もしも兄が鷹藤の部屋を覗いていたら…。(非エロ)
番外編
片山の一件から数日後。
洸至は何箇所か構えているアジトのひとつに居た。
部屋を覆うように置いてある本棚にはミステリー、犯罪がらみの実録ものにまじって工業化学、
建築学の専門書が置いてある。
ミステリーの文庫本の背が日焼けしたものが多いのは、父によって燃やされた本と同じものを古書店
を巡ってコツコツ集めたからだった。
父に殴られながら、破壊を夢見た少年の部屋。
それを復元したのがこの部屋だった。

壁面にあるモニターを、洸至は気のない様子で眺めていた。
モニターの中には鷹藤が居た。
先日の片山の件の翌日、凄絶な二日酔いと、洸至による説教で大いに反省したのか、遼子はその後
飲みすぎることもなく、仕事の後は大人しく家に帰ってくるようになっていた。
そんな遼子がこの男の部屋を訪れるはずもなく、この部屋を見る意味はほとんどない。
今はただ、仕掛けたカメラが正常に作動するかのチェックの為だけに見ていた。

鷹藤の生活は単調そのものだった。

仕事から帰ると、早い時間であれば洗濯機を回し、そうでなければコンビニ弁当を食べ、シャワー
に入ってビールを飲んでから寝るだけだ。
仕事のない日は終日出掛けているか、家に居る日があっても、終日寝ているか。
今日は前者の日だった。
洗濯機を回しながらシャワーを浴び、髪をドライヤーで乾かすと、ビール片手に枕元に山のように
積んである文庫本に手を伸ばす。
何度も読んだせいで、多少古ぼけた本を開き、中ほどから読み始めた。

暴力が吹き荒れ、陰惨な描写が叩きつけるような文体で綴られるが、血生臭くも、抒情的な物語
が展開されるミステリーだった。
洸至も好きな作品だ。

「いい趣味してるじゃないか」

洸至が笑みを浮かべた。
洸至がモニターの電源を落とそうとした時、鷹藤の携帯が鳴った。
携帯を手に取り、発信者名を見て、鷹藤が眉をひそめた。

「はい、鷹藤」

やる気のなさそうな声で応答する。

「こんな時間になんだよ。呼び出しかよ…違うのか。あんた、どうしたんだ、そんな声出して」

電話は、遼子かららしい。

「相談?俺にか。…まあ、あんたは確かによっぱらうと手に負えないタイプだけど」

しかも、仕事がらみの電話ではないようだった。
洸至が電源に伸ばした手を元に戻すと、モニターに眼を注ぐ。

「はあ?…片山さんと?飲んで、それで…?」

鷹藤は適当な相槌を打ちながら、しばらく遼子の言葉に耳を傾けていた。

「…片山さんがそんなことするタイプに見えないけどな」

あの日のことを話しているのか。
記憶に残っていると思えなかったが、快楽のあと特有のけだるさから、あの日、何かあったと疑い
不安になっているらしい。

問題は、そのことを何故この男に相談しているか、だ。

「いつもみたいに、飲み過ぎて変な夢見たんだろ。あんたの兄さんがそう言ってるなら間違いないんじゃねえの。
大丈夫だって、酔い潰れたあんたは重いだけで、そんなことに付き合えないくらいベロベロだからさ。
…いつもあんたを引きずって帰ってる俺が言うんだから、信用しろって」

遼子はまだ納得していないのか、また暫く一方的に話しているようだ。
鷹藤の相槌がしばらく続いた。

「…自分が知らないところで変なことしたんじゃないかって?
逆になんて言うか、あんたはそういうところは真面目すぎる位真面目だって。
現にこうやってそのことで落ち込んでんだからさ」

口調はぞんざいだが、遼子に語りかける声は穏やかで優しい。

「もし、あんたが思うようなことがあったとしても、それで俺は見損なったりしねえって。
あんたはあんただ。それに、俺の知る限りあんたはそんな人間じゃないよ」

最後の方はひどく真面目な口調で言った。
鷹藤の言葉で、遼子が納得したようだった。
洸至の中で、何かがざわつく。

「…いいって。そんな落ち込むなよ。飲みすぎただけだろ。きっと夢だよ。疲れてんだよ、
早く寝ろって。じゃあな」

通話が終わろうとした時、鷹藤が意外そうな顔をした。

「ああ…おやすみ」

そっけないが、微かに甘さを含んだ声で鷹藤は言った。

鷹藤は通話が終わった後も、暫く手の中の電話を見つめていた。

「おやすみ…か」

鷹藤が口元に笑みを浮かべた。

片山と遼子の動画を見た時も、渇望と怒りと嫉妬がないまぜになった感情に襲われたが、まだ
どこかで安心感があった。

あの時、片山は遼子の心を掴んだ訳ではないからだ。

だが、今、遼子は洸至に頼らずに、鷹藤を頼り、信じ、その言葉で落ち着いたようだった。
遼子と体を交わした片山よりも、ただ言葉を交わしただけのこの男の方が気に入らなかった。
洸至が眼を細めてモニターの鷹藤を睨む。

「普通にしてりゃあ、あいつも、かわいいんだけどな」

鷹藤はベッドに仰向けに寝転がると、天井を見つめ、しばらく遼子が最後に言った一言を反芻
しているようだった。

「恋のはじまり、ってやつか」

いまその顔を誰かが見たら、震えあがる様な表情を浮かべながら、洸至が言った。
今晩ばかりは甘い夢でも見るといい。
これからたっぷり悪夢を見ることになるだろうからな。
洸至は冷たく笑うと、モニターの電源を落とした。






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