シチュエーション
![]() 従兄との、傷つけ合うような、貪り合うような、危険な情事の記憶。 色恋沙汰も知らない子供のころは、従兄のことが、単に物静かで優しい 親戚のお兄ちゃんだとしか思っていなかった。 私は昔からわがままで意地っ張りで怒りっぽくて落ち着きがなくて、 今でもそんな自分が嫌いなのだが、従兄はいつもそんな私に少し困ったような笑顔で 付き合ってくれていた。そして私は、そんな彼に最大限甘えきっていた。 母も叔母も、そんな私たちを見て、仲のいいことだとか、お嫁さんになっちゃえとか、 そんな色んなことを言ってきた。私はそういうことを言われるのが嫌で、いつも癇癪を起こしていた。 そして従兄はそんな私を見て、また困ったような顔で笑うのだった。 従兄が高校に入ったとき、寮に入ったため、しばらく会う機会がなかった。 二年間何があったのかはよく知らない。久々に会った彼は、相変わらず物静かだったが、 何となく近寄りがたい雰囲気を持っていた。 「久しぶりだな」 「う、うん」 「しばらく会わないうちに大きくなったな……あ、いや、きれいになったな」 「あー。今、一瞬、子供扱いしたでしょ」 「はは、済まん済まん」 何か、背の高さといい、声の質といい、喋り方といい、昔とずいぶん変わって見えた。 「なあに、大人ぶっちゃってさあ?」 「そうか?そうかあ。そう見えるのかあ」 一人で何か難しそうな顔で小首を傾げる。 「ぶっちゃけ、おっさん臭いよ、色々と」 「ははははは、酷いことをいうなあ」 心なしか、余裕ぶってあしらわれているように感じる。 少し、むっとしたところで、母が割って入ってきた。 「まあまあ、しばらく会わないうちに、大きくなっちゃって」 「お久しぶりです、伯母さん」 「大学受験はどう?大変でしょ?」 「いやあ、キツイです。できれば一発で受かりたいんですけどねえ」 「ケーキがあるから食べてね。ほら、あんたの分もあるわよ」 「あ、じゃ、いただきます」 「はーい」 私は母と従兄を追って台所に向かった。小さなしこりを、胸の奥に感じながら。 母と叔母が台所で長話に入っている間、ケーキを食べ終えた私たちは所在なく、 居間のソファに並んで座っていた。 何となく、会話もなく、やや重苦しい空気が流れていた。 「寮は……」 不意にそんな言葉が口をついて出た。 「どうなの?」 「んー、毎日楽しいよ。食堂はあるし、浴場は広いし、何より個室だし」 「学校は?」 「楽しいね。勉強は大変だけど、バドミントン部は準優勝って実績を残せたし、 図書室は本が一度に五冊も借りられるし」 「じゃあ、勉強は?」 「うーん、それが、だいたい十位以内……二年のときは。 五位以内に入れたり入れなかったりする。最近は二位」 あまり満足していないような口ぶりだった。高望みしすぎだ、と心の中で思った。 「何よ、一位じゃないんだ?」 「ああ。そこまでくるともう、いかにパーフェクトをキープするかって世界だからなあ。 神経の消耗っぷりも尋常じゃないね」 目に光がなかった。私もほんの少し前高校受験を経験した身だが、 いくら大変だったとはいえ、ここまで疲れ果ててはいなかったと思う。 従兄が、深く、溜息をついた。 「もう、老けて見えるよ、本当に」 「うわ酷いことを言われた!ショックだ!」 おどけてみせている。どこからどう見ても自然に振舞っているところが逆に作りっぽかった。 どうもさっきから気になる。一体何なんだろうか。 お茶を台所に取りに行って湯呑茶碗を二つ持って帰ってきたら、 従兄が目を閉じて静かな息を立てていた。 (ああ、なるほど) 疲れているのだろうと思い、黙って茶碗を置いて横に座った。 従兄の寝顔は安らかだった。さっきまでの微妙に張りつめた雰囲気が、今はない。 (そうか、親戚付き合いだから、無理して頑張ってたのかな) 気力だけで極力普通の振りを装っていたのだろうか。だとしたら、あのわずかに感じられた わざとらしさも分からなくはない。本当は勉強でヘトヘトになっていて、だから目を離した隙に 寝落ちしちゃったりするのだ。 口の端から少しよだれが垂れている。 (もう、仕方ないなあ) 人差し指で拭ってあげると、従兄の表情が変わった。やや苦しげに眉をひそめて、 うう、と唸っている。起こしてしまったかと驚いて指を離したが、そのままうなされ続けていた。 悪夢でも見ているのだろうか。 (大変なんだなあ) 従兄のこんな辛そうな様子は今まで見たことがない。胸がうずいた。 気丈に振舞っているが、本当はいつも気力の限界ぎりぎりのところで生きていて、 夢の中でも安らぐことすらできないのだろうか。 そっと、従兄の手の甲に、自分の手を重ねた。彼のうめき声が、わずかに小さくなった。 私はそのまま、何も考えずに、しばらくじっとしていた。 次に気がついたときには、自分もすうすうと息を立てて、従兄にもたれかかって寝ていた。 眠気が伝染ってしまっていたらしい。 ふと彼の顔を見ると、彼は目を開けて、ぽかんとした表情で私の顔を見つめていた。 (……あれ?) 妙なことになっている。私もつられて彼の目を見返してしまった。彼の手が、びくん、と わずかに強張ったのを感じた。 そのまま、また、何となく気まずい空気が流れた。 従兄の方が先に耐え切れずに目をそらせた。私たちの手を見た。肩と肩が触れ合い、 密着しているのを見た。彼の全身が大きく強張るのを、私は体越しに感じていた。 そのまま、途方もなく気まずい雰囲気が、ずっしりとのしかかってきた。 (な、何か……何かしなきゃ。何か言わなきゃ) 私も動転していた。飛びのいて離れるのが、この場合最も自然な反応なのだろう。 しかし、私はぎゅっと彼の手の甲に力を込めると、彼の腕をぐいっと自分の腕に絡ませていた。 「お前……」 従兄が呆れたような声で言う。私はそこでやっと、自分が何をしているのかに気づいた。 「な、何よ、そそそ、そんなんじゃないんだからね!」 「そんなんって、お前……どんなんだよ」 「ななな、何よ、そ、そんなこと、私に言わせるつもりなの、このムッツリスケベ!変態!」 「へ、変態って何だ!というか、マジで何なんだ一体!」 自分でもよく分からない。既に混乱の最中にいた。 彼の表情が私の目に映った。狼狽、困惑、焦燥、悶絶、そうしたものが入り混じった顔。 でも、彼の瞳はただ一つの感情を私に示していた。 呆れている。 (私に呆れている) そういうことだった。それはそうだろう。私にだって分かる。でも、 いつの間にか私は泣いていた。声を上げずに、ただ涙だけが止めどなく流れていた。 従兄は、一瞬歯を食い縛った。苦虫を噛み潰しているのとは違う。 何か、どうしようもない運命を、仕方無い、と黙って受け止めたような顔だった。 そのまま唇をぐっとへの字に閉じると、空いていた腕を伸ばし、私の背に回した。 私は、ずるずると身を崩すと、そのまま顔を彼の胸に埋めた。 (何やってるんだろう、私。馬鹿みたい) 声を出すような真似はしなかった。母や叔母に聞かせる訳にはいかない。 上手に事情を説明できる自信がなかった。 しばらく彼の胸の中で泣いているうちに、頭が少しずつ冷静さを取り戻してきた。 (本当に、何がどうなって、こんなことになっちゃったんだろう) 今まで全然意識していなかった。彼は私の行動に動揺したし、私は彼の反応に動揺したことになる。 どう動揺したのか? 答えは私が自分で言っていた。性的な意味で、だ。彼は私を異性として認識して、 それで当惑したのだ。そして私は、 (私は?) 異性として見られて、恥ずかしかったのは確かだ。 (でも、何で私、泣いてたんだっけ) 恥ずかしくて泣いたんじゃない。悔しくて泣いたんだ。じゃあ、何で悔しいと思ったんだろう? (彼の目だ) 私が醜態を晒した後、彼は呆れたような目で私を見ていた。そのとき、私は異性ではなく、 ただの癇癪持ちの変な子供でしかなかったということになる。 子供として見られるのと、異性として見られるのと、どっちが悔しいか? 逆に言えば、どっちがより嬉しいのか? (私は子供じゃない) 異性として見て欲しいかと言われても困るのだが、自分も無意識のうちに彼を異性として 求めてしまっていたのは確かだ。私は彼の手を取って、腕を絡ませた。 それが、偽らざる本心なのだ。多分。 私は彼の胸から顔を起こすと、一つ大きく深呼吸をした。 「大丈夫か?」 彼が小声で心配そうに訊いてくる。 私は答えず立ち上がった。そのまま階段まで歩く。 階段の半ばで振り向いた。彼がまた、困惑の極みのような表情で、 こっちを見ているのが分かった。 私は無言で彼を手招きした。彼はさらに困惑を極めたような顔になったが、 それもせいぜい三秒くらいで、意外と素直についてきた。 そのまま、二人して、足音も立てずに二階に上った。 二階の私の部屋に入ると、私は内鍵をかけた。そんな私の手元を、 彼がまた呆れたような目で見つめた。 だが、すぐに顔を引き締め、厳粛な表情になった。 「……で、何だ?」 何だろう。 二人っきりになりたかったのは確かだ。人の来ない閉鎖された場所で、特に何より私の部屋で。 で、その後、私は一体何をどうしたいんだ? (危ないことをしてるな) こんな状況を自ら作って、どういうことが起こりうるか、分かっているつもりだった。 危ないこと。 私にとって、途方もなく危険なこと。 痛いかも知れない。傷つくかも知れない。後悔するかも知れない。 取り返しがつかない、何か途方もないことが起きるかも知れない。 そんなことを、本当に私は望んでいるのか。 私は、今、おかしくなっている。 でも。 私は彼に向き合うと、目と目で見つめ合い、顔と顔を近づけた。 そのまま、唇と唇がくっつく大分手前で、ぴた、と止まった。 彼の目の色が変わった。またしても、覚悟を決めたような色だった。 そのまま、息をゆっくりと吐きながら、不思議なくらい安らかな瞳に変わっていった。 私のあごに優しく手を添えると、唇を半開きにして、私の唇に重ねた。 (わ……) 私はぎゅっと目をつぶった。これが私のファーストキスになる。 彼が私の唇をつまむようにして吸う。音が耳元に響くたびに、私の体は硬くなり、 同時に頭は霧がかかったように曖昧になっていった。 何か、大きなものが、失われていくのを感じた。 (もう、戻れない、かな) 怖いのに、これから起きるであろう色んなことを、受け入れてしまっている自分がいた。 唇の端を舐めたり、舌を軽く入れて私の舌をかき回したりして、彼が私のことを求めてくる。 何か、ものすごいファーストキスになっている。 うっすらと目を開けて彼の瞳を見ると、相変わらず不思議なくらい穏やかだった。 私は昔読んだ漫画のことを思い出していた。獲物を見つけた獣は、決して唸ることなく、 穏やかな目をするという。 (獣なんだ) 私の方が唸っていた。苦しいような、切ないような、そんな鼻声だった。 気がつくと、彼が私の背中をがっちりと抱き締めていた。痛くないが動けないぎりぎりの加減で、 ゆっくりと力を込めてくる。 ぐい、と傾く感じがあった。彼が体重をかけて、私をベッドに押し倒しているのだ。 彼の瞳が私の瞳をじっと見据えている。私の反応を慎重にうかがっているような、そんな感じだった。 また、漫画のことを思い出した。コタツから追い出されようとしている年老いた重い雄猫が、 人間の手を噛んで抵抗する。血が出ないように、ゆっくりと、ゆっくりと力を込めて。 その瞳は、自分の方が人間より偉いのだ、人間が本当に怒る直前のぎりぎりのところまで そのことを思い知らせてやるという、ご主人様の目だったと書いてあった。 その年老いた重い雄猫と、従兄とが、かぶって見える。 少し肩に痛みが走る。そこで私は、自分の体がガチガチに硬くなっていることに気づいた。 彼は私の目を見ながら、少し半眼になって、わずかだが明らかに力を抜いた。 (ずいぶん優しいご主人様だなあ) 私も体の力を軽く抜いた。そのまま、私の背中が、とさり、とベッドに倒れ込む音を聞いた。 手慣れていないが、それでもてきぱきとした手順で、彼はあっという間に私を裸にした。 私の裸体を見て、彼が大きく溜息をつく。 「ほーう……」 「な……何よ」 「きれいだ」 「なっ!」 恥ずかしくなって、胸と股を手で覆った。 「何言い出すのよ、こ、この、ド変態!」 「いや、かわいいな、その隠す仕草もさ」 「う、うるさい!このムッツリスケベ!エロオヤジ!」 「うん。まあ、否定はしない」 うんうんと神妙な顔でうなずいている。またあしらわれている、と感じた。 「まあ、いいや。とにかく」 彼は私の耳たぶに顔を近づけると、はむ、と唇で挟んだ。 「きゃっ!」 そのままあちこちを、ちゅっ、ちゅっ、と音を立てて強く吸った。 跡をつけているのだ、と理解するのに、十数秒程度の時間が必要だった。 (こいつ……マーキングしてる) ますます獣だ、と思った。人の体を縄張り扱いするな、とも思った。 不意に、胸を隠している腕と、股を覆っている手の甲に口づけをされた。 「わっ!そこはやだっ!」 「んー?」 彼は無理に手をはぎ取るようなことはしなかった。ただ、手の甲をひたすら 音を立てて吸っていた。 妙に抵抗する気にもなれずに、しばらくされるがままになっていたが、 次第に腕と掌に妙な感覚を覚え、その正体に気づいて愕然とした。 胸の先が尖って、腕に当たる。 隠している場所が、しっとりと潤っていく。 (嘘っ!) 恥ずかしくなってつい手を離して、べたついた掌をまじまじと見つめてしまった。 「これは……」 「ち、違う!そんなはずは……」 「嬉しいね。反応してくれてるんだ」 信じられなかった。それほど激しい愛撫ではなかったはずなのに、濡れている。 なぜだ。ひょっとして、信じたくはないが、この状況下で私も興奮しているのか。 (……て、いうか、いいのか、私) さっきから、一方的にされるがままになっている。今の姿を冷静に考えると、 男の欲望に屈して流されている形になる。そんなことが果たして許されていいものか。 まして、こんな状況下で興奮している私は、一体何なんだ。マゾか。マゾなのか。 そういう変態さんなのか、私は。 「初めて見るが、こんなんなってるのか。じゃあ……」 彼が股間に顔を突っ込もうとしていたので、反射的にチョップで沈めた。 「うがっ!」 「ば、馬鹿馬鹿馬鹿!そんなバッチイところ舐めるなっ!」 「舐めるなってお前……舐めないと、後で大変だよ?」 何が大変なのかは聞きたくなかった。従兄の頭を全力で押し返すと、 意外にも彼は素直に頭を引いた。 そのかわり、私の体の上にかぶさってきた。 「うわっ!」 「……本当に分かってるのか?」 体重で潰れない程度に体を浮かせて、私の耳元で真面目な顔で言う。 「わ、分かってるわよ……ていうか、本気?」 「既に俺の中ではそういうモードなんだが」 彼の目が据わっていた。穏やかだが、何かに酔っているようでもある。 「それに、言い訳っぽいが、誘ってくれたのはお前だ。それは本当に有難う。 で、俺はそれに乗りかかった船だ。最後まで行くよ」 「ううっ……」 正直、ここまで来ると、怖さの方が強くなっている。 だが、もう止められない。ものすごい勢いで、雰囲気に流されている感じがあった。 それに、丁重に感謝までされてしまった。酷い男だ。これじゃ、断れないじゃないか。 「……好きに、すれば」 私の方も、無責任ながら、そう覚悟を決めた。 従兄がズボンのチャックを開く音が聞こえる。 「叫ばれるとアレだから、口を塞ぐ。悪く思うな」 唇を唇で塞がれた。 「むー……」 下半身の狭い入口に、何かがあてがわれるのが分かった。 次の瞬間、入口から脳天にかけて、全身に激痛が走った。 「んんんっ!」 たまらず彼の唇を噛んだ。 彼も痛そうに顔をしかめて、そのまま硬直していた。 「んー!んー!」 悲鳴をあげたが、彼はそんな私を見て、難しそうな顔をするばかりだった。 (あ、そうか。叫ばなきゃいいんだ) ぐっとこらえて、彼の脇腹をぱんぱんと叩いた。そこで彼は口を離してくれた。 「何だ?」 「ぬ、い、て」 彼は言うままに抜いて、どさり、とあぐらをかいて座った。 「血……」 彼は私の下半身を見て、複雑な表情になっていった。 そうだ。ヴァージンを彼に捧げた形になる。 こんな形で。半ば押し切られる形で。 嗚咽が、つい、口から漏れ出した。 「お前……」 彼がまた唇を重ねる。また黙らせるつもりだろうか。それともひょっとして、 これで慰めているつもりなんだろうか。 悔しくなって、つい、彼の舌をがりっと噛んだ。彼はまた痛そうな顔をしたが、 噛まれるままに甘んじていた。 悲しかった。痛いのも悲しかったが、それだけが悲しいんじゃない。 やっぱり、もっと優しく抱いて欲しかった。こんな半ば強要されて、 暗黙のうちに受け入れるのを余儀なくされる形なんて、そんなのってない。 彼は沈痛な面持ちのまま、目をぎゅっとつぶって、私の背を強く抱き締めた。 私も返す形で、彼の背にひびを入れるくらいの心意気で抱き返した。 (傷つけ合っている) 涙が止まらなかった。何でこんなことになっちゃったんだろう。 痛かった。傷ついた。今は後悔している。最早、取り返しがつかない。 全て、分かっていたはずだった。 私が泣きやむのを待って、彼が口を離し、そして開いた。 「我慢できなかった」 「は?」 いきなり何を言い出すのか。 「女として見てしまって、正直、おかしくなっていた」 今さら謝ろうというのか。 「まあ、今もおかしい訳だが」 本当に何なんだ。 「だから言う。お前は可愛いよ。それに、会わないうちに、色っぽくなった。 率直に言って、お前が欲しい、と思った。俺のものにしたい、というか」 「は……はああ?」 こいつ。何でこんな歯の浮くようなこと言ってるのか。素か。素なのか。 「お前の優しさが身に染みたし、お前の覚悟も真剣に受け止めた。 お前の誘いに乗ろうとも思った」 何だ。何だ何だ何だ。マジでどういうつもりなんだ、こいつは。 「そういうことをひっくるめて、愛してると言っても過言ではない。 いや、愛してるよ、マジで」 「だ……だ、だだだだだ、黙れ!黙れ黙れ黙れ!それ以上言うとコロス!」 また脳のどこかが暴走しはじめた。ようやく、こいつがただ単に 本心を吐露しているだけなのだと気づいた。 そう、本心なのだ。謝るとか、誠意とか、配慮とか、そういうの一切抜きで。 それが、一番、私の心にダイレクトに響いた。トラックと正面衝突して、 そのまま吹っ飛ばされたような感覚だった。 彼は私の背中に手を回して、やや和らいだ表情で続けた。 「そのまま溺れていたら、多分俺は本当に楽になってたんだろう。 だが、そうはいかなかった。お前は嫌だった訳だからな」 「ふ、ふん、何よそれ。好きにすればいいって、私が言ったんだから、 好きにすればよかったんじゃない」 彼がニヤリと苦笑した。 「そういう強がるところ、嫌いじゃないよ。こういうこと言うとお前は嫌なんだろうけど」 「うん。あまり嬉しくない」 「そうか。済まん」 苦笑していた彼が、真面目な顔になった。 「まあ、それでだ。お前が痛がっているのに、喜んで続けるほど、 酷い男じゃないつもりだよ、俺は。だから止めた。そういうこと」 抜け抜けとそう言い放つ。少し、むかっ腹が立ってきた。 「じゃあ、最初からするな、って話にならない?」 「ああ。だが、そこで、我慢できなかった、というところに話が戻る訳だな」 「自分に甘いのね」 私の言葉に、彼が苦いものでも飲んだかのように沈痛な顔になった。 「……ああ。そこは俺の甘えだ。正直、お前の迷惑をあえて考えずに、 最初の最初で自分の楽な方を選んでしまったきらいはある。済まない」 ぎゅっと抱き締めてくる。本当に申し訳なく思っているのが伝わってきた。 不意に、胸が締め付けられるような感じがあった。こういう重い空気は慣れてない。 何か、返事しなきゃ、と思った。 「……あのさ。私が誘ったからってところも、ある?」 言ってからすぐに後悔した。何で私はこう、自ら退路を断つようなことを言うのか。 「ああ。その辺のお前の覚悟を、真剣に受け止めた、つもりだった。 だが、それが結果的にこうなるんだったら、俺は踏みとどまるべきだったんだろう。 本当に……済まない」 「……」 この男はこういうところで本当に素直で、本当に冷静で、本当に誠実で、本当に、 本当に嫌になる。 「……何をしている?」 私は彼の上に馬乗りになってのしかかっていた。 「続き」 「続き?」 言ってる意味が分かってないらしい。 「さっきの続き」 「続きってお前……正気か?」 「正気じゃないわね」 まだ下半身がひりひりする。だが、最早そんなことはどうでもよくなっていた。 再び涙が溢れる。自分の感情に耐えられなくなっている。 こんな状況で交わるなど、正気の沙汰でないことは分かっている。だが、 (全部、こいつのせいだ) こいつには、責任を取る義務がある。 何もかもおかしくなってしまった私を、どうにかすることも含めて。 依然として固い彼のものを、無言で自分の中に受け入れた。 正直、じんじんと痛くて動くどころではなかった。彼もそれは分かっているのか、 私の腰に両手を添えたまま動かなかった。 ただ、彼と私の呼吸と鼓動が、そして彼のもののわずかな硬化と肥大が、動きの全てだった。 「正直、助かる……」 「それはお互い様だ。まさか第二ラウンドとは思わなかった」 ゆっくりと痛みが引いていく。わずかに擦れるたびにそこがうずいたが、 我慢できないほどではなかった。 彼の方は気持ちいいのだろうか。本当は動きたいのではないのか。 「動きたくないの?」 そんな余計なことを訊いてしまう。さっきから私は、本当にお馬鹿さんじゃなかろうか。 「まだいい。お前の痛みが引いてからだ」 「うん。ごめん」 「お前が謝るこたあないよ」 彼の表情が和らいでいく。 それからしばらくの間、私たちは、ひたすら無言で、小さな律動に身を任せていた。 「不思議だな」 不意に彼がつぶやいた。 「え?」 「さっきまで、まさかこんなことになるとは思ってもみなかったよ」 「うん」 私も思わなかった。そう言えば、元はと言えば、第二ラウンドは私が始めたのだった。 気がつけば、さっきまでの胸を刺すようなやるせなさが、いつの間にか薄らいでいる。 痛みもなくなってきていた。わずかな動きが、どことなく心地よいような気さえしていた。 「本当に申し訳ないが、この流れのまま、最後までやる。悪く思うな」 「……もう」 そんなこと、いちいち言わなくていい、とかそういうことを言いたかったが、言葉が出なかった。 無駄なことだ、とも思った。 動いていいよ、とは言わなかった。代わりに、眉を開いて、ふう、と長く息を吐いた。 彼はそんな私の表情を、長風呂でのぼせたような蕩けた瞳で見ていた。 「実は……」 彼岸からのつぶやきのような声が、私の耳に届いた。私も少しのぼせてきているようだ。 「そろそろ逝きそうだ」 「うん」 「動くよ。さっきの姿勢に戻る」 「分かった」 彼がゆっくりと起き上がる。私はちょうどそのまま、ベッドにふわりと柔らかく押し倒されていった。 最初は緩やかに、次第に激しく、彼が動いていく。 痛みはあったが、あえてぐっとこらえた。 「いいのか、おい」 「いいから、最後までちゃんとして」 「……」 彼が無言で行為に没入していく。汗が額ににじむ。苦しいとも切ないともつかない唸り声が聞こえる。 私もつられて、やはり苦しいとも切ないともつかない唸り声を絡めていた。 (切ない?) 確かに私も切なくて声を上げている。不思議だ。 彼の表情が微妙に変わっていく。苦しいとも切ないともつかない唸り声はそのままに、 牙を剥き、私の顔に目をひたと据えていく。 何となく、人の顔に見えなかった。 (……そうか) 彼の中の雄の獣の狂気が、ようやく本格的に頭をもたげてきたのだ。 覚悟はしていたはずだった。男は、こういうとき、愛も何も関係ない、 肉欲だけの獣になりうるということを。 不覚にも今まですっかり忘れていた。ということは、さっきまで彼がよっぽど我慢していたことになる。 だが、それでも、今の恐怖と嫌悪と虚無がなくなる訳ではなかった。 (人じゃない何かに犯されている) 最後まで人として扱って欲しい、愛して欲しいというのは、女のわがままなんだろうか。 肉体関係に肉欲が伴うのは当然のことだ。それを嫌がってもしょうがないのは承知しているつもりだった。 でも。でも。でも。 「俺は」 彼が不意に口を開いた。 「獣になる。お前も獣になれ」 「え?」 一瞬、ぎょっとした。心を読まれたか、と思った。 「俺は最後までやる。だから、お前も最後までついてこい、と言っている」 「……」 躊躇していると、彼が正に獣の笑みを浮かべて、こう言った。 「せっかくだ。最後の最後は、自分の中のものを全部解放した方が、きっと楽しいぞ。俺も、お前も」 獣が、否、悪魔がささやいている。 (そんなこと、私にできるんだろうか) 迷いながら、静かに首を縦に振った。 彼の笑みが、究極に邪悪なものに変わった。 わずかに人らしさを残していた目の色が、完全に人ではないそれに変わっていく。 激しい律動の最中、彼の目を凝視した。 肉を噛みちぎるような強烈な快楽の瞳が、私を射る。 (獣だ。獣だ。獣だ) 食われてる。食われてる。食われてる。 従兄が、私を貪って、その快楽に酔い痴れている。 不意に、小さな痛みが走った。彼がぐっとうつむいて、肩甲骨の上に歯を立てていた。 信じがたいことに、痛みを上回る強烈な甘い痺れが全身を貫いていた。 脳髄が焦げるような感じがあった。体が異様に重く感じられる。逃げられない。 下半身から何か生温かいものが噴き出しているのが、遠のく意識の中で分かった。 最早、律動とは関係なく、途方もないだるさの中に落ちていく。 地獄へ、落ちる。 (そうか。逝くって、こんなんなんだ) 死の淵を覗き込む行為に似ていた。こんな途方もない境地を、なぜ人は望むのか。 (でも、解放感はあるな、確かに) これを楽しいと言い切れる彼の気持ちは、ほんのわずかだが、理解できなくはなかった。 わずかに、肩甲骨の上に、生温かく柔らかい感触がある。彼が噛んだ跡を舐めているのだ。 ぼうっとした瞳に、彼の目が映った。主人の顔を舐める飼い犬のように、優しく甘えた瞳だった。 どうやら私は、激しい動きではなく、むしろそういう小さな変化に敏感になっているようだった。 彼が口を肩甲骨から離すと、律動を再開する。 次第に、彼の周囲が、ふわりと毛羽立って見える。 瞳の中に、不思議な色が見える。牙を剥いたまま、微妙に表情がまた変わる。 奇妙なことだが、怯えているように見えた。 (何に、なんだろう?) 何となく思い当たる節があった。さっき、私が噛まれたとき、全身を貫いた快楽。 あれは、望ましいものというより、どこかしら避けるべきおぞましいものがあった。 自分の意思を離れた凶暴な感覚。たとえ、それが快楽であれ。 自分が失われる、その前兆の予感。 「ううう……」 彼の声に、明らかに悪寒めいたものが混じった。素晴らしいがおぞましい、何らかの感覚に耐えている。 その恐怖がどんどん大きくなっていき、やがて瞳から、声から、顔全体に拡散していく。 「……くっ!」 愕然とした表情を浮かべた後、何かに耐えかねたように目を閉じる。 次の瞬間、私の中に、生温かい感触が注ぎ込まれていた。 (あ……) どろどろになった私の全身の毛穴から、彼の精が隅々まで染み込んでいくような気がした。 全身に、ぶるっと、大きな震えが走る。 精の中に、自分が溶けて、ずぶずぶとどこかに沈み込んでいくイメージがあった。 (二度、逝ったんだ) 意識を失う中、彼の姿が網膜に焼きついた。 深くうつむいているその姿は、どこかしら、祈りを捧げる姿に似ていた。 (それにしても、男って、大変なんだなあ) うかつにも、それが意識を取り戻した直後の、率直な感想だった。 精を全部吐き出したのか、彼の体からオーラが消えた。 同時に、さっきまで目まぐるしく変化していた表情が、拭ったように消えていた。 放心したまま、わずかに体が崩れる。 私の上に崩れ落ちる直前で、がくり、と彼の体が硬直した。そのまま無理やり体勢を立て直す。 物憂げに腰を離す。白く赤く半透明に濁った液体が、糸を引く。 彼はポケットに手を突っ込むと、ティッシュで丹念に結合部位を拭き出した。 (うん。大変だなあ) 下半身がひりひりする。だが、私は意外にも、不思議な満足感に浸されていた。 (やり遂げた) 彼の中の、混沌とした凶暴な熱情を、全身全霊で受け止めたという実感がある。 彼が私に服を着せる。私の肩を抱きかかえたまま、また難しそうにブラのホックをつける。 「いい。自分でやる」 何だか微妙にズレているパンツを直しながら、私は彼に背を向けたまま、落ちている服を拾った。 「あのな……」 彼が何か言っているので、振り向いた。 「何?」 「ごめんな。ありがとうな」 結局、謝った。彼の性格から、そういうことをする気はしていたのだが、 「ごめんな、は余計だわ。謝るくらいなら、最初からやるな、ってさっき言ったでしょ」 彼は気まずそうに笑ってうつむいた。 「……そうだな。二度と言わない」 「ふふ。それじゃあ次に何か、もっととんでもないことされたときに困るわ」 すると、彼は神妙な顔で、こう言い放った。 「……するかも知れないなあ」 「……おーい?何をサラリととんでもないこと言ってやがりますかこの男は?」 「いや、したい。お前と、また、いつか」 「……おーい」 本当に、この男は。 全く、しょうがないんだから。 服を全部着終わると、私は彼を、不意打ちの形で、飛んで押し倒した。 「うわっ!何だ!」 「えへへえ。そういうこという口は、こうだから」 ちゅーっと、奥深くに舌を突っ込んで、吸った。 「お、お前……」 唇を離すと、悪戯っぽく笑ってやった。 「これで、仕返し終了。チャラにしておいてあげるわ」 彼はまたしても呆れたような顔で口を拭うと、私の頭をつかんで引き寄せた。 「わっ?」 「チャラになんかされてたまるか。借りは作ったままにしておく。返すのは次の機会だ」 さらに奥深くに舌を突っ込まれて、吸い返された。 「……えっへっへえ。そういうことするんだあ」 「ふははっ。そういうことするんだよ」 「あはははは。次まで待ってろって訳?」 「ははははははは。そういうことになるなあ」 こいつ。 私を、こう、犯したくなったこいつの気持ちが分かった。 私も、今、全く同じ気持ちだ。 私は彼をさらに押し倒した。抱き潰す勢いで、強く、深く。 「次までお預けね」 「ああ。次までお預けだ」 「ふふん。待ってるわよ。次は容赦しないから」 「待たせるよ」 「鬼。悪魔。獣」 「どれも否定しない。だが、俺を押し倒している人間の言うセリフじゃないな」 彼は足を上げると、振り子の原理で私の体ごと起き上がった。 その勢いで、私をさらに痛いほど抱き潰し、唇をきつく吸った。 傷つけ合っている。 傷つけ合いながら、お互い貪り合っている。 犯し、犯され合っている。 こんなのって、ない。 こんな危険な狂った関係、あってたまるか。 私の下半身から、ごぼっと音を立てて、残っていた液体が溢れた。 「帰るわよー」 叔母の声が聞こえ、二人してビクッと震えた。 「やばい。戻るぞ」 「うん。ちょっと待って」 慌ててパンツにティッシュを挟んだ。やはり汚れている。後で秘密裏に処分しなくてはならない。 「今行く。ちょっと待ってくれ」 彼は私の手を引くと、部屋を出て階段を降りた。 彼はまた見事によそ行きの表情を浮かべて、丁重に私と母に挨拶をした。 私はまた、最大限よそ行きの表情を浮かべて、丁重に従兄と叔母を見送った。 頬が歪むのを、必死でこらえて。 体のあちこちの傷がうずいた。下半身、肩甲骨、手の甲、唇。 彼との、悪魔の契約の印。 逃れられない。 彼と再び出会い、あの獣のような交わりに溺れることを。 彼の欲情に屈し、犯され、貪られ、傷つき、穢されることを。 祈っている。 祈っている。 祈っている。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |