思い出は桜色で。
シチュエーション


その日のことはよく覚えている。
1999年の4月の第3日曜日。
誤訳だと判明したノストラダムスの大予言が、まだ一部の人間に信じられていた頃だ。
かく言う私もその一部の人間の一人だった。

当時、私は大学に入学したばかりで、地元から離れての初めての一人暮らしに対して、
楽しいというよりも寂しいという感情を抱いていた。
だから、同じ大学に通い、同じ町で先に一人暮らしを始めていた幼馴染のアパートに、
毎日のように遊びに行っていた。
彼の名前は日高悟。3つ年上の彼を、私はさとにぃと呼んでいた。

私は幼い頃から彼が好きで、休みになると家に行ってはよく遊んでもらっていた。
学校に上がってからは勉強も教わるようになり、ますますその気持ちは膨らんで行った。
けれど、高校2年生の冬、バレンタインデーに思い切って告白したときに、私の恋は終わった。
私は既にそのとき、彼に彼女がいるという事実を知らなかったのだ。
その失恋の後、なんとなく顔を合わせるのが辛くなって、徐々に疎遠になっていたのだが、
私の志望大学が奇しくも彼の通う大学と一致した。
再会したときの彼は、驚くほど変わっていなくて、胸の奥底の切ない気持ちをくすぶらせたが、
もう胸を締め付けるほどの強い思いはそこにはなかった。
私はただ、幼馴染のお兄ちゃんとして、彼を頼りにしはじめただけだった。

だけど、運命のその日。
私を玄関先で迎え入れた彼は、こう言った。

「お前、女らしくなったな。」

そのときの私は、胸元を強調するキャミソール、その上にカーディガンを軽く羽織っただけ、
下はジーンズという格好だった。
多少高めだったけど、思い切って買った、結構気に入っていたキャミソールだ。
胸の小さな私が着ても色気は出ないと思うけれど、デザインは可愛いのだ。
私は多少顔がにやけるのを感じながら、彼の胸板に拳を押し付けた。

「やっとわかったのぉ?あたしの魅力が。」
「いや、別にそういう意味じゃねえけど。」
「ふーん。ま、さとにぃには彼女いるもんね。」

軽く不満げに放った私の言葉に、彼が少し眉をひそめた。
その理由は私にもわかっていた。
彼女がいるのに、日曜日にデートもしないでアパートに一人でいる。
しかも、妹のような存在とはいえ、一応年頃の女である私を部屋に上げるなんて、
彼女との関係が上手く行っていればありえないことだった。

「上がっていい?」

答えを聞く前に私はミュールを脱ぎ始めていた。
そのときの私は、彼の複雑な気持ちにちっとも気付いてなんかいなかった。

彼の部屋は男の部屋らしく、余計なものがほとんどなかった。
万年床の香りが漂うベッド。冬にはこたつに変わる小さなテーブル。洗濯物。その他最低限の物。
毛が固めな絨毯に腰を下ろして、私は、焼いてきたクッキーを渡したりしながら、
いつものように他愛のない世間話をした。

――――と、思っていた。
この日のことはよく覚えているのに、なぜか会話の内容だけはすっかり忘れてしまっている。
それでも、何か彼のことを怒らせたのだという意識だけは残っているのだけれど。
少し離れた場所で寝転がりながら私の話を聞いていた彼の声色が変わった。

「お前、自分が挑発してるってわかってる?」
「へ?」

彼の鋭い眼光が私の視界に入る。
その表しようのない冷たさに私は少したじろいだけれど、言い返す気力が萎えたわけではなかった。

「挑発って何よ?」
「生意気なんだよ、お前。男の前でそんな態度とって無事で済むと思ってんの?」
「な、何よ。無事じゃなかったら何なのよ?」
「それ以上余計なこと喋ると……襲うよ?」

『襲う』という一言に、私の心臓は強く反応を示した。
けれど、私はまだ油断していた。
今まで何度も彼の部屋に来ているけど、彼は私を女として見たことなんて一度もない。
そう思い込んでいた。それまでは手以外の体のどこにも触れられたことが無かったから。
男性経験の乏しい私は、部屋で男女が二人っきりになれば、男なんてすぐに女を襲うものだと思っていた。
だけど、さとにぃが私に触れもしないのは、私を女として見ていないからだ。
そのことに少し残念な気持ちも無いわけではなかったけれど、
おかげで私は安心して彼を頼ることができた。
だから、迂闊にも喧嘩を売ってしまったのだ。

「襲えるものなら襲ってみれば良いじゃない。どうせ本気じゃないでしょ?怖くないもんね。」

その言葉を聞いた彼の行動は素早かった。
気が付けば、私の小さめの胸は両方とも、彼の手のひらにすっぽりと包まれていた。
後ろから私を抱いた格好の彼は、背中に胸を押し付けながら、私の耳元で囁いた。

「本当に良いの?」

私が誰にも触らせたことのない胸を容赦なく揉みながら、良いも悪いもないものだ。
立ち上がろうとした両手を絨毯に押し付けたまま、私は動けなくなっていた。
彼のことは勿論好きだったけど、胸を焦がすほどの恋心なんてもう抱いてない。
それに、私の理想のタイプの顔なんかじゃ全然ない。
初めての経験がこの相手……?そして今?私は悩んだ。

だけど、そのときの私には、ノストラダムスの大予言が思い出されてしまっていた。
もし数ヵ月後、人類が滅亡することになったら……?
セックスも経験しないで死んでしまうのは嫌だ。
18歳だった私は、初体験に対してかなりの好奇心を持っていた。
恐らく同年代の子は大抵そんなものだと思う。
高校時代の友達だって、恥ずかしそうにきゃーきゃー言いながらも、
様々な妄想を膨らませていたのだから。

このように思考をめぐらせていたのは、ほんの数秒だったと思う。
私はただ黙ってうなずいた。
彼の吐息が耳元に、頬に、首筋にかかる。熱い。
なんとも言えない感じが体中をかけめぐる。のちにこれが快感なのだと私は知ることになる。

とにかく、怖かった。
初めての経験に対する不安もあるのだが、それ以上に、よく知っているはずだと思っていた幼馴染の、
意外な一面を見ていることが一番怖かった。
やはり彼も一人の男なのだと、今更ながらに思い知らされた。
きっと私の薄い胸では、心臓の音まで彼の指先に伝わってしまう。

さすったり、揉んだり、様々に私の胸を服の上からもてあそぶと、
おもむろに彼はキャミソールの下から手を差し入れて来た。
冷たい感触が直接私の腹部に当たる。
四月の空気はまだ冷たく、彼の手も冷え切っていた。
私は焦った。もう脱がされてしまう……?

「い、いや……。まだ駄目……。キスもしたことないのに……。」

泣きそうな声で私が頼むと、彼は私の体を自分の膝の上に乗せながら、そっと床に横たえた。
そして、徐々に顔を近づけてきた。
こういう場合、目は閉じるべきなのだろうけど、私は怖くて目を閉じられなかった。
すると、彼の口が開いているのに気付いた。何故……?
思わぬ事態で、私は混乱していた。

私の唇に到達すると、彼は強引に私の口を開かせ、ねじ込むように舌を入れてきた。
目の前が真っ赤になった。私は強く目を閉じていた。
口内に侵入する異物が嫌で、私は舌を動かして排除しようとしたが、それはますます暴れ出した。
想像していた初キスの夢は脆くも崩れ去った。優しさの欠片も無かった。
それはただ、私を支配しようとするだけの力任せのキス。

強烈な印象に、私は勘違いしてしまった。
彼がキスと呼ぶのはこれくらいの濃厚なものなのだと。
ただ唇と唇を重ね合わせるだけのものはキスではないのだと。
無知というのは本当に恐ろしいものだ。

口を離すと、彼は私の頬を撫でながら荒い呼吸をした。

「初めての割には随分積極的だな。応戦してくるなんて。」

その瞳が私を軽蔑しているような気がして、いたたまれなくなって私は目を背けた。
違うとはなぜか言えず、私は身を縮めるだけだった。

「それじゃ、約束通り見せてもらうよ。」

先に私の背中まで手を入れ、彼は器用にブラジャーのホックを外した。
そして、するするとキャミソールがめくり上げられていく。
ほどなく彼の目の前に私の胸が晒される。

「小さいよね……恥ずかしい……。見ないで……。」

それで見ないでいてくれるとは思えなかったけれど、私は小さな声で嘆くように言った。
首元にまでキャミソールは押し上げられていて、その上に更にブラジャーのカップ部分もあった。
だけど、完全に脱がせるつもりはないようで、どちらも肩に紐がかかったままだ。

「うん。まあ、確かに。でも、形はきれいだよ。」

パッドを入れてごまかさなければならないほどの、ただでさえ小さい胸。
寝た状態ならほとんど膨らみも潰れて形もなくなってしまっているというのに、彼はそう評した。
寒さのせいでぴんと立っている小さな乳首。
その周りに円を描くように指先でなぞったり、軽くつまんだりしながら、彼は遊んでいる。
私は息を殺して、されることにじっと耐えていた。
気持ちよさなんて無かった。ただ、先の方がじんじんと痛いだけだ。
痛みに耐える私に、彼が救いの一言をくれた。

「舐めても良い?」

指で触られるから痛いのだ。
柔らかい舌で触れられれば、痛くないかもしれない。むしろ気持ちが良いかもしれない。
私は彼の言葉にすがった。

「良いよ。」

濡れた感触が当たった瞬間、痛みが消える気がした。
乳首を熱い口内に含まれると、思わず私も小さく声をあげてしまった。
けれど、軽く唇で挟まれるのが痛い。
私の顔はゆがんで見えるのだろう。彼は楽しそうなのだが、痛くてたまらない。

「噛まないで……。舐めて……。」

たまらず自分からお願いしてしまった。
彼は意外にも素直に私の頼みを聞いてくれた。
乳首や乳首の周りだけでなく、胸全体に舌をはわせてくれる。
触れられた場所に血流が集まってきて、熱くなってくる。少しかゆみも感じる。
私はもっとしてもらいたくて、半分は演技も込めながら、喘ぎ声を漏らし始めた。
初めてではあるけれど、案外自然に高めの声が喉の奥から流れてきた。

「ひっ……。」

痛みが走って、思わず息を吸い込んでしまった。
彼がまた乳首を唇を使いながら噛んだのだ。
そして、舌先を使って傷口をさするかのように撫でる。もう片方の胸は手でこねながら。
じんわりと湧き上がるような快感に、私は身をよじらせながら、喘ぎ続けた。

しばらくそうやって私の胸を楽しんだあと、彼は私のジーンズのチャックに手をかけた。
けれど、急に怖くなった私はその手を押さえ、必死に抵抗した。

「あ、あたし、この下、ストッキングだからっ!脱がしにくいでしょっ?」

咄嗟に出た言い訳に、我ながら呆れた。
スカートでもないのに、ストッキングなんてはいているわけがない。
大体、スカートのときでさえ、生脚が多いのに。
だが、彼の反論は私の予想の斜め上を行っていた。

「そんなの破っちゃうから関係ないよ。」

私の脳裏に、ストッキングを引き裂かれて犯される自分のイメージが浮かんだ。
そこまで強引に奪われるのは、少し憧れるかもしれない……いやいや、そうではなく。
私は更に抵抗を続けた。

「やっ……だ、だめだよ……。やっぱり……。彼女に悪いでしょ?」
「ここまでやっておいて今更だろ?最後までやるぞ。」
「そんな……。処女だから、きっと簡単に入らないよ、無理だよ。」
「ぐちょんぐちょんに濡らせば大丈夫だって。」

それくらいまで感じさせてやるとほのめかされて、私の胸は躍ってしまった。
体では弱弱しく抵抗する私を押さえつけ、彼は優しく胸やお腹の辺りを撫でた。

「まだ初めてだから感じにくいだろうけど、こうやって愛撫を加えることで
シナプスが形成されていくんだ。」

理系の彼は、文系の私にはあまり馴染みのない言葉で説明した。
私の頭の中では、テレビで見た神経細胞のCG図が浮かぶ。
彼の言葉の一つ一つがエロチシズムを持っているように感じた。
胸の鼓動が収まらない。むしろ激しくなっている。

「でも、やっぱりイヤ!コンドーム買ってきてくれないと、絶対脱がない!」

私はとっておきの理由を言った。
浅はかな考えだったけれど、こう言えば諦めると思ったのだ。
彼のアパートからは薬局もコンビニも少し遠い。自転車で10分ほどかかる。
そんな手間をかけてまで私と今したいだろうか?

「くそ。俺の部屋にないの知っててそれ言ってんのかよ。」

その台詞と共に彼の愛撫が止まった。
私がほっとしたのもつかの間、彼は立ち上がると、身支度を整え始めた。
幼い私はやはり男と言うものをわかっていなかった。否、日高悟という人間をわかっていなかった。
彼は一度やると決めたことは、たとえどんな障害があろうとも、最後までやり抜く人間だった。

「そのまま待ってろよ。すぐに行って来るから。」

そして、私の頭をぐりぐりと撫でると、頬にキスをした。

「逃げるなよ?」

真剣な眼差しで見つめられ、私は息もできないままうなずいた。
しばらくすると、彼が外から鍵をかけた音が聞こえ、足音が遠ざかる音が聞こえた。
私は熱くほてる裸のままの胸を両腕で抱えながら、ベッドの脚にもたれかかった。






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