誕生日(非エロ)
上田次郎×山田奈緒子


「もしもし」
『よう、久しぶりだな』
「バイナラ」
『待て待て待て、you、俺だ、科技大教授の天才物理学者、上田次郎だ』
「わかってますよ」
『だったらなぜ切る!』

返事もせずに受話器を戻し、念の為にフックを上げておく。
あと5分で暴れん坊将軍の再放送が始まるのだ。くだらない話に関わってる暇はない。

テーマソングがかかりぐっと身を乗り出す。

「なんだyou。俺の電話を切るほどのどんな緊急事態かと思ったら」

ガタガタと廊下側の引き戸を勝手に外してでかい男が入ってきた。
どこから電話かけてきたんだこいつ。
私は無視してテレビを見続ける。
不意に映像が途切れた。

「あっ!!」
「おう……古いコンセントは危険だな、埃が溜まって漏電したり、いきなりショートして映らなくなる可能性もある」

電源を引きぬいた張本人がしゃあしゃあと言ってのける。
もうだめだ。
このままウダウダ居座られて平安を乱されるならさっさと済ませたほうがいい。
私はちゃぶ台に肘をついてこちらを見ている上田に向き直り、尋ねた。

「で」
「ん?」
「何だ要件は」
「うん、いや…」

上田はなぜかもじもじ身体を動かした。40過ぎの巨根の童貞のくせに可愛いつもりか。

「youが会いたいんじゃないかと思ってな。な、会いたかったろ?会いたかったはずだ」
「いいえ」
「恥ずかしがらなくていい。俺に会って言いたいことがあるだろう」
「ああ」

私はにこやかに言った。

「『二度と来るな』、『焼肉おごれ』、『泣き虫』、…えーと後は何でしたっけ」
「違う!」

上田は鼻息も荒く薬局からもらった壁掛けカレンダーを指さした。

「ここ、これを見ろ!」

言われるまでもなく、赤マジックででかでかと【上田次郎教授御生誕の日】と書かれているのが目に入る。
日付は11月4日、つまり今日だ。
わかってて無視したに決まってるだろ、バカ上田。

「お前が書いたんだろそれ。人ん家のものに勝手に落書きするな。矢部に言うぞ」
「いいか、この天才物理学者、科学の申し子、ノーベル賞受賞当確間違い無しのサイエンス次郎の生まれた日だぞ。
将来は国民の休日となる可能性が高い。覚えておくのは当然だろう」

祝って欲しいなら祝って欲しいってなぜ素直に言えない。
だからこっちが祝いたくなくなるんだ。
ため息を付いて、私は戸棚から特大仏壇用ローソク4本と棚卸セールでもらったアロマキャンドルを3個出した。
6個入りパックで買ってひとつだけ残っていた大福を皿に取る。
ちゃぶ台にバラバラと並べているとギャラリーが文句を言った。

「ローソクが少ない」
「これだけしかないんだから我慢してください」
「ケーキの代わりが豆大福かよ」
「文句あるのか」

仏壇用ローソクとアロマキャンドルに火をつけ、真ん中に大福を置く。
ローズとジャスミンと森林の香りが混じり合う中、白い大福が蝋燭の火で怪しく光る。
何の新興宗教の儀式だ。
恥ずかしいので高速でバースデーソングを歌い、そのまま私がさっさと火を吹き消した。

「はい、おめでとうございます」

大福をちぎって半分(小さい方)を上田の手に握らせる。私にしては出血大サービスだ。

「うまっ!やっぱり大福は豆だな!」

「……」

なんだか上田がシュンとしている。

「泣いてんのか」
「泣いてなどない!」

さすがにちょっと可哀想だったろうか。
めんどくさい男だ。
手についた粉をはたいていじけてる男ににじり寄る。

「上田、おい」
「…」
「上田さん」

体育座りで腕に伏せた顔の横、伺うようにこちらを見た左の頬に唇を寄せる。

ちゅ。

「!!」

上田がばね仕掛けのように顔を上げる。

「お、お誕生日おめでとうございます。スネるな。嫌いじゃないんだから」

ほっぺたにキスなんて我ながらなんて恥ずかしい。
ただでさえ大きな上田の目がさらに大きくなって、眼鏡の奥から私を凝視している。
目を合わせていられなくなりうつむいた。顔が茹で上がったように上気してるのがわかる。
なんてことしてるんだ、ついでに何言ってんだ私は。


「じょ、じょ、冗談ですよ。小さい頃はこうやってお父さんによく──」

不意に抱き寄せられる。
暖かく大きな手が背中に回っている。
なに。怒ってるの。
こんな真剣な上田さんの表情、長い付き合いの中でも滅多に見たことがない。
眼鏡をはずし、ちゃぶ台の上にコトリと置いた。
変な眼鏡を取った上田の顔はひどく端正で、私は視線を泳がせる。
掌で頬をゆっくりと包まれる。

「嫌いじゃないってどういう事だ」
「し、知りますん」
「誤解するぞ」
「勝手に…すれば…いいだろ」
「……」
「……上、」


初めて触れ合う他人の唇は、恐ろしいほど頼りなく柔らかかった。


いつの間にか夕日が部屋を染めている。
唇を離して、私の顔を見つめ上田さんが呟いた。

「……あんこの味がする」
「そ、そうですか」
「今から……ケーキ買いにいくぞ。何がいい」
「…何でもいいです。でかければ」
「うちにシャンパンもある。特上寿司も取ってやる──やり直さないか、誕生日祝い」
「……」

仕方ない。
誕生日なんだから、少しくらいワガママを聞いてやってもいいだろう。
ケーキも寿司も魅力的だ。断る理由なんかない。
もしかして、誕生日祝いだけじゃないかもしれないけれど。

それでも、許せるくらいの想いは確かにあることを今日、確認したから。






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