鳴海洸至×鳴海遼子
![]() 帰宅し玄関を開けると遼子が倒れていた。 彼は一瞬動揺したものの、すぐに真っ赤な顔とアルコールの匂いに気が付き胸をなでおろす。 どうやら彼の妹はまた酔いつぶれてしまったようだ。 いい加減大人なのに何故今だに自分の限界を把握せずに飲んでしまうのか、 とため息を付きながら彼は遼子を抱き起こした。 「遼子、起きろ、風邪ひくぞ」 軽く揺さぶったり頬を叩いてみたりしたが全く反応がない。 実に気持ちよさそうに熟睡している妹に、もう一度彼はため息をつく。 コートも着たままだし、その下は今朝「この間買ったばかりなの」と自慢していた一張羅のはずだ。 遼子の懐でそうそう新しい服を買えるわけはないので、 新しい服は大切に着ないといけないのではないかと思うのだが。 とりあえず玄関に置いたままにもできないので遼子を抱き上げた。 この間太ったの何だのと大騒ぎしていたが、思ったより軽くて彼は少し驚く。 そのままベッドへ連れて行き、コートをなんとか脱がしてハンガーに吊るし、ついでにブラシを掛けておく。 それでも起きる気配を全く見せない妹に、彼は何度目かのため息をついた。 (どうしたもんかな) いくらなんでも兄である自分が服を脱がすわけにはいかない。 しかし同じく兄として、妹が大切にしている服が目の前で皺だらけになっているのも放っておけない。 だから彼は彼の方法で遼子を起こすことにした。 ベッドの上で幸せそうに眠っている遼子に覆いかぶさり、額に彼の唇を落とす。 「遼子、起きろ」 起きる気配がない。次は頬に落としてみる。 「服、皺になるぞ」 気持ちよさそうな寝息が続いているので今度は唇を軽くつばんでみた。 「遼子」 全く駄目だ。もう一回唇に。 「遼子」 起きない。もう一回。遼子。もう一回。遼子。もう一回。もう一回。まだ駄目だ。 仕方がないので舌で歯をこじ開け遼子の口腔内をなぞってみる。 続けて舌の形や感触を確かめていると遼子が苦しそうな顔をした。 「遼子」 そろりと離れて呼んでみたが、妹は苦しそうに顔を背けただけだった。 今度は露わになった白くて細い首筋に唇を落としてみる。 彼の手に余裕で収まる、細い首筋。彼が半分も力を出せばきっと簡単に折れるだろう。 そんなことを考えながら舌で首筋をなぞっていると、視界の隅に光るものが入った。 「遼子?」 「……ん」 妹は起きる気配を全く見せないまま涙を流していた。 「どうした、遼子」 「しろう、ちゃん」 (しろう?) 瞬間的に血が沸騰しそうになったがなんとか彼は堪えた。 出来るだけ冷静に、頭の中のファイルをめくり、目当ての人物を探し当てた。 遠山史郎。遼子の同僚で、見目良く才気にあふれ紳士的だという男。 確か遼子はその遠山と恋人付き合いをしているのだと嬉しそうに言ってはいなかったか。 (なのに何故泣いている) 「しろうちゃ……どうして」 彼は事情を把握した。おそらく、妹は恋人に振られたのだろう。しかも夢の中でも涙するほど手酷く。 今度は血の沸騰を堪える必要を感じなかった。 両親が死んでからしばらく、遼子が涙を流さない夜はなかった。 涙で寝付けない日もあったし、ようやく眠りについても夢の中でまた涙を流す。 そんな夜が何百も続き、少しずつ回数も減り、ここ何年かはそれもなくなり彼は安堵していたのだ。 (それなのに) 彼はかつてと同じく遼子の細い指に自分の指をからませて、空いた手で頭を優しく撫でる。 「大丈夫だ、遼子」 彼はかつて呟き続けた言葉を再び口にする。今まで何千回囁いたか分からない、昔は一晩中続けた言葉。 「なにも心配しなくていい」 遠山史郎は遼子を泣かせた。 例えどんな理由があるにせよ、或いは例え破局の原因が遼子にあるにせよ、 遼子が涙を流している、というただそれだけで遠山史郎は罰を受けるに値した。 (遠山史郎の家族もプライドも将来も、全部奪ってやるから) 彼は遼子の目元に唇をやった。 久しぶりの遼子の涙は、脳天に突き抜けるほど甘美な味がした。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |