山田剛三×里見
「ここまで来れば、もう追っ手も来ないだろう」 小舟の上。普段よりも落ち着いた波に進路を任せ、男は櫂から手を離した。 男の前に腰掛けている女の息は、先の逃走劇のせいでまだ落ち着きを取り戻していない。 「この流れに乗って行けばいずれ無人島に着く。そこに替えの船を用意してある」 男は激しく上下する女の肩に手を置いた。 「もう大丈夫だ、里見」 鮮やかな花嫁衣装を身に纏った美しい女は、やっと自分の状況を理解し始めた。 ここに来るまで夢中だった。 ただ手を取られるままに駆けてきた。 隣に立つ好きでもない男や、両親の笑顔に吐き気を覚え、 騒ぎ立てる島の人達の声に、叫び出しそうになる衝動を必死に抑えた。 自他への嫌悪感に支配され、絶望していた。 心の中に大切な思い出を閉じこめ、これからはそれに縋って生きると覚悟していた。 けれど、その思い出は、思い出になることを良しとしなかった。 突然群衆の中から飛び出し、その大きな手で女の細い体を抱きしめた。 「里見、もう安心していい」 温かい手が女の頬を撫でる。 「…泣くな」 少し困ったような笑顔を浮かべる愛しい人に女は抱きついた。 「…泣いてません。」 「そうか?」 もう二度と耳にすることも無いと思っていた懐かしい声。 女は男の体に回した腕に力を込めた。 「来るなら、もっと早く来てくれればいいのに」 嬉しさと照れを隠そうと、女は男の顔を見ずに悪態をつく。 「悪かった。ギリギリの方が盛り上がると思ってな」 「何言ってるんですか。もう少しで、穴開きの儀式が始まる所だったんですから」 「それは困る」 苦笑しながら男は女の体を離す。 赤く染まった女の顔を見つめながら、お互いの息が掛かる距離まで、男は顔を近づけた。 「里見」 「……はい」 「ジュヴゼーム」 「………わ、私も…ジュ、ジュヴ…」 男の袖をきつく握りしめ、答えようとする女はただ顔を赤く染めていく。 男はそんな女を愛しそうに見つめ、その唇に口づけた。 「んっ…んんっ」 驚きで目を見開いた女は、ゆっくりと瞼を落とし、男の口づけに答えた。 「んっ…はぁ」 唇が離れると、苦しそうな息の下で女は言葉を紡ぎだした。 「はぁ、はぁ…剛三さん、慣れてる…」 女の言葉に微かな嫉妬を感じ取り、男は微笑み、そのまま女の細身を抱きしめ、腰に手を回した。 「ちょっ、剛三さ…何して…」 緩められた腰紐に気付き、女は微かに体を揺らした。 そんな女を見下ろし、男はからかうように言った。 「いや、折角だから私が儀式の代役を務めようかと思ってるんだが…」 一瞬不思議そうに顔を歪め、意味を理解した途端女の表情が強張る。 「…だめか?」 女は困ったように眉を寄せ、暫く固まっていたが、やがて小さく頷いた。 静かに揺れる船体に背中を預け、女は男に体を任せた。 露わになっていく火照った肌を夜の潮風が冷ましていく。 「あっ…!」 男の前に晒された、あまり大きくない胸の膨らみを女は恥ずかしそうに手で隠す。 男は女の耳元でその官能的な美しさを褒め、赤面した女は堅く目を瞑ったまま胸から手を離した。 「はぁっ…んんっ!」 男の髪を指に絡め、見慣れた膨らみが男の舌で濡らされていく様を見て、女の鼓動は高まっていく。 いつの間にか体を覆っていたものは全てはぎ取られていた。 自分でも触ったことのない場所を男が指で撫で、動かし、掻き混ぜる。 「あぁっ!んっ…あっ、あっ」 聞いたことさえない卑猥な音が、自分の下半身から響くことに女は首を振ることしかできない。 信じられない淫靡な声が、自分の口から飛び出すのを押さえようとしても徒労に終わった。 「はうっ…やっ!恥ずかし…んあぁっ!」 男の指が女の秘部にある突起を弾き、女は高い声をあげる。 海の上で、女の体は水から上がった魚のように何度も跳ねた。 女は羞恥心と混乱で思考が働かず、ただ熱くなる体の感覚に支配されていた。 そのうちふと、女の脳裏に恐ろしい考えが浮かんだ。 もしかして、これは夢じゃないだろうか。 本当は今、自分はまだ島にいて、好きでもない男に抱かれていて、その現実を否定しようと夢を現実と錯覚しているのかもしれない。 そう考えると、女は堪らなく怖くなり、男の体にしがみついた。 「っ!剛三さん!!」 女の気持ちを知ってか知らずか、男は優しく女を抱きしめ返す。 「里見、目を開けて」 女は力無く瞼を動かした。 視界は朦朧としていて、よく前が見えない。 自分の上に、誰かいる。この人は…… ゆっくりと、下から何か大きいものが自分の体に侵入してくる。 腰を大きく仰け反らせながら、女の頬を涙が伝う。 「剛…三、さんっ…あっ、んんっっ!!」 きつく唇を噛みしめ、女は現実を理解した。 今自分は、間違いなくこの人の腕の中にいる。 微かに揺れる小舟の上で自分の体も揺れている。 自分以上に熱く感じられる男の体を、女はきつく抱きしめた。 愛しい人とその上に輝く星の輝きを、その眼に焼き付けながら。 「まるで昨日の事みたい」 里見は自分が忌み嫌った島の崖から、あの時と同じ海を見下ろしていた。 黒い海から響く波の音は、今でも自分の耳に残っている。 遠い遠い、大切な思い出。 あの時は確かに現実だった。 けれど長い年月があの日を思い出に変えてしまった。 穏やかな表情で里見は海から空へと視線を移した。 「奈緒子達のせいで思いだしちゃったわね」 彼と自分の宝である娘の姿が、あまりにあの時の自分にそっくりだったから。 姿だけではない。 娘も、自分と同様に愛しい人……かどうかは、まだ微妙だけれど、迎えに来てくれる人がいた。 里見は自分の夫と姿を重ねた男に言われた言葉を思い出した。 自分が、夫の復讐のために娘までも利用したのではないか。 そう尋ねた男の目は真剣だった。真剣に、娘の事を考えている目だった。 「そうね、たぶんあの人が、奈緒子の…」 里見は安心したように微笑んだ。 「剛三さん、私達の娘は、きっと幸せになるわ」 あの時と同じ星を見上げ、里見は呟いた。 「私達と同じように、……いいえ、私達以上に」 里見は、自分の手を見た。 変わらない星空、変わらない海、自分だけが変わってしまった。 あの時愛しい人に包まれた手には、彼と共に過ごせなかった日々の印が刻まれている。 本当は、ずっと、あの暖かい手に握られていたかった。 一緒に年月の印を刻みたかった。 けれど、彼はもういない。 分かりきっていることなのに、ここに来て、里見はまざまざと思い知らされた気がした。 熱くなった頭を小さく横に振り、里見はもう一度空を見る。 「ねぇ、剛三さん……あの時、言えなかったから、今言うわね?」 軽く息を吸って、里見は小さく呟いた。 「私をさらってくれてありがとう。……ジュヴゼーム」 ただ、さざ波の音だけが、里見の耳に響いていた。 SS一覧に戻る メインページに戻る |