シチュエーション
![]() 「依頼って、どういうのが多いんですか?」 「こういう盗聴探知とか…あとは身辺調査、結婚調査だな。浮気調査も 多い。まあ、このへんのことが主な内容だな」 「おまえの家の近所に、時間貸しの立体駐車場、あるか?」 「ああ…あります。家のちょっと裏手側に」 「ワンルームのマンションか?」 「ええ…うちは1LDKです。リビングが10畳ちょっとあるから広めだけど」 そういえば、充分に掃除はしてあったのか、今になって気になる。 黒澤の自宅が、男所帯なのにきちんとしていたから、なおのこと。 「もうすぐだな…」 黒澤は呟いた。 「外の分電盤とかの調査が先だな。寒いし、おまえは中に入って待ってろよ」 「ええ……」 美香は内心少しほっとしていた。 その間、掃除機くらいはかけておきたい。 美香の指示する立体駐車場に乗り入れて停める。 そこから、トランクを下げて美香の住むマンションの前に佇む。 まず家の外から調査をするというので、美香だけ中に入る。 おそるおそる電話機を見ると…着信はやはり30件も入っていた。 履歴は非通知が20件に、公衆電話が10件。 一晩家を空けていて、この数字…… 時間は、深夜や明け方にも及んでいた。 応答はしたくもないが、やはり気味が悪くていやだった。 溜息をつくと、エアコンを入れて掃除機を引っぱり出してざっとかけ直す。 トイレや風呂場の水回りも、気になって少し洗う。 この部屋に、もうすぐ黒澤が入ってくる……。 昨日は突然思いもかけず彼の自室に誘われて、昼までともに過ごした。 そして今日は、想像もしない形で彼を招き入れることになるなんて……。 不安感も強かったが、期待している部分も大きかった。 ドキドキと胸が高鳴っていくのは、決して盗聴探知のせいだけではない。 10分以上も経った頃、黒澤は紙とノートを持って部屋に入ってきた。 人差し指を口に当てて、「喋るな」というジェスチャーをする。 紙に整った字で「外には異常はなかった。これから室内を調べる」とある。 トランクを開けて、探知機らしい機材を取り出す。 あまり大げさなものではなく、せいぜい縦横20センチくらいの大きさだった。 それを操作して、メーターにあたる部分を食い入るように見つめている。 メーターは触れもしない。 美香のCDコンポのラジオをつけて、しばらくそれも聞く。 間もなく消して、今度はテレビのスイッチをオンにして、砂嵐の画面に変える。 13から17チャンネルの間にして、それらの画面をひとつひとつ観察する。 こういう行為に意味があるのか、探知機ははっきりとした兆候は出さない。 「仕掛けられてないぞ」 黒澤は唐突に言った。 「盗聴だけでなく、盗撮も疑ったんだが…その気配なしだ。 純然たる電話ストーカーか。音声の録音でもして、解析するしかないか…」 黒澤は機材を収めながらそう告げた。 「…じゃ、電話に出なきゃいけないの?」 美香は怯えたような顔をして黒澤の方を向いた。 「そうしなくちゃ、無理だな。もっとも、相手にだんまりを決め込まれたら ちょっと地道に調査しなきゃならないな」 「電話に出るのが、こわいの…。悪意のあるものかもしれないし」 ためらいがちに言う美香の両肩を掴んで黒澤は励ました。 「それはわかるけど…向き直らなくちゃだめだ。こういうのは、知人による ものが多いんだ。いやがらせにしろ好意にしろ、おまえに自分を注目させる ための手段なんだ。相手を特定できたら、次にその相手との現実での 関係を改善させる手がかりになる。 もっとエスカレートする前に、こうして手を打たなくちゃならないんだ」 「…そうすれば、こういうのは止むの?」 「ああ。その相手との和解ができれば自然と止む。相手は対話を求めてる。 だからこそ電話をかけてくるんだ。おまえと話したいんだよ。 ただ単純に、おまえの声が聞きたいのかもしれない。 電話を受けないでいたら電話の回数が増えただろう。出て欲しいんだよ。 その意志を、何度もかけ続けることで表してるんだ」 それは意外なことだった。 黒澤のことだから、強硬に拒否する手を使うのかと思いきや、柔軟ともいえる 細やかな対応をしろというのだから。 「下手に出なきゃいけないの?」 美香は悔しそうに唇を噛んだ。 「誰だって、居丈高に見下されたり、頭から拒否されたら頭にくるだろう。 そこで逆切れして、ストーキングの相手を殺したりとかの刃傷沙汰になるんだ。 家族が遮断すれば、その家族も恨まれる。被害者の知人も、逃げた被害者を 匿ったばかりに逆恨みされて、ストーカーに殺されたりもしてたな」 美香の身体は震えはじめていった。 「悪かったな…脅かすつもりじゃなかったんだ。俺がいてやるから、出ても いい時間帯にかかってきたら、出て録音ボタンを押してみるんだ。 夜中や明け方には出る必然性がないから、拒否して大丈夫だ。一旦出れば そんな時間に電話が来ることも減るだろう」 美香の身体をきつく抱きしめながら、黒澤は軽く口づけた。 そのまま電話に向かうと、設定の変更を始める。 非通知拒否の解除、公衆電話拒否の解除をする。 「これで、また夜の10時頃にでも拒否に戻せばいい。それか、ずっと 留守電にしておくんだ。相手の声が録れればしめたもんだがな…」 「今夜は、そばにいて……。こわいの」 美香は黒澤に抱きつき、強くしがみついた。 「ああ。そばにいてやるよ。不安なら、ずっとこうしててやる。だから、無闇に 怖がらなくていい。……案外と、小心な男が告白したくてかけてきてるだけ かもしれないぞ」 黒澤は笑って美香の顔を撫でた。 黒澤の身体の厚みと、暖かさが美香を包んでいく。 すると、胸が押しつぶされそうなほどの嫌な気分の塊が、溶けていくような 気がした……。 「告白されたりしたことも、あるんだろう?」 「……何度か。お店の前で待ってて、好きです…だけ言って、走っていった 人もいるし、携帯の番号の紙を渡されたこともあったわ……」 「相手にしたのか?」 「いいえ…だって私、その時にはつきあってる人がいたから。断ってた」 「今言い寄られたら、どうする?」 黒澤が意地悪げに声をひそめて尋ねた。 「どうする、って……」 美香は上体を起こして、困惑顔で黒澤を見上げた。 「なんていうんだ?」 「……それは……」 美香は、まだ素直にこの男のことを恋人だと認められない。 傍から見ても、状況からいってもそうだとしか思えないのに。 始まりのきっかけがあんなことだからといって、こだわりを持ち続けている。 そんな頑なな自分が、少し嫌になる時もある。 身体も、そして心さえもこの男に向かっているのは確かなのに。 「……つきあってる人がいるから、って言うわ……」 美香は恥ずかしさで、顔を彼の胸に埋めて言った。 「俺のことか?」 承知の上でいるくせに、わざわざ聞き返す。 「……そうよ。そう……」 美香は顔を上げられずに、彼の身体に回した腕の力を強めた。 「俺のことが好きか?」 重ねて確認するように畳みかける。 「……意地悪!」 美香は顔を伏せたままでいようと思っても、黒澤の手に顔をぐっと持ち上げ られてしまう。 「俺の顔を見て言えよ。好きか?」 いつになく真剣な表情の彼に、そう問いつめられては答えるしかない。 「……好きよ。好きになっちゃったの。……ばか、私……」 それだけようやく言い終えると、再び彼の胸に顔をつけて黙り込む。 最後の一言は、自分を責めるものだった。 とうとう、言ってしまった……。 これでもう、戻ることはできない。 自分で、黒澤の虜になってしまっていることを告白するなんて。 このつかみどころのない、謎めいた男にこんなにも夢中だなんて。 「俺も、好きだ。美香……おまえに惚れてる。 ……最初に見かけた時から、おまえのことが気になって仕方なかった。 どうやって近づけばいいのかもわからないで、強引におまえをものに したことは、悪かったと思ってる。 あのとき、ほんとに衝動的にあんなことしちまったんだ。それでも…… セックスだけじゃなくて、おまえに惹かれてる。いい年して、みっともないほど」 黒澤は美香の身体をぐっと抱きすくめながら、耳元で熱く囁いた。 美香は胸が詰まって、何も言えなくなってしまった。 ちょっと気を抜くと、涙が浮かんでしまいそうになる。 「美香……」 低く、甘くそう言われると、無言のまま美香は目を閉じて顔を上げた。 優しいキスが与えられる。 そのまま座り込んで、リビングのスペースになっているカーペットの上に 身体を横たえられる。 美香は自分から彼の首に腕を回して、キスをねだった。 黒澤もそれに応じてキスしたまま、美香の乳房の膨らみをセーターの布ごしに まさぐる。 唇を夢中で合わせて、こらえきれない溜息をつく。 好きよ……好き。 いつのまにか、こんなに好きになってたの。 はじめて抱かれた日から、ひと月も経ってないのに。 だから認めることができなかった。 まだ数えるほどしか会ってない男を、しかも身体の関係だけで繋ぎ留められて いる男を、好きな筈がないと否定していた。 そうしないと、自分が淫乱な女だと思ってしまうから。 でもそれだけじゃない、セックスでいたぶられる時以外にも惹かれていたのに。 昼間あんなに抱かれるのはもうたくさん、と思っていたのに。 気持ちがわかった途端に、こんな…… 愛撫を受けているだけで、もっと欲しくなってしまう。 静寂が包んでいた部屋に、不意の電話のベルが鳴り響いた。 美香は跳ね起きて、途端に現実の恐怖感に引き戻された。 「出てみろ。普通に名乗るんだ。録音ボタン、だぞ」 黒澤も仕事の顔に戻る。 表示は公衆電話になっている。 美香はふるえる手で受話器を取って、のろのろと耳に当てた。 「もしもし。朝倉です」 努めて平静を装いながら、美香は録音のスイッチを押した。 受話器の向こうでは、公衆電話特有の「プーッ」という音がする。 「もしもし。朝倉ですが、どちらさまでしょうか?」 もう一度言っても、相手はまだ無言のままだった。 小さな呼吸の音が聞こえる。 「もし……」 その前に、突然電話は切られてしまった。 「切られたわ」 受話器を置くと、美香はほうっと大きく溜息をついて天を仰いだ。 「どれ、着信履歴を見せてみろ」 最後の電話は、およそ1時間前だった。 「ご丁寧に、定期的にかけてきてやがるな」 黒澤は吐き捨てるように乱暴な口調で言った。 「まあ、もっともこれでどうなるかわからないが。…回数は減ると思うけどな。 向こうが野郎なら、今頃おまえの声でも録音してて、それを聞いてるかもな」 「やだ……」 美香はゾクッと背筋に怖気が立ってしまう。 「次にかかってきたら、また出なきゃいけないの?」 「つくづく、電話にいいところを邪魔されるな。昨日といい……」 黒澤はにっと笑って美香にそう言った。 「昨日のあれは、邪魔にしてなかったじゃないの。ひどいことしてくれたわね」 美香は拗ねたように腕を組んで横を向いて見せた。 「あいつ、おまえのこときれいだって誉めてたぜ。惚れてるかもな」 「……そんなことして、楽しいの?」 はあ、と大げさに息を吐く。 「わかんないわ…あなたって人。真剣かと思えばふざけてて、優しいのかと 思えば底意地が悪いことも平気でできるのね」 呆れ果てて、そんな言葉を投げかける。 「興が殺げたな…。外に何か食いに行くか?」 美香の文句を黙殺して、しれっとした顔でそんな話題をふる。 「そうね……。でも飲むなら、車は置いていかないと……」 「それはそうだ。バス停が近くにあったな?」 「駅前まで出れば、いいところたくさんありますよ。案内しましょうか?」 「このへんなら、俺だってよく知ってるよ」 電話を留守電にして、二人は夜の街に出ることにした。 洒落た西洋居酒屋風の店に入り、美香も珍しく酒を飲むことにした。 いやなことを忘れるには、こうしているのが一番楽だった。 アルコールに溺れる人の気持ちが、少しわかるような気がする。 気がするだけで、実際には美香は深酒をしすぎると気分が悪くなる。 心地よく酔いたい。 食事をとりながら、ゆっくりしたペースで飲み続ける。 かなり甘いカルーアミルクを一杯飲むと酔いが回ってくるのがわかる。 顔も身体も、どこもかしこも熱くなっていく。 とりわけ下半身が疼いてきてしまうのが、美香を戸惑わせた。 さっき電話の前に、床の上で愛撫を受けていた残り火に、今更ながら アルコールが火をつけたようだった。 黒澤の整った顔を、潤んだ瞳でまじまじと見つめる。 美香は熱い吐息を漏らした。 なぜだか、今急に抱いて欲しいと痛切に願っている。 優しく抱かれるよりも、なにもかも忘れるほど、激しく責めて欲しい……。 「なんだ?見惚れてるのか、俺に?」 からかうような声を聞いても、美香は視線を逸らさないで彼の目を見つめる。 “……抱いて” ほとんど唇の動きだけで、そう伝える。 それを瞬時に悟ったらしいのは、この男の鋭い洞察力の故だった。 「そろそろ、行くか……」 美香はうなずくと、彼の腕にもたれかかった。 会計を済ませて、黒澤がタクシーを拾う。 お互いに無言のまま、肩を寄せ合って座っている。 まもなく美香のマンションに着き、黒澤に腰を抱きかかえられるようにして 部屋に辿り着く。 「大丈夫か?」 ベッドの上に身体を伸ばして美香は言った。 「大丈夫……。少し、身体が熱いの。気分は悪くないから、心配しないで」 黒澤がちらっと電話を見る。 「何も用件も、履歴もないぞ」 「そう……」 黒澤がエアコンを入れて、ホットカーペットもスイッチを入れる。 「冷蔵庫、開けるぞ。何か冷たいものでも飲むか」 「ええ……」 美香の作り置きしてある十六茶を持ってきてくれる。 その冷たさが、身体に浸みとおって気持ちがいい。 「熱い………」 美香はそう言うと、自分から大胆にセーターを脱ごうとする。 「おい……」 美香が決して普段見せないような素振りに、黒澤は動揺していた。 「だいぶ酔ってるみたいだな」 「酔ってて悪い?……あなたの言ったとおりね。私、酔うとしたくなるみたい」 そんな男を誘うような言葉さえも、唇から出てきてしまう。 「忘れたの?…きのう、あなたが言ってくれたじゃない」 美香はそう言いながらも、スカートを脱ごうとしている。 黒澤の手にかかると、それがあっけなく床へ滑り落ちた。 ストッキングも脱がされて、白のスリップと下着の上下だけになる。 黒澤も、自分の服を脱ぎ始める。 今日は青のブリーフだけになると、美香の下着を外してシャワールームへ 抱きかかえていく。 狭い浴室に、シャワーの暖かい湯気が満ちていく。 彼が、美香の身体を優しく洗ってくれている。 快さに浸りながらも、心の内では激しい愛撫を待ち望んでいる。 美香の身体をタオルでくるんで、ベッドに運んでくれる。 黒澤は、自分の髪を拭いながらその様子を見ている。 美香の寝ているベッドに腰掛けると、近づいて唇を合わせてくる。 「縛って……」 美香の口から、耳を疑うような要望が出た。 「激しくして。お願い……。何もかも、忘れさせて……」 可憐な唇から続くのは、哀切な響きのこもった願いごと。 黒澤は美香の裸体に覆い被さると、すぐに情熱的な唇での愛撫を始める。 「あっ……。あ……」 美香の両腕を背中に回させ、身体に押さえつけながら、ベッドの側に 落ちていたハーフカップのブラの肩ひもを外して取る。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |