シチュエーション
![]() 齢、29歳と364日、19時間。 彼女どころか女友達さえいた覚えがない時間、同上。 全く以てどうしようもない童貞である。 社会人の一端して働き始めてからは、もう彼女や結婚など考えたくもないぐらいに頑張っていたから、なおさら。 30歳まで童貞なら魔法使いになれる、とはよく言った話だが、このままだと一生涯童貞のままなのは考えるべくもない事実。 いや、それでもいい。 フィギュアやアニメ、ゲームがあれば、リアル女なんて必要ないと考えてもいるのだから。 「さて。晩飯でも食うか」 腹部が訴える空腹感に、一旦思考を打ち切る。 考えるのが面倒などではなく、考えたくもないというのが事実なのだが―――それを誤魔化すべく上着を着て、戸締まりを徹底し、そそくさと家を出た。 「――――っ!?」 ドクリと心臓が跳ねる。 夕食を売り切りセールで購入した帰り、いつも通り過ぎる公園のベンチに、『ソレ』はいた。 視界の端に偶然入っただけなのに、気にも止めずにいたのに、寒ささえ忘れる程の何かが僕の足に絡み付き、動きを止める。 「くっ・・・そっ・・!」 「あは、素敵な素敵なお兄さん?」 ベンチに座っていた『モノ』が立ち上がり、近付いてくる。 街灯でうっすらと見えるシルエットは、ひどく華奢で、幼く見えるのに。 「(逃げないと・・・ヤバい!?)」 「ねぇ、一晩で良いわ、私を泊めて下さらないかしら?」 「(う、おおおおぅっ!)」 声さえ出なくなる重圧の中で、僕は脳内にて気合いを入れると、震える身体を無理矢理に動かした。 全力疾走なんて高校の体育祭以来だった僕は、自宅の前に着いた頃には、尋常ではないぐらいに息を荒げていた。 だが、『アレ』に捕まるよりは遥かにマシだ――『アレ』は何か知らないけれど、間違いなく我が身を脅かすモノだと、第六感が訴えかけていたから。 「あらあら。ひどいですわね、一目散に逃げ出してしまうなんて。か弱い美女のお願いを、聞いて下さらないのかしら?」 「・・・ちっくしょう」 背後からの声に、僕はうなだれた。 さっき公園のベンチにいたヤツが、もう追い付いて来たと言うのか。 「一晩で宜しいのです。人の世界は初めてですの、前も後ろも解らない私を、どうか一夜泊めてくださいませんか?」 「人の世界?コスプレかなんかのなりきりか?」 「違いますわ。私の名前はドライアド、性欲に堕ちた夢魔の一人ですの」 「夢魔?・・・あぁ、くっそ寒いな・・」 彼女――ドライアドと名乗った――の言葉を聞き流しながら、僕は家に入った。 大方コスプレかなんかのグループで集まったら財布を落としたかなんかだと思い、仕方なく彼女を家に入らせた。 それが僕の人生を一変させる事件の引き金になるとは、夢にも思わないままで――。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |