グランバスト 本誌美人記者による体験手記!
鷹藤俊一×鳴海遼子


遼子は時計を睨んだ。
8時16分。美鈴が部屋を出て行ってからもう50分以上経つ。
部屋がだいぶ暑くなって、ほんのり自分の肌が汗ばんでいるのがわかる。
エアコンの設定温度をさっき下げたばかりだが、また下げることにした。
エアコンが効いてくるまで、美鈴が置いていった女性誌をうちわ代わりにして風を送りながら、テレビを見ることにした。
コンビニに行った美鈴がいつまでたっても帰ってこないので、らしくもなく心細くなっている。
本来なら、遼子を一人にしてはいけないはずだ。
そりの合わない美鈴といえ、この時ばかりは、美鈴の顔が早く見たかった。
そのためか、カードキーを通して、ロックが解除された音がやたら頼もしく聞こえた。

「美鈴さん、帰ってこないかと思ったんだか…ら」
「美鈴さんじゃねえけど」

コンビニの袋を手にした鷹藤が部屋に入ってきた。

「なんだよ、その格好」

ジャージ姿で、首にタオルを巻き、手にうちわ代わりの女性誌を手にした遼子の姿に驚いている。

「そっちこそ何よ。美鈴さんは?」
「用があるから帰るって。俺は編集長に言われて来たんだけど。何やってんの」
「今日は合コンがあるのにわざわざ付き合ってあげてるのよ、って言っておいて、
やっぱり仕事より合コンとったのか〜!」

「一体何の話だよ。それより、なに、この部屋。その格好」

「編集長から説明は聞いたの?」
「いや。取材終わって編集部に帰ったら、編集長から美鈴さんが急用で抜けるから、
お前が面倒見ろって。あんたの飯買ってから、この部屋に行くように言われただけ」

そう言って鷹藤は部屋を見回した。なんの変哲もないシティホテルのツインのベッドルームだが、
部屋にそぐわないものが水のペットボトルにまざってデスクに置いてある。

「なんで体温計に血圧計とメジャーがあるんだよ…。健康ものの企画か?」
「健康…、じゃなくって、お色気系よ」

遼子は苦々しくこの企画に参加するに至った過程を思い出した。


「なんなの、この薬」

中原のデスクの上の薬を持って、美鈴が言った。

「これ使うとさ、なんかわかんないけど、胸が大きくなるんだと。南米からの輸入品。
ラッシュの店長がくれたんだよ」

中原も自信なさげだ。
ラッシュとは中原がネタ元にしているいかがわしい雑貨店で、記事にできそうなグッズ類があればと、
定期的に足を運んでいるらしい。

「馬鹿らしい。記事にしてもらって売り上げ伸ばそうって魂胆見え見えじゃない」

中原のデスクに薬を置くと、美鈴はコーヒーを取りに去っていった。
中原自身も半信半疑らしく、パソコンに向かいタイプしはじめてから、薬のことはすっかり忘れている
ようだった。
編集部で、誰も注目していない薬に、遼子は熱い視線を送っていた。

胸が大きくなる…。
遼子自身、小さい訳ではないが、大きいに越したことはない。
胸が大きいというのは、いろいろ有利になるに違いない。
素敵な出会い、合コン、お見合い、婚活。
高学歴の履歴書よりも、ピュリッツァー賞の記事を書いた栄誉よりも、
男女間においてダイレクトに作用するものがあるとすれば、大きな胸だ、と遼子は思う。
知性も気立てももちろん大事だ。だが、今そのどちらも兼ね備えている(と思っている)遼子に足りない
ものといえば、女性として男性の目を引き付けるポイントだ。

―――胸が大きくなったら、史郎ちゃんも私のこと、また違った目で見てくれるかも。

そうしたら、二人で飲みに行かないかなんて誘われたりして、二人並んで高級ホテルの
バーのカウンターで飲んで、「ちょっと雰囲気かわった?」なんて言われて。
あ、その時は胸元が開いた服を着なきゃ…。
遼子が、自分の手持ちの服を思い出しながら選んでいたとき、

「よお!」

突如肩を叩かれ、現実に引き戻された。

遼子の顔の横に樫村の顔があり、同じものを見ている。

「欲しいのか、その薬」
「編集長。そんなことないですよ。インチキくさい薬だな、と思って」
「そうか。そうだな。…その割に熱心に見てたな」

微笑んでいるが、遼子を見る目は笑っていない。
獲物をとらえた獣の目だ。
遼子は途轍もなく嫌な予感がした。

「見てませんって」
「よし、みんな聞いてくれ。先週の部数の集計が出た。残念ながら、最近部数の伸びが悪い。そこでだ」

編集部の注目を集める意味で、樫村は間を置いた。

「次号のメインはお色気企画で行く」
「編集長。名無しの権兵衛の記事のおかげで、三流週刊誌から社会派としてアピールできたのに」

遼子が声をあげた。

「社会派は聞こえはいいが、部数につながらん。最近、名無しの権兵衛も鳴りをひそめ、
記事が書けない。追跡記事もスクープが無ければ部数が伸びない。だが、お色気記事は部数に直結する」

そう言うと、遼子に視線を寄こした。
名無しの権兵衛について追い続けてはいるが、最近、遼子はスクープを飛ばしていない。
遼子は視線をそらした。

「目玉記事は中原さんメインで企画を進めるからな。あとはグラビア、下半身がらみのスキャンダル…体験記事」
「体験…?なんの」

疑問を口にした美鈴が、いぶかしげに樫村を見ている。

「この薬のだ」

樫村は中原のデスクの薬を指差した。

「この薬、商品名は『グラン・バスト』。そうだろ」
「え、ええ」
「最近、豊胸効果を謳って出回っているらしいが、ちょっとした被害が出ているという噂がある」
「被害って、健康被害ですか」

城之内が聞いてきた。

「いや、犯罪だ」

編集部の空気が変わった。

「犯罪?この薬で。詐欺ですか」

中原も意外そうだ。

「強制わいせつ未遂にあった女性が少なくとも3人いる。いま伝手を頼ってウラをとっているところだ。みんなこの薬を飲んで、歩いていただけで襲われた。それも人通りの多い道を歩いているときにだ。
人通りの多いところだったから、すぐ助けが来たんだがな。
不思議なのは、襲った側はそんな前歴も性癖もない人間ばかりだったって事だ」
「何それ」

美鈴は、いかにも信用していない白けきった顔をしている。

「そこで、わが編集部で体験記事を書いてレポートする。
『謎の豊胸剤を当誌の美人記者が体験!驚愕の結果が!?』これでどうだ」

「私は嫌よ」

美鈴が即答した。誰も美鈴にやれとは言っていないが、編集部の美人記者といえば
自分だといわんばかりの早さだった。
遼子の肩に置かれた樫村の手に力が込められた。

「こういうのは、新入りがする仕事だ」

遼子はちらりと里香を見た。里香が遼子から視線をそらした。

「里香ちゃん、ですか…」

遼子がこうつぶやいた時、即座に樫村が否定した。

「いや、鳴海くん。君だ」
「なんで私が!」
「里見君は君より若いがこの編集部では先輩だろ。編集部に一番最近入ったのは君じゃないか。
いま、名無しの権兵衛も鳴りをひそめてるし、張り込みが必要なスキャンダルもない。
この編集部で一番身体が空いているのは君だろ。君しかいないじゃないか」

「美人、て」

違うんじゃない、美鈴がひやかすように笑った。

「週刊誌の世界では、どんな顔であったとしても記事になれば美人がつくだろう。
美人OL、美人詐欺師、美人議員、美人看護婦…。その理屈でいけば、体験記事をものに
する鳴海君が美人記者になってもおかしくはない」

この会話からすると、そんなに私に美人がつくのがおかしいのか。
胸の奥から湧き上がる怒りに、遼子は樫村と美鈴の名を怨みノートに書き記すことにした。

「鳴海君、そんなに怒るなって。もし、薬を飲んでそのまま何もなければ、それを
面白おかしく書けばいいだけだ。ついでに、大きくなった胸が残れば、悪くないじゃ
ないか。安心しろ、安全には最大限気を配る」


その結果、鷹藤とこうして二人、部屋にいる羽目になった。
安全って、鷹藤が遼子を監視するだけだ。鷹藤で本当に大丈夫なんだろうか。
鷹藤が遼子を襲いっこないということなんだろう。そもそもこの薬に効き目があるなんて、編集長はじめ、
編集部の誰も思っていないということか。
鷹藤が来てもう1時間経つ。30分置きに体温と血圧と胸囲を図っているが体温と血圧が微増しただけで、
一番期待していた胸囲に至ってはなんの変化もなかった。
午後7時に飲んで2時間と少し経つが、変化はない。
この実験は空振りかもしれない。
そうだったら、遼子の腕で記事を面白いものに仕上げるしかない。

「不安そうだな」

遼子に背を向け、ライティングデスク前の椅子に座り、薬の瓶をもてあそびながら鷹藤が話しかけてきた。

「一応、成分分析を民間の研究所に急ぎでしてもらって、毒物はないって結果が出たわ。向精神薬の
成分に似たものも入っていないし、その意味では安心して飲んだけど。ただ、飲んでから襲われるま
で、
半日くらいで起こったみたいなの。だから今日だけホテルで缶詰めになって様子を見ることにしたのよ」
「やってて楽しくはないよな」
「人体実験よ。される側になったら誰だってそうじゃない」
「仕事だ。頑張れよ」

人ごとだと思って。鷹藤の背中を睨みつけた。

「全部鏡に映ってるんだけど」

デスクの上の鏡に、鷹藤の肩ごしにベットの上から睨みつける遼子が映っていた。

「そんなつもりじゃ」
「じゃ、どんなつもり」
「かっこいい髪形だな、と」

あまりにも見え透いた嘘で、とっさに口に出して後悔した。

「あんたはそう思った相手、睨むんだ。男が出来ない訳だよ」

鏡の中から、鷹藤が呆れたように遼子を見ている。

「それにしてもさ、なんでジャージなの。もうちょっとあるだろ、恰好」
「一番動きやすくって、楽だから。変?」
「ま、いいんじゃない。あんたが良ければ」

いつもながらそっけない態度。
年上に対する敬意も、遼子のような大人の女性に対する接し方もなっていない。
だから彼女もできないのよ、と遼子は思った。

「ところでさ、あんた期待してるだろ」

「何をよ」
「胸がでかくなるの」
「そんなことないわよ」

核心をつかれて、声がうわずってしまった。

「胸が大きくなったときに備えて、あんたの手持ちの服で一番伸びる服着たんだろ」

図星だった。

「実験に臨んで、リラックスするためよ」
「ふーん。そうなんだ」

明らかに信用していない口ぶりだ。鷹藤が遼子を見た。

「それより、この部屋寒くないか」

「私は暑いくらいだけど」
「嘘だろ。エアコンの設定温度17度ってなんだよ。冷やしすぎだろ」
「だって暑いじゃない。このホテルのエアコンがおかしいのよ」

遼子はあまりに暑いので、ジャージのジッパーを胸の下あたりまで降ろした。それでも足りずに、美鈴の置いていった女性誌でまた扇ぎ始めた。

「それもやめろよ」
「なんでよ」
「風を送られると、なんていうか、香水が」
「香水?着けてないわよ。わたし」
「へ?すげーこう、いい感じの匂いがするんだけど。でも多少きついかな」
「何言ってるのよ。そっちが何か付けてるんじゃないの」
「俺も付けてないよ」

鷹藤は立ち上がると、遼子の方へ歩いてきた。遼子のそばで立ち止まると、しきりに匂いを嗅いでいる。

「やっぱりあんただよ」

遼子自身も、腕やジャージを持ち上げて嗅いでみるが、全くの無臭だ。

「いい匂いなんだけど、わからないか?」

そう言われて、遼子もまた自分の手首のあたりを嗅いでみるが、全くわからなかった。試しに口に手をかざし
息を吐いて、自分の息の匂いも嗅いでみたが、鷹藤が買ってきた焼肉丼のニンニクの残り香がしただけだ。
どう考えても色気のある匂いではない。

「やっぱり何の匂いもしないわよ」

そう言って顔を上げると、間近に鷹藤の顔が来ていて驚いた。

「ホント、いい匂いなんだ。嬉しくなるほど、いい匂いなんだよ」

鷹藤の顔が近づく。

「な、なにしてるのよ」

無意識に首筋に顔を近づけていた鷹藤は、目が覚めたようにして止まった。

「あ、ごめん…。あれ、おっかしいな」

遼子を見つめる目が、いつもの半ば馬鹿にしたような目つきではなくなっている。

「あんたってさ、美人だったのか」
「はあ」

女としては最上級に近い言葉を贈られたはずなのに、遼子の口から出たのは、なんとも間抜けな返事だった。
遼子の妄想の中では遠山からそれに近い言葉を数限りなく言われているが、現実の世界でそんなことを言われ
たことはない。
実際言われた時、まともに返答することが至難の業であることを、この時遼子は思い知った。
だが、自分の恰好と言えば、暑さでだらしなくジッパーを降ろしたジャージに首にはタオルだ。
こんな状況でそんなことを言う鷹藤を疑った。
だがこちらを見つめる鷹藤の目にふざけた感じが無い。それが逆に不気味だった。

「鷹藤君、どうしたの」

鷹藤の目の前で手を振る。

「あんた、いい匂いするな」

陶然としながらこちらを見る鷹藤に異様なものを感じて、遼子は後ずさった。

「逃げるなって」

口元は笑っているが、目つきは真面目そのものだ。

「ちょっと、なんだか普段と違うよ、鷹藤くん」

鷹藤の手が伸びる。それから逃れるべく、別方向に歩みだそうとしたとき、肩を掴まれた。

「逃げないでくれ」

いきなり鷹藤が抱きしめてきた。経験がないだけに、こんな場合どうしていいのかわからずに鷹藤の腕の中
で遼子は慌てていた。

股間をけり上げればいいのだろうか。だがそれは痴漢相手にすることだ。
いま鷹藤がしていることは限りなくそれに近いが、なんとなく、遼子は腕の中で心地よさを感じてしまっている。
鷹藤の温もりが気持ちよくて、遼子は思わず同僚の腕の中で一瞬目を閉じてしまった。
ただ、これは様子がおかしい。
あんなにいつも遼子のことを馬鹿にする鷹藤が突然こんな風になるなんて、やはりあり得ない。

「離して…」

鷹藤の腕の中で抗う。

「離せないんだ。すごく、いい匂いで。ずっとそばにいたくなるような匂いで」

そう言いながら、鷹藤は遼子の顔に乱れて落ちてきた髪を愛しげに梳いている。
なすがままの遼子は、鷹藤の言葉を反芻していた。
匂い。さっきからこの言葉ばかり出てくる。
『グラン・バスト』バカげた商品名のあの薬が頭にひらめいた。
あれを飲んでから、身体が火照って、暑くなってきて…。豊胸剤じゃない。あれは。
みんな飲んでから半日以内に襲われた…。一体あれは何の薬だ。

「鷹藤くん、目を覚まして。おかしいよ」
「目なら開いてるよ。あんたこそ、暴れるなよ」

遼子を抱きしめる鷹藤の腕に力が込められ、二人の身体が密着する。
二人の顔が近づいた。

「怒るわよ」
「怒れよ。あんたが悪いんだ。こんな匂いさせるあんたが」

遼子の中で何かが爆発した。

「匂い匂いって、あなたが欲しいのは私じゃないんでしょ!私の匂いだけでしょ!」

遼子は鷹藤の腕の中で猛烈に暴れはじめた。
この人が求めているのは私じゃなくて、私の出す匂い。
この人が欲しいのは自分じゃないとわかると、どうしようもなく腹が立った。

「いつも馬鹿にしてるくせに!こんな時だけ、こんな時だけ!」

怒りにまかせて、鷹藤の胸板を何度も叩く。何度も叩いているうちに、鷹藤の顔に当たった。

「あれ…」

呆けたような顔をした鷹藤がそこにいた。正気に戻ったかと、遼子は一瞬喜んだ。

「殴ってきても、あんた、かわいいな」

鷹藤は完全に狂気の領域に足を踏み入れてしまったらしい。

「好きでもないくせに、欲望に身をまかせるなんて最低だよ!鷹藤くん、お願い離して!目を覚まして!」

怒りを通り越して、どうしようもない程のむなしさで遼子は悲しくなっていた。

「好きじゃない…。違う。好きだから嬉しいんだ。好きな女からこんないい匂いして、二人でいられるって、
すげー幸せなんだよ」

夢見るような顔をして鷹藤は言った。

官能的な匂いに支配されて言った言葉に違いないが、それでも、遼子はその言葉の中にすこしでも真実があればと願ってしまった。
その遼子の一瞬の空白を鷹藤は見逃さなかった。抱いた腕に力を込め、唇を重ねる。

「んんん!」

遼子は逃れようもなく、なすがまま唇を奪われた。

どうして自分がここまで腹を立てているのか、遼子はようやく気付いた。
自分は、きっと鷹藤に少なからず好意を抱いている。
だからこそこんな形で、本心とは思えない告白を耳にするのがどうしようもなく腹が立つのだ。
なんとか顔を動かし、そこから逃れようとするが、鷹藤の唇は執拗に遼子を求めた。
頬に、首に、切れ目なく唇を落とし続ける。経験がないに等しい遼子にとっても、これは欲望のままの行為というより、
それなりの思いがこもっている行為にも思えた。

もしかしたら、それは遼子の願望なのかもしれない。

だが、なんとしても鷹藤を元に戻さなければ。
このまま続けばもちろん遼子もつらいが、鷹藤も正気に戻った時きっと、もっと気まずい思いをするはずだ。

もう、こうなったら残る手はひとつしかない。
遼子は頭を後ろへ大きく振りかぶると、鷹藤めがけて繰り出した。
石と石とがぶつかるような鈍い音が部屋に響いた。

「いってええええええ!」

甘さひとつない、いつもの鷹藤の声だ。

「あんた何するんだよ!」

鷹藤が額を押え、涙目でこちらを見ている。

「元に戻った…」

遼子は力が抜けてその場にへたり込んだ。

遼子は水で濡らしたタオルを鷹藤の額に当てた。

「つまりなにか。これは豊胸剤じゃないのか」

額にこぶを作られて、鷹藤は不機嫌そうだった。

「たぶん、これ、強力な媚薬、というか、モテ薬だと思う」
「いいじゃん」
「よくないわよ。さっきどうなったか忘れたの。」

遼子も額に濡らしたタオルを当てている。冷やしてもなお痛んだ。

「この薬を飲むと、その人間の身体から相手の性衝動を突き動かす匂いが出るんじゃないのかしら。
フェロモンみたいなものを出すのよ」
「モテ薬っていって売り出せば売れそうだな。でもなんでこれが豊胸剤ってことになったんだよ」
「それはよくわからないけど、輸入したとき、翻訳を間違ったとか」
「ありがちだな。あと、もしかしたら、襲われて胸揉まれて大きくなるってことじゃねえの」
「馬鹿言わないでよ」

でも鷹藤の言ったこともあながち間違っていないかもしれない。
あのまま遼子が渾身の頭突きをかまさなかったら、今頃どうなっていたか。
鷹藤は頭突きをされて不服そうだが、そうすることで二人を守ったのだから、感謝されても、怨まれるいわれはない。

「とにかく、このまま放っておくのは危険よ」
「ちょっと待て」

鷹藤が遮った。

「その記事どこまで書くんだよ」
「私が薬を飲んで、それから鷹藤君に襲われて頭突きするまで。貞操は自分で守ったと書いておくから」
「待てよ。それじゃ、俺があんたを襲ったこと、編集部のみんなだけじゃなく、読者全員にばれちゃうだろうが。
俺の立場はどうなんの」
「わからないように、カメラマンTとか、カメラマン某にしておくわよ」
「駄目だって」
「この薬の危険性を証明してくれたじゃない。ちゃんと感謝の言葉もいれてあげる」

抗議をしても無駄と思ったのか鷹藤は押し黙った。
しばしの沈黙の後、鷹藤の目が細くなった。

「じゃあさ、公平さを保つ意味でも、これ書いてくれよな。薬のせいとはいえ、抱きしめられて私も嬉しかったって」
「そ、そんなことないわよ」

遼子の反応を見た鷹藤の口元が緩んだように見えた。

「ああなっていた時の記憶がないってわけじゃないんだ。気持ちいい夢の中で勝手に身体が動いてる感じなんだよ。
あの時、あんたに何をしたかもおぼえているし、あんたがどんな顔したかもおぼえてる」
「嘘!」
「抱きついた時、あんた、腕の中で一瞬目を閉じたんだぜ。おぼえてないのかよ。俺はしっかり見てた」
「次、どうするか考えてたのよ」

遼子の心臓の鼓動がドラムを乱打するようなリズムと爆音に変わっている。
鷹藤にこの音が聞こえなければいいが。
音はごまかせても、紅潮する頬の色はごまかせそうになかった。

「じゃ何であの時、気持ちよさそうな顔したんだよ。あんた、考え事する時、あんな変にうっとりした顔してたっけ。
いつも話しかけづらい難しい顔してた気がするけど」

「そんな一瞬のことおぼえてないわよ。…何言ったか、おぼえてるんだ」

鷹藤の目が泳いだ。

「ねえ、さっき、好きだからって言わなかった?」
「言ってねえよ」
「私聞いたわよ。好きだから嬉しいって」

ベッドの端に座っていた鷹藤は表情を見られないようにするためか、くるりと反転して
遼子に背を向けた。鷹藤のそばににじり寄り、耳もとで囁いた。

「それとも、あの匂いのせいでおかしくなったせいなの?」

振り向いた鷹藤と目が合った。

「そうだよ」
「…そうだよね」

あれだけ心臓から鳴り響いていた音が、次第に静かになっていく。潮が引く音が聞こえるようだたった。体温が一気に下がっていく。
こんなに自分が落胆するとは思わなかった。

「って言えたらいいんだけどな」

鷹藤は恥ずかしそうに肩をすくめた。

「ところであんた、何でそんなにがっかりしてるんだよ」
「べ、別に。がっかりなんかしてないわよ」
「わかりやすいんだよ、あんた。顔に出過ぎなんだって。好きだって言われて喜んで、そのこと追求するくせに、
違うとわかったらあからさまにがっかりしてさ、それってつまり」

鷹藤が遼子との距離を詰める。

「あんただって」

息がかかる程近い。

「そうなんだろ」

鷹藤の体温を感じた次の瞬間、唇がまた触れた。
今度は押しつけるような感じではなく、ゆっくりと時間をかけて遼子の唇をたしかめるような優しいキスだった。

「これも記事にする?」

鷹藤が遼子の目を覗きこんでいる。薬の効果はもうないはずなのに、声は甘かった。
鷹藤のことも書かずに、薬の危険性を知らしめる記事を書くのは至難の業だ。
それに、ここから先のことは記事にできそうもない。

「無理そう…」

記者としての遼子の意識は鷹藤の感触と温もりに追いやられ、記事のことは意識の向こう側へ消えていった。






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