いん サキ
シチュエーション


衣ずれの音がして、女が目を覚ました。まだ意識のはっきりしていない頭を揺り動かして、ベッドから上体を起こす。
弱々しい部屋の灯りの下、先ほどまでベッドを共有していた青年が、上着を羽織るのが見てとれた。

「もう帰っちゃうの?」
「悪い、起こした?」
「それよりも、朝起きたら男がいなくなってた女の気持ち、考えた事無いの?」

女が怒ったように、しかしどこか愉快そうな口調でそう言った。
ベッドから抜けることはせず、しなだれるような仕草で、部屋の窓にかかったカーテンを引っ張った。
夜の町に浮かぶのは、まだ明け方には遠い月明かりだった。

「……ねぇ、もう少し遊んで帰らない?」

幾人もの男を食べてきた女だけが作れる、妖艶な声だった。
青年の動作が一瞬止まり、無意識のうちに、月明かりに照らされた女の裸体を見つめてしまう。
気を落ち着かせるように両肩を上下させて、青年は応えた。

「明日も士官学校の訓練があるから帰るよ。少しでも仮眠をとっておきたいんだ。ここに残ると、朝まで絞り取られそうだからね」

そう言って、青年は端正な顔を緩めて笑った。

「若いのに真面目なのねぇ。キミ、今年でいくつになるの?」
「今年の春、十八になったよ」
「ふぅん。でもその年だと、見習いか、せいぜい"三等騎士"でしょう。
一日ぐらいサボっても困らないんじゃないの。なんなら君の士官学校から来られるオジサマ達に、お言葉添えをしてあげようか?」
「……女は怖いね、後でどんな請求が来ることか」
「それ、私のような女には褒め言葉よ」

女は小首を傾げて、青年を誘うように笑ってみせた。
艶めかしい両足を惜しげもなくシーツの中から現わして、ベッドの端に腰掛ける。淫毛の生えた秘部からは、先ほどまで混じっていた

証の液体が、一滴だけ垂れ落ちた。
部屋の両側からも、一夜の間、互いの身体を売買した男女の声が、ベッドの軋む音と共に聞こえてくる。
気がつけば、青年の下半身が再び熱くなっていた。しかしそれでも、頭はまだ随分と冷静だ。
女から目を背けて、月の浮かぶ夜空を見て、苦笑する余裕が残っている。

「悪いけど、遠慮しておくよ。俺はこれでも隊長なんだ。数人規模の小隊長とはいえ、いなければ困ることもあるらしい」
「へぇ、その若さで隊長を任せられるなんて、たいしたものね。腰を振るしか出来ない脳無しのお坊ちゃんとは、どこか違うみたい。
女の扱いも上手だし、私と相性もいいし、ちょっと、好きになっちゃいそう。……このキモチ、確かめさせてもらえない?」
「ありがとう。次に来た時も、君を選ばせてもらうよ」
「貴方って賢いけど、可愛くないわ」

愉快そうに囁く声で、会話は打ち切られた。
部屋を出る間際、この辺りは物騒だし、夜道にはせいぜい気を付けてね。と、どこかうすら寒い言葉を聞き留め、扉を閉じた。

一人、青年は人気の無い夜道を歩いていく。青年の名前を、ルーク・ハーネストといった。
その腰には一振りの長剣が携えられており、歩くたびに微かな金属音を立てていた。
後にルークが、この十八の時を思い出すと、あの頃は馬鹿で、自惚れていて、未熟なガキだったと評価する。
しかしルークはその当時から、確かな実力を兼ね備えた若者だった。
成人となる年齢を迎えると同時に、士官学校の上級騎士から直々に、隊長を命じられた。
その年に、十八歳で隊長になることを命じられたのは、彼だけだった。
女を抱いた後の余韻が残っていても、物取り程度の悪漢ならば、鞘を抜かずしての一刀で終わらせる。そこまでの自信があった。
薄暗い路地道を抜けて、大通りに出る。
後は道を一つ横切れば、その先には貴族たちが競って家を並べる、華美に装飾された壁面の群れが見えてくる。
しかしルークの足は、自然と立ち止まる。見えない暗がりの先、何かの気配が、自分に向けられていた。

「…………」

気配は正体の見えない触手のように、ひたり……とまとわりついてきた。
頬をなであげるように、こちらを誘ってくるその感触、つい先程まで混じり合っていた、女の裸身を思い起こさせた。
自らへと問いかける。回り道をして帰るか、それともこのまま突き進むか。
僅かな思考の後に選択したのは、勿論後者だった。剣の柄に片手を添えて、再び一歩を踏み出した。
そして、その姿を見た時、ルークの中に様々な感情が渦巻いた。

「……俺に、何か用かな?」

闇夜の中、一糸纏わぬ少女が、楽しそうに笑っていた。その体は痩せ細っていて、月明かりの下、不健康に輝く。
それでも滲みでる気配は、先ほど交っていた女の比では無い。ひどく妖艶だった。

「こんばんはー、おにーちゃん。食べさせてください」
「他を当たってくれ。悪いけど、君を抱くような趣味は無いよ」
「ダメ。お兄ちゃんは、私のこと、もっともっと、好きにならなきゃ、ダメ」

そう告げられて、目が離せなくなった。意識が混濁とし始めて、自分がまともに息をしているのかどうかさえ、危うく思えた。
少女の赤い瞳が、こちらを見据えていると感じるだけで、激しい喜びと情欲が沸く。
そのことに激しい違和感と戸惑いを覚えるが、抗いきれない。

「くそ、何だ……これ……!」
「えへへへへ。お兄ちゃん、とってもおいしそうだねっ――――貴方みたいな人、初めて……あぁ……我慢なんてしなくても……。
でも……下拵えをしておかないと……逃げられちゃう……」

少女の声色が変わった。それと共に、裸体から漂う気配が一層甘くなる。

「動かないで、何も考えないで、そこにいて、私を待ってて」

放たれるすべての言葉が、呪縛のようにからみついてくる。
裸身の少女が一歩、また一歩と近づいてくるというのに、何も出来なかった。
頭の中から、足の指先まで、じりじりと痺れていく。考えることを放棄しろ、目の前から『御馳走』がやってくる。
静かに待って、許しが出たら、残さず貪り食え。
自分の意識なのか危うい言葉が、胸の内から溢れ出た。股間に閉ざされたモノが熱く、固くなっていく。

「ねぇ……何処かいい場所を知らない? 貴方、とっても素敵で、おいしそう。誰にも邪魔されず、二人きりで、ずっと味わっていたいわ」

「―――ッ! それ以上、近寄るなッ!」

少女が剣の間合いに入った瞬間、ルークは辛うじて我に返った。
血が出る程に自分の唇を噛み切って、容赦なく感情を剥き出しにする。
激情に任せるように剣の柄に手を添えたが、しかし抜き取ることには至らない。
妖艶な少女の気配がそうさせたのと、その気配が自分に対して『危害を加える』という意志は無いと思えたからだ。
だが、目の前の少女は、ただの少女で無いことも分かっていた。

「君には悪いが、それ以上近づいたら、剣を抜かせてもらう!」
「まだ自分の意志が持てるのね。やっぱり魔力が高い人間は、耐性も優れているのね」
「魔力……?」

「そう、魔力。感情によって生み出され、感情を左右することの出来る力。
だけどそれは水のように味気の無い者もいれば、数十年寝かせた極上のワインのように、豊潤な者もいる。
望めば人は、その味を自らの意志で変えることが出来るわ。
だけど、他者の味を変化させることが出来るのは――――私のような、魔族だけ」
「……魔族……」

正常な意識の残骸が、ルークの中にある知識を集わせる。魔族。人と良く似た姿をしていながら、けっして人ではない存在。
魔族の多くは人を毛嫌いし、人と介することが無いという。しかし常に例外はいる。
吟遊詩人の歌に出てくるような、甘い恋をした魔族もいれば、

「私はサキュバス。人の最も強い感情を食らって生きる存在よ。だから私はね、人間の雄犬が、とっても大好きなの」

人を餌とみなして、捕食する者もいる。ルークを見据える、赤い瞳の力が増していく。
自分の劣情を増幅しているのが、その赤い瞳なのだと気がついた時には、もう遅かった。

「さぁ、その危ない物から、手を放しなさい。貴方は今から、私を満たすことに、至福の喜びを感じる存在となるのよ」
「…………あぁ…………」

まだ微かに、正常な意志は残っていた。しかし、少女の瞳に抗うだけの力は残っていなかった。
ルークはその場に棒立ちになって、少女が自分の傍らまで近づいてくるのを、ただ待っていた。
青年の胸元にすら届かぬ、小さな魔族の少女。妖艶に微笑むその姿に、抵抗する意識は既に無い。
夜の闇を孕んだかのように深い、赤い瞳に射抜かれるだけだ。今すぐにでも、一糸纏わぬその姿を、押し倒してしまいたかった。

「キスをして」
「……」

差し出された掌の前に、ルークは跪いた。頭を垂れて、愛しの姫君の手を頂戴するように、優しく口付けた。
その仕草に、少女は感極まったかのような、恍惚とした溜息を零す。

「貴方、とても素敵だわ。そこらにいる野良犬や、自分を立派だと勘違いしている駄犬とは全然違う。顔をお上げなさい」
「……はい」
「忠実な犬である貴方の名を、主人である私に告げなさい」
「……ルーク・ハーネスト……」

じっと、視線が交差する。魔族の少女が、嬉しそうにルークの額に、優しいキスをした。

「素敵な名前ね、ルーク。私を見てください。この身体を隅々まで見てください、すべてを見てください。
そしてもう一度、私の目を見つめなさい」

ぼんやりと、何かが頭の片隅で残っていた。しかしそれはもう、形に出来ない。
少女の荒れた髪。乾いた唇、僅かに膨らんだ乳房、あばらの浮いた下腹、その先にある、一毛すら無い秘部。
キスをした手は、力を込めれば簡単に折れてしまいそうで、地を踏みつけている両足は、まるで幽霊のようだった。
それでもルークは、この少女を綺麗だと思った。
それは、サキュバスの魔力によって歪められた意志かもしれない、しかしそれを考えることは出来なかった。
少女の言う通り、跪いたまま、すべてを瞳に焼き付けていく。そして最後に、再び赤い瞳を覗きこんだ。
膝を折れば少し高いところにある、自分を見降ろしているその顔。とても淫らで美しく、そして愉快そうだった。
その表情が自分に向けられていると思うと、背筋に震えが走って止まらない。
つい先ほどまで、女を抱いていたことを忘れてしまう程、閉じ込めていた下半身のモノが、存在を主張している。
それすらも見通して、少女は笑っているのだろうと思った。

「キスをして、ルーク。貴方が一番望むところへ、貴方が一番求めるところへ、キスを」
「はい……」

もう既に、心は捕らわれていた。純心な騎士の意志よりも、強い欲望の方が遥かに勝った。
言葉が生み出される唇よりも、少女の最も大事なところへ、口付けたい。そうすれば自分は、もう逃げられない。
それが分かっていながら、視線が再び落とされていく。

「…………?」

視線を首筋まで落とした時だった。そこに、女のキスマークのような、唇の痣が浮かんでいるのが、見てとれた。
その時、何かを思いついた訳では無い。ただ、そこから発せられる力にそそられた。
自分を縛りつけているのが、少女の赤い視線ならば、その視線に力を与えているのは―――

「ルーク、どうしたの?」

蕩ける蜜を求めるように、痣へと触れた。

「―――ッ!?」
「ああああああぁぁぁっっ!?」

悲鳴が同時に闇を裂く。

「あ……ぐぅっ!?」

触れた指先から、何かが吸い取られていく。身体を、激しい疲労感が襲っていた。
しかしそれと同時に、支配していた少女の力が消えていく。
情欲さえもまた、指先から、首筋に浮かんでいた痣へ吸い取られていった。ルークの意識が戻ってくる。

「(なんだ、これ、魔力ってのが、吸われてるのか……!?)」

ひどく身体がだるい。息があがるというよりも、女を抱いてベッドから起き上がれないような、あの倦怠感。
それでも懸命に自分を取り戻すため、再び唇を噛みちぎった。油断は消えた。戸惑いも消えた。

「……あぁ、すごいのぉ……すごく、すごく、おいしいよぉ………でも、ダメよ、ルーク。私がまだ何も言ってないのに――――」
「それ以上、喋るな!」

赤い瞳さえ、見なければ!
片手を翳して、少女の瞳を覆う。瞬間、少女の動揺が腕を通して伝わってきた。
先ほどの妖艶さが嘘のように、少女もまた必死になって自分の両腕を伸ばし、ルークの手から逃れようとする。

「いや! やめなさい! ルーク! この手をどけて!」

その言葉にも、色香は強く残っていた。しかし動揺しているせいか、動きを止める程では無い。
力を必死に込めているのは伝わってくるが、騎士の位を持ち、日々剣椀を磨いている男に、力で叶うはずも無い。
割れた爪で必死に足掻いてくるが、それもまた無意味な抵抗だった。
ルークは残る片手を使って、上着から男物のハンカチを取り出した。
それを素早く少女の瞳の上に巻きつけて、頭の後ろできつく縛った。最後に空いた両手を使って、暴れる少女の腕を絡め取る。

「ひぅっ!?」

少女の全身が震えた。妖艶な雰囲気が消え失せていく。
ふぅ……と大きく息を零して、昂った感情を落ち着かせた。

「まったく、手こずらせてくれる……?」

立場的に優位になったからか、色々と余裕のある考えが思い浮かんだ。
なんだこの状況、大人の男が、裸身の少女に目隠しをして、腕を掴んで、見ようによっては、羽交い締めをしている。
しかも少女はうって変わって、小動物のように怯えていて、目元から涙が零れ落ちている。

「あ、いや、これは……違っ」

言葉は誰に届くことも無く、消えていく。掴んだ腕を放してしまえば、そのまま逃げられるかもしれない。
しかし少女は、ルークの意志とは裏腹に、不自然なほどおとなしかった。

「…………さま…………い…………なさい…………………」
「うん、なんだ?」

何か言葉を発した、というのは分かった。しかしそれは酷く震えていて、耳を傾けなければ聞こえない。

「御主人様……ごめんなさい……許してください……なんでもしますから………殴らないで、殴らないで、殴らないで…………!」

眼隠しをしたその下から、涙が幾筋も溢れてくる。震えは止まらなくて、とても演技には見えなかった。

「……」

力を込めていた両手がするりと抜けた。それでも、少女は逃げない。目隠しを解こうともしない。
ただ頭を下げて、ひたすらに謝り続けていた。その様子が酷く心に突き刺さった。

「大丈夫だ、怒らないよ。俺は君を殴ったりはしない。さっきは怒鳴って悪かった。とにかくこれを着て」

ルークは来ていた上着を脱いで、少女に被せた。それから頭を撫で続けた。壊れた人形のように謝り続けるその声が、治まるまで。

嗚咽は残るが、少女の謝罪がようやく止まった時、ルークは問いかけた。君は本当に魔族なのかと。そして答えは返ってきた。

「いいえ、私は奴隷です」

奴隷、それは遠い昔に禁止された事柄の一つだ。今では国の法によって、奴隷を求める人間こそ、真の奴隷だと言われている。
そんな言葉を閉じ込めて、法を宣言したのは昔の王だ。そしてそれを制約として作りあげたのは、国王に忠誠を誓う貴族たちだ。
さらに言うなれば、奴隷の多くを使役してきた者達もまた、貴族だ。

「……私のご主人様は、聖騎士です。王様の次に身分が高く、尊く、賢く、高貴な血が流れるお方です……」

感情の籠らない、静かな声。刷り込まれた意識をただ語る、雛鳥のようだった。

「……君は……」

ルークは将来を有望された騎士だった。騎士になるべき者の条件として、貴族であるというのが、絶対の条件として存在する。
しかしルークは、騎士という位に、盲目的になっている青年では無かった。理想を持ち、努力を重ねてきた。
その過程で様々な光景を見てきた。正しい世界も、正しくない世界も。
そしてなによりも、権力を持つ者が行使する悪こそが、時に最悪となる瞬間を、彼は実際間の当たりにしていた。

「……君の名前は、何て言うんだい?」
「ありません。奴隷に名前は不要です。奴隷は、奴隷なのですから」
「それなら、名前をつけよう。君が言っていた――サキュバス、だったかな。
頭の二文字をとって……サキでどうだろう。この国の名前としては、珍しく思われるかもしれないけど」
「分かりました。私の名前は、今からサキです」
「気に入らなかったら、そう言ってくれ。今、思いついただけだから」
「いいえ、ご主人様から授けられた物に、間違いなどあるはずがありません」
「……そんなことは無い、貴族だって間違いを犯すことがある。
中には間違いだと知っていて、もしくは間違いだということすら分からずに、過ちを犯す愚か者もいる。
恐らく君の主人も、その愚か者の一人だった」
「……いいえ、間違いは………ありま……せん」
「それならば、君は今ここで、その主人のことを敬愛していたと言えるだろうか」
「………わ、わたし、は………」

俯いて、必死に教えられた言葉を口にしようとする様子に、言った側から、自分が過ちを犯したのだと気がついた。

「サキ、悪かった。今のは心無い質問だった。許してくれ」
「えっ…………い、いいえ、そんなことはありません……本当です……」

頬を染めて俯く少女を、ルークは微笑んで頭を撫でた。小さな両手の掌が、与えられた上着をきつく握りしめていた。

「目は開けないで」

そう言って、瞳を閉ざしていたハンカチを解いて、自分の両手の中に戻した。サキは素直に目を閉じていた。

「サキ、君に伝えたいことがある」
「はい」
「俺の屋敷で、メイドとして働かないか」
「…………え?」

見上げられた視線が、少しだけ見開かれた。慌てて視線を強く閉ざして、ごめんなさいと謝る。
ほんのついさっきまで、この少女に骨抜きにされていたというのに。その差がとても可笑しかった。

「俺のことを、少しでも信頼出来ると思えたら、聞いて欲しい。でも、耳を閉ざして行ってしまっても、俺は怒らないから、安心して」

そう告げてしばらく待っていた。サキは戸惑うように震えていたが、それでも両足は一歩も動かなかった。

「ありがとう、サキ」
「……はい」

もう一度頭を撫でて、それからルークは自分の考えを、少女へ語りかけた。

「俺の両親は、昔から人を雇うことに、抵抗を持っているんだ。
自分たちで出来ることは、自分たちでやらないと、気が済まない人達でもある。
だから今はメイドが一人、馬番が一人いるだけだ。屋敷自体も他の貴族の家と比べると、小さなもんだ。
それでも、人の手が行き届かなくて、困ってる」
「……それで、私を……?」
「そうだね。ただし、一つ条件がある」
「条件、ですか?」
「あぁ。サキが俺の提案を受けるなら、悪いけどその眼を閉ざしてもらいたい。
気を悪くしないでほしいけど、サキの赤い瞳は、誰かを映している限り、きっとその誰かを不幸にすると思う。
もちろん、一人でいる時は自由にしていいよ」

じっと、時間が過ぎて行った。ルークは静かに待っていた。もう一度、その小さな口が開かれるまで。

「……どうして、私にそこまで、してくださるのですか?」
「疑ってる?」
「……はい」

ルークは静かに笑った。その少女の疑惑の言葉こそ、本心だと感じたからだ。だからルークもまた、自分の本心を素直に告げた。

「俺は自分のことを、まだまだ半人前だと思ってる。
それでも今の俺なら、この場で君に手を差し伸べることは、間違いじゃないと思えたんだ。
でも、サキが俺のことを信用出来ないなら、それはサキにとって、正しいことだよ。
俺が自惚れてる、ただのガキだったっていう、それだけのことだ」
「…………そんなことをおっしゃる貴族の方は、初めてです」
「そうかもしれない、だけど慣れてるよ。ハーネスト家の連中は変わり者だって、よく言われるから」
「……ふふっ」

サキの口元に、淡い笑みが浮かんだ。ルークもつられて微笑んだ。そして怖々と、ゆっくりと、手を伸ばしてきた。
支えを失って落ちかけた上着を、ルークが片手で支える。そしてサキの手は、ルークの手に残っていた、ハンカチを手に取った。

「……ごめんなさい、ご主人様。結んで頂けますか……?」
「ご主人様って言うのも、やめてくれないかな。ルークって、呼び捨てで構わないから」
「ルーク……様……」

どうしても、そこだけは譲れないらしい。まぁ、仕方がないかと苦笑する。そして再び、少女の両目を覆った。

「出来たよ。それにしても、今晩は冷えるな。あ、いや、上着は返さなくていいから。袖も通して構わないよ。遠慮しないで」

完全に立場が逆転しているなと思い、また可笑しくなった。
さっきまでは、この少女の前で跪いて、手の甲から、どこへやら、口付をするよう、言われていたはずなのだけど。

「それじゃあ帰ろうか。歩けるかい?」
「……はい、大丈夫です」

上着の袖ごと掴むようにして、か細い掌を優しく掴んだ。
闇の中を、二人はゆっくり歩いていく。そういえばと、ルークは今更ながら思い出した。
自分は朝になれば、士官学校へ赴かなければいけない。

もうじき上り始めるだろう朝日のことを考えて、今日はもう眠れそうにないなと、一人思ったのだった。

サキが、ルークの家でメイドとして働くことになって、六年が過ぎた。
赤い瞳をした彼女は、あの時、本当にルークを誘惑していたのか。
そもそも、あの日から閉ざされた瞼の下には、本当に赤い瞳が見えたのだろうか。
ルーク自身ですら、もう定かには思い出せない。ただ、ルークにとってはあの日から、サキは大切な家族になった。
しかしその関係は、季節が一巡りする度に、危うくなっていた。
夜が明けて、太陽が昇り、再び夜が来る。それを幾夜も繰り返し、サキは美しい娘へと成長を遂げていく。
そのことをルークだけでは無く、両親や使用人たちも喜んでいた。
ハーネストという家は、夫婦揃って貴族の称号を得ているにも関わらず、同じ屋根の下で生活するならば、
誰もが血の通った家族だという考えを持っていた。
そんな両親の意志を、ルークは引き継いでいた。
だから、サキが綺麗になって、変わらず自分に接してくれるのは、嬉しいと思うと同時に、とても複雑であったのだ。

夜の帳が訪れ始めるその時間、自室にて書類の整理をしていたルークの元に、扉をノックする音が届けられた。

「ルーク様、失礼してもよろしいでしょうか」
「どうぞ」

扉が開かれる。内心、高まった胸の鼓動を抑えて、ルークはサキを迎え入れた。
その瞼には、常に布が覆われているものの、この家に来て既に六年が経っているサキにとって、
家の中を歩き回ることは、造作も無いことだった。
まっすぐにルークの座っている執務机に近づいて、適切な距離をとってから、恭しく頭を下げてみせる。

「……今、お時間は大丈夫でしょうか」
「構わないよ」

返事を返して、ルークもまた席から立ち上がる。屋敷の者はルーク以外、彼女が魔族であることを知らない。
念のため、そのことだけは伏せておいた。彼女は、目が見えない訳では無い。ただ、事情があってこうしている。
そんな風に、曖昧に言葉を濁しておいた。そのことを、誰も詮索しようとはしない。
ルーク・ハーネストという男が、理由も無くそういったことを口にはしないと、屋敷の誰もが信頼していたからだ。
しかしそれ故に、サキを連れてきた日から毎夜、こうして二人きりで会っていることも、知らないフリをされている。

「(ただ、最近は明らかに楽しんでるよな……俺の気も知らないで……)」

最近『変化があるとすれば、そろそろだな』という視線を、暗に向けられている気がする。
ルーク自身もまた、サキを守るべき家族から、一人の女性として見ていることを自覚していた。
しかしその気持ちを、素直に伝えることは出来なかった。

「……あの、では、お願いします……」

サキは振り返って、その華奢な背中をルークに向けた。
初めて出会った時と変わらず、その身体は、触れると壊れてしまいそうな儚さがあった。
襟元に手を添えて、布が僅かにずれる音が耳につく。少し傾げたうなじに、目が惹かれてしまう。
魔族の力では無い、サキという女性の色香に、ルークの心は締めつけられていた。

「(――――いい加減、そろそろ限界なんだよな……)」

夜、寝具に着替えてから、サキはこの部屋を訪れていた。痣に手を添え、魔力を供給するためだ。
まだ屋敷に来たばかりの頃は、お互いに正面から向き合ったままで、二人で雑談を楽しむ余裕があった。
しかし今はサキにも恥じらいがあり、お互いの立場を意識している節がある。
いつだったか、初めて背を向けられた時は、一抹の寂しさを覚えたものだった。そして恐らくその時に、サキのことを初めて意識した。

「(落ち着け、俺。サキは大切な家族なんだから……)」

いつも、その背に欲望が沸いた。それは日が経つにつれて大きくなり、今では抑えつけるのが難しくなっている。
後ろから、首筋にある痣に手を伸ばそうとすると、どうしても余計なところが気にかかる。
細くて、さらりとした髪は、指ですけば心地良いのだろうなと思ってしまうし、耳たぶの先が、少し赤いところも目に付いてしまう。
なにより、顔を近づけ過ぎてしまうと、服の隙間から、胸の谷間が見えることも――――

「(……平常心、平常心……)」

ルークにとってトドメになるのは、魔力には『味』があるということだ。サキ曰く、ルークの魔力はそれだけで美味しいという。
しかしその時の感情よって、魔力の微妙な『味付け』は変わってくるらしい。
欲情を覚えたまま痣に触れれば、それが彼女に伝わってしまうはずだった。

「(――――よし)」

意を決して、ルークがサキの首筋へ、痣のあるところへ手を添える。

「……ぁ」

小さく聞こえたその声を、ルークは必死になって聞こえなかった振りをした。
ただ、指先に与えられるぬくもりと、自分の中から失われていく魔力という力の喪失感、それに耽るように目を閉じた。
何も見えない。だけどすぐ傍らに、彼女がいる。

「(俺は、満足だから。君を大切な家族として守れている。それで、充分だから――――だから)」

痣に添えられたルークの掌。そこへ折り重なるようにして、サキの掌が重なった。

「……温かいです……」
「…………」

魔力は、ルークが彼女の痣に触れただけで、ゆっくりと吸い取られていく。
その他の手段としては、始めて出会った時のことを思い出せば、容易に想像が出来た。
きっと自分は、あの夜に、いつか花開く一輪の蕾を、見つけてしまった。

「サキ……」

空いていた手が、愛しい人を抱き寄せた。驚き、息を飲む彼女を無視して、唇を奪おうかと思ったその時だった。
痣に触れている手の甲に、鋭い痛みが走る。サキが、両手の爪を突き立てていた。

「……ルーク様、お願いがあります」

手が離れていく。サキがルークの腕から逃れて、振り返った。見えない赤の瞳が、ルークをまっすぐに見据えていた。
瞳に宿る感情は、怒りでは無い。戸惑うように揺れている。六年前の夜、初めて彼女と出会った時のように。

「私の過去を聞いてください」
「君の、過去?」
「はい。すべてを包み隠さず、お話します。奴隷になる前のこと、奴隷であった時のこと、淫魔であること、このお屋敷に来てからのこと



その突然の告白に、しばらくルークは何も言い返せなかった。ただ、手の甲に立てられた爪の痛みが、ひどく傷んだ。
ここで選択を間違えれば、二度と彼女と会えないような、そんな想いが沸き上がる。ルークはまっすぐに、静かにサキを見つめ返した。

彼女の言葉の真意を考えていた。

「――――分かった、君の過去を聞こう」
「……はい」

顔を俯かせて、辛そうに言葉を絞り出そうとするサキ。それを制するように、ルークは「待って、サキ」と囁いた。

「ただし、一つ条件がある」
「条件、ですか?」

サキはそう言ってから、思いだしていた。六年前、初めて手を差し伸べられた、あのやりとりを。
ルークは静かに頷いた。大切なものを愛おしむように。

「君の過去をすべて聞いた時、俺は君を愛していると言うだろう。その時は、サキのすべてを見せて欲しい。
赤い瞳も合わせて、包み隠さず、君を愛したい。……だから、過去を語った後で、そのまま何処かへ消えたりするのは、許さない」
「―――っ!」

目の前の男に、彼女は強く抱きついた。嗚咽を零して、あの時の夜のように、何度も、何度も、ごめんなさいと謝り続けた。
優しく頭を撫でられながら、涙が止まらない。彼女は問いかけた。あの夜を思い出すようにして。

「……どうして、私にそこまで、してくださるのですか?」
「さっきも言ったよ。君を愛しているってね。それより、サキこそどうなんだい?」

言葉が喉までせり上がる。それを、躊躇いが押し留めた。しかし魔族である彼女は笑う。生まれて初めて、心の底から優しく微笑んだ。

「……私は、ルーク・ハーネスト様を、愛してます……私は、貴方が……欲しいです……」

その言葉は、サキにとって、全存在をかけるに値する言葉だった。
夜の帳が深く、深く、落ちていく。月明かりを遮る部屋の中、六年の歳月を経て、淫魔は蘇る。

キスをした。お互いの舌を感じ合う、お互いを深く絡み合わせる、長い、長い、キスをした。
その間に、二人の着ていた服は床に落ちていく。
彼女の姿が、生まれた時のものになった時、肌を寄せ合うように寄り添って、ベッドを軋ませた。
昼間、メイドである彼女の手によって変えられたばかりシーツに、じわりと汗が染み込んでいく。

「……ルーク様」

六年ぶりに誰かを宿した赤い瞳には、涙が浮かんでいた。目の前には、鍛練を欠かさずに行っていた、逞しい身体が浮かんでいる。
それがゆっくりと、降りてくる。

「……ぁぁ!」

身体の一部が微かに触れる。頬に手を添えられて、そして耳元で囁きかけるように、問われた――――怖い?

「いいえ、こんな気持ちは……初めてです」

両腕を回して、愛しい男を抱きしめた。精一杯、力を込めて。

「ルーク様、一つ、我儘を言ってもいいですか……?」
「勿論。俺に出来る事ならね」
「……私を、大事にしてください」
「今までも、大事にしていたつもりだけどね?」

そう言って、少し楽しそうに笑われた。からかわれているのだと分かって、回していた背中に、爪を立ててみる。
すると、仕返しにとばかり、耳たぶを甘く噛まれてしまう。

「ふぁ……っ!」
「初めて聞いた。そんな可愛い声」

また、愉快そうに笑われてしまう。その優しい声を聞いて、嬉しくて、悔しくて、ただ、ただ、背を回した両腕に力を込めた。

「……知りませんよっ……魔族を怒らせたら……っ!」
「怒らせたら、どうなるんだい?」
「怒らせたら、こうです――――――!」

首筋の痣が、赤い瞳に力を与えていく。そこから見えざる触手が溢れ出て、二人を包み込む。

「ぐ……うっ!?」

意識が遠ざかっていく。身体の束縛が無くなったように、心が軽くなった。自分の中へ、深い闇の底へと堕ちていく。
そこに、幾重にも鎖が巻きついた、重厚な扉が現れた。しかしその扉は今、ギシ……! と鈍い音を立てて隙間を覗かせている。
扉の中から、野生という名の黒い獣が、ここから出せ、と吠えたてる。

「可愛い子……さぁ、扉を壊し、轡を解いて……理性の鎖を立ち切りなさい……」
「あ……」

蕩けるような蜜の声に、下半身のモノが、限界まで勃起する。ぬちゃりと、先端が、露を満たし始めたその先に触れる。
細くしなやかな女の指が、男の背と首を、つぅ……と撫で上げた。頭の中が、白い光で満たされていく。
理性が音を立てて、砕かれていく。

「――――サキッ!」

最後の理性を振り絞り、男は愛しい人の名を吠えるように叫ぶ。
ベッドのシーツを限界まで握りしめ、歯を食いしばり、最後の鎖が粉々に砕けるのを、どうにか耐えた。

「君が好きだ! 愛してる! 君が過去のことを悔んでいるのなら、それも含めて! なにもかも! すべて! 君という存在を奪う!
人である君も! 魔族である君もだ! だから――――――泣かないで」

再び背に両腕が回された。

「貴方が好きです、愛してますっ! ルーク様! ルーク様! ルーク様! ルーク様ぁぁぁっ!」

自分を繰り返し叫ぶ声。もう限界だった。束縛が音を立てて、解かれた。

「………んうううううううっっっ!!!」

舌をねじこむように、口付けた。優しく、愛を囁くような余裕はもう欠片も無い。
荒々しく乳房を掴み取り、その柔らかな感触を掌の中に閉じ込める。
両足を押し広げて、反り立つモノを、愛液で満ち始めたそこへ、押し込んだ。

「…………!!!」

か細い腰が大きく跳ねた。しかしそれを男の筋力で抑えつけ、腰を激しく振り、彼女の肉襞に齧りつく。
入れ込んだ肉棒に、彼女もまた、激しく食らい付いていく。

「(あぁ、ルーク様の魔力が伝わってくるっ! もっと、もっと! 私の中にきてっ! 食べさせてっ!)」

お互いの口腔を行き気している吐息が、たまらなく熱い。抑えきれない欲情が吹き荒れるごとに苦しい。
心臓が悲鳴をあげている。激しくリズムを打つその音に、彼女の秘所を打ちつける音が響いた。背に回してた十指に、力を込める。
ごめんなさいと謝りつつ、爪を立ててひっかいた。ガクガクと腰を震えさせる度に、意識が消し飛んでいく。
感情の高なりが、抑えきれない程に高まってくる。

「(ダメぇ……! 私、このままじゃ……っ!)」

苦しい、苦しい、苦しい。淫らに、甘く、愛しい色に包まれて、身も心も耐えきれない程に、苦しい。
全身を上りつめた想いが、溢れてくる。魔力を閉じ込める器は、既に彼女の心を制御出来なかった。

「(死んじゃうっ! 死んじゃいますっ! イかせてください、ルーク様っ!)」

しかし最奥にて膣を打ちつけるモノの動きが、止まった。
閉ざされていた唇が離されて、ねっとりと混じり合った二人分の液体が垂れ落ちていく。
冷たい空気を求めると共に、舌が無意識にそれを求めようとした時だ。

「君の、声を聞かせて」
「―――!!」

再び挿入は開始される。打ちつける勢いは、先ほどの比では無かった。あまりにも激しくて、全身が熱い。
男の下にあって、思うように動かない四肢が、行き場の無い力を求める先は、男の身体しか無い。

「あああっ! ああああっ! ダメえええっ、ズルいですっ!!」

淫らな声をあげて、男を喜ばせるのは、淫魔にとって、最も得意とすることだった。
しかしその声を聞かれるのが、今はたまらなく恥ずかしい。
愛している人に全てを知って欲しいのに、それは耐えようも無い程に恥ずかしい。
対極にある二つの感情がもどかしくて、狂ってしまいそうだった。せめて声だけは聞かないで、
そう思ってキスを迫っても、寸でのところでかわされてしまう。

「い、意地悪……! 大事にしてくれるってっ! あ、あぁっ! 言ったのにっっ―――そこ、ダメええええぇぇっ!」

もうどこが熱いのか、分からなかった。
もっとして欲しい。もっと感じて欲しい。もっと注いで欲しい。
貴方が望むなら、望むだけ、私は淫らに踊ってみせるから。だから、私のことを、もっと―――――!

「サキ……ッ! 愛してるッ……!」

その言葉に、心が喜ぶように悲鳴をあげた。
最も大切な場所で暴れている熱の塊が膨張するのを感じて、心臓が大きく飛び跳ねた。
苦しげな男の表情が、それでも淫らに口を開けて求めている自分を、見つめているのが分かった。
耐えがたい快感と、恥辱が、ぐちゃぐちゃに混ざりあう。意識が爆ぜて、消し飛んだ。

『ぁぁぁああああああああああああああっっっ!』

声は重なり、一つとなる。互いの内側に溜まったものは、一気に吐き出され、混じり合った。
魔力を大量に含んだ白い液体は、器から溢れだして、泡を立ててシーツの上へと零り落ちていく。
甘い触手が繭と化して、幾重にも、二人を包み込んでいるのが心地良かった。
何も考えられない程気持ち良くて、何も考えられない程、幸福だった。

「……こんな、に、すごいの……初めてです……え……あ、また……っ!?」

ゆっくりと戻ってきた意識が、再び白く溶けていく。様々な感情を膣内に吐き出されても、男の動きは止まらなかった。
膣内に収まりきらない精液が、雨のように、ベッドの上に滴り落ちていく。

「やんっ……あ、だめっ! またきちゃうっ! だめですっ! ルーク様、これ以上、んっ! されたら! お身体が、ああああぁぁっ!?」
「分かってる……けど……っ!」

止まらなかった。魔力という未知の力が、彼女に吸い尽くされていた。
幸福で、意識が半ば朦朧としていても、それでもまだまだ彼女を求めていた。
自分という存在は全て性となって溶けて、彼女に吸い尽くされるのかもしれない。
そう思った時、一際甘く淫靡な香りが、男の視線をとある場所へと吸い寄せた。

『もう一度誓いなさい。この子を守り、幸せにして、生涯を共に歩んでいくと。貴方の存在全てを以て、ここへ誓いなさい』

首筋の痣、女のキスマークを模した、淫魔と契約した証。その言葉は、放たれる濃い色香が生み出した、幻聴だったのかもしれない。
それでも男は微笑んで応えた。強く、強く、心の中で。

『誓うよ。俺は自分の存在全てを以て、サキのすべてを、守っていく』
『それならば、ルーク。私に口付けすることを許しましょう。主人に忠実な犬では無く、私に並び、歩く者として』
『素敵なプロポーズだね。嬉しくて、涙が出るよ』
『あら、下等な人間に、魔族の私がここまで言っているのよ。ご不満?』

闇の中に、妖艶な笑みが浮かんで見えた。だけどそれは、不思議と優しい笑みでもあった。

『――ありがとう、サキュバス。君もまた、彼女を見守っていたんだな』
『勘違いもいいところね。私はただ、おいしい餌が食べたかっただけよ』
『素直じゃないね』

ふん、と拗ねたようなサキュバスの声を聞いたような気がした。
そしてゆっくりと、彼女の首筋に浮かぶ痣へと、顔を近づけていく。唇で触れた、その時だった。

「……えっ!? ダメ! ルーク様! ダメですっ!」

彼女の味と共に返ってきたのは、淫魔が最も好む、魔力の味。それは魂が求めているような、甘い砂糖水のようだった。
例えるならば、一滴すら潤いの無い砂漠の中、全身が干からびた時に見付けた、オアシスだ。
身体が歓喜に震えて、水を、貪るように求めていく。

「あああああっ!? ダメです、ダメ、ダメっ! そこ、吸っちゃだめえええぇぇ!!」

その彼女の悲鳴とは裏腹に、ぐつぐつと、身体が火照るような力強さが戻っていく。再び感情が高まって、耐えられなくなる。
痣に口付けたまま、軽く甘噛みをして、挿入した自分のモノを、加速させていく。

『なぁ、サキュバス。これで俺も契約をして、魔族になるのか?』
『バカなことを言わないで。貴方、自分が言ったことを覚えていないのかしら。
彼女を守ると言ったのは、その脆弱で、愚かなヒトの身体でしょう。
貴方はこれから、ヒトとして、魔族である彼女を守りなさい。……せいぜい、頑張ることね』

そして、幻聴は何処かへと消えていった。
ぐちゃり、ぐちゃり、ぐちゃりと、淫靡な音が一層、激しくなって聞こえてくる。

「あああっ!? ル、ルーク様っ! お願いですっ! 待って! 少しでいいからぁっ!!
このままだと、私、溶けちゃう、溶けちゃうよおぉっ……!」
「――――そんな君も少し見てみたいな」
「……ッ! ルーク様の、馬鹿ぁ……あ……そこ、らめええええええぇぇっ!!!」

言葉は続けられなかった。頭の中が真っ白になって、再び全身が男の魔力を貪っていく。

感情を司る力、魔力。それは二人の間を、絶え間なく巡り続けた。
いつしか陽は昇るだろう。明けない夜は無いのだから。けれど、二人の夜はまだまだ続くのだった。






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