マッサージ(非エロ)
鷹藤俊一×鳴海遼子


見上げるほどに高く、きらびやかなマンションのエントランスホールを車の中から鷹藤が見ている。
運転席にもたれかかり、いかにも退屈そうにしてはいるが、そこからは眼を放していない。

「今日も空振りかね」
「そうかもね」

助手席の遼子も残念そうだった。連日張り込みで連日手ぶらだと、さすがに疲労も募るのか、声に疲れがある。
彼女の右手は、さっきからしきりにふくらはぎを叩いていた。

「あし」
「え。いやだ、いやらしい目でジロジロ見ないでよ」
「いやらしい目で見てねえし。足疲れてんの?」
「誰かみたいにスニーカーで歩き回る訳にいかないじゃない」
「別にその格好にスニーカーでも変じゃないけど」
「コーディネートってものがあるでしょ」

どう見ても流行からほど遠く、どういった法則で構築されているかが解りにくいファッションではあるが、
当人なりの規則があるらしい。

「あ、そ。その靴で歩きまわれば、そりゃ疲れるわな。それに」
「それに何よ」
「足を揉んでくれる男もいなさそうだしな」
「し、失礼ね。」

暗がりで顔ははっきり見えないが、相手の声色から頭に血が上ったのがわかった。

「それに私は自分の足を揉ませたりしないで、マッサージしてあげるタイプなのよ」
「へー」

見当違いの場所に力を入れすぎてマッサージされた挙句、翌日揉み返しでマッサージをされた相手が悶絶するさまが
眼に浮かぶようだった。

「それでもね、マッサージしてくれる人だったらいるんだから」
「マジで」
「大きい声出さないでよ。そんなに驚くこと」
「ああ、いや、その、ちょっと意外だったかな」

鷹藤はぎこちない笑顔を顔に張り付けた。声に動揺が出てしまって妙に高い声になり、更に動揺する。

「で、誰」

鷹藤の声に含まれた真剣さに、遼子は気圧されたように答えた。

「誰って、お兄ちゃん」
「あ、ああ、お兄さんね。一緒に暮らしてる」
「上手なんだから」
「優しい兄さんなんだな」

少し余裕が出てきた。飲みかけの缶コーヒーを口に含む。うまい。

「疲れてると、すごく優しくマッサージしてくれるの。足の裏から、じっくりほぐして、足の指も丁寧にひとつひとつ広げて」

鷹藤は胸の中に何か違和感が広がるのを感じた。

「それからふくらはぎを、下のほうから手のひらで押しながらマッサージしていくのよ。気持ちいいんだから。
それから優しく叩いてほぐして」

説明しているだけで、その心地よさを思い出すのかうっとりしながら説明する遼子に、言いようのない腹立たしさを鷹藤は感じていた。

「なんで兄さんそんなにマッサージ上手いの」
「刑事も脚を使う仕事だから、昔から足が疲れたら自分でマッサージしていたんだって。自己流だけど、経験に裏打ちされた
マッサージだから気持ちいいのかな」
「ふーん」

警官のする無骨そうなマッサージのイメージと、このマッサージがまるで違うのは何故だ。

「お兄ちゃんたらおかしいのよ。ときどきふざけて、マッサージしながら、私の足の指を口に入れたりするの」
「ええええええええええ」
「そんな驚かないでよ。ふざけてるって言ったじゃない」

鷹藤が知る限り、マッサージをしながらふざけて妹の足の指を口に含む兄はいない。
そんなことをしたらマッサージじゃなく愛撫だ。それを「ふざけてる」で片づける相棒の鈍さときたらどうだ。
それを見越した上での行為だとしたら、空恐ろしい。

「あんまり気持ちいいから、よくマッサージされながら、私、寝ちゃうくらいなんだから」
「寝ちゃうんだ」

声にはなぜか敗北感がにじんでいた。足の指を愛撫する男の前で寝るのか。
虎の檻に、ヤギがスキップしながら入って行くようなもんじゃないか。そのあと一体何が行われるか考えただけで鷹藤は頭が痛くなった。

「起きた時、あんた服着てた?」
「何考えてるのよ。変態!」

変態はあんたの兄じゃないか。むくれて窓の外に顔を向けた遼子の横顔に、鷹藤は声に出さず、そう投げかけた。






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