シリアス/ソフト?/上田視点難しい
上田次郎×山田奈緒子


「教授、顔が赤いですよ」

学生に言われるまでもなく、朝から熱っぽいとは思っていた。
ただ向学心あふれる彼らから、日本を代表する天才の授業を受けるという機会を奪ってしまうのは申し訳ないと栄養ドリンクを3本飲んで今日の講義を乗り切ったのだ。

「ただの風邪だ。申し訳ないが今日はこれで帰らせてもらう。質問があるなら明日以降に研究室に来るように」

えー大変、私教授の看病しますー、などという女子学生の声も聞こえたが、この上田次郎の看病したいと考える女性は星の数ほどいるはずで、
誰かひとりをえこ贔屓してしまうのは他のすべての女性を傷つけてしまうことになる。
あくまでもジェントルに断って、最低限の身仕舞いをすると、研究室の鍵を閉めて帰途についた。


次郎号をいつもより慎重に運転しながら駒沢のオートロックマンションに帰宅した。
数字が二重に見えたがなんとか暗証番号を押す。
思ったより症状が重いようだ。部屋に入ってソファに倒れこみ、額を触ると燃えるように熱い。
背に腹は代えられない。
子機を取り上げ、もういいかげん覚えた番号をプッシュした。

「もしもし」
『上田さん?』

ツーコールで、相変わらず貧乏そうな声の山田が出た。何故かホッとする。

「なんだ、いたのか。またバイトを首になったのか」
『うるっし!今週末は政財界の方のパーティーに呼ばれてるから、その準備に追われてるんです』
「そんなごたくはいい。youに特別任務を与えてやる、胸の貧しい私には勿体無いと涙を流して有り難がる仕事だ、どうだ」
『おとこわりだ。何させるんですか。また変な事件に巻き込むつもりじゃないだろうな』
「いいか。常にパーフェクトな天才のこの上田次郎が風邪を引いた。youは看病道具一式持って今から俺の部屋に来るんだ」
『上田、風邪引いたんだ!鬼が学ランてやつですね、えへへっ』

普段ならもっと気の利いた言葉の応酬ができるのだが、いかんせん熱とだるさで脳の回転が覚束無い。

「いいから来い」
『風邪伝染ったら嫌だから行きません』
「俺が死んだら銀河系宇宙レベルの損失だ。世界の危機だ。恐れ多くて看病する手が震えるだろうが気にするな、今回は特別に許可してやる」
『風邪くらいで上田が死ぬわけ無いじゃん。バイナラ』

無常にも電話は切れた。

くそ、恩知らずの貧乳め。いつも飯を食わせたり家賃を支払ってやっているのは誰だと思っているんだ。
──本当に来ないつもりか。
風邪は万病の元という言葉を知らないのか。
戸棚から保険証を取り出す。医者に行くためにタクシーを呼ぼうと電話を探した。
電話はどこだ。たった今かけていたはずなのに。財布も用意しなくては。部屋がぐるぐる回っている。地震か。
遠くにチャイムの音を聞き、俺の意識は途絶えた。

コトコトと鍋の煮える音がする。
平和の象徴のようなのどかな音だ。
後頭部がふわふわとしたものに包まれている。なんだろう、この感触は──

ゆっくりと覚醒するとなんと山田奈緒子の膝枕でソファに横たわっていた。
山田は真剣な表情で俺の額に手を当てている。視線が合うと慌てたように手を離した。

「you?」
「起きたのか。来たら廊下にぶっ倒れてて死んでるのかと思いました」
「来ないんじゃなかったのか」
「もし上田さんが孤独死したら寝覚めが悪いんで来てやったんだ。感謝しろ!」
「ふん」

頭の下に感じる山田の腿の感触が悩ましい。俺は動揺を悟られないように深呼吸した。

「結構熱があるみたいですよ。こんなんで大学行ったんですか」
「…俺の講義は人気だからな、楽しみにしてる学生が可哀想だろう」
「事件絡みの時は平気で休講しまくってるじゃん」

シュー、とキッチンで何かが吹きこぼれる。

「あ、いけない」

山田がいたわりの欠片もなくソファに俺の頭を落として奥へと駆けて行く。
上等な柔らかいクッションの上だから別に痛みはない。
ただ、その柔らかさがひどく物足りない気がした。

おかゆを食べ終わると人心地がついた。

「はい、薬です」

コップの水とともに渡された薬を飲む。

「汗、すごくかいてましたよ。着替えたほうがいいかも。パジャマどこですか」

さすがに体を拭くことまではなかったが、山田は絞ったタオルを持ってきたり着替えを用意したりなかなか甲斐甲斐しい。
部屋に着いた時よりはだいぶ楽になっている。

「ちゃんとベッドに入らないとだめですよ。歩けますか」
「俺を誰だと思ってる、科学の申し子、上田次」
「関係ないだろ」

やはりまだ足元が覚束無い。ふらりとよろけたのを隠すように、壁を伝いながら寝室まで行く。

「なんでこんな時まで見得張るんですか。ほんとに小さい男だな」
「うるせえよ」

身長が全然足りないくせに山田がベッドまで支える。大方、後で散々と恩着せがましく吹聴する気なのだろう。
いつもと同じ、眉を少し寄せた怒っているような顔。
愛想というものをほんの少しでも持てば少しは──。

ゆっくりとベッドにあがり、横になって息を吐く。

「欲しいものありますか」
「いや」
「お水、ここに置いときますね。牛乳も」
「ああ」
「じゃあ私、リビングで黄門様見てますから」
「……居てくれるのか」
「えっ」
「さっさと帰るのかと思った」

山田はばっと頬を染め、眉間の皺を深くしながら言い返した。

「帰って欲しいんならそう言えばいいだろ。なんですか、人が忙しい中せっかく──」



最近良く考えることがある。
俺にとってのこいつ、こいつにとっての俺。
このままぼんやりと同じ関係を続けていくことへの漠然とした不安。
実際、こいつは俺が事件絡みで会いに行くのをどう思っているのか。
ごく偶に、事件以外で食事に出かけるのをどう思っているのか。

今日、何故ここに来てくれたのか。

「バカ上田!帰る。勝手にしろ」
「待て」

俺は目の前にいる山田の腕をつかむ。
驚いたように振り向きこちらを睨む。

「帰れとは言ってない」
「じゃ、なんですか。ガリガリ君なら食べちゃったんでもうないですよ」
「勝手に食うなよ!」

そうじゃない。こんな事言いたいんじゃない。
なんでいつも喧嘩腰なんだ。
思考が振り子のように行ったり来たりを繰り返す。そうじゃない、そうじゃなくて──

「わかりましたよ。あとで買ってきます。だからお金──」

乱暴に引き寄せた。
俺の身体の上に、山田の小さな身体が倒れこむ。
そのまま体勢を反転させ、ベッドに押し倒した格好で組み敷いた。

山田は硬直したように動かない。とっさのことで反応できないようだ。
身体が熱い。息が荒い。反比例して頭の芯はクリアになっていく。
シーツの上に黒髪が乱れ散る。顔をうずめると花の香りがした。
柔らかい身体。
頬をくすぐる艶めかしい黒髪の感触。
視線を上げると、眉を寄せた何とも言えない表情の彼女と目が合う。
戸惑いと怯え。
何をしているんだ俺は。熱はどんどん高まりただ一点に集約されていく。湧き上がる荒々しい感情。
今、山田の目に映っているのは、いつもと同じ俺だろうか。

「お、おこってるの、上田さん」

もし今抵抗されたら──自分がどうなってしまうかわからない。

「上田、さん」
「やまだ」

組み敷いた姿勢のまま、俺は山田の背におずおずと手を伸ばした。

ああ、やわらかい。そして気持ちいい。山田の体に触れていると熱が引いていくようだ。
咎められるかと思ったが彼女はうえださん?と囁いただけだった。
あいつがこんなに静かなわけがない、何するんだとかやめろくっつくなとか暴れないなんてこれは夢なのかもしれない。
夢でもこんなことはしてはいけないのではないか。
乳の貧しい大飯喰らいの貧乏で手癖の悪い手品師のホモサピエンスのメスでも、一応は嫁入り前の若い女性なんだし。
そうだ、こんなひとつのベッドで抱き合って眠るなんてことをしたらそれ相応の責任を取らなければ。
山田、結婚するぞ。
ん?何を言ってるんだ俺は。こいつと結婚?
だが待て、結婚するならこんなことしたっていいはずだ。
俺は山田の髪をゆっくり撫でた。熱でぼんやりした視界に山田の顔が映る。
you、変な顔してるな、泣きそうじゃないか。
頬に手を添える。
リップを塗っているのか彼女の唇はつやつやだ、俺は熱のせいでガサガサしている。
無性にキスしたい。いいよな、結婚するんだから。
そうだ、俺はずっとこいつとこうしたかった。意地の張り合いやバカバカしいプライドを捨てればとても簡単な答えだ。
こいつとキスして、抱き合って、ひとつになって、側にいたい。
妙な霊能力がらみの事件を引き合いに出さなくったって、ふたり一緒にいる理由はいくらだってあったのに。

罵りの言葉を紡がない唇はひどく柔らかだった。
この世にこんな柔らかいものが存在するのかというくらい頼りない。
喰むように、ふわふわとした感触を味わうとさらに熱が上がった気がした。
舌を這わせ、瑞々しさを堪能する。やがて山田の唇が、震えながら、ゆっくりと、薄く開いた。
欲望のまま侵入し、どうしていいかわからず奥に縮こまっている彼女の舌を絡めとった。
ダイレクトに伝わる粘膜同士のこすれあう感触。音。うなじがゾクゾクする。脳が歓喜しているのがわかる。
俺の指は別の生き物のように、薄いニットをそっとたくしあげて白い身体をさまよい始める。
触れる肌はしっとりとなめらかだ。もっと感じたくて障害物となる布切れを外していく。
山田は抵抗しない。
ささやかでも形のよい丸い乳房を包むように揉みしだき、薄い色の突起を口に含んで転がすとすぐにぷくりと芯を持った。
腿の間、密やかな茂みは、そっとかきわけると猛るものを優しく迎え入れるために健気にほころんでいた。
体中の血液が音を立てて俺の中心に集まる。愛撫もそこそこに荒々しく侵入を開始した。
多分初めて感じるであろう痛みに強張る体を宥め、なんとか奥まで入り込む。抽送を深めるごとにねっとりと絡みつく内部。
トランプを操るしなやかな指が、俺の髪に優しく差し込まれる。
時折強く爪を立てられたが、最期まで拒むことはなかった。


山田、大事なことを言っていなかった。
意気地なしの俺はいつだって言えなかった。
好きだ。好きだ。好きだ。
好きだ。



挿し込む日差しの眩しさに目が覚めた。
体が軽い。熱も引いたのか覚醒は爽やかだった。
伸びをして頭を巡らせると、カーテンの端を持ったまま、山田が驚いたようにこちらを見た。

「おはようございます、日曜だから起こさなかったけどもう9時ですよ」

山田。
そうだ、昨夜俺はこいつと──。
我知らず頬が赤くなる。

「you、だ、大丈夫か?体調とか」

起き上がりざま声をかけると、さっと身を翻して目をそらす。

「何のことだ」

その声は妙によそよそしい。

「き、きのうのお前すごく変だったぞ、いきなりベッドで気絶するし」

気絶?

「そのまま今までずーーーっと寝てたじゃないですか。熱も下がったし良かったな」
「いや、だが確か俺は、youと──」
「知りません、夢でも見たんですね。風邪治ったんならもう用は無いだろ。おかゆの残り勝手に食って寝てください、じゃ、私は帰ります」

山田は慌てた様子でいつもの籐のバッグを鷲掴み玄関に向かう。
歩き方がぎこちない。
よく見ればニットに隠れたうなじの付け根に赤い跡が浮かんでいる。
朱が注した頬、潤んだ瞳は決して視線を合わせようとはしない。

「待て!」

俺は背中から山田を抱きすくめた。
びくり、と震える身体。すべてを拒絶するように。
つむじに顔を埋める。
そう、この匂い。昨日腕の中で甘く溶けたのは夢じゃない。

「山田、奈緒子」
「離せ」
「離さない。いいか、ちゃんと聞け」
「聞きたくない。忘れてやる。アヤマチ嫌いなんだろ。もういい。もうやだ。離して上田さん」

彼女の声は消え入りそうでほとんど涙声だった。

ああ、いつも俺たちはそうだった。
否定されるのが恐ろしい。ならば先に否定する。
本心を誤魔化して隠して閉じ込めて、この居心地のいい不安定な安定感を楽しんでいた。
そうやってまたなかったことにするつもりか。
発熱の譫言と切り捨て、また元の俺たちに逆戻りする気か。

熱に浮かされ、激情に流された昨日の出来事も、決して過ちではない。
唇の甘さも、柔らかく開いたその体の感触も覚えている。そこには嘘も拒否もなかった。
それでも認められないというなら、何度だってやり直してやる。
茶化したりはぐらかしたりはもうやめだ。

俺は息を吸い込んで、昨日散々言ったはずの、万練村で言えなかった言葉を小さな肩越しにかすれた声で囁いた。

「山田」

腕の中の身体が熱い。

「俺はいままで」

艷めく黒髪が朝日を弾く。

「ずっと、」

おずおずと、本当におずおずと山田がこちらを振り返る。
視線が絡む。大きな瞳が潤んで見えるのは涙のせいか。
待たせたな山田。すまなかったな山田。
俺も逃げないから、君ももうごまかすな。

「……君のことを──」






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