わるい夢の覚ましかた
-2-
瀬文焚流×当麻紗綾


「じゃあ、仕方ねえから、ここにいろ」
「……はい」

どうせこいつは何もかもを誰にも言えない。だから、たまたま何も言わずとも
事態を知っている自分の所に寄って来た。そんなことはわかっている、
でも、それで救われるならいいじゃないか。

所詮、今居る場所ですら、通過点なのだ。
今どうにかして結論付けたところで、丁度今みたいに、
明日になればすべて覆されるような出来事が起こるかもしれないのだ。

一人で生きるのはあまりにも辛い。だったら一度くらい、
一人じゃない記憶を刻みつけ合ってもいいのではないだろうか?

「お前の、身体」

急に話題が飛んだので、当麻が意外そうに顔を上げる。

「……ああ、フランケン入ってますよね。左手とか」

その目は少し虚ろで、唇を寄せると、素直に受け入れてくる。
撫でてやりたかったが、まだどこか気が引ける自分の不器用さに、自分で苛々していた。
これまでのやり取りの積み重ねが、瀬文の行動を制限していた。
それもまた記憶によるものだと、瀬文は思う。

「……思ったより悪くねえぞ」
「え、」
「ちゃんと女の形してる」

首筋に口付けて、上半身をゆっくりと裸にしていくと、当麻はもう何も言わなくなった。
同じ事件で傷ついたもの同士、自分たちは慰め合っている、と思ったが、
慰めることもできないよりよほどマシだと思った。

結局、瀬文も当麻同様、行く所がないのだ。
その結果お互いに行き着くだなんて、なんと滑稽なのだろう。

けれどあの時、頭を撫でてやりたいと思った。
動かない腕で、肩を抱いてやりたいと思った。それが、きっと答えなのだ。
傷ついていたら何とかしたいと思うくらいには、自分はこいつが大切なのだ。

「……脚、開け」

胸も、肩も、首も指先が覚えるほど愛撫して、もう充分だろうと思われたころ、
瀬文は耳元で、小さく促してみる。当麻は無言で頷き、ほんの少し下半身を上げて、
脱がしやすいように瀬文に身を委ねる。

入り口のゆるいゴムのズボンに手を入れると、当麻の身体がこわばったが、
抵抗はしてこなかった。そのままショーツの中へ入り込み、その身体の中心に触れると、
すでにそこは驚くほど濡れている。

「あ、」

女が濡れているのはうれしい。自分が認められたような気分になるからだ。
瀬文はそっと指を滑らせてみたが、すでに、そこが糸を引くほど湿っているのは、
見なくてもわかった。女の匂いをさせている当麻は、もはやいつも目の前にいる
当麻ではなく、自分と抱き合っている普通の女だった。

それがどこか感慨深くもあるし、いまだに不自然な気もした。

「あ、」
「……気持ちいいのか」

聞けば当麻は、こく、と頷く。
感じているさまは、やはりどんな女であっても可愛いと瀬文は思う。
特に濡れたところを膨らみに沿って撫でると、当麻はびくびくと震えて感じていた。

愛撫していない方の手で手を強く握ってやるとおとなしくなり、
同時により一層奥は溢れてくるものだから、瀬文は可愛くて仕方なくなった。

手を握るとそのままでは触りにくくなり、瀬文はショーツごとズボンを下ろしてやる。
ショーツが細い足首からベッドの下に落ち、瀬文の情欲を、あからさまに煽ってくる。
淡い色にレースのついたそれを見て、ふと、下着は普通なんだな、と
瀬文は思ったが、それは身綺麗にしていたころの名残なのかもしれなかった。

むろん写真でしか見たことがないが、そのころの当麻ならば、
瀬文は素直に最初から可愛いと言ったかもしれないと思う。
そして同時にまた、あの男の残虐さを思い知るのだ。

記憶を改竄するのが得意ならば、最後に当麻から自分の存在ごと奪って
消えればよかったのに。偽の記憶があったこと自体、こいつが忘れたらよかったのに。

どうせあいつは、嘘のセックスの記憶でこいつを汚したに決まっている。
今も当麻の頭の中にはそれが実体を伴わない記憶として残されているのだろうと思うと
頭に血が上りそうなほどの怒りがこみ上げたが、目の前にいるのは
もはや当麻だけだ。あいつはとうに死に、それに、当麻が本当に処女ならば、
やっておいた方がいいことがある。

そのために指を奥へ進ませ、ヌルヌルの入り口に指を挿し入れようとすると、
びくんと途端に当麻が跳ねた。

「あの、あ、」
「……ん?ほぐさねえと、狭くてとても入らねえぞ」
「あっ……いっ。ぁ、」

触っている瀬文ですら本来の感触がつかめないほど、
当麻の入り口はこんなに濡れているというのに、それでも痛いのか。

「痛いか?」
「……バカ痛」
「我慢しろ。それとも、やめとくか」
「続けてください……」

身体をのけぞらせ、鎖骨のくぼみに髪を押し付けてくる当麻は、
まるで余裕をなくして痛がっている。
その中は熱く、焼けるようで、とても快楽を感じているようには思えない。

なるべく優しくしてやってるつもりなのに、これでも痛いのか。
突っ込むときはもっと痛えんだぞ、と思うと、切なくなった。

目の前の男に犯されているというのに、その男にすがりつくしかないという、
当麻のこの状況。瀬文は男なので生理や破瓜や出産といった女の痛みは
知るすべもなかったが、これまでの経験から察するに、
それは自分が今まで経験したものの中でもそれなりのクラスのものに相当するのだろう。

そんなものを、女は日常的に、あるいは重要なタイミングが訪れる度に経験して
暮らしている。女は大変だ。幸福や快楽を手に入れるその前に、
まず痛い思いをしなきゃならないなんて。

「……っ、ぁ、」

当麻の中はきつく、指一本入れるのがやっとだ。
二本目を通そうとすると全力で拒んできて、一本でこれなら、
瀬文自身を挿入すればどうなるか想像もつかないと思った。
壊れてしまうのではないか、と本気で思うほどだ。

しかも、いつもの当麻ならでかい声で暴れ出しそうなものなのに、
それすらしないことにも胸が痛くなる。

一体こいつは今、何を考えているのか。薄闇の中で、しっかりと潤っているくせに
侵入をまるで許さない当麻の入り口を指で少しずつ進みながら瀬文は考えたが、
答えは出ず、誘惑しているのか拒絶しているのかまるでわからない当麻と、
当麻の身体に翻弄されるばかりだった。

「あ。瀬文さ。ぁ、」

そもそも。たとえばこの先当麻といても、自らを語らない当麻の胸中を知ることは
限りなく少ないだろうし、自分から何か働きかけたところで、
当麻が喋ることはないだろう。近いのか遠いのかわからないお互いの心理的距離は、
この身体にそのまま現れているかのようだった。突破されたことがない。
そして、それが訪れた今も、まだどこか拒んでいる。

「あ、」
「……こっち向け」

あまりにも痛がるので、どうにかならないものか、と、ごまかしたくなり、
瀬文は当麻の頭を動かして、もう一度キスしてやった。
ちゅっ、と濡れたもの同士がぶつかる露骨な音が立ったので、妙に気恥ずかしくなる。

「大丈夫、だ」

一体、何が大丈夫なのか。死にはしないにしても、当麻の痛みが和らぐ方法など、
到底見つかるはずもないのに。
それでも何か言わずには、何かせずにはいられなくなり、
唇を重ねて舌をやわく吸ってやると、当麻がようやく反応する。

よっぽど痛かったのだろう、すでに身体はぐったりしていて、疲れた分
重みが増しているように思える。自らの内側を肉でえぐられる痛みなど
やはり瀬文には想像しようもないが、想像しようもないなりに大切に扱いたいと思った。

それに不本意だが何にでも慣れるものだ。
もう、当麻とキスすることに抵抗がなくなっている。

「ふ、」

いつもあれだけ傲岸不遜にしているくせに、当麻のキスは下手だった。
深く口付けてやると、きょとんと意外そうに硬直した後、
ワンテンポ遅れてちゅる、と負けじと舌を吸ってくるのが可笑しい。

あれだけバカだのハゲだのと人をバカにしてた癖に、キスの仕方もろくに知らねえのか。
そう思うと、尚更愛おしくなる。こういう時、男はバカだとつくづく思う。
腕の中にいるというだけで、女がこんなにも可愛らしく思えてくる。

「ん……」

戯れるように何度もキスをして、当麻の緊張も大分緩んだと思われた頃、
瀬文は、当麻の脚を開かせ、とうとうシーツの上に倒した。

布団は邪魔だったので、とうに追いやったままだ。もう、充分時間はかけただろう。
それでも痛いだろうが、我慢してもらうしかない。

「……挿れるぞ」
「……あい」
「やめるか」
「して、ください」

やめるか、と聞いて、瀬文はてっきり当麻が、普段のようにどこに住んでいる
人間なのかわからないしゃべり方をして、煽るかキレ出すのではないかと思っていた。

しかしそれは起こらず、瀬文はすべての元凶となった銀色の正方形に包まれた
コンドームを取り出し、腹につきそうなほど勃ちあがっているソレを包ませた。

当麻はその光景を興味深そうに見ており、もうそうとう消耗しているくせに
おう、と奇声をあげたりおかしな質問をしてきたが、もう無視した。
着け終え、のしかかって入り口に押し付けてやれば、どうせ静かになる。

「う、」

くち、と音を立てて押し付けると、当麻はまた震える。
コンドーム越しとはいえ、直に当てられると驚くのだろう。
おそらく無意識だろう、当麻は目を見開いて後ろにのけようとしたが、
構わずにさらに押し付けてその存在を感じさせた。というよりも、いい加減当麻にも
女らしく意識して欲しかったのかもしれない。自分が今、こうなっているということに。

「あついです」
「……そうだよ」
「急に無理な気がしてきました」
「何だよ。さっきまで強がっておいて」

言いながら瀬文は、笑っている自分に気づいた。
当麻もそれがめずらしいのか、へへ、と笑って額をくっつけてきた。
基本的に気持ちの悪いやつだが、今はそれも気にならない。
そういえば餃子のにおいがしない、と思ったが当たり前だ。今日の病院食にはない。

「本当に、挿れるぞ」
「あ……!」

当麻の中は、夢の中のそれが、如何に紛い物であったか思い知るほどよかった。
初めて男を受け入れる女特有の強烈な圧迫感に瀬文は一瞬意識が飛びそうになり、
痛がる声に引っ張り出されるように、自分の欲望を押さえ込む。

「……あ、ぅあ……」
「やっぱり痛ぇか」
「痛くないです平気です。早くしてください……」
「……このバカ」

当麻がどれだけ強がったところで、この身体にいきなり欲望や性器を
全部押し付けるのはどだい無理だ。ゆっくり抜き挿しして、ほぐしていくしかなかった。

瀬文はとても浅い抜き挿しを繰り返し、なんとか慣らしてみる。
せめて何か滑りを良くするものがあれば、と思ったが、
コンドームがあること自体奇跡の現状なのだ。このままやるしかなかった。

「……あ。ぅ、あぁ……っ」

瀬文が腰を動かすペースに、当麻の呼吸が重なっている。
当麻の呼吸すら、今や瀬文の自由になっていた。
ぞくぞくした征服感がこみ上げると共に、同じ重さの責任感となって帰ってくる。
当麻の膣圧に快感を覚えながら、瀬文は、当麻が先ほどまでのように少しでも感じれば、と思った。

「瀬文さんの……でかくて、熱いです。あたし……灼けそうなんですけど、あるいは茹でられる」
「……おい、もう少しましな表現できねえのか」
「……だっ、て……あぁっ。あ、やっぱ痛い……」
「やめるか」
「ぜっったい、だめ……」

じっとりと汗をかきながら、当麻は言う。
瀬文は、当麻でも汗をかくのか、とぼんやり思いながら、
額ににじむそれをぬぐってやる。そのたびに当麻はほっとしたように目を細め、
非常にゆっくりではあったが、次第に瀬文という異物を受け入れるようになっていた。

「全部……、入ったぞ」

そうして、どのくらいの時間が経ったことだろう。
とうとう夢と同じように一番奥まで来たとき、すでに瀬文は限界に近かったが、
それは当麻も同じだっただろう。抜き挿しを繰り返しては肩で息をし、
物言わず痛みに耐えていた。

もう終わるからな、と言ってやりたくなったが、どこか終わって欲しくないような気持ちがある。
頭の変なこいつに付き合っているうちに自分もおかしくなったのだろうが、瀬文は
もう少しだけこのままでいたかった。次の機会があるかは到底わからなかったし、
自分がそのとき望むのかもわからない。

もう二度と嫌だと思うかもしれないし、当麻がそう言うかも知れない。
だけど今、自分たちはひとつだった。実におかしな話だが、事実そうなっていた。
それをこの後一夜の記憶としてお互いがどうするかは、終わってから決めればいいと思った。

「当麻」
「……はい」
「一気にやるから……痛かったら肩でも、噛んでろ」
「……う、」

言えば言われたとおり、かぷ、と噛んでくるのが可愛い。痛い思いをさせているのは瀬文なのに、目が合うとほっとしたような顔をするのが可愛い。
結局、一緒に居ることに安心していたのは自分も同じなのかもしれない。自らの性器で当麻を痛いほど感じて、夢よりずっといい、と瀬文は思う。肩を噛まれる痛みに突き動かされながら、瀬文は当麻の中を思うまま突いた。

「あぁっ……!」

今まで聞いた一番近くで、当麻の声がする。
しっかり折り重なるようにして、瀬文は果てた。

***

いつもの悪い夢は見なかったが、夢と変わりないような現実にさっきまで
居たことを思い出して目を覚ました。

少しも枕に乗っていない上に、まるで眠っている頭を起こし、うっ、という
喉に引っかかるようなため息をつく。
全身が軋むのを感じながら、凝った首を左右にひねった。
屈伸するように足先へ身体を倒すうちに、隣の重みを感じ、
やはりこれが現実なのだと再認識する。

「うー、ん……」

当麻と言えば、隣に人がいることなど完全に忘れたかのように、
再び大の字になって寝ている。

その姿は横柄そのもので、いったい、さっきまでの可愛らしさは何処へ行ってしまったのか。
と、呆れるを通り越してやはり殴りたくなる。
まるで詐欺に遭った気分で瀬文は身を起こしたが、
自分一人に残された後処理業務に気づいて肩を落とす。

使ったばかりのこのコンドームは、何処へ捨てればいいのか。
何処に捨てても目ざといナースたちに見つかって、こっぴどく叱られる気がする。

諦めて適当にティッシュに包んでゴミ箱に放り投げると、更なる行為の痕跡を発見して、瀬文は何も見なかったことにして眠りたくなった。
さっきは暗くて気づかなかったが、シーツの上に、
色の濃い染みが転々といくつも点いている。

こればかりは、鼻血が出たとでも言って誤魔化すしかない。
急いでどうにかしようにも、その上で当麻が寝ている以上、
起こす方がよほど面倒なことになりそうだった。

どれだけそれらしい言い訳を並べたところで、結局は今ゴミ箱に捨てたものと同様に、
簡単に気づかれて無言の糾弾を受ける気もするが。

がさごそと瀬文が身動きしても起きるはずもなさそうなほど、
当麻は深く眠りに着いている。こんなところにも、
自分が挿入した形跡がむざむざと残されている。

痛いし、辛いし、疲れるし、案の定優しくされないという、
ろくでもない初体験だっただろう。それでも自分から逃げないのだから、
こいつはつくづく相当な変わり者だ。
それを不覚にも可愛いと思ってしまった自分も、いよいよ頭がおかしいが。

どうせ五分後には無駄になるので、抱きしめてやるとか腕枕してやるとか、
行為後らしいことをしてやるつもりは毛頭なかったが、
当たり前のように回されてきたその左手を、握ることだけはしてやった。
当麻はそれを化け物のようだと言ったが、この暗闇では、それも見えない。

瀬文の心境の変化など知る由もない当麻は、腕をこちらに回したまま、
早速いつものように裸の股をすり寄せてくる。今になって気づいたが、あらかた、
自分のことをあの気味の悪い抱き枕だと思っているのだろう。

かつて、そんなものを部屋に置いてあると聞いた時は神経を疑ったものだ。
だのに自分と来たら、いつのまにかそんなやつと、寝てしまって、しかも処女まで奪ってしまって。
途端にのしかかってくる記憶の重圧に瀬文は目眩がしたが、どうせもう後戻りはできまい。
瀬文は今後もこいつにベッドを占領され、抱いてしまったゆえに前のように
強く出ることもできなくなり、当麻を増長させる明確な要因を作ってしまった。

さらに、わけのわからない情まで抱いてしまった今、すり寄られれば自分は
きっとまたなし崩し的に抱いてしまうのだろう。
――できれば次は、もう少し痛みが和らぐといいが。

どのみち、振り回されている。たった今作ってしまった行為の記憶と、
それ以前からあったこいつの存在に。

腹立たしいような、どこかすっきりしたような。ひとつ何かが片付いたような、
あるいはもっと重い荷物が増したような。

やはり結論付けたところで、明日もそれは引き続いていく。
それすらも悪い夢の一部のような気がして、瀬文は目を閉じた。






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