布団の中(非エロ)
鳴海洸至×鳴海遼子


布団の中、寝そべりながら洸至は懐中電灯の明かりで手元を照らしていた。
いささか心もとない灯りではあるが、活字を追うには充分だ。

窓に当たる雨粒は、アパートの薄いガラスを突き破るような勢いで叩きつけられている。電気もつかないし、この音では眠れそうにない。
集中できないながらも、活字を追いながら台風が過ぎるのを待っていた。
ときどき、ごう、という音とともに家が揺れ、そのあと突風に呼応するように家があげるうめき声めいた音が鳴る。

いくら古いアパートとはいえ、突風で倒れる事はないとは思うが、限界に近い風をまともに浴びて
悲鳴を上げているのは確かだった。
洸至と遼子が今住んでいるのは、築40年は経とうかという古い木造のアパートだ。

それでも、4畳半と狭いながらも2階に1室、1階に台所に続いた6畳一間があり、
高校生の妹と大学生の兄がひとつ屋根の下暮らすには、プライバシーもそこそこ確保
できる点が魅力的で――もちろん家賃の面においてもだが――、それでここに決めたの
だが、やはりこういう嵐の夜には少々心もとないのは否めない。

杉の子育英基金のおかげで大学に進学できたが、遼子との生活費は別だ。
明日も早くから配送のバイトがある。
しかし、この分だと台風で配送スケジュールが大幅に狂い、どう考えても残業になりそうだ。
残業代は嬉しいが、勉強時間が減るのは正直痛い。本来ならもう寝ている時間だが、眠れないなら、
締め切りの迫ったレポート用の文献を読み込むしかなかった。
風が生み出す轟音の中、退屈な内容の学術書を読んでいると、人の気配を感じて洸至が振り返った。

懐中電灯の光を向けた先に、眩しそうに片手を眼のあたりにかざして立つ妹がいた。
停電の中、手探りで2階の自室から降りて来たらしい。

「遼子、どうした?雨漏りでもしたか?」
「ううん、ねえ、そっちに行ってもいい…?」
「ああ」

そろそろと近づくと、妹は洸至の布団の横にちょこんと正座した。

「お兄ちゃん、今日、ここで寝てもいい?上の部屋の窓、すごい音がして怖いの」

妹は恥ずかしそうにうつむいて、パジャマの膝のあたりをむしっている。

「…じゃ、俺が上で寝ようか」
「そ、そうじゃなくって、一緒に寝て欲しいの」

暗がりの中、妹を見ると、表情が見えないほど俯いている。

「お前なあ、高1にもなって、ひとりで眠れないのか」

強い風が吹く前の、一呼吸のような間が空いたとき、ぽたっ、という音とともに遼子の握りしめた手の上へ、涙がこぼれおちた。
驚いて、遼子の顔を覗き込む。

「思い出しちゃったの。お父さんとお母さんが死んだ時のこと。風の音が、お父さんたちを死なせた
爆弾の音みたいに聞こえて」

嗚咽を上げながら、絞り出すように遼子が言った。

あの家が爆ぜた時、妹は現場に居なかったはずだ。
だが、吹き飛ばされた家の破片、道路に舞い散ったガラス。燃えて炭化した柱の残骸。
その惨状から聞こえるはずのない音を聞いたのか。
妹の想像の中でのみ鳴り響いた音がいま、台風の風の音と重なり、父と母の死の現場の記憶を
呼び起こしたようだった。

次の瞬間、また凄まじい音とともに一際強い風が吹き、家が揺れた。

「いやっ」

洸至は、頭を抱え込むようにして身を縮めた妹の体を思わず抱きとめた。

洸至が落とした懐中電灯が転がり、全く意味のないところを陰鬱に照らす。
見てわかるほどではなかったが、こうして妹を腕の中に抱いた時、その体が細かく震えていることに気がついた。
洸至は、小動物を抱いた時のような頼りない感触と体温を妹のパジャマ越しに感じていた。

「大丈夫だよ、遼子。大丈夫…」

妹の背中を優しく撫でる。
涙で濡れた瞳で、妹が洸至を見あげた。

「この家、飛んで行ったりしないかな」

まるでおとぎ話だ。風で家が吹き飛ぶなんて考えるなんて。

「こんなボロでも飛んで行かないさ」

笑ってその顔を覗き込むと、妹も微かに笑ったように見えた。

「今日は特別だ。いいぞ、ここに寝ても。上から布団持ってきてやるから、待ってろ」

洸至が立ちあがりかけたとき、

「いらない」

遼子が言った。

「いらないって、お前、どうするんだよ」
「…一緒のお布団で寝たいの…いやかな」

妹なんかと寝れるかよ、という顔をしながらも、洸至の心音は跳ね上がりこの音が風の音でかき消されたことに
正直安心していた。

「しょうがないな。入れよ」

遼子は礼を言うと、待ちかねていたかのように洸至の隣に滑り込んだ。

「昔、風が強い時こうやってお兄ちゃんのお布団で寝たよね。憶えてる?」
「そんなこともあったか」

昔。
親父やおふくろが居たころ。
みぞおちへ叩きこまれた親父の膝。蹴り飛ばされた背中。脇腹へ叩きこまれた拳。
暴力こそが日常だった。親父は暴力の味と憎悪を俺に教えてくれた。

毎日父から暴力を振るわれ、助けを求めた俺に母は手を差し伸べようともしなかった。
原因を作ったのは自分なのに、殴られる俺を靴に付いた糞を見るような眼で見ていた。

薄い膜で隔てられて、家族の中に入れなかったあの頃。
求めても愛されず、求める事をあきらめて、憎悪こそが友だったあの頃。

だが、人の温もりを知らないまま大人になるはずだった自分に、こんなにも温かいものがあると
教えてくれたのは、小さかった遼子の温もりだった。
両親の愛を一身に受けて、向日葵のように屈託なく明るく育った妹の微笑み。
自分に向けられたそれを見た時、暗闇の中に一条の光を見たような気がした。
幼い妹を抱きしめて眠りについたあの夜たちを忘れる筈もない。

「お兄ちゃんの布団に私が入ると、ぎゅっ、てしてくれたよね。お兄ちゃんにそうされるの、
好きだったんだ。怖い夢を見て泣いていると、守ってやるから大丈夫って言ってくれて」

暴力が日常と化し、恐怖がなじみ深い感情となった頃には何も感じていなかった。
それは何かを感じていたら、耐えられない日々を生き抜くための子供なりの自衛手段だった。

あの頃、怖い夢を見た遼子を守るといって抱きしめていたのは、守るためではなく、
俺が幼い遼子にすがりつくためだったのかもしれない。
そのぬくもりに守られていたのは俺だった。
だから遼子の微笑みも、言葉も、愛情も、抱擁も、まどろみも、涙も、悲しみも全て欲しくなった。
抱きしめた遼子のぬくもりとともにそれらが溶け出てきて、心を失った自分が、また別の
存在になれる気がして、
あの頃の俺は妹を抱きしめていた。

読みかけの本を閉じると、こちらに背を向けるようにして横になっている妹に体を添わせた。
そして腕を遼子の体に廻す。
まだ遼子の震えは止まっていなかった。

「今日は特別だぞ」

腕の中で小さく遼子がうなずいた。

「もう、これで大丈夫だから。安心して寝るといい」

意識しなくても、洸至の鼻を刺激する己のものとは違う匂い。
幼い日、腕に抱いた時のような性の未分化な幼児の匂いではなく、その匂いは
女性特有の淡く甘い匂いだった。小学生のころ抱きしめた時とは違い、少しずつ女らしい厚みと豊かさを身に付けた体。
匂いも、体の線も、もう少女のそれではなくなりつつあることに戸惑いながらも、柔らかさに安らぎと違う
心地よさも感じていた。

「こうしてると、怖いことなんかなくなっちゃうね。不思議」

遼子の声で現実に引きもどされた。

「何だよそれ」
「お兄ちゃんと一緒にいるからかな。お兄ちゃんが懐中電灯で本を読んでる灯りがあったから、
降りてこられたの。お兄ちゃんはいつもそう。私のこと照らして、道を示してくれる。だからお兄ちゃんといると安心なの」

自分が遼子を照らしているなんて思ったこともなかった。
ずっと照らされているだけだと思っていた。

ちっぽけな家での、妹との二人暮らし。住宅街の取るに足らない灯りのひとつだ。
だがその灯りは、洸至にとって守るに値するものだった。

―――その為に後戻りのできない道を歩き始めたとしても。

「俺をそんなに持ち上げても、ラーメンに卵入れるのは週末だけだぞ」
「もう、違ってば。そんなつもりじゃないって」

いつもの妹の口調に戻っている。いつの間にか震えは止まっていた。

「遅いから寝よう。明日も学校だろ」
「うん」

かりそめの幸せかもしれないが、いま腕の中にある遼子の温もりは本物だ。
それを今晩だけでも逃したくなくて、廻した腕に力を込めた。






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