シチュエーション
![]() その日の私は、少しコンディションが悪かった。 なんとなくだるくて、肌を合わせる気がしない、そんな日もある。 でもそういう時に限って、男はいつも仕掛けてくる。 「今日はイヤだよ、したくないの」 「ふぅん・・・そうなんだ・・・」 言いながら、横になっている私の傍にするっと近づく。 男の態度はその言葉とは裏腹だ。 「疲れているの、このまま眠ってしまうかも……」 伸ばされた手を邪険にふりはらうようにして、ゆっくりと目を瞑った。 「いいよ、寝てしまっても・・・」 耳朶から顎へ、そして首筋、肩先へと…男の手の平が包み込むように辿っていく。 肩から二の腕へ…着衣越しにじんわりと体温が伝わる。 あたたかい…さっきまでの刺々しい気分が、ちょっとずつ溶けていくようだ。 そう、セックスなどしなくても、触れ合っているだけで、こんなにも気持ちよくなれる。 いちど離れた手は、今度は膝の外側から太腿の外側にかけて、 手の平がひたりと吸いつくように、そおっと撫ぜるように、少しずつ上っていく。 腰のふくらみ、ウエストのくびれ、 そして脇腹にまで辿りついた時、思わず小さな溜息を漏らした。 「ほぅっ……」 しまった、と気づいた時はもう遅い。 胸の少し手前で止まっている手の平、いつの間にかそこから先を期待して、 体のどこかがモヤモヤと疼いて、そして小さく失望している・・・ そんな気持ちを、すべて見抜かれてしまっている。 「しないんだったよね?」 男は確認するように、耳元で小さく囁く。 首筋に吹きかけられた吐息で、ぴくりと感じてしまうのを、 必死で気づかれまいとして、思わず横を向く。 「そう…よ……んっ……」 止まった手が再び動きだした、胸の丘陵を下から上がってくる。 頂上の手前で一旦とまり、脇の下あたりから、そして胸の谷間から・・・ 胸の裾野のあちこちから、マッサージをされるように、撫でられ・・・そして。 手が胸の頂点に達する期待感に、肩先がこわばった一瞬を見逃さず、 指の付け根のくぼみが、着衣ごしに乳首の尖りを的確にとらえ、 軽く引っ掛けるように弾きながら、男の手の平が丘陵の頂を乗り越えていった。 ・・・びくん・・・今度は声を漏らさないことに成功した。 それでも、体全体をゆっくり撫でさすられた事で、少しずつ熱くなって昂ぶって、 最後の乳首へのひと刺激だけで、足がゆるりと蠢き、背が小さく反りあがった。 それを見て男は手を止めずに、畳み掛けるように上下に乳首を擦って弾き続ける。 ・・・くっ・・・唇を小さく噛んで堪える、じわりと足の間に熱く溢れる感触がある。 『今日のコイツはちょっと強情だ・・・』男はそう思っているに違いない。 被虐の気持ち、支配されたい気持ちは、いつも持っている。 感じてしまえばすぐにでも、「されるがまま」になってしまいたい。 スイッチは、感じればいつでも入ってしまうから。 でもそれでは、単純すぎてつまらない。 セックスも音楽のセッションと同じ、響きあってより感じられるものだ。 ほんのささやかな抵抗、それを押しのけて圧倒的に支配する力。 そして屈服・・・そんなものを今の私は望んでいるのだから。 そんな気持ちを知ってか知らずか、男は愛撫の手をとめると、私の胸に顔を近づけた。 「…ぁくっ!…」 衝撃で体が大きく弾んだ。 与えられたのは快感ではなく「痛み」だった。 男は私の服の上から、乳首を口に含み、そして軽く歯でぎりりと噛んだのだ。 それまで快感にたゆたっていた私は、驚きと怒りの両方で、 自分の真上に体を入れ替えた、男の顔をあらためて睨みつける。 無言のうちに視線が絡みあった。 男は私の両脇に両手をついて、見下ろしながら、 私の苦悶と苦痛の表情を見逃すまいとする。 その表情は、普段の穏やかな雰囲気と、微妙に違っている。 私が快感や苦痛で「被虐」のスイッチが入ってしまうように、 この男もまた、私の抵抗や苦痛の表情で、スイッチが入ってしまうのだ。 睨みかえす私の視線から目を離さずに、そのままもう1度シャツの上に口をつける。 着ているシャツの胸元は、男の唾液ですでに色が濃く変わっていた。 再びぎりり、と乳首に「痛み」が与えられる。 さっきよりもう少し強く噛まれる・・・痛みから逃れようと、体が少し暴れた。 それでも「痛み」の感覚が、どこかゆるやかに「痺れ」に近くなっていくのを、 私はじんわりと感じていた。 「痛いってば、やめて!」 次の瞬間、反射的に私は男の両手で押さえつけられた。 両手は左右に広げられて、握力の強い男の両手で掴まれている。 足の間には、男の片足が入り、大きく広げさせらる。 大の字で何かの標本のように、布団の上に留めつけられている。 服のままでも大きく広げられた足は、秘部を視姦されているような、 濡れた部分を見透かされているような、そんな不思議な感覚がある。 きつく握りしめられた手首からは、じわりと快感に近い痺れが伝わってくる。 このまま蕩けて、堕ちていってしまいそうだ・・・ それでもささやかな抵抗を試みる、もっと貪欲な被虐の気持ちのために。 少しだけ動く手首から先を、抗うように動かしてみる。 その途端に、手首にかけられた圧力がもっと強まる。抗うこともできないほどに。 「離して、ほんとに痛いの…」 「いや・・・離さない・・・」 血流が止まってしまいそうな手首への強い圧迫、じんじんする痛みと痺れ。 舌なめずりをするような、男の強い視線に晒されながら、 私の苦悶の表情は、やがて陶酔に満ちたものへと変わっていく。 「く…くぅっ!……はぁ…はぁ……」 今の私は、男の愛撫を受け入れている訳でもない。 ただ、強い力で抑えつけられているだけだ。 それなのになぜ、感じてしまっているんだろう。 荒くなっていく自分の息遣いのなかで、小さな疑問が湧く。 でもその理由も、もう考えられない。 私はここで、すべてを男に委ねて屈服する。 何もかも放棄して解放して・・・心地よさだけに浸るために。 はぁっ はぁっ はぁっ 離して 許して お願い 心のどこかで、そう叫んでる、でも言葉にならない。 抵抗する気持ち、受け入れる気持ち、せめぎあってぶつかりあって、陥落する。 男の唇が、再び胸元に近づいた。 「…ふ…くはっ……ああっ!!……」 もう1度つよめに乳首が噛まれる。 そして噛んだまま、少しの間じっとしている。 苦痛の時間がひきのばされる。 ほんの少しの身じろぎ、それに合わせてくいっと手首にかかる力が強まる。 胸と手首と、両方の痛みで、頭の芯が痺れたようになって、 つきぬけて、それから白くなった。 ふと気がつくと、手首の力は緩められ、乳首への痛烈な刺激は終わっていた。 肩を揺らして息をつきながら、私はたった今イってしまっていたのだと、 やっと気がついた。 脱力したようになっている、私に向かって、頭の上から男が呟いた。 「お前はほんとにマゾヒストだな・・・」 背筋がぞくりとする。 自覚はしていても、何度言われても慣れることのない、その言葉。 そう、でもたしかに私はマゾヒストだ。 でもそれなら、この男はどうなんだろう。 自分からサディストであると、告白した事はない。 最初に縛ってくれと言ったのは、私だ。 男はいつも私に合わせてくれていると、ずっと思っていた。 たとえ私のMの蓋を開けてしまったのが、他の男の手によってだとしても。 それとも私の小さな裏切りを、この男はとっくに気づいているのだろうか。 「続きは、また明日・・・な」 そう言って、立ち上がろうとする男の首筋に、私はそっと両手を伸ばした。 縋りつくようにして、こちらから唇をあわせる。 男は一瞬とまどったような顔をして、それから深く唇をむさぼった。 互いに唾液を絡めあい、舌で探りあう。 男の口腔内に侵入して、絡まりあった私の舌が、急に強い力で吸いとられる。 引っ張られ、舌の付け根がじんとする。 綱引きに負けたような思いで、糸をひく唾液とともに、私は唇を離した。 「いたい…舌が抜けちゃうよ……」 もう1度力を失って、私は呟いた。 嘘をつくと地獄に堕ちて、閻魔さまに舌をぬかれるんだったよね。 じんじんする舌の痛みと一緒に、そんなつまらない空想が、頭の中に湧いてくる。 ふふっと小さく笑いながら、体を離し、男は立ち上がった。 小さな嘘、小さな裏切り、それでも私はここに、この場所に帰ってきた。 すべての赦しを得るために。 そうして私はこの男と交わるたびに、またひとつ衣を脱ぎ捨てるのだろう。 たとえそれが独りよがりの錯覚だったとしても、今はそれで良いのだと思う。 男に微笑みかけながら、私はゆっくりと目を瞑る。 そしていつか、この男に聞いてみたいのだ。 「あなたはサディストですか?」 と。もうその答えはわかっているのだけれど。 今日でなくていい、きっといつか……。 そう考えながら、私は深い眠りにおちた。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |