イワナ
-2-
シチュエーション


「キス」
「え?」
「キス、させて」

イワナの顔は一瞬だけ曇った。
何をどう学んできたんだろう。キスとは、誘惑、告白、愛撫、いくつもの意味がある。

(取扱説明書をきちんと理解しなき。技術だけで女の子が感動するわけないじゃない)

そのとき、イワナの視界が再び真っ暗になった。
今度は部屋の照明でなく、まるでストッキングのような柔らかい素材で、目隠しをされたのだ。
そして、唇は塞がれた。

長い時間、それは続いた。

イワナにとって、久しぶりの感触だった。熱い粘膜が自分の口に吸い付いてきて、自分の全てを求められたことを実感するキス。
でも、今のはただのシュミレーション。この彼は、私でただの体験をしているだけ。

でもイワナは彼の姿を自然に調べていた。

(この人、人間だわ・・・・)

舌、歯、唇、イワナの目と手の抵抗を封じる腕、その全てが熱い・・・・・・。

彼の腕が浴衣を割ってイワナの胸に入ろうかどうか、迷っていた。

「じらすの、好きなのね」

イワナが言うと、彼の手はすとんと胸に入ってきた。

「ねえ、教えて・・・・・どんな地球のカルチャーを集めていたの?」

浴衣の胸は左右に広げられ、はだけられた。
それと同時に彼の口はイワナの口から離れた。イワナの身体は彼に抱き寄せられ、より密着させられた。
彼の口はこのままどこへ移って行くのだろう。
そんな展開と引き替えるかのように、彼は話し始めた。

「世界の、主だった国の、面白そうな情報を集めた」
「やぁん、や、ら、し、い、ぃ・・・・・」

インドのカーマスートラ、ヨーロッパのどこそこのアブノーマルカルチャー、アメリカの自己啓発系カルチャー、日本は・・・・・。

「源氏物語、四十八手、2ちゃんねる」

イワナはこけた。まだまだ素晴らしい古典があるのに。寄りによって!

「・・・・・そう、それで何が面白かったの?」

「アブノーマルは、過激になっていけばいくほど・・・・」

彼は言葉を選んでいるらしい、沈黙をした。

「面白くなかった」

イワナはほっとした。

「でもあなたはSMの気には興味無いの・・・・・?こうして誘拐したり・・・・はぁ・・・・・駆け引き・・・ん・・・・」

彼の手の動きに遠慮が無くなっていった。もしかして照れか?羞恥心があるのだろうか。
だとしたら感情のレベルとしてあまり低くはない生き物なのかもしれない・・・・。

「自分が・・・・マゾだってこと?」
「まさか・・・・この関係をよく見てみて。立場としては私よりあなたが上でしょう?」
「こんな身体をして、自分、うろたえさせて、君のじらしが、誘惑が、どんなにきついか・・・・」

彼の片手はいよいよ下へ降りてきた。
イワナの堅く閉じた太股に割って入ろうとして、力を入れていた。
でもイワナの脚の抵抗が強いので、一旦前から入るのは諦め、太股をなでまわしてからお尻へ手をすべらせている。
イワナは両腕を捕らえられながらも、動かせる部分を動かして、彼の身体の形の情報を探っていた。
イワナの手が下へ降りていくと、彼は上手に身体をよじらせて避けた。
イワナが抵抗するたび、浴衣の前は、上も下もはだけて身体があらわになっていった。

「ねえ・・・・女の子をイカせるテクに興味があるの?エッチな気持ちとか、シチュエーションに、あるの?」

イワナは甘い声をまぜながら質問をした。
彼の手がイワナのお尻をなでまわしていた。イワナは腰を動かして逃げるが、限界がある。

「一番、深い、感動を、オーガズムを、記録してみたいんだ」

指が陰唇を捕らえた。

「テクだけじゃ、ない、深さが、ある。それを手に入れるのが、レベル高そう」

昨日のように、陰唇の外側から刺激を始めた。

「でも、面白そう」
「あぁ・・・・よく分かってるわね。そうよ。ほんものの愛があって、女の子は、やっと、深く、イケるのよ・・・・・」

イワナは安心した。これで作戦を立てやすくなるかもしれない。
イワナに隙ができた。彼の手は素早く前に回った。
すだれをかいてかき分け、中に沈んでいく。
イワナの息が荒くなっていく。

「あれを・・・・・身体に埋めて、君が自分の前に現れたとき、この人は、自分が、今まで、見たこともない、力を、身体に、秘めてるんじゃないかと、思った」

「仕方がないじゃない」
「ねえ、君の、身体は、どうしたら、もっと興奮するの・・・・繁殖、しても、いいよって、たくさん、たくさん、震えてくれるの・・・・・」

イワナの身体は布団に横たえられ、組み敷かれた。
彼は横抱きでイワナを抱えると、片手はイワナの両腕を封じ、片手で下の芽を刺激していた。

「私の両腕、押さえなくていいわよ。目隠し、取らない。その代わり、教えて。あなたが素敵だと感じた、地球の女の子はどんなタイプの子?」

彼の腕が黙ってイワナの腕からはずれた。
イワナは彼の手がまた彼女の脚を開脚しないよう、自由になった両腕で、彼の胴体に抱きついた。
相手と密着することで、エッチはより安心してリラックスしてできる。それが脳波で伝わったらしい。
彼もイワナの顔の横に自分の顔をうずめて、興奮していた。息が荒い。
イワナは膝を動かして彼の身体も調べようとしていたが、そのたびに彼は逃げ、芽への攻めがきつくなった。

「例えば、日本の外の国の古典には、権力者に組み伏せられて喜ぶ女の子が出てくると思わない?あれは昔の話なのよ」
「そうらしい。でも、歴史検証の前に、やることが、あるんじゃないの?」

イワナの身体はますます反応を深めていった。
頭の中がときどき快感で白くなるのをやめられなかった。

「時間は、無限に、あるから。データを、もらったら、話も、しよう」

イワナは心の中で、よく言った、と思った。褒めておかないと。

「あぁぁぁー・・・・・ん、嬉しいぃー・・・・!」

今日の攻めは昨日と変わっていた。
芽への攻めが執拗にえんえんと続く。芽の下の口からも、すでに体液がぶくぶくぶくぶくと溢れ出ていた。

「今日のテーマは、クリトリスなの?」

イワナは、地球上では恥ずかしくてとても堂々と口に出して言えなかった言葉を言ってしまった。

「他の、場所が、触って、やって、欲しいって、興奮してくるはずなんだ。ここだけで、どれだけ、興奮を、高められるか、時間は、無限に、かけるよ・・・・」
「あぁー・・・・・ぁん・・・・ぁ・・・・いじわる・・・・・」

確かに、下の口の奥では、官能の火がつきそうになって、身体の組織が興奮していた。
興奮に備えて、身体の通路には、あとからあとから熱い体液が沸いてきて、なみなみと溜まってきていた。

彼はいろいろな角度、さまざまな力加減で芽を責めていた。
そして、突然ぷつんとその手を離した。
イワナの陰部は点火されたまま放置された。

「どう?興奮する?」
「触って、やめないでって、言って欲しいの?」

目隠しの下の唇は、興奮で赤く染まっている。そのずっとしたの唇も・・・・・・。
下半身はピクン、ピクン、と波打っていた。

「んー・・・・・ん・・・・・ぁん・・・・・・」
「意地っ張り。ブライドが高いの?」
「そう思う?」

しばらく考えてから、彼がお願いをしてきた。

「耐えてる様子を見たいんだ。開いて見せて」

イワナは横向きになって、身体を丸め、拒否の姿勢を取った。

「きゃあ」

脚は大きく開脚された。イワナは両手で自分の顔と頭を覆ったが、目隠しは取らなかった。
彼の顔も、見せてくれる気になるまで、時間をかけて、心を開いてみるつもりになった。

「ああ、あとからあとから溢れてきて、いい子」

その言葉に反応して、さらに下の口は体液をぶくっ、ぶくっとはきだしていた。

「よがって。たくさん、よがってよ。もっと、もっと、いい子に、なって」

そして彼は、初めて油断したらしい。きわめて個人的な感情を口にした。

「でも、抱かれたことが、ぜんぜんない男でも、どうしていろいろ、想像できる、女がいるんだろう」

イワナはあられもない姿で我に返った。同時にまざまざと昔の記憶がよみがえってきた。

高校生の時、イワナは電車に乗って、時折母の実家に遊びに行けるようになっていた。
小さいときは母や、家事手伝いにきていたノノギが、ベンツなどに乗せて連れて行ってくれた。
母が亡くなってからは、ノノギが母親代わりに家事や社会常識を仕込んでくれた。
父が超常現象の研究や取材の旅行で留守のときは、母の実家で祖父と話をしたり、夕食を食べたりした。

ある日、いつものようにリビングで、祖父への取り次ぎを待っていると、一部屋置いた奥の部屋から尋常ではない怒鳴り声がした。

「のーのーぎいー!だからこのビルの負債が、どうしてこんなんなるまで放っとかれたんじゃあ!」

多人数の従業員で、会計係のノノギの夫を責めているらしい。

「会計係は弱みにぎられんなって、普段からあんだけ言ってたろうがあ、ゴルァ!」
「今回の件では親分もめっちゃ腹に据えかねてもいいくらいなんだぞ、ほんとうは!」
「それをどうして叩き出されもせずに生かしといてもらえると思うか!お前の女房がな、身を挺して親分に尽くしてるからなんじゃあ!」
「女房に脚向けて寝られんもんだっちゅうに、それを若いガキのような女に隠し子まで産ませてっちゅうにこのバチ当たりが!」
「いつか天罰食らうぞ!覚悟しとけい!」

当時はバブルが終わり、誰もが明日に希望を無くし、閉塞感が多くの人の心を覆っていた時代だった。
ノノギの夫は、元は国立大学の経済学部を出て、アメリカにも留学経験のあるエリートである。
バブルには、一度自分で企業も興している。バブルの衰退とともに倒産した。
そのバブルの夢が忘れられず、夢のようなエリート像をいつまでも持ち続け、人にだまされているうちに、イワナの祖父に引き取られたのであった。
男として、要するに非常にだらしないのであった。
人にきゃあきゃあと持ち上げられるのが大好きで、大ばくちのようなビジネスに失敗すると逃げ、次に知り合った人間にまたホラを吹かずにいられない質であった。

そんなノノギであったが、妻には死ぬなどと言いながら、情熱的に求愛したらしい。

ノノギはまだ夢を見ていた。親分がもっと勢力を広げてくれたら、日本一の組織になってくれたら、バブルなんかへでもないのに。
どんぶり勘定で金銭を数えながらビジネスをして、不況であえぐ一般人に見せつけながら、女の子に喝采されたかった。
くだらないダジャレを言っただけでもきゃあー!と女の子が俺様を求めてくれれば楽しい。
女の子が次々と俺様に抱かれたがり、うるんだ瞳で見つめ、身をよじって憧れてくれると楽しい。
要するに楽したいのである。楽してものすごくいい目を見たいのである。
女の子を口説くのはたるい。作戦を練るのもたるい。
俺様は好きなことだけして、でもたくさんの女の子が俺様を愛してくれるのがいい。
エゴの固まりである。
妻の愛も尊敬も当たり前にそこにあって欲しかったのだ。

でも親分は保守の姿勢を崩さなかった。

「かたぎさんが憲法第九条を守ろうと命張ってる時に、なんで自分たちが血なまぐさいことやって、男気とかに酔わなならんのよ」

時折そういって血気はやる従業員をなだめていた。
従業員の中には、ひきょうな一般人の取引先から弱みを握られたり、作られたりして、屈辱に頑張って耐えているものも少なくはなかった。

従業員の、古株の有力メンバーにも、親分の方針に納得できない者もいた。
そんな血の気の多い、エゴの強い従業員たちが、闇に隠れてまとまりだし、ノノギの夫も言いくるめていくのは時間の問題であった。

「パスポートとっとけ」

妻にはそれだけ言った。二人で香港に高飛びして、新しい親分たちがほとぼりが冷め、いいと判断したときに戻ってこれると、本気で信じていた。
妻はことを悟った。

高校生だったイワナはそんな大人の事情を何も知らなかった。
ノノギの夫が激しく叱咤されていた日から何日もたっていた。
期末試験が終わったその足で、イワナは祖父の家に来た。
いつもは、イワナのセーラー姿を見て可愛いと褒めそやす従業員たちが、いない。
リビングの大窓からカーテンをわずかに開いて外を見ると、「ゴルァー!」と叫びながら従業員が車に乗って急発進するところであった。
これが戦争らしい、とイワナは分かった。話には聞いていたが、本番の戦争に居合わせたのは初めてだった。
逃げたいとは思わない。祖父の無事をまず確かめたかった。
足音を忍ばせて、寝室のある二回にあがっていった。

寝室のふすまの向こうから話し声がした。

「姐さんよ」

祖父の声だった。

「わしは行かなきゃならねえんだよ。子の暴走を止められなかったのは親であるわしの責任、けじめつけに行かねばならんのよ」

年代物のふすまは、すみずみまでよく探せば隙間が見つかるものである。
イワナが覗いたその先に、自分の母親代わりのノノギの妻が居た。

「罠と分かっていても、親としての筋を通さないとならん事態になったんじゃ」
「親分逃げて・・・・私と逃げてください」

ノノギは、目の覚めるような金色毛皮のコートをゆっくり落とした。
その背中には、イワナが赤ん坊のころからなじんでいた美しい鳳凰が居た。彼女はパンツ一枚であった。

「親分・・・・・お許しください。親分の姐さんが亡くなられてから、私はずっと、ずっと・・・・」

「もうええよ。奈良からこっちへ出てたときに、よう付いてきたなと思っとったけど、お前はいっとう金筋の女や」

イワナの祖父はもともと奈良で、自分を見いだしてくれた先代の親分の跡を継いで家業をしていた。
大阪から油断も隙もない勢力が伸びてきて、娘であるイワナの母親が東京で結婚したのを機に、東京の片隅に進出してきたのであった。
第二次大戦直後に率先して働いて作った人脈が生きたのだった。

「親分を、待ってました・・・・」
「方言がこけにされる土地に来て、黙って耐えて、娘もイワナにも良くしてもらって、お前は最高の身内じゃったよ」
「親分・・・・」

泣いていた。イワナの大好きなおばちゃんが泣いていた。
ふすまから覗くしかないイワナにはよく見えなかったが、そのときその寝室の窓の外がチカッとだけ光った。
妻は迷わず親分に抱きついていった。

チュー・・・・ン・・・・・と金属音がした。
どさり、と音がして、妻の美しい身体が畳の上に倒れた。
鳳凰のど真ん中が貫かれ、赤い血が細い川を作っていた。

高校生のイワナにも、さすがに妻が何を祖父に求めていたのかは、言葉にしなくても理解していた。

親分は、イワナが聞いたことも無い声で吠えた。

「なんでじゃあぁぁー・・・!!」

その時イワナのセーラーの襟が乱暴に捕まれ、そのまま蹴破られたふすまの向こうに身体ごと押し出された。

「ののぎぃ!?」

夫はイワナに震える手で銃口を突きつけながら絶句していた。

「なんでだよおー!なんでお前が、お前がこんな姿で死ななきゃならんのよおーー!?」

夫の顔は今でも鮮明に覚えている。鬼のようであった。
その頃のイワナは、空手を習い始めたばかりだった。

「うおぉぉぉーーっ!!」

スカートがめくれるのも構わず、夫の隙をついて後ろ回し蹴りを決めた。
まだ格闘用に身体を鍛えていない時期だった。蹴りを入れた足が猛烈に痛んだ。
二発目は出来ない、そう思ったとき、ドン、と腹に響く音がして、夫の太股に親分の弾が当たった。
イワナは夫の手首を踏みつけて銃を放し、親分の方へ蹴った。
二丁目の銃は持っていないらしかった。イワナはわあわあと泣きながらむちゃくちゃに殴って蹴った。

「そんなにかたぎの弱みにつけこみ続けたいか!甘い汁ばっかり吸いたいか!人の隙や不正を喜びたいかコラァ!この悪魔!どあほぅ!男の中のクズ!」

夫の顔が鼻血でびしょびしょになった頃、イワナは堰を切ったようにわあぁぁぁぁーーと泣きながら、親分である祖父に抱きついた。
祖父は黙ってイワナを抱きしめ、背中と頭をなでつづけてくれた。
祖父の背中は窓に向けられていた。
窓を背にしても、豪華に光る調度品などの様子を見て、長年の勘で悟った。

イワナはいきなり壁際へ突き飛ばされた。次の瞬間・・・・。
チュ・・・ーン・・・寝室に、三人目の血が流れた。

イワナは走馬燈のように、わずかな時間で一連のことを思い出した。

『ノノギのおばちゃん』は、待ちながらずっと祖父に愛される夢を見ていた。
祖父は権力者だから好かれたわけではない。たぶん。
「男」として愛されたと言えるのではないだろうか。
でもこれをどうやってこの変態宇宙人に教えようか・・・・。
未熟だ!やっぱ私、女として未熟だなあ!
顔を上気させて、官能の反応を味わいながら、イワナはひとつ、結論を出した。

彼が去った後、畳の上には一台のアコースティックギターが出現していた。

(ギターと話するの・・・・・)

イワナが彼と会話したいときのために用意してくれた、スピーカー代わりの物体である。
ギターと語り合う自分を想像しただけで、イワナは重く落ち込んでしまった。

(お母さん、おばちゃん、寂しいよう。寂しいよう・・・・・)

大宇宙の星空がエンドレスで見られる窓の窓辺で、イワナは目が潤んでくるのを止められなかった。

しばらくイワナはめそめそしていた。
ふと気づくとイワナを後ろから彼が抱きしめていた。
部屋の照明は相変わらず、わずかに薄暗い程度にしぼられている。

「しらべていて段々分かってきた。地球の愛の特徴が」

彼は話し続けた。

「ホームシックにしてごめん。周りの人のことを次々思い出しているみたいだね。詳しくは分からないけど」
「・・・・・なんでもよくお見通しなのね」
「非常に不思議なのは、時折自分の遺伝子情報が全然残らない、自分に近い種族の繁殖にも繋がらない無償の行為をする人間がいるってことなんだ」
「すごいわねー。あなた、言葉をとぎれとぎれにしないでしゃべれるようになってきてる」
「うん」

彼は当たり前に返事をした。まるで何時になりましたよとか、ポストは赤いですねとか、そういう当たり前すぎることを言ったかのように、ドライに返事をした。

「言っとくけど、無償の愛がなければ人類は今まで生きてこれなかったからね」
「ふーん・・・・」
「でもね、無償の愛っていうのも抽象的で、理解や継承がすごく難しいの」

イワナの父はイワナに、昔宇宙へ向かって打ち上げられたあるロケットの話をするのが好きだった。
当時の最先端科学を全てつめこんで、超合金の板に地球の情報を、図解できざみいつか宇宙人に拾ってもらい、返事をくれるかもしれないという企画だった。
ロケットは延々飛び続けてどこにも落ちないかも知れない、落ちても、そこが未進化の星だったり、生物のいない星だったら意味がない、とイワナは反論した。
ブラックホールに吸い込まれたら一貫の終わりである、とも言った。
でもいいのだ、と父は言った。
宇宙人から返事が返ってくる確率というのも、数字で聞かされた。いくらだったかは忘れてしまった。
そういう途方もない実験に、大金を注ぎ込む意義はあるわけだし、スポンサーをほんとうに説得してしまった人間がいるからこの実験は実行されたのである。
人間とは、どうしてもどうしても、時々非合理的なことをやるように出来て居るんだ、と父は言った。
一人が無茶をやめても、まただれかがばかばかしいことをやる、どうしても止められないんだ、と父は言った。
どうして?とイワナは詰め寄った。
アダムとイブが知恵のりんごを食べてしまったからなんだ、と父は答えた。

イワナはこの話をとつとつと、彼に話して聞かせた。
彼は長い間考えていた。

「あなたのやっているコレクションも、実はすごくばかばかしいことで、あなたの星の人にとってすごく価値のあることじゃないんじゃない?」

イワナは窓に目を向けたまま言った。

「もちろん想像で言ってるだけだけどね」

彼は、そこで再び、自分のことを語りたくなったようだ。

「聞いてくれる?」

イワナが腕を組んでもたれている窓が、きしみ音もなく開いた。
そしてそこは映画館のようなスクリーンになった。

「自分の、星」

画面に丸い惑星が映った。白銀の真珠のように、一面光っている。
地球は大気に覆われているけど、ここは氷河期のような氷に覆われていて、その氷の下に空洞が出来て、生き物が住んでいる」

「だから進化の過程で寒さに適応できないものは生き残れなかった。先祖は、確実に生き残る手段として、クローン技術を完成させた」

その後、星の冷却は進み続け、長い時間を経て、生殖機能が退化してなくなってしまった。
そして、彼らの星は現在クローン技術で生き物が生きながらえている。
それでも、遺伝子の混合も技術的には可能である。
もともと生殖機能が退化する前でも、遺伝子は男女きっちりフィフティフィフティに合わさって、子孫が作られる仕組みであったからだ。

それでも、生物たちは自分の新しい子供ではなく、クローンを欲しがった。
何故なら、恋愛や結婚などの「契約」が面倒くさくなったのだ。
我が子といえど、自分と違う人格は「他人」である。
それ相応の節度を持ち、尊厳を守り、適切な教育をしなければならない。
そんな暇は無くなってしまったのだ。

そして生物たちに神経症が流行り始めた。
この星の生き物にも、生殖器官があった頃の名残として、頭にはエクスタシーを感じるための快感許容量の余地があったのだ。
仲間との繋がりがないストイックな生き方の中で、免疫が落ち続け、低体温が悪化の一途をたどる。
その病気の新薬、または医療機器を発明すれば、星全体の役に立つ。
そうして研究されたデータが、赤いルビー色の記憶物質に入れられたのであった。

「だからただの趣味ではないつもりなんだ。でもこれを作ったのは、いわば自分の父親にあたるものなんだ」
「えっ、じゃああなたにはお母さんも・・・・・」
「いる。正確に言うと二人いる」
「二人!?」
「遺伝子をもらった母親と、その母親を選んだ母親がいる。複雑だから理解しなくていいよ」
「え、聞きたい・・・・・・」

イワナはスクリーンに向かって目を見張り、好奇心全開にした。

彼はイワナが聞きたがっていることからは話をそらした。

「ともかく自分はただの純粋な、試作品遊びをしていると思ってくれていい。地球の男の子がベットの下に官能的な本を隠していたりするのと同じ次元で考えてくれ」

エッチ雑誌と宇宙船を同じ次元にして考えろと彼は言う。

「今まで言った星ですごかった星」

今度は赤黒い色の惑星であった。

「身体を見るとどう見てもオスとメスなんだけど、することやパーソナリティーが全く逆の星」

だから、メスをデータ収集相手に捕まえても、人格は全く男なのでかなり面食らったという。

次は土星のように星の周りに輪がかかっている星だった。

「メスに不思議なくらい生産能力が無い星。学問やビジネスをすると重病にかかってしまう。でも知的に高い。今、それを生かす方法を医療的に研究している」

能力向上によって身体に発生する拒否反応を抑える研究が進んでいる。
でもメスの社会進出の賛成派と反対派がみごとに別れて、一触即発状態になっていもいる。

「生産出来ない分、メスのエゴが強くて極端。地球で言うホルモンが暴走状態になってきていて、環境破壊が原因だとかいろいろ言われている」

だから虚弱なメスは初潮が来ただけで集中治療室に入る例も出てきた。
一目惚れや片思いが始まっても、体質的にエゴが強いメスは相手のオスを殺してしまう。
そうしないと精神的に破壊されてしまうからである。
合わないメス同士の確執はもっと悲惨で、その執着の仕方は核兵器級という。
めでたく相思相愛で結婚しても、いつオスもメスも殺されるか分からない。
なぜモラルや秩序がなかなか出来ないかというと、最後は「子孫を残さなければならないから」という課題が立ちふさがるからであった。

非常に珍しい形で、ドーナツのように中央が空いた状態の惑星もあった。

「地球で言うタツノオトシゴのような、無性別な生き物の星」

年に・・・・地球は公転が一回りで一年。この星も彼方の親星の周りを公転しているのである・・・・に一度、繁殖期がくる。
出生児は全部オスである。繁殖期になると、一部のオスがメスに「変性」する。
進化が進む前は、「変性」するオスは何故か自然に決まっていた。
進化するにつれ、オスメスどっちになれるのが名誉かという論争に発展し、それは今でも続いている。
義務教育の中で、幼いうちから自己決定権について教育し、成人までに各自決めなければならないことが法制定された。
そして成人後は、一切の不公平を無くすために、オスは兵役、「変性」予定者は・・・・・
彼は言いづらそうに、しばらく言葉を選んでから言った。

「繁殖期に、初体験することが義務づけられた」

成人前にパートナーを作れなかったものは、自分で相手を探して指名して、公的機関を通して「初体験」だけを申し込むこともできる。受け付けたオスにはそれなりの特典もあるらしい。
パートナーと死別したオスにくっついても良い。
繁殖期が終われば全員がオスに戻り、対等な関係で働く。
でも社会問題は起こる。
繁殖期が終わっても、次の年もその次の年もずっと特定のパートナーを求めるものと、特定するのが嫌なものがでてきた。
また、病気や事故で身体に変調をきたし、「変性」予定者を辞めたくなったり、また予定者になりたいという途中変更希望者が現れているのだ。

最後に、画面には青く美しい地球が映った。

「でも神経症やストレスがすごいのは、やっぱり地球だね。人格障害とか種類も複雑」
「2ちゃんねるとか見たからそう思うのよ」
「そのわりには戦争が徐々に減ってきている。モラルの意識が強まってきている。精神を病む人が多いのは外へエゴを出すのを自粛するからだ」

決して平和な星ではない。資源をあまり大切にする様子も無い。

「なんていうか、ぐずぐずしている星。でも、その分動植物や細菌の多さも断トツで、研究のしがいがあるんだ」
「住むとしたらどこに住みたい?」
「それはしない」
「何故?」
「昔、ある星が戦争を無くすために、自分の星のクローン技術を欲しがったことがあった」

彼らにはまだ生殖機能があった。氷の星は、進化を諦めないよう忠告した。
結果、クローン導入賛成派と反対派の衝突が激化、戦争が起こって星ごと消滅してしまった。

「もうあんな思いはしたくない。だから地球とはとくに関わりあいたくないんだ。近くを飛んで、ヲタク遊びをしているのがとても快適なんだ」

「孤独にならないの?」
「それも今の研究テーマの一つでね、地球人の帰属意識について調べて、自分の心理分析をしたいんだ」
「単純に寂しい、とかは思わないの?」
「君が来てから、すごく安定してる。これだけは言える」

彼は、日本の男の子なら滅多に言わないような言葉をさらりと科学者的に言った。

「あなたの仲間はどこ?あなた一人じゃないはずよね?」
「ああ・・・・」

彼は言葉を探してから言った。

「仲間はもっと巨大な母船にいる。でもこことは次元を越えた空間で繋がっているから、いつでも出入り出来る。いわば、鍵を自分が開け閉めできる子供部屋。親が来たらノックして、入れろって言ってくるだろう?」

彼は、手術設備の整った個人宇宙船と、エッチ雑誌を隠したベッドやゲーム、学習机がある子供部屋を、一緒に考えろと言う。

「思いついた」

彼は淡々と言った。

「旅行に行こう。バーチャルの。世界中どこにでも行けるよ」
「ほんとう??そんなことできるの!?」

イワナの声が裏返った。

「じゃあお母さん出してー!情報無かったら私教えてあげるから、バーチャルのお母さん作ってー!」
「それは・・・返事は待ってくれ!」

彼は珍しく慌てた。

地上のイワナの父親は、『左京事務所』の看板の下にいた。
父は見つけた。
整理されていない膨大な母の遺品の中から、一通の封書を。

『将来、イワナのことで重大なピンチがきたら開けてください』

と表には書かれていた。
中には一枚の真っ白な便せん。それにここの電話番号が記されていたのだ。
母と、ノノギの妻の署名、血判がしてあった。
受付で待たされながら掲示物を何気なく見た。ここは興信所であるらしい。

左京事務所の所長、妙子は父の話を聞き終わった。
肉付きの良い大きな身体。金髪。貫禄のある化粧と煙草。
父は土下座しながら嘆願していた。
まず一つはイワナを探すためにインターネット設備を使わせて欲しい。
もう自分のパソコンからは情報が宇宙人に筒抜けなのは明らかであるから。
次に、興信所の探偵技術で、地球外生命体とのコンタクトを取れる人物を捜して欲しいこと。
次に、自分は喧嘩の腕が無いので、拳銃を一丁欲しいこと。
最後に、拳銃の撃ち方始め、駆け引き、脅迫、取引などの技術を教えて欲しいこと。

「お願いします。自分の全財産を持ってきてます。お願いします。信じてください。娘のために命賭けたいんです。でもどこにどうやって賭けたらいいか、わからな過ぎるんです」
「・・・・・・マコトはん。話はよおーく、分かった。あんたの伝説は、ノノギの姐さんからよう聞きました」

「伝説だなんてそんな・・・・」

父が恐縮していると、奥から男の声がした。

「カフェ?オァ、ティー?オァ、サムシィング?」

父は世界を飛び回る研究者であるが、英語の質問は予期していなくて驚いた。

「アー、アイスウォータープリーズ。サンクス」
「あーっ、はっはっはっはー!ああおかしー!マコトはん、こいつうちの亭主やって何年経つと思いますのん?日本語はもうエロ用語までぺら
ぺらや!だまされとんのー!おかしーわ!」
奥からアジア顔の夫が出てきた。

「ナイストゥミートゥ。初めまして」
「・・・・・・初めまして」

妙子に大笑いされながら、二人は挨拶を交わした。

「マコトはん、こいつ、うちに捕まるまでは何してたと思います?」
「さあ?」
「香港で天才ハッカーやって世界をおちょくったあと、何もかも忘れたくなったいうて、出家してたんよ!寺に入ってたんよ!」

ネットの裏をかいくぐるのに、強い味方ができた。ほんとうならここで頼もしいことを言って、先方を持ち上げるのが常識的な流れだろうが、マコトは一般社会の乗りにうといので、ただただあっけに取られるのみであった。

「何もかも忘れたいのはうちも同じやった。元亭主は」

妙子はここで、奥の夫には聞こえないように声を落として言った。

「あの抗争の後、銃器不法所持、発砲で捕まって、それはいいんやけど。仕方ないんやけど、やけどな、獄中で目覚めやがったんや」

黙ってうなづいていればいいことを、父は正直に聞き返した。

「何にですか」
「お と こ に や !」

ここで初めて父は(しまったあ!)と思った。この純朴さ、鈍さでは大人の喧嘩は無理であると、父自身も妙子も思った。

「飲も!昔の話、したいわあ。マコトはんとお嬢さんのなれそめは、この顔に似合わずそりゃあすごかったというやないの。座りぃ!」

3つ出たグラスになみなみと焼酎がつがれた。






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