鳴海洸至×鳴海遼子
![]() 「はぁ」 楠田とマーサの記事を書き上げ、ようやく帰宅した遼子は帰ってくるなりため息をついた。 すでに日付も変わり、遼子の誕生日は過ぎてしまった。 「あーあ、ホントに最悪の誕生日になっちゃった…。」 ベッドに体を投げ出し、ぼそっと呟く。 そして、何度目かの溜息をつく。 どのくらいそうしていただろう。 「よし!」 遼子は身体を起こすと、キッチンに向かい蛇口を捻り水を出した。 それをシンクに張ると両手をざばりと中につけた。 「冷たい!でも、気持ちいい〜!」 自分の中のもやもやを、この冷たい水が洗い流してくれるような気がした。 「ただいま」 そんな時、兄の洸至の声がした。 「おかえり〜」 遼子は手を浸したまま、リビングに入ってきた兄に声をかけて出迎える。 「おい、遼子、何してるんだ?」 ひょいと肩越しに洸至が顔を覗かせる。 「え?うん。ちょっとね、さっぱりしたくなって…」 遼子は振り返ってそう言うと、蛇口をひねって水を止めた。 そして、いつものように、リビングに兄妹が向き合って座る。 「今日は…ごめんね。」 「いや、遼子こそ大丈夫だったか?」 「うん、私は大丈夫。…あれ?お兄ちゃん、手、どうしたの?」 話しながら、遼子は洸至の手がインクで汚れているのに気付いた。 「あぁ、あれから色々書類を書いたりしてたからな。その時についたんだろう。」 「…そうだ!ねぇ、こっち来て!」 遼子は兄の手を取って立ち上がると、先ほどまで自分がいたシンクの前に兄を連れてきて、 2人が横並びに立つ。 「おい、遼子?何するんだ?」 「お兄ちゃんの手、洗ってあげる。」 そう言って、遼子はインクのついた洸至の手を両手で握ると、さっきためておいた 水の中に兄の手を入れ、兄の大きな手に細い指を這わせる。 「ちょっと冷たいけど、気持ちいいでしょ?」 遼子が兄の手を擦りながらちらりと洸至を見ると、洸至はニヤッと笑った。 「ああ、気持ち良いぞ。」 その言葉に遼子も笑顔を見せ、そしてシンクの横にある石鹸を手に取り、泡立てる。 遼子は指の間の汚れも落とそうと、指を絡めるように移動させる。 しばらくそうした後、シンクの水に手を入れて泡を落とすと、透明な水が灰色に濁っていく。 その中を揺れる2人の手を視線で追い、再び遼子は石鹸を泡立てて洸至の手を洗う。 しかし、兄の手を洗う妹の手の動きが、ふと止まる。 「…ごめんなさい。」 「どうした?」 そして突然の妹からの謝罪の言葉に、洸至が少し驚いた口調で答える。 「私のせいで…お兄ちゃんの手を汚しちゃった…」 遼子の手の動きが止まり、俯きながら震える声で呟く。 洸至は今日、遼子を守るために、楠田を射殺した。 物理的な手の汚れではなく、そのことを遼子は気にしていたんだろう。 「いっつも、このお兄ちゃんの大きい手に守ってもらってるだけで…私…」 その時、黙って遼子の言葉を聞いていた洸至が、片手を挙げて体を移動させると 遼子の後ろから覆い被さるように立った。 「お兄ちゃん?」 「気にするな。俺は、お前を守るためだったら、自分の手がどんなに汚れようとも構わないよ。」 耳元でわざと囁くような洸至の声に、遼子の心臓がどきりと高鳴る。 「そんな…」 「お前は、俺が何があっても守る。あの時そう誓ったんだ。」 そう言って両腕で遼子の身体を力強く引き寄せる。 密着した洸至の体温を感じて、一気に遼子の体温が上昇し、頬が赤く染まる。 そんな遼子の動揺をよそに、さらに洸至は妹の耳元で呟く。 「…なぁ、遼子。お前、あいつには…こんなことしてないよな?」 「あ、あいつって?」 「楠田だよ。病院に来る前にも会っていたんだろう?」 耳元で聞こえる低い声に遼子の身体がぴくりと震える。 「こんな風に」 洸至の手が遼子の手を掴み、絡める。 「身体重ねるみたいに」 耳にフゥと息が掛かる。 「そんなこと…してない…」 「じゃあ、鷹藤君とは?」 絡み合った指が、上下に移動する。 「鷹藤君だって、ただの…相棒…」 「そうか」 そう言うと、洸至は遼子の手を離し、密着していた体も離した。 遼子は熱に浮かされた様に、ぼーっとしている。 「遼子のおかげでキレイになったよ。」 そして、何事もなかったかの様に手を拭きながらリビングのテーブルに戻ると カバンの脇においてあったコンビニのビニールをテーブルの上に置く。 その音に、遼子が我に帰る。 「遼子、お前、誕生日だったろう?もうこんな時間で店とか閉まってたから、 コンビニのケーキしか買えなかったけど、食うか?」 「え?…うん!」 さっきまでの兄とは違う、いつも通りの兄の様子にほっとしながら、遼子は明るく答えた。 「ハッピーバースデー、遼子。」 「ありがとう、お兄ちゃん。」 「色々忙しくって、プレゼントもまだ買ってなくて…ごめんな。」 「ううん、こうやってお兄ちゃんがお祝いしてくれるだけで嬉しいよ。」 その気持ちは本当だ。 一人で祝うことに慣れていた誕生日。 でも、今年は兄がこうして一緒にいて祝ってくれている。 どんなプレゼントよりも、遼子はこの今のひと時が何よりも幸せだった。 「そうか。」 「うん。だからね、お兄ちゃん。来年も、私の誕生日にはお兄ちゃんにお祝いして欲しい。 それが来年の私の誕生日プレゼントのお兄ちゃんへのリクエスト!」 「おいおい、もう来年の話か。」 「えへへへ。…あ!お兄ちゃん!これ、美味しいよ!」 既にケーキに夢中になっている目の前の妹を、洸至は目を細めて見つめる。 『遼子、お前が望むなら、地獄にいようと戻ってくるよ。約束だ。』 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |