シチュエーション
![]() 男の汗にまみれ、そして彼の体温を感じて目が覚める。 ずっと、抱きしめられていたらしかった。 また少し、記憶が飛んでいる。 男が自分から離れて、後始末を済ませているところを覚えていなかった。 「気がついたか?」 男は微笑を浮かべて美香を見た。 「あ………」 美香はなぜか急に恥ずかしくなって、全裸の胸を腕で隠した。 「シャワー、浴びに行くか?汗とかで、気持ち悪いだろう」 「ええ……」 男につられて、身体を起こしてベッド下に降りようとしたが 美香は足元がふらついてしまった。 「おっと……」 男の力強い腕で背中を支えられる。 足腰に、力が入りきらない。 数多くの強烈な快感を味わったツケは、甘い脱力感を伴って 美香の下半身から力を奪っていた。 「歩けないのか?無理もないな…… あれだけ、乱れちゃ……」 そう言うと、男は美香の身体を軽々と横抱きにした。 「あっ………」 その姿勢から、自然と彼女の腕が男の首にまわる。 落とされないように、しっかりと抱きつく。 そのまま、湯船にお湯を張る間、美香はイスに腰掛けるように 言われて待っていた。 使い捨てのスポンジにボディソープの泡を立てて、男は 美香の身体を拭ってくれた。 思いがけなく、優しく愛撫を加えるような手の動き。 胸も、首筋も、ひきしまった腹部も、背中も… 愛おしむように、そっと男の手があちこちを這った。 美香は、あんなにも感じて悶えた後だというのに、これだけで 濡れはじめているのを知った。 自分が、まるでセックスのことしか考えていないような 色情狂になったような気がする。 そうさせたのは…この男。 お湯で身体を流してもらった後で、美香はまだ洗っていない 秘所を自分で洗い清めたかった。 「あの……」 「ん?なんだ?」 男は、そらとぼけたように振り向く。 その表情から、男がわざとそこを洗わなかったとわかる。 「ああ、そうか…。そこを、きれいにしてやらなくちゃ、な……」 「いいです…、自分で……」 慌てて美香は伸びてきた男の手をさえぎろうとした。 「ほら……足を開けよ」 「…………」 ここでまでも、嬲ろうとする… なんていう男だろう。 美香は男の好色さに、内心身震いがする思いだった。 逆らっても無駄とわかっている。 美香は、お尻の下が丸くえぐられた形のイスの上で 足を開いた。 男の指が、じかにそこをさぐりにくる。 太ももにまで滴った愛液はもう乾いているのに、そこだけは まだ潤んでいる。 「ん………?」 わざとらしく、男は驚いたような声をあげた。 「濡れてる………」 小さく、そう呟かれて…美香は、身の縮む思いだった。 「いやぁ……」 恥じらいのあまり、思わず声をあげて男に抗議する。 「また、感じてきたのか?」 驚きと、好奇の入り交じった視線を向けられる。 「敏感なんだな……」 言いながら、男の指が…膣の口をくすぐる。 だめ………! 美香の中で、白い閃光のようなものがはじけた。 「だめ……。もう、ゆるして……」 これ以上、されたら…… 頭が、おかしくなってしまいそう…… 身体も、どうにかなってしまいそう…… 歓喜の強さとともに、自分が自分でいられなくなるような 崩壊の予感。 「冗談だよ…。今夜は、もうさすがに無理だ」 そうは言っても、男の股間のものはまだ萎えきってはいない。 美香は、てっきり男の身体を洗うように言われると思った。 が、彼は自分でさっさと身体を洗い終える。 出るときも、身体が思うように動かない美香を抱き上げて タオルで丁寧に拭ってくれる。 バスローブを着せ掛けられて、男も自分で着る。 「疲れただろう……」 男が含み笑い、美香をベッドに運んで横たえる。 部屋の照明を暗くして、「もう、寝よう」と言われた。 美香は、男に寄り添うようにした。 間もなく、男は寝息をたて始める……。 本当に寝入ってしまったのか確かめようと、男の表情を見つめる。 荒削りだがシャープな印象の、精悍な顔立ち。 おそらく30前後くらいに見える。 この男に、囚われ、繰り返し犯された。 そんな中でも美香は、その行為にどうしようもなく歓びを感じていた。 屈辱の姿態を強いられても、嘲るような冷笑を向けられても、 なにものにも代え難い快楽を与えてくれる。 身も心も、すべてが男に向かって開かれていきそうなほどに。 おまえは、マゾだ。 そう男に断言されてしまうまでは、美香は自分の性癖を特段 意識することはなかった。 卑猥な言葉を浴びせられたり、焦らしを加えられたりすることに 興奮を覚えてはいた。 それが、マゾヒスティックな倒錯した感情の発露だということに 気づいていなかった。 いやだと思いながらも、男に抱かれ、感じていた。 思い返すだけで、身体が恥の感覚で燃えてしまうような、普段の 自分からは想像できない陵辱を受け続けた。 自分はもう、狂いはじめているのかもしれない。 疲労は澱のように身体に沈殿している。 興奮して寝付けない、と思っていても頭も重く感じる。 考え続けることもできなくなり、美香もいつしか眠りに落ちていった… 眠りの中で、また男の手が胸をさぐっている。 押しのけようとしても、その手は愛撫をやめようとはしない。 優しく、乳房全体をそっと撫でる。 声をあげようとする唇を、男のそれが塞いだ。 軽く唇を合わせるだけのキスが、もどかしかった。 男の首に腕を回して、もっと深く、せがみたくなる。 半分覚醒しているようで、まだまどろみの中にいる状態。 そんな心地よさに身を浸して、いつまでもこうしていたいと思う。 夢ではなく、現実に男に愛撫され、唇を吸われていた。 それがわかっているのに、身体が重くだるく、自由にならない。 まだ眠りの中を漂っている身体のせいで、目を開けることもできない。 男はますます大胆に、半分眠っている美香の乳房に唇をつけた。 ビクッ、と顔が震える。 瞼がどうにも重く、目を閉じたまま眠りを貪ろうとしている。 それでも、乳房を吸われ、乳首を指で弄われるうちに意識ははっきりと してくる。 声も出せず、身体もほとんど動かせずにいるのに、美香の身体は 男に応えていってしまう。 浅い眠りから醒めかける時のような、金縛りに近い状態だった。 男の顔が、締まった腹部へと下りていった。 密かに自慢に思う、58センチの細くくびれたウエストラインを 撫で回される。 「細いな……」 男は、感心したように小さく呟いた。 それは美香に聞かせるためではなく、男の独り言のようだった。 だからこそ、誉めているのが真実味を帯びてくる。 そう思うと、美香はこらえきれなくなって溜息をついた。 男の逞しい腕が、美香の両足を開かせる。 何をするつもりなのか…わかっている。 太ももの間に顔を埋めて、いきなり大陰唇を舐めてくる。 はあっ、と思わず美香は大きく息を吐いた。 下から上へ舐め上げるようにされて、こらえきれずに腰が蠢いてしまう。 そのうちに小陰唇にまで、ぬらついた舌の責めが加わる。 触れるか触れないかの微細な動きと、ゆっくりと美香のそこを 味わっているかのような責め。 ぴちゃぴちゃと、聞いている美香の方が恥ずかしくなるような 粘っこい水音を立ててすする。 もう、彼女の身体は男に目覚めさせられていた。 濡れていくのも、どんどん感じているのもわかっているに違いない。 目を開くことも億劫だったはずなのに、快楽で気持ちが高揚していく。 声を殺しながら、感じているのを悟られまいと精一杯だった。 薄く目を開いて、自分の股間を責める男の様子を窺う。 時々、上目遣いで美香の顔を見やっている。 きっと、まだ眠ったふりをしていても、男にはわかっているに違いない…。 そろそろ、限界も近くなっている……。 彼女の好む、膣口へと浅く舌を入れる責め方をされて、ついに美香は 声をもらして喘いでしまった。 「あ!……ああ、あっ!」 耐えられない………。 それをされると、もう……。 いってしまいそうに、なる…… 男は舌先を膣の内部でかき回すようにして、美香の快感を増幅させる。 指でも、感じて膨らんだクリトリスをそっと撫でられる。 その瞬間、美香は鋭い絶頂感に襲われて、身を震わせ、反りかえらせた。 「あああっ………!!」 めまいがするように、頭がふらつく……。 腰が甘くしびれて、まるで力を男の舌に吸い取られてしまったように 感じる。 ようやく目を開けることができると、部屋は薄明るくなっていた。 まだ焦点の定まらない、美香の潤んだ瞳に男の顔が映った。 「おはよう……」 男は、なんともいえない笑いを浮かべてそう言った。 こんな場面に相応しくない、からかうような暢気な挨拶。 あまりのことに動転して答えられない美香に、さっきまで 女性器を嬲っていた唇でキスをされる。 「んんっ………」 もう、こんなことにも馴らされて、それほど抵抗もなく受け容れてしまう。 ディープキスで、ひととおり舌で口内を探られる。 やっと唇が離れると、美香は男に尋ねた。 「今…何時くらい、ですか?」 「まだ、朝の5時半だよ。昨夜は2時くらいに寝たんだ」 それじゃ、まだ3時間ちょっとくらいしか、眠っていない…。 それなのに、この男は… 寝る直前に、今夜は無理だと言っていた矢先なのに。 なんて性欲の強い、激しい男なんだろう……。 まだ頭の中で、いろいろな考えを巡らせている美香を、男は抱き起こす。 「ほら。四つん這いになれよ」 言いながら、美香をうつぶせにさせる。 また、するつもりだ……。 「いや……」 さすがに、小さく男に抗議する。 「ほんとうに、いやなのか?」 そんなわけがないだろう、と言いたいのか、男は美香の濡れた秘所に 指を差し入れてきた。 「ああっ……!」 指先が、的確に美香の内部で感じる部分を探り当てた。 「ここが、おまえの感じるところなんだ。欲しいんだろう?」 「いやっ……。いや、だめっ……」 拒否する言葉を口にしていながら、美香は興奮を隠せなかった。 ここで拒んでみせたところで、犯されるのは間違いない。 「朝からするのも、いいもんだぜ。二人で過ごした初めての夜、ってやつだ。 いい記念になる……」 男は可笑しそうにそう言った。 そういえば、会ってまだ二度目だというのに、もう一晩一緒に過ごしている。 指を引き抜く寸前にさせると、男は美香の耳元で囁いた。 「ここに、もっと太いのが欲しいんだろう?」 熱い吐息とともに、淫らな言葉を吹きかけられる。 それだけで、また愛液で潤っていくのがわかる。 「濡れてきてるぞ……」 男はそこから指を抜き、彼女の頬に愛液を塗ってこする。 「いやぁ……」 恥じらって首を振る美香の腰を、ぐっと高く持ち上げる。 顎をベッドにつくような形にさせ、尻だけを高く掲げるような姿態。 ウブな男なら見るだけで勃起してしまいかねない、淫猥な 男を誘うための体位だった。 「ほら。足を開け」 言われた通りに開いたつもりでも、男には不足らしい。 「もっと、こうだ」 男の手で、ぐっと股間を押し広げられる。 男の言いなりに、従順なおもちゃのように扱われる……。 性欲を満たすための、玩具になったような気分になる。 屈辱感はあっても、それさえも美香の歪んだ快楽を生む 小道具のようなものだった。 やがて、男が美香の秘所に熱いものを押しつけてきた。 「はぁ……」 美香の吐息にも、熱がこもり始めていた。 早朝からの愛撫に応えて、濡れきったそこに男の怒張がぬめる。 そこを執拗に、先端だけで擦りつづける。 そのうちに、美香が我慢しきれなくなるのを計算ずくでのことだろう。 さんざんに昨夜嬲りぬかれたその後で、今また淫らなポーズを とらされて、犯されようとしている。 焦らされているのが、美香の被征服感に拍車をかけた。 はやく……。 はやく、きて……。 「もう、感じてきてたまらないだろう。……入れてやろうか?」 きっとまた、美香の口からせがむまで、男は許さない。 息を弾ませるだけの彼女のそこに、ごく浅く亀頭が入ってきた。 「ああ!あんっ………」 美香は、せつなくうわずった声をあげた。 もっと感じたくて、はしたなく腰を揺すってそのものを引き込もうとする。 「自分から、腰を使うのか。おまえは本当に、淫乱な女だな」 呆れたような、嘲笑のこもった声で男は美香をいたぶる。 「そんなに、俺のちんぽが欲しいのか?」 「…………」 うなずきたかった。 恥も外聞もなく、そのことだけを欲したかった。 けれど、わずかに残っている一片の矜持がかろうじて美香を支えていた。 「欲しいか?」 嘲りながら、美香の膣口に浅く先を入れては出し、入れては出すことを 繰り返してくる。 「はぁっ……。ああ、ああ………」 そうされるたびに、美香の唇から艶めかしい声が漏れる。 「答えろ。欲しいか、と訊いてるんだ」 男の声が低くなった。 「ほしい……。欲しい、です……」 「何を、どこにだ。はっきり言え」 「あ……あなたの、おち……んを、わたしの…… わたしの、おま……こに、入れて……。くだ、さい………」 激しい羞恥に耐えながら、美香はとぎれとぎれに哀願した。 男は、そこでまたくくっ、と笑った。 「よくも、ここまで言えたな……。だけど、まだ許してやらないぜ」 そんな……! 美香は絶望的な気分になった。 「欲しかったら、おまえ自身の手で、こいつを入れてみろ」 彼女の白く柔らかな手に、赤黒い邪悪な欲望の象徴が握らされた。 既にゴムを着けてはいても、それは手のひらに焼けつくような熱さと 驚くべき硬度を持って屹立していた。 「後ろを向いたままで、だ。……ほら。当てがって、入れてみろよ」 腰を高く掲げたまま、背後のものの位置を確かめながら、濡れた はざまにそれを導く。 なかなか、入らない。 入り口が濡れすぎているためか、滑って逃げてしまう。 「ほらほら…どうした?ちゃんと入れないと、気持ちよくなれないぞ…」 男は愉快そうに笑いながら、美香の悪戦苦闘ぶりを眺めている。 バックから、男のものを自分で入れるなんて、したこともない。 「おねがい……!いじわる、しないで……。」 美香は男に媚びるように、甘えた声音で言った。 「おねがい……。もう、入れてぇ………」 恥ずかしさを懸命にふりきって、美香は男にそうねだった。 「ふふふ……。入れて、ほしいのか?」 「入れて、ください………」 後ろにいる男の顔を見つめて、心底からそう願った。 「いいだろう……。入れて、やるよ」 そう言うと、男はゆっくりと美香の内部に侵入させた。 「ああ、あ………」 美香は、ようやく得られた固いものの感触を味わった。 頭がくらくらと、しびれるような感覚になる。 奥まで入り込んだそのものは、まだ抽送を始めてくれなかった。 もしかすると……。 「どうした?言われた通り、入れてやったぜ」 そこで、美香は男の意図を察した。 「ほら…さっきみたいに、腰を使えよ」 やっぱり、そうだった。 美香自身に主体的に動くようにさせて、男はそれを見て楽しんでいる。 突いてほしい。 ゆっくり、激しく、突いてほしかった。 「突いて…!お願い、突いてください……」 思わずそんなことを口走ってしまうほど、美香は焦れていた。 「突いてやるよ。だから、はじめはおまえが動け。わかったな……」 ……そう言われては、これ以上逆らうことはできない。 美香は唇をきゅっと噛みしめて、自分から前後に腰を動かした。 「ああ………。」 ゆっくりと、膣内をいっぱいに満たしきる男根を味わいながら 感じる部分へ当たるように誘導する。 「おまえは、よく締まるな……。俺のものに、吸い付いてくるみたいだ……」 男も当然感じているらしく、声が掠れている。 美香の腰に手を当てると、ようやく男が突き引きを始めた。 「ああんっ!ああ! ああ!………」 歓びが、美香の身体の奥深くではじけた。 男を迎え入れる部分が、熱く蠢きながら怒張を捉える。 感じる声をあげ続けながら、美香は頭からつま先までを貫くような 快楽の波に襲われていた。 「感じるか?ん?……締まってるぜ、感じるんだろう?」 男の声音にも、興奮が隠しきれない。 「ああん……。いいの……。ああ、いいの………。ああ………」 うわごとのように快感を訴える美香は、膣の中にもぐりこみ 奥をつつき、ぐっと引き抜く男根に夢中になっていた。 もっと感じたくて、逃がすまいとして時に意図的に、時に感じるあまりに 締め付けてしまう。 クリトリスでは割に簡単にイクことができる美香は、膣の内部では イクまでに時間がかかる。 気持ちいいと思う部分に、突かれたり、擦られたりと緩急をつけて 責めてもらわないと、イけずに終わることも多い。 それでも、この男には何度も何度もいかされた。 男の性の欲求の飽くなき強さには、美香も怯えを感じるほどだった。 いや………。 狂って、しまいそう。 このままだと、狂わされてしまいそう……。 狂ってしまえ、と暗い欲望がどこからか湧き出てくる。 このためになら、なんでもできると一瞬でも思ったはず。 自分から、男にしてほしい行為をねだることも、もうしている。 「お願い……!もっと……。もっと激しく、して……」 もう少しで、いきそうになっている。 もっと早く出し入れしてもらえたら、いける……。 「こうか……?ん?こうか……」 美香の頂点が近づいているのを悟ったか、男の動きはさらに激しさを 増して、美香を責め続ける。 「イキたいか?イキたいのか?」 美香を問いつめる男の口調にも、いつもの余裕はない。 このまま、何も考えられなくなるほど、淫らに狂いたい。 狂ってしまえ………! どこまでも、どこまでも、暗闇に墜ちていっても、いい。 こんなにも、自分が女だと感じたことはなかった。 こんなにも、感じさせてくれる男なんて、いない。 この人となら………。 「イかせて……。お願い、イきそう……。ああ…!」 美香はもう、息をつきながら男に身を任せているのがやっとだった。 「イかせて、やるよ……」 男はそう言うと、美香のクリトリスに指を這わせた。 つうっ、と充血しきったそこを撫でる。 途端に、美香は鋭い快感に腰が砕けそうになった。 「はあっ!あああ!ああ……!いくっ………!」 「出すぞ……。俺も、出すぞ……。ほらっ!」 激しくひくつき、まるで生き物のように勝手に蠢く膣の奥深くに 男の亀頭が大きく膨らみ、そして弾ける。 腰の奥が燃えて、炎が全身を覆うように広がっていく……。 美香の記憶は、そこでまた少しの間、途切れていった……。 ……身体を、急に揺さぶられて目を覚ました。 一瞬、自分がどこにいて、何をしているのかわからなくなり、混乱する。 美香は、がばっと布団をはぐり、跳ね起きた。 まだ裸のままで、ベッドで眠ってしまっていたらしい。 「起きたか?」 男はベッドの側で、美香を見ていた。 「よほど疲れたんだな…。もう、朝の10時だぜ」 「えっ……!」 男に抱かれていたのは、早朝の5時半過ぎくらいだった。 終わってからの記憶がないのは、失神してそのまま眠り込んで しまったからなのか。 「このまま居たいんだがな、昼近くになったら仕事に戻らなきゃ ならない。おまえも、自分の家に戻ってゆっくりしたいだろう」 美香は、まだ呆然としながら男の言葉に頷いた。 ……仕事? そういえば、この人の仕事って…何をしてるんだろう。 「日曜なのに…仕事、って?」 美香は率直に男に尋ねた。 「あとで、名刺を渡してやるよ」 男は意味ありげに含み笑いながら言った。 「シャワーでも、浴びたらどうだ?」 「ええ……」 美香は身を起こし、少しふらつきながらベッド下に下りた。 「身体は、大丈夫か?」 「はい………」 眠ったおかげで、なんとかシャワーを浴びることはできた。 今は空腹と、朝の後背位のせいで、腰が重くてだるい。 シャワーから戻ると、ベッド脇の簡易応接セットのテーブルに 簡単な食事が用意されていた。 「え……?これ……」 「今、ルームサービスを頼んだんだよ。腹も減っただろう。 今日は外で食事してる余裕がないんで、こんなんで悪いけどな。 着替えて、飯にしよう」 そういう男は、シャツとスラックス姿になっている。 昨日、美香を縛ったネクタイは、まだ締めていない。 美香は慌ただしく着替えを済ませ、乱れた髪をブラシで整えると 化粧もそこそこに席についた。 男はテレビのニュースを見ながら、ハンバーグステーキのセットを 素早く平らげていく。 美香は食べるのが遅いので、男と同じハンバーグをやっと三分の一 食べたところだった。 「美香」 急に名前を呼ばれ、驚いて男の顔を見上げる。 「来週、また週末に会えるか?」 次に会う約束を取りつけようというのか、男は美香の顔をまじまじと見つめた。 「土日が休みなんだろう?」 「え、ええ…多分、大丈夫です」 大丈夫と即答したものの、美香は早く言いすぎたかと思った。 「黒澤…さんの、お休みは?」 美香は探りを入れるように、尋ねてみた。 「俺か?俺は、美香の休みに合わせる。その分、会わない時間に 取り戻せばいいんだ」 本気かそうでないのか、わからない笑みを浮かべて男は言った。 一体、この人は何者なんだろう。 今の会話で、ますますわからなくなってしまった。 さっきまでの、ほとんど夜を徹しての激しいセックスを4回もしていながら これから仕事に戻る? 土日が完全に休みのサラリーマンとは絶対に思えない。 「わからない、といった顔だな」 男は美香の内心を読みとったように言った。 「何の仕事をしてるように、見える?」 「………サラリーマンじゃ、ないことくらい……。 時間がある程度、自由になるってことですか?自由業?」 ふっ、とそこで男は笑った。 「まあ、そんなようなものだな。後で教えてやるよ」 結局、ここでうまくかわされてしまった。 美香が食事を終え、薄く化粧を済ませると、男はネクタイを締めて 上着を着た。 美香のコートを着せ掛けてくれる。 こういったさりげない仕草が、女慣れしているのを表している。 なぜかその時、美香の胸の奥に嫉妬の感情が湧いた。 「出るか。駅まで送る」 「時間は、大丈夫なんですか?」 「少しくらい、大丈夫だ」 なんだか、普通の恋人同士のようでいて、微妙によそよそしい 会話が少し照れくさかった。 美香よりもずっと年上だろう黒澤に、自然と敬語を使ってしまう。 エレベーターの中に入ると、肩を抱き寄せられた。 コートとジャケットの襟元をはぐられ、肩口に唇で吸い付かれた。 「やっ………!」 こんなところで、いまさら、何を…… 男を押しのけようとする前に、唇が離れる。 そこには、赤くキスマークが残されていた。 「消えたら、また次につけてやるよ」 にやりと笑うと、次は美香の唇を塞いだ。 「忘れるなよ。来週、まただ」 有無を言わさず、そう言い放つ。 その約束の印の意味で、これをつけたつもりらしい。 まもなく一階に着き、何もなかったような素振りでまた美香の肩を抱く。 美香は、今きっと自分の顔が赤らんでいるに違いない、と思った。 延長料金を支払って、連れだって表に出た。 外には、昼に近い穏やかな陽光が満ちていた。 ホテルから、数百メートル歩いただけで駅にたどり着く。 改札口で、男は美香に切符を買って渡した。 「そうだ。名刺を渡すの、忘れてたな」 懐から一枚取り出すと、裏の余白に何か走り書きしている。 「プライベートの携帯の番号、書いておいた。 何か困ったことがあったら、いつでも電話しろよ。メールでもいい」 手渡された名刺を見ると、美香は驚愕のあまりに目を見開いた。 思わず、目の前の男と名刺の肩書きを見比べる。 そこには、こう書かれてあった。 “黒澤探偵事務所” “所長 黒澤 貴征” “TAKAYUKI KUROSAWA” 私立探偵……。 興信所で、すべてを調べたわけではなかった。 この男、黒澤自身が探偵なら、そんな調査は朝飯前のはず。 当然、美香の身辺のことも自分自身で調べあげているに違いない。 それなら、昨日駅に来ていた美香を尾行して、捉えたのもすべて 辻褄が合う。 いや、それどころか最初の痴漢行為ですら、美香の行動パターンを 調べたあげく、近づいたのかもしれない……。 瞬間的に、これだけの推測が美香の脳裏をよぎった。 頭がふらついて、めまいの感覚に襲われる。 貧血で倒れないのが、不思議なくらいの混乱した精神状態だった。 黙って薄く笑っている黒澤が、美香の驚きと戸惑いをすべて 俯瞰して楽しんでいるようにしか思えない。 彼女の身体の奥が、熱く熱く、沸騰しているように思えた。 きっと黒澤の目を見据えると、右手を大きく振り上げた。 彼の頬へと命中するはずだった手のひらは、あっさりと力強い掌で 掴まれてしまった。 「意外と、気が強いんだな。惚れ直すよ」 まだ笑いを浮かべている黒澤に、美香は精一杯の険しい目つきで 睨め付けた。 「ベッドでは、あんなになるくせに、な」 かっと、美香の内部で恥と怒りの衝動がないまぜになった。 「みんな…みんな、知ってたのね!私のこと、調べたんでしょ。 それで、私を……あんなことして、ものにしようと……」 「レディが、こんなとこで大きな声を出すなよ。みっともないぜ」 男は落ち着き払って、美香の怒りなど歯牙にもかけない。 日曜の昼間、改札口で痴話喧嘩をしているカップル。 周囲を通りすがる人々の好奇の視線の的になる。 「俺は、おまえを気に入ってた。それは確かだ。 最初に抱いた日におまえから訊いたことが、本当か確認するために 動いた。そうして、今の情報に辿り着いたわけさ」 もう、何も言い返す気力もなくなってうつむく美香に、黒澤は淡々と言った。 「それが、おまえを傷つけたなら、謝る。不愉快な思いをさせたな。 すまなかった」 男は美香の目を見据えて、真剣な表情で謝罪した。 そんな彼の様子を見ていると、心が揺らぐ自分が情けない。 あんなにも、繰り返し抱かれ、乱れてしまった。 二度目の昨日は、自分からここへやって来てしまったほど。 黒澤に指摘されるまでもなく、美香は彼に惹きつけられていた。 セックスの激しさと、時折見せる優しい表情、仕草。 激しい憤りと脱力感、哀惜の情と恋慕…… すべてがいちどきに美香を襲って、混乱の渦の中にいる。 「ひとりに、させて……」 それだけ言うと、美香は男から離れようとした。 「待った。忘れ物だ」 黒澤は、美香に小さな紙袋を渡した。 怪訝な表情を浮かべる美香に、彼は言った。 「今日は、ゆっくり休め。また、いつでも連絡をくれよ」 誰が連絡するものか、と言えない自分が悔しかった。 美香は大きく溜息をつくと、重い足どりでホームへと下りていった。 (二部、というか二章、完。三章へ続く) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |