千秋真一×野田恵
![]() その日、母が我が家を訪ねて来たのは朝の8時だった。 俺が家に帰ってこれたのは、夜中の3時を過ぎていたと思う。 例によってジジイのお守りだ。 決して、あいつがいないから飲み歩いていたわけじゃ…… いや、何を言い訳してるんだ、俺は。 一時期に比べて、ジジイの酒量も随分減った。 ただ、飲み方自体は陽気な酒で、振り回されつつもどこかでそれに安心している自分が いる。 とにかく、さんざん連れまわされた挙句、ようようにしてホテルに送り届け、 ようやく寝たか寝ないかの頃に、呼び鈴にたたき起こされたという訳だ。 いくら息子夫婦の家だからって、訪ねて来るのに朝の8時はないと思う。 「のだめちゃんがいなくて淋しいのはわかるけど、飲み歩いてたらだめじゃない、真一」 「だから、ジジイのお守りだって!」 とりあえずコーヒーを用意する。母は朝食はとってきたという。 「今日は忙しいのよ、人に会う予定が三件もあるし」 「だったら無理して来なくても。あいつが帰って来るのは、早くとも今日の午後なんだし」 「こちらにはまだ一週間ぐらいは居る予定だから、もちろんのだめちゃんにはまた会いに 来るつもりよ。今日はね、これ持ってきたの」 「……何、それ」 「あら、いやねぇ、あなた忘れちゃったの?モモコちゃん」 母が後生大事に抱えて来て、居間のテーブルの上にでん、とのせたのは、 大きなピンクの熊のぬいぐるみだった。 「あなた、この子と一緒じゃないと眠れないぐらいお気に入りだったじゃない。 家族旅行の時なんか、モモコもリュックに入れて一緒に連れてく!って言い張って」 「……」 「去年の夏、あなた達が日本に帰ってきてた時に、のだめちゃんがこれ見つけてね。 私もなつかしくって。その時に頼まれてたの、いつか持って来てくれって」 「なんでわざわざ。郵送でもすりゃいいものを」 「ふふ、なんでかしらね。持って来たかったの、あの時の雅之さんみたいに」 ……え? 春の朝の光が、コーヒーを飲む母の横顔を明るく照らす。 「……モモコはヴィエラ先生からの誕生祝いだって、聞いてたけど」 「そうねぇ、雅之さんはそう言ってたわね。 あなたが生まれた頃に、ちょうどマエストロとのコンチェルトがあって」 「知ってる。だから病院にも来なかったって」 「あら、言わなかった?退院間際に、一応来たのよ?モモコをかかえて」 「……知らない」 「寒い日でねぇ。病院前の道路が凍ってたんですって。で、転んだって仏頂面で言うの。 額に擦り傷つけてね。こいつを抱えてたからしょうがなかったって。 でもねぇ、モモコは全然よごれてなかったのよ」 一体どういう転び方をしたのかしらね、と母は笑った。 微笑みながら当時を語る母の顔には、何の翳りもなかった。 むしろ、大切な思い出の品を見るかのように、やさしく穏やかな表情だった。 大きなピンクの熊のぬいぐるみ。 幼い頃の俺のお気に入りで、ずっと大切にしていた。 両親が離婚し、日本に戻って三善の家にやっかいになり、成長するにつれ自然に こいつからも卒業していった。 ずっと、ヴィエラ先生からのプレゼントだとばかり…… 「……その話、あいつにもしたの?」 「ええ、したわ。 のだめちゃんがモモコを連れてきて、って言ったのはそのせいかもしれないわね」 コーヒーカップをかたり、と置くと、母はふいに真面目な顔になった。 「ねえ、真一」 「何?」 「のだめちゃん、そろそろ赤ちゃんがほしいのじゃない?」 「……」 結局、母はあれからすぐ帰っていった。 俺の中に答えきれずにいる問いを残して。 あいつが子供をほしがっているのはわかっている。 あいつがこれまで積み上げてきた実績からいっても、そろそろ子供を考えてもいい時期だ。 ただ、俺は…… 正直、これまでの自分の父親との関係を思うと、自分が親となる事にためらいがあった。 冷蔵庫脇のスケジュール表を確認する。 あいつから電話があったのはおとといだ。 今度の公演でもかなりの手応えを感じたのだろう、電話の声は生き生きと弾んでいた。 予定通りなら、今日の午後にはここに帰ってくる。 「何か作っといてやるか……」 その後、少し寝る時間があるといいのだが。 2客のコーヒーカップを片付けようとして、テーブルの上の熊を落としてしまった。 抱え上げてしげしげと眺める。 ちゃんとクリーニングに出してしまっておいたから大丈夫、と母は言っていたが、 さすがにあちこちくたびれている。 もし俺達に子供ができたとしても、これで遊ばせるわけにはいかないだろう。 ずっとヴィエラ先生からのプレゼントだと思っていた。 (そうねぇ、雅之さんはそう言ってたわね。) ふいに、前に母が言った言葉が蘇る。 (雅之さんって、変なところで意地っ張りなのよね。 本当に音楽だけで…… まるで他を望むのは許されないって、思い込んでるみたい。 無器用な人よねぇ、本当に……) いつ、どんな流れでそんな話になったのだろう。 もうあまりよく覚えていない。 なのに母のその言葉だけが、妙な具合に俺の中に残っている…… 想像してみる。 ヨーロッパ中を飛びまわる駆け出しの若い音楽家。 当然、自分の初めての子供の誕生に立ち会う余裕などない。 でも、コンチェルトが終わるやいなや、飛行機に飛び乗り、妻と子の病院に向かう。 ピンクの熊をかかえて……? 「ぶっ」 あの人が仏頂面で、ピンクの熊をかかえて立っている所を想像したところで、 こらえきれずに噴出した。 ひとしきり笑った後で、思わずため息をつく。 あの人に対するわだかまりが消えたわけではない。 でも、あの人が仏頂面でピンクの熊を抱えている姿を想像すると、 それはすごく滑稽なくせに、 どこか暖かいような気もして…… 「俺はただ逃げていただけなのか……?」 何も知ろうともせず、過去と向き合おうともせずに? 当時の俺よりも大きかったという熊は、今は腕にすっぽりとおさまる程に小さい。 「あいつが帰ってきたら、ちゃんと話さなきゃな……」 これからの事も、子供の事も。 俺はピンクの熊の鼻を指ではじくと、片付けを再開した。 誰かに呼ばれたような気がした。 それでも眠りは深く、意識はまどろみの底をゆらゆらとさまよっていた。 「……?」 なんだか胸元がくすぐったい。 ようようにして目覚めると、目の前に茶色の頭が見えた。 (この変態……) のだめはしあわせそうな顔をして、俺の胸に鼻をすりよせている。 (人が色々悩んでるってのに、なんだこの能天気さは) 腹がたつが、いまいましい事に、こんなやつの姿を見るとほっとするのも事実だ。 (こいつ、ほんとにどうしてくれよう) 幸い、のだめは俺が起きたのに気付いていないようだ。 「お前、くすぐったい」 間髪入れずに組み敷いた。 「えと……」 変態じみたことをするくせに、こいつは時々ひどく純情だ。 今も俺の視線を避けて、頬を染めている。 「ん?」 こっち向けよ。一ヶ月ぶりだろ? 「ただいまデス……」 「おかえり」 ほんの軽いつもりだったキスは、のだめがおずおずと俺の舌に答えるにつれ、 どんどん深くなっていく。 そう、一ヶ月もこいつを抱けなかった。 おあつらえ向きに、こいつの方からベッドにもぐりこんできて。 「あの、あの、真一く、ん、」 「なに?」 有無を言わさず、耳朶に舌をはわせ、耳穴をねぶる。 「あ、や、あぁぁん、ん……!」 のだめは俺の腕の中で、ふるふると体をふるわせた。 のだめが心持ち背をそらした隙を突いて、背中のファスナーを下げる。 ワンピースを取り去る手際の良さは、自分でもなかなかの早業だと思う。 キャミソールには少し手間取ったが。(今度の公演前に俺が買ってやったシルクの セットだ) ふるりとこぼれでる豊満な胸。 両の乳首をかわるがわる、やさしく舌で愛撫する。 のだめはもう頬を紅潮させてふるえている。 おもむろに片方の乳首に軽く歯をたて、同時にもう片方の乳首を指で弄ってやる。 のだめはさっきよりさらに高い声をあげると、くしゃくしゃと俺の髪をかきまぜた。 たっぷりと胸を堪能した後、俺もTシャツと下着ごとハーフパンツを脱ぎ捨てた。 カーテンごしに注ぐとろりとした春の金色の光。 明るい中で見る、一ヶ月ぶりののだめの裸身。 腰の紐は解かれないままだが、のだめは放心したように無防備に、 ほんのりと朱に染まった肌を惜しげも無くさらしている。 思わず喉が鳴るのこらえて、俺は再びのだめにおおいかぶさった。 茶色の髪に手を差し入れ、猫のように暖かな頭皮に指先を滑らせながら、 両のまぶたに、頬に、くちびるにキスを落とす。 そのまままた耳朶に舌を這わせ、うつぶせに体をかえしてやるが、 のだめは意識しているのかいないのか、俺のされるがままだ。 うなじに痕をつけ、背中にキスの雨を降らしながら、じらすように両胸を愛撫する。 もうとうに硬くなった自身を、ゆっくりと布越しに刷り立てると、 のだめも次第に腰をあげて、俺の動きに答えてきた。 「あ、あん、あはぁ、あ、ん」 俺の腕の中で、俺の愛撫に答えて、ビクビクとはねるやわらかな体。 「のだめ……」 耳元でささやいてやると、のだめは耐えられないといわんばかりに体をふるわせた。 顔が見たい。 もう一度体をこちらに向けさせて抱きしめ、促すようにつむったままの両のまぶたに キスを落とす。 長いまつげをふるわせて、のだめはゆっくりと目をあけた。 「だ、め……」 潤んだ艶めいた眼差しで、甘えるように俺を見上げてくる。 指先で顔の輪郭をたどり、鎖骨からふくよかなふくらみへと、 しっとりとした肌触りを楽しみながら手を滑らせ、 たどり着いた先の蝶結びを引くと、最後の一枚はあっさりと解けた。 のだめの顔を見つめながら、たっぷりと潤った場所をさぐる。 しとどに濡れた蜜をすくい、くりくりと花芽をなすってやる。 「あ、あ、あ、」 のだめは顔をのけぞらせ、いやいやと頭を振り、俺の腕からのがれようとする。 のがさずにきつく抱き寄せ、キスで喘ぎをふさいだ。 指を増やして激しく抜き差しすると、上体がのがれようとするのに反し、 腰はくねるように動いて、俺の指をしめつけてきた。 「あ、ふ」 目尻からこぼれた涙をひとしずく、舌ですくってやった。 こんなになってるのに、 「何がだめ?」 耳元でささやくと、のだめは体をふるわせ、さらに汲々としめつける。 「のだめ、」 こいつのすべてが見たい。 「足、ひらいて」 薔薇の花は女性の秘所の象徴とされる事があるという。 のだめの体を開かせるたびに、よく言ったものだといつも思う。 露に濡れ、俺のためにだけ咲く赤い花。 しなやかな足に舌を這わせながらも、隠微で美しいその花から目がそらせない。 陽にさらされずにひときわ白い腿に、ひとつ、ふたつ、と印を残していく。 露に濡れた花びらにふっと息をふきかけると、のだめはふるふると体をふるわせた。 花弁に舌を這わす。 ビクリとはねた腰をしっかりと押さえ、蜜を舐めとる。 舌先を硬く尖らせ中をさぐってやると、のだめはぶるぶるとふるえだした。 じらすように花芯のまわりに舌を這わせ、また花弁にもどる。 何度かそれを繰り返し、上目でのだめの様子をうかがうと、 のだめは快感からのがれようとするかの様に、上体をひねって喘ぎ声をあげている。 シーツをつかむ手が、力をいれるあまりに白くなっている。 いきなり花芯をつついて、なめあげてやる。 「きゃ、あぁ、ああ」 じらした挙句の強烈な刺激に、のだめはガクガクと体をふるわせて、果てた。 荒い呼吸を吐きながら、ゆっくりと体を弛緩させていく。 きつくシーツをつかんんでいた手もゆるりとほどけていった。 力の入らない様子で横たわるのだめがいとおしくて、呼吸が落ち着くまで しばらく抱きしめてやったが、そろそろ俺の方も限界だった。 体を起こして、いつもの習慣でサイドテーブルの引き出しを開ける。 準備しようとする俺の手を制して、のだめが何か言った。 「……で」 「え?」 「つけないで、そのままで……」 一瞬、何を言われたかわからなかった。 そのままのだめはやさしく俺のものを愛撫してくる。 のだめの手の中で、それはビクリとはねた。 「……っは、でも、お前、」 のだめはまっすぐに俺を見上げてきた。そして、 「だいじょうぶですヨ?マネージャーさんとは打ち合わせてきました。 それに、」 続くのだめの言葉はストンと俺の中に落ちてきた。 「もう、いいんじゃないですか……?」 どうして、こいつはいつも…… その時脳裏をかすめたのは。 朝の日差しの中で穏やかに微笑む今朝の母の姿と。 ピンクの熊をかかえ、仏頂面でそれでも急いで病院に駆けつけたのであろう 若い頃の父の姿で。 そうだ。 過去にとらわれ逃げつづけるのはもうやめよう。 こいつの言う通り。 もう、いいんだ。 体を起こして俺自身にキスしてこようとするのだめを制して、性急に組み敷いた。 もう一刻でも早く、こいつとつながりたかった。 「あ、は、あぁあ、ん……!」 「……っ」 隔てなしに味わう強烈な快感に、一瞬でもっていかれそうになるのを必死でこらえる。 熱い。 俺に揺らされ、のだめの目尻からまたひとすじ、ふたすじと涙がこぼれる。 舌ですくってやり、顔中にキスを落とす。 こいつが誰よりも愛しくて。 大事で。 だから。 果てが近いのか、のだめはかすかに喘ぎ声をあげると、体をのけぞらせた。 思わず反射的に、逃げるのだめの肩を押さえ、奥をぐるりと突き上げる。 「……!」 さざなみのようにのだめの体にふるえが走ると、一際強く俺の物をしめつけた。 「……くっ……はっ」 俺も与えられる快感に素直に身をまかせ、のだめの中にすべてを解き放った。 今度こそくたりと意識を飛ばせてしまったのだめの体を始末してやる。 (ティッシュで拭うだけじゃだめだな……後でちゃんと洗ってやらないと) のだめのそばを去りがたく、そのまま意識のない柔らかな体を腕におさめ、 無意識のうちに髪を梳いてやりながら、色々と考えていた。 (来週からまた俺も忙しくなるし、もうちょっと色々と話さないとな。 本当はシーズンオフに出産時期を合わせた方がいいんだろうけど…… まあ、いい、そのへんはこいつの判断にまかせよう。問題は俺の方だな。 来シーズンはまだまだ忙しいし、こいつと赤ん坊の世話はちょっと むずかしいだろう。となると、やっぱり三善の家に頼るか。 さすがに大川に行かれちまうと、行き来するのに俺の方がつらいし。) いつしか春の日差しは大分かげってきていた。 腕の中の体がモゾモゾと動き出す。 「はぅ。お腹すきました……」 「ぶっ。まったく、余韻も何もあったもんじゃないな」 笑いながら体を起こす。シチューを温めてやろう。 「先、シャワー浴びるぞ。お前も、」 ちょっとからかってやりたくなって、のだめの方を見る。 「ちゃんと洗わないと。中から俺のがでてくるだろ?」 のだめは真っ赤になって起き上がった。 だが、何なら洗ってやろうか、と続けるより先に、のだめは真面目な顔になって 聞いてきた。 「いいんですよね?」 「え?」 「赤ちゃん。のだめ、できてたらちゃんと生みますよ? 今さら、やっぱりって言ってもダメですよ?」 「……ばーか」 こいつとなら。 「そうでなきゃ、生でなんかするかよ……」 こいつとなら、きっと大丈夫。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |