ユキと精さんの話 3
シチュエーション


「バイトはもうするな」

秋にバイトを辞めて間もなく、こう言われた。
精さんにそんなこと言われたら、もう一生しないよ。
ていうか、それって、精さんがヤキモチ焼いてるってこと?!

バイト先の大学生の人とデートした……あの日。
精さんが主宰する自転車サークルの飲み会があったらしく、精さんが大荒れしたそうなのだ。

「佐々木ね、すごかったんだよ。久しぶりに見たかな……ふっふっふっ」
「嶋岡さん、それってどんな?」

サークル発起人の一人、嶋岡さんは精さんが会社勤めしてた時の同僚の人。
精さんより2つ年上で、今もその会社に勤めている。
精さんの良き友達?……なんだろうか。
大荒れの精さんなんて、私は見たことが無い。

「あいつ見かけによらず、酒強くなくてさ。それなのにペース早くて、べろべろになって」
「へえ……べろべろ……」
「ああ、ユキちゃん、心配しなくていいから。ちゃんと僕が介抱してやったから」
「すみません」

なんで私が謝るのだろうか。

「で、ユキちゃんの身になにかあったの? どうせ大荒れの原因なんでしょ」
「は?」
「カレシできたとか」
「や、あのぅ」
「うちの中学生の娘もさ、クリスマスにプレゼントやるような男ができたらしくて」
「はい……」
「親としては、すっげー心配なわけよ。でも、聞けないし、話してくれないし」
「し、思春期ですものね……」
「むっつかしいもんだんねぇ。カミさんに言うんだけど、親ってのは見守るだけだなあって」
「親……」
「佐々木も、ずうっとユキちゃんのこと見てきたわけだし、その、心配だったんじゃ…」

親かよっ、て突っ込みたくなりますよ。
そうだよね、16歳も年上なら、親の気持ちになるのも当然かも。
はああ。落ち込む。
私をひとりの女として見てくれたわけじゃないのかなあ。

「あ、あれ? 何シュンとしちゃったの……や、僕なんかまずいこと言った?」

その時、おうい、と精さんの呼び声がし、嶋岡さんが答えた。

「おう、今、飲み物持ってそっち行くから、テーブル空けといてよ」

今日は今年最後のサークルの定例会だ。
話し合いの中身は、忘年会について、だそうだ。
さっき準備を始めた時に、精さんが教えてくれた。
「新年の『走り初め会』が本題なんだよっ」嶋岡さんは付け加えた。
走り初め会終わった後も一杯やるんでしょう、って言ったら、「アタリ〜」だって。
議題が、飲み会について、なんて平和だよなあ。

少し手伝いをした後、私は久しぶりに高校の友人沙里ちゃんと出かけることになってる。
沙里ちゃんの彼氏へのクリスマスプレゼント選びに付き合うためだ。

「佐々木はユキちゃんが可愛くて可愛くてしょうがないんだよ。わかる?」

嶋岡さんは私に言い含めるようにして言った。
唐突に言われて、私はどう返していいかわからなかったから、黙っていた。
飲み物のトレイを嶋岡さんに渡して、容器ゴミをまとめて、資源ゴミ袋に入れる。

「春から佐々木の仕事、手伝うんだって?」
「……あ、はい……大学の授業無い日に……とか」
「親でもないのにバイト禁止って。これ、佐々木の気持ちって受け取ればいい」
「……っ」
「ふふっ。おじさん、面白がってるだけだから。だけど、最近もどかしくてさ、ハハハ」

顔が熱い。
嶋岡さんは面白そうに私をちょっと見て、「そうだ、時間いいの?」って促した。

「行ってきまあす」
「気をつけてなー」

精さんの声が、玄関まで呑気に響いた。

***

イブの日は、街中魔法にかかったみたいに見えるのが、不思議。
夜になってすごく寒いのに、胸がほかほかと温かい。
沙里ちゃんは、今から彼氏の家にプレゼントを届けに行く。
イルミネーションが綺麗な駅前の通りで、沙里ちゃんを見送った。

沙里ちゃんと彼氏は、大学は別々の所を目指している。
1か月を切った、センター入試。
どうかこの先、ずっとふたりが上手くいきますように。
私も希望の学校目指してあと少し、頑張るぞ。

改札を出ると、精さんがいた。
さっき、お母さんにメールしといたからだと思うけど。
まだ、こんなに早い時間なのに。

「まだ、6時だよ。びっくりした」
「おばさんに、迎え、頼まれたんだよ」
「人通り多いし、一人でも帰れるのに」
「お子様用シャンメリー、買い忘れたからって。それも頼まれたんだよっ」

ぽん、と軽く頭をたたかれる。
「いたあ」と大袈裟に片目を瞑ってみせた。

「行くぞー」

精さんが歩きだす。
背が高い方だから、どこにいてもすぐわかる。
ずんずん行ってしまっても、すぐ見つけて追いつける。

ふと、お母さんの料理が頭に浮かんできて、急にお腹がすいてきた。
イブの夜は、家族で毎年やってるクリスマスパーティ。
まあ、忘年会みたいなものだけど、私が中学生ぐらいからは精さんも加わってる。
だから、この歳になっても毎年家族「4人」のクリスマスが楽しみなのだ。
帰ったら、朝焼いておいたスポンジケーキにデコレーションしないと。

駅前の人通りから、すぐに抜けて駅裏の川沿いに出た。
川沿いの遊歩道を歩けば、家への近道になる。
一人なら明るい時間でも、避けるように言われている道だ。
でも精さんと帰る時は、いつもこの川沿いの近道を通る。

私はこの川沿いを夕暮れ時に歩くのが大好きだ。
正確には、精さんと歩くのが大好き、ということだけど。
河口の方角には、ずっと遠くに高いビルのネオンが綺麗に瞬いている。
星は見えないけど、東のほうに三日月が浮かんでいる。
こういうお気に入りの景色だけでも、心がウキウキする。
……というか、今日は特にドキドキしている。

プレゼント、渡さなくちゃ。
今、持っているから。
初めてバイトして貯めたお金で用意したもの。
もちろんお父さんお母さんにも用意したけど。
両親には見せられない、精さんのは豪華版です。

精さんはゆっくり、たぶん、私に歩幅を合わせて歩いてくれている。
川から吹いてくる風が冷たいけど、顔が火照って心地いいくらい。
それぐらい、ドキドキと緊張してる。
やっぱり帰ってから渡そうかな。
だって、今は、ふたりきりで歩いていられる。

あー。前から手をつないだ人たちが、歩いてくる。
肩をぴったりくっつけて、恋人同士〜っていうオーラがすっごい出てる。
いいなあ。……ていうか、変に意識して、汗が出てきた。
恋人らしいふたりが、少し離れたところを、すれ違って行く。
一歩前を行く精さんを、ちらりと見てみる。

……いつもと変わりないか。
意に介していないというか。
そういえば、意識してもぜったい顔に出ない、出さない人だったな。
それって、大人だからかな。精さんだから?
私といてもそういう対象じゃないから?
すれ違った恋人同士の人には、私たちってどう見えたんだろう。

熱くて、マフラーと首の間を少し緩めた。
手、つなぎたい。
ずっと、してないな。
はずみで、とかじゃなく、あの大きな手とつないでみたい。

「ユキ?」

気がつくと、精さんと私の間がだいぶ空いてしまっていた。

「荷物、持ってやろうか?」
「ううん、いい」

マフラーに顔を隠すようにして答えた。
荷物は私が持っていたいの。

「寒いのか?」

精さんがこちらに向かって、ポケットに入れてた手を出しかけた。
よし。
駆け寄って、すかざず腕を捕まえる。

「んん?」

たぶん、驚いた顔してると思う。
たぶん。……照れくさくて顔が見られないから、わかんない。

「寒いの!」

手を、握る。
素手の精さんの手は、私より温かかった。
私、手袋したままだった、しまったなあ。

「つべたいなあ」
「つめたい、でしょ。寒かったんだもん」

ぎゅっと握ると柔らかく握り返してくれたような気がして、体がカアッと熱くなった。
心臓がコートの上からわかるんじゃないかってくらい、どくどくいってる。
精さんは、どんな顔してるのかな。
思い切ってそっと見上げると、前向いててわかんなかった。

「精さん」
「んー?」

振り向いた精さんが平然としてて、何故かほっとして、拍子抜けした。
精さんは手をつないでも、普通のことのような顔していて、私だけ、どきどきしてる。
私だけが……。
まあ、いいか。
幸せな気持ちになれた分、勇気だして手つないだだけのことはある、よね。
その時、前を向いたまま、精さんが何か言っているのが聞こえてきた。

「……急ぐぞ」
「え、なんで……あっ?」

ぐいっっと引っ張られて、精さんのほうに前のめりによろけた。
つないだままの手が、何かの中にもぐり込んで行く。
精さんのコートのポケットに、私の手が突っ込まれていた。
手をつないだままの手を、精さんがポケットに突っ込んだ、というのが正しいのか。
つないだ手からポカポカと温かさが伝わってきて、体中が温まってくる。
よろけた拍子に、自然に精さんにぴったり寄り添って、体の温もりが直に伝わる。

顔が、上げられない。
きっと耳まで真っ赤になっているから。
精さんの様子を窺ってたさっきの余裕も吹き飛んでしまっている。
精さんの手は、さっきの温度を保ったまま。
私だけが、また、どきどきしてるんだろうか。

精さんは私の幼い頃していたように、手をつないだだけなんだろうな。
幼い、小さな私と、今の私。
精さんから見たら、いつまでも変わらないのだろうか。
赤ん坊の頃から知ってる隣の女の子、なんだろうか。
それとも、嶋岡さんが言ったように、特別な存在になっていると思っていい?
自信を持っても、いいのかな。

精さんは黙ったまま、早足で黙々と歩いて行く。
そんなに急がないで。
地に足がつかないくらい、舞い上がりそうに嬉しいんだから。
泣きたいくらい幸せなんだから。
もう少し、この温かさを感じていたいよ。

「は……早いよ、精さん……」

息が弾む。どんだけ早足なの……。
川沿いの遊歩道からそれて、家の前に続いていく道に出る、階段に到達。

「はーっ、温まった!」

急に精さんはそう言って、つないだままの手を出して、勢いよく真上に上げた。
いつのまにか精さんの手も、汗ばむくらいに熱くなっていた。

「ほら、ほかほかしてきただろー」
「はあっ? ほかほか通り越して、疲れたんですけど!」

照れ隠しに言い返してみた。
ぱっと、つないだ手が離れる。
う〜ん、残念! もう、おしまいかあ。
でも、顔の赤いのも、もう気にならないな。
それに、子供じみた精さんのリアクションを見て、なんだか可笑しくなってきた。
ふたりで、いちにっいちにっ、と足を揃えて、掛け声をかけながら階段を上った。

「ケーキ、イチゴ飾る?」
「うん、中にもスライスしたのを挟むよ。精さん好きでしょ、イチゴのケーキ」
「当り前! ケーキはイチゴに限るんだ」
「……お子様だね」
「シャンメリー好きのユキに言われたくないなー」
「手に提げてるそれ、そうでしょ。それがなくちゃクリスマスじゃないから」
「ユキ、あと2年ちょっとでオトナだろー? そろそろ卒業したらどう?」
「好きなものに卒業とか、ありません! だいたい今は、アルコール飲めないでしょ」
「まあ、そうだけどなー」

そうです、あと2年とちょっとで、オトナです。
でも、大人になっても、子どもの頃からずっと好きなものは変わらない。
誰だって、そういうのがあるでしょう?
精さんだって、そうでしょう?
シャンメリーも好きだけど、精さんも好きだよ。小さいころからずっと。
躊躇うようになってしまったけれど、手をつないでいたい気持ちはずっと変わらない。
きっと、これからもずうっと変わらない。

「今年は、ローストチキンだってさ。出かける前少し手伝ってきたよ」
「精さんが手伝うって、まさか鳥を捕まえるところから……」
「アホ。おばさんが言うとおりに、下ごしらえしたんだよ」
「ははは、精さんなら鳥締めるとこからやりそうで」
「シメルって……ありえんだろーが」

肝心なことは口にできない自分が、もどかしいとは思うけど。
こういうおしゃべりするのが自然で、気持ちが温かくなる。
家がすぐそこになって、精さんも急におしゃべりになったよね。
もしかして、精さんも照れてた?
手をつないでた時の沈黙が、やけに不自然に思えてくる。
手をつないだ私の気持ち、通じた?
ポケットにしまったつないだままの手、意識してたの?
今の私を、あともう少しで大人の私を、意識してくれた?

「着いたー!」
「ただいまーっ」

なんにも確かめられないまま、玄関の扉を開けた。
暖かい空気に包まれて、ドキドキした気持ちが穏やかになっていった。
掌に残る大きな手に握られていた感触と、幸せな気持ち。
それだけで、今は満足している。
いつまでもこの気持ちは大切にしていたい。

特別な日も、普通の毎日も、いつも精さんが隣にいた。
そんな当たり前の毎日がこれからもずっと続きますように。
どうか、このまま精さんと一緒にいられますように。
今さらなんだけど、サンタさんにお願いしようかな。
今さらじゃないか……どうせまだまだお子様だもんね。






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