ギブ・アンド・テイク
上田次郎×山田奈緒子


そもそも事の発端が何だったのか。
もう思い出す事も嫌になる。と言うか面倒臭い。馬鹿馬鹿しい。

上田の馬鹿のせいでしち面倒臭い事件に巻き込まれ、帰ってきた時には家が無かった。
そう。私の住み家である池田荘はまっさらな更地になっていたのだ。


「で、どうして私が、まかないをしなきゃならないんですか?」

買い物を終えた私はリビングに座る上田を睨みつける。
上田は私の事なんて切られた小指の爪ほども気にせずに、ザッと広げた新聞記事を目を細めて読んでいた。

「しかも買い物まで全部私に任せて。重いんですよ、牛乳パックって」

腹立ち紛れにわざとリビングのテーブルにこれみよがしに牛乳パックが三本──勿論上田の要望だ──入ったビニール袋を置くと、上田はチラと私を見上げフンと小さく鼻を鳴らした。

「愚問だな。住む場所がなくなったYOUを泊めてやったのは誰だ?君がどぉぉぉぉぉしても部屋を貸してくれと言うから、俺はわざわざYOUを泊めてやったんじゃないか。
しかし、君の所業はどうだ。昨夜は快くベッドを貸しはしたが、YOUのイビキと寝言のせいで俺は寝不足気味。
さらに。住む場所が見付かるまでと言っていたが、君の収入じゃあすぐに見付かるとも思えない。家賃も払えないとあれば、最低限の家事ぐらいはして貰わなくては。
ギブ・アンド・テイク。世の中は全てこれで成り立っているんだ。分かるか?山田奈緒子」

ぐだぐだとお得意の理屈を述べた上田は、勝ち誇ったように鼻の穴を膨らませると再び新聞に目を通し始めた。

「何がギブ・アンド・テイクだ。お前のせいで私が何回死に掛けたと思ってるんだ?それぐらい当たり前だろうが」

私は苦々しい表情で暫く上田を睨みつけていたが上田はやはり何処吹く風。
目を細めたりわざとらしく頷いたりして、家庭欄を真剣に読み耽っている。
まともに相手をして貰えないのは明白で、私は大きな溜め息を吐くと重いビニール袋を持ち直してキッチンへと向かった。

昨日私が上田のベッドを借りて、上田は床に転がるはめになったのは確かだが、これはじゃんけんで勝ち取った正当な戦利品だ。
買い物だって買い物リストと必要最低限のお金しか渡されなかったから、余計な物なんて何一つ買っていない。いや、買えなかった。
なのに、何故ここまで腹の立つ理屈を聞かされなきゃならないんだ?
私が何か悪い事をしたとでも言うのか?

確かに上田の言う事は一理ある。
だけど、だからって、こんな家政婦の真似事みたいな事までしなきゃならないなんて、世の中は何処か間違っているんじゃないか?

苛々をぶつけるようにキャベツをザクザク切っていた私だが、その背中にさらにムカつく上田の声が聞こえた。

「食事の支度が終わったら風呂の準備だ。ワイシャツにアイロンもな」

くそっ。食事に毒でも仕込んでやろうか、こいつは。

貧乏性が染み付いた私の作ったご飯を食べ終えた上田は、少しばかり膨れたようにも見える胃を擦りながら風呂へと向かって行った。
無論、食べている間も「味が薄い」だの「切り方が雑」だの文句を溢していたが、皿は舐め取ったかのように綺麗に空になっている。
当然ながら洗い物も私の担当。風呂場から聞こえてきた上田の悲鳴をBGMに、私は鼻唄混じりに皿を洗った。
風呂の温度は軽く五十度を越えているはず。ざまあみろ。

洗い物を終えた私は勝手知ったる何とやらで、リビングのソファを占領してテレビのリモコンを手に取った。
そこに飛び込んできたのはタオルを腰に巻き付けただけの姿の上田だった。

「あら、どうしたんですか?上田さん」
「どうしたんですか?じゃないだろう、山田!YOU、あの風呂の温度は何だ!?危うく俺の大事な息子が火傷でただれて使い物にならなくなる所だっただろうが!」

わざとらしいまでににっこりと笑う私とは対照的に、鬼の様な形相の上田は私からリモコンを引ったくる。
ブッツリとテレビの電源を切るとリモコンをソファに投げ捨て、上田は恥ずかしげもなく仁王立ちになった。

身長のある上田とソファに座る私。
必然的に私の視界はタオル一杯な結果になる。

「ちょ…上田さんっ、前!ソレ!!」
「YOUは俺に何か恨みでもあるのか?今の現状のいったい何が不満だと言うんだ?俺は君に部屋を提供した。ベッドも、食事もだ。
なのに君は俺の健康を気遣う食事を作るでもなく、あまつさえあんな恐ろしい熱湯風呂に俺を入れ殺害を企てた。コレが恨みによる所業と言わずして何と言おう!」
「殺害は企ててません。って上田、タオルっ!」
「確かに、超優秀で天才的な頭脳と日本技術科学大学助教授の肩書きを持つ俺の事をやっかむ気持ちは分からなくもない。だからと言って俺を陥れようとしても、YOUが貧乳で貧乏で職なしである事実は代わりない。
これは紛れもない事実なのだよ」

目の遣り場に困る私の事などお構いなしに、上田は腰に手を当ててひたすら馬鹿な事をとうとうと語る。
その間にもタオルがゆっくりとズリ落ちそうになっているのに、上田はやっぱり気付かない。
コンプレックスであるはずのその物体は徐々にその姿を露わにされようとしている。

──って言うかドサクサに紛れて貧乳って言うな。この巨根。

「良いか山田。俺がYOUをこの部屋に泊めたのは純粋に困っている君の、お・か・あ・さ・ん・に、君を頼むと言われたからだ。その俺を陥れると言う事は、すなわち、君のお母さんを、図らずも絶望の縁に追い遣る結果になるんだぞ?
もし俺がこの世からいなくなれば、YOUは住む場所を失い一生泥草にまみれた生活を強いられる事になる。そうなれば君のお母さんは君の事を心配するあまり、心労に倒れるかも知れない。
あの時君が俺を殺さなければ。そう思うあまり自殺を図ろうとするかも知れない。YOUはそんなにも親不孝者だったのか?違うだろ!?」

──お前が死ぬのは勝手だが、人の親を勝手に殺すな!

何度そう言ってやろうと思ったか。
しかし目の前のタオルは今にもヒラリと舞い落ちそう。
とにかくコレを先に何とかしなくては。

瞬時に頭の中で算段を組み立てた私は、尚も何かを言い募ろうとする上田のタオルに狙いを定めた。
ガッチリ掴んで腰に押し付けてやればタオルが落ちる事もないだろう。
そうなれば上田だって、少しは現状を認識出来るに違いない。

だが私の算段は、いともあっさりと崩された。


私が手を伸ばした瞬間。

「おぉうっ!」
「ふにゃっ!」

私の手に驚いた上田が、思わず腰を引いたのだ。



──ハラリ



私の手に残されたのは少し湿ったタオルが一枚。
そして目の前には。


例の巨大な物体。



「ううううう上田っ!!馬鹿っ!何てモノを見せるんだ貴様っ!」
「ゆゆゆYOUの方こそ、一体何を考えてるんだっ!!」

どもった回数で互いの動揺が伺えるだろう。
上田から視線を外しながら私は必死になってバシバシとタオルを振り回す。その度に上田にタオルが襲い掛るが、私にそんな事を気にする余裕はない。

「馬鹿っ!変態っ!!巨根っ!!!」
「ちょっ、YOUっ、待てっ」
「馬鹿者っ!お嫁に行けなくなったら貴様のせいだ!!」
「おうっ!」

上田の方を見る余裕もなく私はひたすらタオルを振り回す。
しかし、不意に何か重い物が引っ掛かった感触に、私はタオルを振り回す事が出来なくなった。

薄目を開けて上田の方を──ただし下半身でなく上半身を──見ると、私が振り回していたタオルは、しっかりと上田の手に握られていた。
そうだ。こいつは何処で習ったんだか知らないが、それなりに腕が立つんだった。
私の振り回すタオルの五枚や十枚、掴む事なんて造作もない。

「山田」
「な…何だ上田。その手を──」
「YOUはそんな趣味があったのか?」
「ハ?」

相変わらず話が唐突に飛ぶ男だ。
って言うか、妙にこっちに近付いてないか?

「人の性的嗜好をどうこう言うつもりはない。だが俺には、残念ながらYOUの趣味に添えるような感性は持ち併せていない。どちらかと言えば、攻められるよりも攻める方が好みとも言える」
「な…何の話を──」

じりじりと後退さる私だが、間違いなく上田はその距離を詰めている。
逃げ場もなく肘掛けに背中がぶつかった瞬間、ギシリとソファが悲鳴をあげた。
上田がソファに足を掛けたのだ。

「あまり冗談が過ぎると俺も黙っていられないぞ?」
「だから何の話をしている!近付くな、こらっ!」
「何の…?…それこそ愚問だな」

フッと薄っぺらい笑みを浮かべた上田がグィとタオルを引き寄せた。
いまだタオルを握ったままだった私は、当然ながら上田に引き寄せられる結果となった。

「YOUがタオルでぶった殆んどが、俺の息子──すなわち男根に当たっていたのだよ。これがどう言う事か分かるか?」

トンとぶつかった上田の胸板から、ほのかに石鹸の匂いが漂う。
タオルから手を離すのも忘れ、私は自分の頭の中が混乱し始めたのを自覚した。

私を抱きとめた上田の手がサラリと私の髪を梳いた。

「刺激を与えられれば何らかの反応を示すのは生物としては当然。自然の摂理。俺の場合も例外ではない」
「っ?……ちょ…ちょっと待て上田!正気か!?」

嫌な予感に慌てた私は上田を見上げる。
首筋から顎のライン。いつだって私はこの高さで上田を見ていたのだから、今更取り立てて変わった所はない。
あるとすれば、間近で感じる上田の体温がいつもより少し熱いのと、洗い立ての石鹸の匂いが無性に鼻の奥をくすぐる事ぐらいだ。

上田はタオルから手を離す事もなく、いつもの笑みを浮かべて視線だけで私を見下ろした。

「無論理性は残っている。俺とて見境なく盛る獣のような馬鹿げた真似をするつもりはない」
「な…なら──」
「だが」

不意に圧力が掛る。
自然な流れに逆らう事も出来なかった私は、上田に抱きとめられた姿勢のままソファに押し倒された。

「ギブ・アンド・テイク。この言葉の意味が分かるな、山田奈緒子」
「っ……!」
「目には目を、歯には歯を。偉大なるハンムラビ法典にもそう記されている。俺が受けた刺激の分、俺が君に刺激を返す事は当然だ」

私に体重を掛けぬよう少し体を起こした上田は、至って冷静な口調で言った。

──あぁ…やっぱり。

嫌な予感が当たった事に私は背筋が震える思いだった。
こんな予感なら当たらない方が良かった。

至近距離で私を見つめる上田から私は目を逸らす事が出来ない。
いつもぐしゃぐしゃな髪はお風呂上がりのせいか湿っていて、少しくたりとなっていた。


──それにしたって……あのカミソリキスの時と言い今と言い、どうしてこうムードもヘッタクレもないんだろう。
もっともアレはほんの僅かな時間で、唇が当たったかどうかも今となっては記憶にないんだけど。
大体、タオル如きで反応を示す上田のモノがオカシイんじゃないか。


なんて。
下らない事を考えている間にも、上田の顔は近付いてくる。
喉の奥はぴったりと張り付いていて、一言だって口にする事は出来ないし、体は硬直しきって身動き一つ取れない。
唯一動くのは瞼だけ。

──あぁ……多くは望まない。せめてシャワーを浴びてベッドの上でムードのある音楽かなんかを聞きながらが良かった…。

そんな事を考えながら目を閉じた私の唇に、柔らかな感触が触れた。

息が出来ない。胸が苦しい。心臓が耳元でガンガンとうるさい。
こんなにうるさかったら、上田にまで聞こえてしまうじゃないか。
それとも上田も耳の奥がうるさいんだろうか。

押し付けられた唇からは微かにミントの匂いがする。たぶん風呂に入った時に、一緒に歯を磨いたんだろう。
いつもは屁理屈ばっかり紡ぎ出す唇は、マシュマロみたいに柔らかい。
なのにしっかりと私の唇を捕えていて、私はいつの間にかぎゅっとタオルを握り締めていた。
そんな私の手に上田の手が重なる。ただそれだけの事なのに、私の肩が大きく震えた。

どれ程そうしていただろうか。
呼吸を忘れていた私はあまりの息苦しさに、声にもならない声を発した。
それに気付いた上田が唇を離す。
まるで陸に揚げられた魚のようにパクパクと口を動かしながら新鮮な空気を吸い込むと、上田は楽しそうにニヤリと笑って乱れた私の髪を梳いた。

「う…上田さん…ちょっとタンマ」
「何だ今更」
「本当にヤる気なんですか?大体、貧乳は上田さんの好みじゃなかったんじゃ…」

悪あがきと言われても構わない。このまま無し崩し的にヤられるなんて、私のプライドが許さない。

顔を真っ赤にしながら、それでも必死になって逃げ道を探る私だったが、上田は少し眉を上げて面白い物を見るような目つきで私を見下ろした。

「確かに、YOUのような貧しい乳、すなわち貧乳を相手にしようと思う男は、世の中広しと言えどもそうはいないだろう」

──っ……わざわざ強調するな、馬鹿上田。

「だがな。俺は特別巨乳が好きと言う訳ではない。どうせヤるなら大きいに越した事はないが、胸の大きさのみに固執するほど度量が狭い訳でもないんだ。
それにYOUは俺のコンプレックスを目の当たりにした。ならば今度は俺がYOUのコンプレックスを見る番じゃないか」
「そ…そんな滅茶苦茶なっ!」

不敵な笑みを見せる上田の手が私のブラウスに掛る。意外にも手際良くボタンを外され、私には抵抗する暇もない。
ただただ馬鹿みたいに口先だけで抵抗しても、体が硬直したように動かないんだから仕方ない。

ボタンを全て外した上田はブラウスの前をはだけさせると、品定めでもするかのように私の体を見下ろした。

タオルで体を隠そうとしたが、それより早く上田の手が私の手を掴む。

馬乗りになった上田の視線が痛い。

「ふむ」
「な…何ですかっ」

言いたい事があるならはっきり言えば良いだろうが。

上田は暫く私の体を見つめていたが、やがていつもの人を馬鹿にしたような笑みのままきっぱりと言った。

「想像以上に小さいな」
「う、うるさいっ!!」

いちいち腹の立つ男だ。
ぎゃあぎゃあとわめいてやろうかと思ったが、上田の視線の強さに私は開き掛けた口を閉じた。

眼力、と言うんだろうか。
常日頃は馬鹿な事しか言わない男だが、時々酷く真面目な表情になる時がある。そんな時の上田の眼差しには、何故か強い力が宿る。
大抵の場合は馬鹿げた事にしか興味を示さないその眼差しは、今は真っ直ぐに私に向けられていた。

「まぁ大した問題にはならんだろう。重要なのは感度だからな」
「かっ…!?」

恥ずかしい事をさらりと告げた上田は私の胸元に唇を落とす。
熱い感覚に思わず息を飲むと、下着に隠されたままの胸が大きく上下に震えた。

肩紐に沿って上田の唇が移動する。
柔らかな唇の隙間から少し舌を出して、そっと私の体を這って行く。
ぬるりとした感触が鎖骨から首筋へと移動する。それは耳に触れると再びゆっくりと下へと降りる。

初めて受ける熱い感覚に、喉の奥は再びぴったりと張り付いた。
息を飲む。声が出ない。
溜め息の連続にも似た行為の隙間から、息を吸おうと必死になってあえぐ。

いつの間にか上田の手は私の手から離れ、背中とソファの隙間に差し込まれていた。
音もなくホックを外し下着がずらされる。
上田が胸の頂点を口に含むと、湿った感触と共にピチャリと微かな水音が聞こえた。

「──ひっ…!」

思わず漏れた声は、今まで私ですら聞いた事のないような声。
薄らと開けた目で上田を見ると、上田は楽しそうに目を細めた。

固くなった体を解すように、上田の唇が、舌が、私の体をくまなく這う。
触れられた箇所が熱を帯びる。それと同時に腰の辺りがもぞもぞして、私の喉は細かく震える。思考回路は霞が掛り、恥ずかしいと思う間もなく声が溢れた。

「やぅ…あっ。う…えだ…っ」
「感度はなかなか良好のようだな。貧相なのは胸だけでウェストのラインなどはそそる物がないとは言えん。人間誰しも取り柄があると言う事か」

こんな時でも上田の減らず口は相変わらずだ。
頭も動きも鈍った私の腕からブラウスと下着を取り去りながら、誰にともなくブツブツと呟く。
くしゃくしゃになったタオルのせいで私の両腕から衣服が外れる事はなかったが、そんな事は些細な事とばかりに再び上田の舌が私の体を這った。

持ち上げられた手首にブラウスが絡み付いて鬱陶しい。
掴んでいるタオルを手放せば済む話なのに、今の私にはそんな事すら考える余裕はない。

上田の両手が胸に触れる。
大きな手にすっぽりと収まるその姿を見ていたくなくて私は顔を逸らした。

「腐っても胸、か。寄せれば多少は胸らしく見えるな」

くっ…!人が気にしてる事を平気でズバズバと口にしやがって、この変態!

やんわりと私の胸を弄ぶ上田の言葉が耳に入る。
だけど悔しい事に負け惜しみすら口に出来ない。

「良かったな山田。生物の構造上、大きな物は小さくする事は不可能に近いが、小さな物を大きくする事は無理ではない。こうして俺が揉めば、この貧乳も少しはマシになるかも知れんぞ」
「う…っ…ん、うるさいっ!…そんな、んあっ…揉むな…っ!!」

これを快感と呼ぶのも悔しいが、上田の手は的確に私の熱を高めていく。時折胸を吸い上げては、楽しそうに笑う上田の声が聞こえた。

喉が乾く。空気が乾燥している訳じゃないのに、呼吸をすると熱い空気が肺に流れ込む。

──違う。空気が熱いんじゃない。私の体が熱いんだ。

いつの間に掻いたのか、汗が私の額を伝う。張り付いた髪が鬱陶しくて首を捻ると、上田の舌が首筋に滑り込んだ。

「う…上田さんっ!」

声と呼吸の隙間を縫って何とか声を絞り出す。
今まで見た事がないほどに間近で私を見上げる上田に、私は懇願するような想いで言葉を紡いだ。

「も…もう良いんじゃないですか?さっきのは…私が、悪かったって事で……」

この熱から逃れられるなら、土下座したって構わない。
そう考えた私の言葉に、上田は暫し無言のままで手の動きを止めた。



「何の事だ?」



──こんちくしょう!!

ニヤリと笑った上田の表情は悪戯小僧を通り越して悪魔の表情。
私の胸から手を滑らせスカートに手を掛けた上田は、軽々と私の腰を抱き上げた。

「YOUの胸が如何にコンプレックスの固まりなのかは分かったが、まだ肝心な事は分かっていない。すなわち、どれほど刺激に敏感か、と言う点についてだ。これは俺に取って非常に興味深い事象なのだよ。
俺のコンプレックスであるこの部分は、刺激に対して実に素直に反応するが、誰もがそうだとは限らない。
そしてYOU、君のコンプレックスである所の貧乳が何処まで刺激に対して敏感であるかは、此処を探るまでは正確に知る事は出来ない。つまりはそう言う事だ」

下着ごとスカートをずり下ろしながら、上田は訳の分からない理屈をこねる。
あまりの馬鹿さ加減に抵抗するのも忘れた私の部分に上田の指が触れた。

一際強い刺激に私の体は勝手に反応する。
ビクンと体を震わせた私を見て、上田は至って冷静な様子で──それが装っているだけなのかどうか、最早私には分からないが──ゆっくりと指を滑らせた。

感触か。水音か。もしくはその両方か。
楽しんででもいるかのように、規則正しく指で私の箇所を指で弄りながら、上田は私の足を割り開いて行く。
ふくらはぎや太股に唇を這わせながら、視線は一点を見据えて揺らぐ事はない。

恥ずかしさのあまり目を閉じてタオルを持つ手で口許を覆う。

──そう言えばこのタオル、上田さんの腰に付けられてたやつだっけ。

頭の片隅で冷静な自分が呟いたけれど、だからどうした、ともう一人の自分が呟いて冷静な私を追い出した。

タオルを口いっぱいに噛み締める。必死になって声を抑えようとするけれど、喉の奥から沸き上がる本能は──上田の言葉を借りるなら──実に素直に熱い吐息を吐き出した。

頭の中が白く侵食されて行く。

体の中にゆっくりと挿入される指の感触。
いつもはうるさいぐらい饒舌な上田は、この行為に没頭しているのか、ぴたりと口を閉ざしている。
それが酷く怖くて、でもその原因が私にあると自覚するのも嫌で、私はただ目を閉じて与えられる刺激だけに集中していた。



「YOU」


──もう嫌だ。こんな行為も、上田も嫌いだ。


「YOUっ」


──こんな悪い冗談みたいな、弄ぶようなヤり方なんて酷すぎる。


「おい、山田っ」


──ヤるなら早くヤれば良い。体の痛みなんて、心の痛みに比べれば大した事なんてない筈だ。


「山田奈緒子っ!」


ハッと目を開けると、上田の顔が近くにあった。
いつだって何を考えているのか掴めない男は、酷く心配そうな表情で私を見下ろしている。

──あぁ…頼むから、そんな顔をするな。……お願いだから、悪人面で性格の曲がった上田さんのままでいて下さい。

──そうしてくれれば、上田さんを悪者にして、私は、自分が馬鹿な女だったと思えるのに。

──今そんな表情を見せるのはずるいじゃないですか。

「…卑怯ですよ……上田さんは…」


泣きたいような、そうでないような。みぞおちの辺りにぐるぐると嫌な感情が渦巻く。
人の顔を見るのが、こんなに辛いと思ったのは始めてだった。

上田に私の真意が伝わる訳がない。
伝わって欲しいとも思わない。

いつもみたいに私を罵って、小馬鹿にした笑みで、ぐだぐだと下らない理屈を並べ立ててくれれば良い。
そうすればきっと、私も今までと同じように上田の事を馬鹿に出来る。


それがいつもの私達じゃないか。


なのに。


上田の手が、私の髪を梳いた。


頭を殴るでもなく、髪をぐしゃぐしゃにするでもなく、馬鹿にした様子なんて虫刺されの痕ほどもなく、上田の手は私の髪を梳いていた。

頬に。胸に。唇が落とされる。
腰に。足に。ついばむ様な動きで、何度も何度も。


──この男は卑怯だ。


今まで何度も思った事を私は改めて確信する。
肝心な言葉もフォローする素振りもない。
佐和子に捕まりそうになった時だって、自分と美佐子さんが助かる為だけに、私を佐和子に引き渡した男じゃないか。


──あぁ……今更か。



熱い固まりが触れる。
考えなくてもそれが何なのか、私には良く分かっている。

来るであろう痛みに備えて奥歯をぎゅっと噛み締める。
額に唇が落とされ薄く瞼を押し上げると、酷く優しい笑みを浮かべた上田の眼差しが私を捕えていた。

結局の所、本当の馬鹿は私だ。

馬鹿だ巨根だと上田を罵りはしていたが、私自身が一番馬鹿なんだ。




行為の後、体を清めようと温いシャワーを浴びながら、私は一人ぼんやりとしていた。
体を取り巻く熱も、胸の奥にうずいていた感情も、今はなりを潜めてもう何処にもない。
もうもうと湯気が立ち昇る風呂場は視界が悪く、シャンプーやボディソープのボトルの文字も見えない。

「……大馬鹿者だな、本当に」

洗面器に湯船のお湯を汲み入れて呟いた私は、それまでの気持ちを切り替えるように、勢い良くお湯を被った。




上田に罠を仕掛けていた事を忘れていた私の悲鳴に上田がほくそ笑んでいたのは、また、別の話である。






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