互いに? コーヒーのお替りを注ぎに席を立ったオレは、通りぎわにのだめの肩から二の腕にかけて 軽く指先で撫でた。キャミソールからむき出しの肌が微かに震える。 ……先輩、ヤラシイです。昨夜だってあんなに……。 あんなに、なに? ニヤニヤ笑うオレに、頬を赤く染めてうぅぅ、と抗議のうなり声を上げた。 とにかく、出かけます! のだめは着替えてきますから、先輩はココ片付けてくださいね!! スタスタと自分の部屋へ行ってしまった彼女の後ろ姿を見ながら食器をシンクに移し、 ま、いいかと独り呟いた。 先、出るぞと声を掛けて階段を下り、中庭でタバコに火を着ける。 煙を燻らしつつまだ支度に手間取るのだめのいるだろう部屋の窓を見上げる。 オレたちの部屋、か。もう越してきてから1年も経つんだな。 もう少しで夏を迎える高い日の光を手のひらで遮りながら、オレは当時のことを 何となく思い起こした。 ある日、音楽院卒業とともにプロデビューを果たしたのだめが、オレのところに 相談の電話を寄越した。 「新しい部屋、一緒に探してくれませんか?」 そっか、忘れてたと思いながらオレはいいよ、と返事をした。 もともとあのアパルトマンは、三善が援助する学生のためのものだし、 プロとしてスタートを切ったのだめがいつまでもそこに住んでいるのもおかしな話だ。 けれど何故かのだめはずっとあの部屋に住むものだと思い込んでいた自分に気付き 苦笑する。と同時に自分が出て行ったときのことを思い出し、少し寂しく思った。 あの部屋は、自分にとってもやはり特別な場所だから。 約束の日の前に、オレは幾人かの知人に連絡し部屋の心当たりを訊いた。 広さは? と訊かれて、「3部屋くらいある、広い部屋を」という言葉が 自然に口からこぼれた。ほとんどがふぅん、と流してくれたが、 ニナだけは「まさか、1人で住むわけじゃないわよねぇ?」と含み笑いをしていた。 紹介してもらった部屋の間取りをFAXで送ってもらい、候補を絞ってから 予定の日にのだめと見に行った。 のだめには特に話をしていなかったが、1人で住むには広すぎる3LDKの部屋を見ても 彼女は別段驚きもせず、気に入ったらしい物件の、1つの部屋の前に立ち 「こっちが先輩の部屋で、そっちをのだめの部屋にしましょう!」 そして真ん中の部屋に大きなベッドを置くんデス。 フーンと得意げに胸を張り仁王立ちするのだめに、勝手に部屋割り決めんな! と 額を軽く突いた。 彼女も自然と一緒に住むことを考えていたようで、何の疑問もなく同じ思いを抱いていたことを 少しくすぐったく、嬉しく感じた。 お待たせしましたー、とのだめがパタパタ走り寄ってきた。 おせーよ、と呆れながら迎えて、その手を取る。 で、どこ行くんだ? と訊くと、あてもなくブラブラです、という返事。 オレと手を繋いで歩きたいのだと白いワンピースの裾をヒラヒラさせながら笑うのだめから 伝わる体温が心地よくて、オレはしっかりと彼女の手を握り締めた。 は、んっ、と息を押し殺しながらも漏れ出る甘い吐息がオレのすぐ下で聞こえる。 腰の動きをはやくしながら柔らかなふくらみの先端を唇で挟み吸い上げると 高らかな快楽の悲鳴とともに、背中にまわされた手が爪を立て密かな痛みをもたらした。 哀願のまなざしを受けてもなお、更に奥へと身体を打ち付けるオレの様子に のだめの瞳には熱とともに不安の色が灯る。 「どうか、したっ、んですか?」 「別に」 腰骨から腋のラインを撫で上げ、喘ぐ声を飲み込むように口付けると安心させるために繰り返した。 「どうもしてないよ」 「ウソ、ですっ。ぁあっ!! ふっ、だって……ん」 「だって、何?」 「……って、も、3回も……っのに、こんなっ」 途切れ途切れ、苦しそうに話すのだめの目尻に溜まった涙をそっと拭いて、訊く。 「それだけお前に溺れてる、って答えじゃ納得しない?」 「しない、んんっ、……しかも、どこか、上の空で、んぁあっ!!」 「ごめん。でも本当に何でもないんだ。ちょっと、考え事してただけ」 「それ、、かなりショックなっ、んですけど」 頬を染めながら非難の目を向けるのだめに、あ、悪いと謝って、二人で絶頂を迎える ために行為に集中した。 そこに言葉はなく、ただ肉体のぶつかる音と、水音、ベッドの軋む音に、お互いの息遣いがこだまする。 やがてそのときを知らせる声がのだめの喉の奥から響くとともに、オレの中で湧き上がる熱を解放した。 荒い息でベッドに突っ伏したままののだめを背後から抱きしめると、眉をしかめた顔で こちらに向き直った。 「まったく、昨日の今日で。のだめ壊れちゃいますよ」 「のわりに、毎回感じまくって、って痛!」 腕のあたりを強く抓られたオレは、何すんだとその手を拘束する。 「おまけに夫は最中に他事を考えてるし」 「夫じゃねぇ!! ……悪かったよ」 掴んだ手に唇を寄せると、のだめはくすぐったそうに笑い声を上げた。 「で、何を考えてたんですか?」 「ん。本当にたいしたことじゃないんだ」 オレはベッドサイドの引き出しに目を遣りながら、先程の散歩中に見た光景を 思い出していた。 通りかかった教会の前に人だかりが出来ているのを見て、何でしょうね? と のだめが手を繋いだまま駆け出した。 文句を言いつつ人影の間から二人して覗き見ると、入り口に真っ白な衣装を身に纏った 若い男女二人が、沈もうとする日の光に照らされて微笑んでいた。 周りの人々の口から次々に掛けられる祝福の声。 ああ、結婚式か。 そう思うと同時に、あなた方も祝福してください、と初老の女性から花弁を一掴み 手渡された。 のだめは嬉しそうにオレに笑いかけ、こちらに歩いてくる新郎新婦へ向けて 花弁を空へと舞わせる。色とりどりの雨の中で、やたらのだめの白いワンピースが 眩しく、タイミングを逃したオレは後ろからそっと花を散らせた。 そして、この前の公演先で何気なく買ってしまった彼女への土産に思いを廻らせ、 そっと溜息をついた。 まぁ、買ってきたものは仕方がないし、とオレは引き出しから小さな箱を取り出す。 「それ、何ですか?」 「土産」 そっけなく彼女の手に箱を乗せるオレとは正反対に、のだめは目を輝かせて包装を 解いていく。 と、中身を確認したのだめは意外なことにちょっと困った顔をした。 「喜ばないの?」 その反応に驚きを隠しつつ訊くと、嬉しいんですケド、と慌てる。 その視線の先には赤い石のついた指輪があった。 「あの、これって、言葉無きプロポズですか?」 「そうだとしたら?」 言葉無きって何だよと笑うと、のだめは再び思案顔。 「何悩んでるんだ?」 「……しんいちくんを傷つけずにお断りする言葉が見つからなくて」 「オレ様を振るとは、のだめのクセに生意気な」 そこまで言ってから耐え切れずに吹き出した。 「あはははは、正直に言うとそこまで深い意味はない。って言ったら怒る?」 のだめはどこかホッとしたような顔になって、ふるふると首を振った。 「あー、ビックリしました」 「オレもお前の意外な反応に驚いてるよ」 「深い意味も無く指輪って、催眠効果持続中?」 「何だそれ?」 まぁそれは置いといて、とのだめはごまかし笑いをしてオレの首に腕をまわした。 背中を優しく愛撫すると先程の熱が蘇ったかのように切なく息を漏らす。 「きっと、結婚式を見かけたからでしょうね」 「うん。嫌でも結びつけちゃって内心焦った」 お互いに顔を見合わせるとクスクスと笑い、どちらからともなくキスをする。 「で、その意外な反応の理由は?」 「お断りの? ……うぅ〜ん」 なんて説明したらいいのかわからないんですけど、と前置きしてのだめは続けた。 「まだピンとこないと言うか。のだめは名前売り出し中ですし、先輩はまだペーペーだし」 「ペーペーは余計だ」 「かと言って、まったく考えていない、というのとは違うし」 「まぁ、オレもいつか貰ってやってもいいかなくらいには思ってるけど」 「どこまでも偉そうデスね」 不満そうに頬を膨らませた後、あ、そかとのだめは突然ひらめいたように言った。 「もう少し先のおはなし、なんですよ」 「ああ、なるほど」 のだめの言葉はストンとオレの心の中に落ち着いた。 「『まだ早い』ってのはちょっとムカつくしな」 すっきりした気分になって、オレは目の前の肌の柔らかさを堪能し始める。 「……この手の動きはなんデスか?」 「解決したところで、さっきのリベンジ?」 「その前にやることがあるでショ」 のだめは指輪を突き出して、催促するように左手をオレの手のひらに乗せた。 やれやれと肩をすくめてみせてから、ゆっくりと薬指にはめてやる。 生まれたままの、何も身に着けていないのだめの指に赤く光るそれは 妙に艶かしく、美しくオレの目に映った。 起き上がった身体を再びベッドに沈ませて、深く口付けると、のだめはすぐに とろりとした表情を見せオレを誘う。 「もう壊れそう、なんじゃなかったっけ?」 「今度は充分のだめに溺れてもらおうと思いまして」 「じゃあ、遠慮なく」 さっきまで繋がっていた部分に触れると、そこはすでに温かく湿っていた。 んっ、と声を上げるのだめにオレは微笑みながら言う。 「その時は、ちゃんと言葉で伝えるから」 一瞬、きょとんとしたのだめは、その意味を理解すると嬉しそうに笑い、 オレはその表情を恍惚に変えるべく溺れていった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |