精一とユキの話 4
シチュエーション


3月に入ったし、もうすぐ、春だなあ。
とはいっても、まだ寒い日があったり。
まだ時々雪がちらついたりもする。
けれど確実に季節は巡って……卒業も、もうすぐか。

チョキ……。

鋏の先が耳に当たって、ビクっと体が竦んだ。
怖ええ。

「ユキ、今、少し痛かった」
「そう? 動かないでいてね」
「……はい」

散髪中のいつもの会話だ。
だいぶ上手くなったと思うが、毎回一度はどこか突かれて、怖い思いをする。
……まあ、もう慣れたけど。
それより……。

「ユキ」
「ん――?」
「俺の髪だけど」
「うん。あ、ちょっと左向いてて」
「ああ」

今、言おう。

「ユキ……俺の髪、これからもずっと切ってくれるか?」
「いいよ」
「う……」

…………あっさりかよ。
ていうか、ちゃんと聞いてないだろ。
俺は、ユキの手を肩越しに握ろうとした。

「ユキ、あのさ……」
「さ、もういいよ。切ったヤツ払うから、立って、頭振って」
「……」
「精さん、私、友達と約束あるから、早く!」
「……はい」

上げかけた手は、素直に下すことにした。
ユキが手早く俺の体をはたき終ったから、立ち上がった。

「はい、お辞儀して」

ユキの前に頭を下げる格好をして、ばさばさと頭を払ってもらう。

「はい、おしまい。私、行くね」

よほど急いでるらしく、今日はさっさと庭の枝折戸を押して、隣の自宅に走って帰ってしまった。

スルーされたか。
嶋岡にはいつも、「さりげないのがいいと思ってたら、大きな間違い」と言われてる。
押しが弱いのも自覚してるさ。
こうして付き合っていても、ホントはユキの気持ちに変化が出てきてたらどうしよう、
とか思っていたりする。
いざとなると、生まれた時から見守ってきたという強みよりも、年の差の壁に竦んでしまう。

ユキは4月から、市役所勤めが始まる。
バイトしてた、建築事務所からも声が掛かっていたにもかかわらず。
志望してた内装のデザイン関係の道も選ばず。
市役所の建築関係の部署に内定している。
去年、公務員試験を受けたのだ。

その選択を聞いて、俺は動揺した。
それって、俺のため?
俺が、自営業だから?
『自分が安定したところに就職しよう』と考えたのか。
それは、つまり……俺との、この先のことを考えてのことだと?
ユキの覚悟みたいなものを突きつけられた気がして、俺は激しく動揺した。

ユキは自分の気持ちも考えも、何も言わなかった。
「受かった」と俺の前で子どもみたいに飛び跳ねて、喜んでいただけだ。
そんなユキが健気で、心底愛おしいと思ったが、その時も俺は
何も言えなかった。



スーツの上着を脱いで、一息ついた。

小さく質素な作りの仏壇に、ほほ笑んだふたりの遺影が並ぶ。
仲が良かった。
おやじが死んだ後、お袋は本当はすぐにでも逝きたかったのかもしれない。
体の弱かったお袋は、おやじのいない生活を続け、5年後に亡くなった。
息子の俺がいたとはいえ、つれあいのいない人生はどんなに寂しいものなのか。

大学を卒業する月だから、3月は月命日に俺の両親に挨拶に行く、とユキが言いだした。
俺と秋山家3人とで、墓参り等々一通り終えた。
予約しておいた店で昼食をとり、さっき帰って来たところだった。

暖かだった午後の日差しが弱くなって、そろそろ部屋の奥へ届きそうな頃だ。
足を投げ出して座り、両腕を後ろへついて天井を見上げた。
ぐるりと頭を回して、首と肩をほぐした。

ここ最近着なれない物を着て、肩が凝ってる。
俺、38なんだよな。秋がくれば39だ。
ああ、おっさんだよ、まったく。

「精さん、いる?」

玄関の閉まる音がして、ユキが戻ってきた。
おやっさんたちは、家に帰ったのだろう。
ユキの足音を聞きながら、おやじの葬式の日を思い出した。

突然のおやじの死がショックだったが、喪主である俺がしっかりやらねば、と必死だった。
おやじを偲んでいる間もなく、泣くこともできず、これからのことで頭がいっぱいだったからだ。
葬式が全て終わって、帰宅して、この仏間でぼんやりしていた時だ。
ユキが入ってきて、黙って俺の胡坐の上に乗っかてきた。

ユキはおやじの胡坐の上に座るのが大好きだった。
まるでそれが定位置であるかのように。
おやじも実の娘のように可愛がっていた。きっと息子以上に。
突然この世を去ったおやじのことを、小学3年生だったユキは、どう受けとめていたんだろう。

前を向いたままじっとしている、おかっぱ頭をそっと撫でてやった。
ユキは、暗くなっていく部屋の隅を見たまま、黙っていた。
急に、まるで、この世の中にふたりきりで取り残されたような心細さを感じた。

ふいに、胸の奥から吐き気のように込み上げてきたものがあった。
呻いていたのかもしれない。
奥歯を噛みしめても、どうしようもなく喉の奥から塊が突き上げてくる気がした。
今もそれをはっきり覚えている。
その時の、スローモーションのようなユキの動きも。

ユキは俺の顔を覗き込んで、そして、ゆっくり細い両手を伸ばしてきた。
俺の頭が、小さな体に抱え込まれた。
その時の、ユキの、『子どもの匂い』が蘇る。
片手が背中に伸ばされていき、優しく撫でられた。

抱きしめられて、俺はせきが切れたように声を抑え、泣いた。
ユキは、俺が落ち着くまでずっと抱きしめ、小さな手で背中をさすり続けてくれた――。
姉のようでもあり、母親のようでもあり、昔からの恋人のような、
そんな不思議な感覚だったのを覚えている。
小さな存在が頼もしく、愛しい、と思った。


「精さん、部屋暗いよ。電気点けよっか?」
「いや、いい。…………ユキ」
「なあに?」
「おいで」

大きくなったユキの影が、仏間に伸びた。
畳を踏みしめる軽い足音がして、膝の上に柔らかな体がのぼってきた。
あのときのように、俺の胡坐の上にユキが座り込む。
俺は左手を、背中を向けて座るユキの体に回して、そっと抱いた。
前を向いたままのユキの右耳に顔を寄せて、声をかけた。

「覚えてんのか」
「精さんが泣いたのを」
「……忘れろ」
「……ふふ」

ユキが顔をこちらに向けて、微笑した。

「もう、泣かないの?」
「今は、もう……。だいぶたったからなー」
「なんだ、慰めてあげたのに」
「……ユキがいてくれるから、もういいんだ」

体を捩って横に向いたユキが、にっこりして俺を見上げる。
その笑って薄く開いた唇に、そっと唇で触れた。

「ちょっと……もう、不謹慎でしょうが」

顔を赤くして抗議する。
子どもっぽいしぐさだが、今は違う。
うす暗くなった部屋の中でも、その頬に朱色が差したのがわかる。
薄く化粧をした顔に、ほんのり女の色気が漂って、どく……と鼓動が強くなった。
いつの間にか、大人の女になっていた。

「ユキ」
「ん?」
「あのさ、ずっと……」
「ずっと?」
「ずっと俺の傍にいてくれる?」

ごく自然に、言った。
ユキは俺を見つめていた目を大きく開いて、そのまま押し黙った。
視線は真剣だけど、黙ったまま動かなくなった。
俺も視線ははずさなかった。

「結婚してくれ、って言ってんの」

そう言った瞬間に、ユキの目に涙が盛り上がってきて、
あっという間にこぼれ出した。

「ゆ……ユキ?」

慌てて、ハンカチを取り出して、頬に当てる。

「……だめ?」

言った後から、吐き気がするくらい緊張してきた。
汗が噴き出してくる。
ユキ、なんか言ってくれ。

「……」

ユキが目を一度閉じて、ゆっくり開けた。
堪った涙が、またぽろぽろこぼれていく。
ゆっくり唇が開いて、ぱくぱくと二度ほど動いた。
ユキの体は震えていた。

「………………も……もういちど、言って」

こんなに近くても聞こえないくらいの、声にならない声がやっと聞こえた。

「わかった」

息を深く吸い込んで、気持ちを落ち着かせる。

「結婚してくれ。ずっと俺の傍にいてくれ。散髪も剥げるまで頼む」

俺が言ったとたん、きょとんとした顔になり、次の瞬間「ぶっ」とユキが俯いて吹き出した。
体を折り曲げて、肩を揺らしてくすくす笑ってる。
俺は、焦ってユキを覗き込んだ。

「おい、今のは聞こえただろー? ユキ」

くっくと笑って、頬ををハンカチで押さえながら顔を上げた。

「お化粧、崩れちゃったかな」
「おけしょ……大丈夫だよ。てか、ユキはすっぴんでもキレイだから」
「男の人って、みんなそういうよね」
「……ユキは誰に言われたんだ」

こんな時に他の男の話をするなよな。

「一般論です。精さん、怖い顔しないで」
「お……怖い顔してるか……ごめん」
「ううん。そういう精さんも、好き」

ユキがぱあっと笑った。
花が開くように。
その、笑った顔を見ていたいんだ、ずっと。

「この間の……髪の毛切った時……」
「ああ、あの時……」
「ごめんね」
「わかってたのか!」
「えへへ。びっくりして」
「そうかー」

俺だけが緊張してたんじゃなかったのか……。

「……私……ずっと夢見てたの」
「うん……?」
「精さんの、お嫁さんになるの」
「……うん」
「小さい頃はよく周りに言ってたけど、大きくなって、難しいのかもと思えて」
「うん」
「でも、夢が叶う可能性が私にも出てきて……ね、彼女になれた」
「……うん」
「でね、その先をずっと待ってたの。待ってるだけじゃなくて、
 努力はしたよ、私なりに」
「わかってるよ」

一生懸命追いかけてくれた。
けれど俺は、振り返りもせず、ずっと遠回りしてきた。
それをユキは、後からずっとついてきてくれたんだよな。
途中からは俺がおいてきぼりを食いそうで、焦ったけど。
見守られていたのは、俺の方かもしれない。

「わかってるから、ユキ、返事をちゃんと聞かせてくれないか」

深呼吸して、ユキの返事を待った。
ユキは俺の膝の上に乗ったまま、俺の左手を取って、両手で握った。

「はい」
「はい、って……」
「もうっ。だから『はい』。よろしくお願いします、ってことなのっ」
「ああ……ごめん」

ユキがにっと笑った。
俺もつられて、というか照れ隠しに、にっと笑い返した。
ムード無いじゃないか。ま、それもいいな。

「おやじたちにも、見ててもらったからなー。『やめる』とか言うなよ」
「精さんも、浮気したら、ぜったい許さないから」

ユキが手でチョキをつくり、鋏で俺の首のところを切る真似をした。
いつもの痛いのを思い出して、首を竦めた。
ユキが今度は柔らかく笑った。
穏やかで温かい笑顔だ。
いつまでもこの腕の中に閉じ込めておきたい。

「ユキ……」

唇を食んだ。
ここも、柔らかく温かい。
ユキの体は全部こうなんだ、と思わせて、少し体が疼いた。

「ちょ……っ、おじさんとおばさんに見られてるってば」
「大丈夫。ユキとこんなに仲がいいよ、っておやじたちに見せてんの」
「なーにそれっ、恥ずかしいから、やめてよ」
「やめない」

ぷい、と前を向いたユキの顎に手をかけ、こちらを向かせる。
少し強引に、唇を重ねた。
体を半分こちらに向けて、ユキの手が俺の胸のところのシャツを
ぎゅっと掴んだようだった。

舌で口の中をくるりと探る。
舌と舌が絡み合い、しんと静まった部屋で、唾液の音がやけに耳につく。

ユキが密かな声を漏らす。
腰にまわした手を上へずらせて、背中から肩へ、うなじから髪へと這わせた。
髪留を外すと、昔からの悩みの猫っ毛がさらさら落ちていく。
急にぐっと胸を押された。
ユキがすぐ俯いて、やっとのように呟いた。

「……だ……め」

うなじがうっすら桃色に染まって、さらさら流れる髪の間から見え隠れする。
紺のワンピースを着ているからか、同じ薄桃色の肌がくっきりとして、
裾からしどけなく伸びた足を際立たせていた。

「……そうだな。刺激が強すぎて、おやじたち出てきたりして」
「もうっ……」

ぽん、と俺の胸が軽く叩かれて、線香の残り香とユキの匂いが混ざりあい、ふわりと漂う。
体温が上がってゆく。
首を傾け、その耳に唇を軽く当てて、冷たくなった耳朶の温度を確かめながら聞いた。

「続き、部屋行って……いい?」

ユキは下を向いたまま、黙ってこくんと頷いた。
俺の胸に添わせたままの手が、小さく震えているのがわかった。
まだ、自制は利いている。
だが、これ以上は我慢する自信がない。仏間で、なんてさすがに不謹慎か。
華奢な肩と膝裏に腕をまわして、耳まで赤くなって俯いたままのユキを抱きあげた。

***

ベッドに、ユキを後ろから抱きしめて腰かけ、すぐに唇を重ねた。。
立ったまま、お互いの着ているものを、もどかしく脱ぎ捨てたばかりだ。

「俺でいいの?」

さっききっぱり言ったものの、つい聞かずにはいられなかった。
ユキの耳たぶを軽く噛みながら、そっと胸の膨らみに手を伸ばした。

「……初めての時も……聞かれた……」

そうだ。
あの時、一線を越えてゆく怖さより、俺は自信無さと、あの状況に戸惑ってた。

「変わらないよ……んっ……私、変わらないの……い……いいの!」

早くも切羽詰まった声をあげて、ユキが俺の肩へ後頭部を擦りつけてくる。
首をまわして、キスをせがむ。
さっきしおらしく拒んだのがウソのように、激しく求めてくる。

開いた唇の間にのぞく舌の紅色が、口紅の色よりずっと艶めいて見えた。
まだ、だめ。もう少し。
言葉を交わさなくても、耳の奥で、ユキの囁く声がしてる。
見下ろし観賞していた体の線から視線をはずして、ユキの唇を深く覆った。
あの舌を追って、口内の奥へと舌を忍び込ませる。

捕まえて絡めとる。
目を閉じて、さっき見たユキの舌の残像を浮かべて、吸うように深くした。

「んっ……ふ……あふっ」

いつになく積極的なユキだ。
今日一日、慎ましく振る舞ってきたことの反動か?
俺も、もう少し。
……ユキが自分から、というところが見たくなった。

ベッドに腰掛けたまま、脚をそろそろと動かした。
膝をゆっくり左右に開いていく。
ユキは俺の膝に腰掛けるようにして、背中を預けている格好だ。
キスで体を捩っているから、斜めに向いたユキの体を俺が抱くような形になっているが。

汗ばんできた肌が滑らかさを増して、密着したところがとけるような熱さを感じている。
その温かな両脚の合わせ目を、引き離すように動かした。
ユキの膝頭が左右に離れていく。
内股にひんやりとした感じを覚え、俺の脚の上にも愛液が垂れていたのを知った。

深いキスに夢中になっていたユキが、俺に空いていた右手を捕まえられてやっと、唇を離した。
左手は俺の左腕に巻きつけるように絡めて、体を支えていたようだ。

「な……にする……の」

ぼんやりしたままで、ユキが息を吐き出すように言った。
すぐ、自分の状況に気付いて、俺の手を振り払おうとする。
待ってました。

「鏡、なんてあるとよかったなー」
「やっ……閉じるっ」

思いっきり脚を開いたから、丸見えだよな。

「すっげえ格好。隣の部屋に姿見あったのに……しまったなあ」

残念だ。

「まあ……また今度。それより……」

閉じようとし始めたから、慌てて掴んだユキの手を、開かれた中心へあてがう。
すばやく柔らかい繁みを分けて、そこにユキの指先を添わせた。

「やっ、やだ!」

左足に膝裏から手をまわし、閉じないように捕まえておく。
ユキの中指に自分の中指を添えると、2指ともが今にも潤いに飲み込まれそうになる。
ユキが指を動かして抵抗するから、この状態を保つのがなかなか難しい。

「自分で、入れてみて」
「嫌……やだ」

俺の胸に左の頬を擦りつけるようにして、小さく頭を振る。
中指をくい、と押してみると、ぷちゅ……と粘液の押し出されたような音がした。
そのままユキの指を押しこむようにして、中へ侵入していった。

「やあぁっ」
「ナカの感じ、自分で、知ってるよな」

細い指に添わせるようにしながら、中でぐるぐると回してみる。
淡く色づいた体が、びくびくと揺れる。

「ああっ……や……だめえ……抜いてっ」
「だめ。まだ、もう少し」
「おねが……やめて……やっあっ」
「ユキはこうするといつも……」

ユキの一番感じるところに指を触れさせて、くっと曲げさせ、くいくいと擦らせる。
ユキの指が、だんだん俺の意とは違う動きになっていく。

「ユキ……自分でしてる…………気持ちいい?」
「……言わないで……!」

自分で、快感の強くなる場所を擦りながら、昇り詰めていく。
俺の指はもう、ユキの補助にまわって、力をわずかに加えるだけだった。
顔を真っ赤にしたユキが、羞恥からか、唇を噛みつくように重ねてくる。
ほどなく、ユキがびくんと跳ねて、背中を反らせた。

「はあああっ」

甘い悲鳴をあげて……ぐったりと体が俺の胸へ崩れてきた。

荒く喘ぐ体を、ベッドに横たえた。
ユキが、顔を隠すように片手の甲を頬にあてがっている。

「すご……俺の手が……」
「やだ! 言ったらダメ!」
「……そんな、怒るなよ……」
「…………ひどい……」
「ごめんな」
「もう……」
「ごめん」

ユキの耳に唇を押し当てた。あまり反省はしていない。
一応もう一度「ごめん」と言って、耳たぶを唇で挟んで軽く引っ張る。
ユキがまた鼻にかかった声をあげた。

「……ユキの中、入りたい」
「…………ん」

顔を隠したまま、同意の頷きを返してきた。

じゃあ。
ゴムを取ろうとベッドサイドに腕を伸ばそうとした時。
その腕をユキがやんわり制した。

「…………着けないで」
「……え?」
「このままで……」
「ユキ……それは」

今までに、着けずに、というのは無いわけじゃない。
でも、この時期に、それは俺にはできないことだ。
4月からユキには新しい生活が始まるのに。

俺はゴムの入った引き出しに手を掛けた。
ユキの声が「あっ」と聞こえたが、聞こえないふりをした。

「……無い」

無い。
ベッドサイドにある小さな収納棚のあるべき場所に、それは一つも無かった。
ユキに顔を向けると、訴えるような眼をして俺をじっと見つめていた。

「ユキがやったのか……」
「お願い……無しでして欲しいの」
「危険……だろ……」
「安全日、だから。……精さん……そのままで、きて」

潤んだ目で見上げて、腕を俺の背中にまわしてきた。

「ユキ。しばらくはちゃんとしよう。それに」

さっきプロポーズしたばかりだろ。
ここで、不誠実なことってのは、やっぱマズイ気がする。

「…………精さんの赤ちゃん、欲しい」
「安全日じゃないのか?…………てか、俺はまだ……」

ユキが急に表情を曇らせた。
目が赤くなっていく。

「精さんは、嫌なの?」
「だ、だからあのさ……今は、これ以上望んじゃいけないと思ってて」
「望んじゃいけない、って、どういう……」
「ユキと一緒になれる、っていう望みが叶ったばかりだから……」

ユキの目からとうとう涙がこぼれだした。
今日はよく泣いてるよな……。

「ゆっ、ユキ、だからさ、あの……欲張るとダメな気がしてるんだ」
「…………」
「今まで……いろんなものをなくしてきたから……」
「……だから……?」
「満たされすぎると、怖い」
「…………怖く、ないよ?」
「……怖いんだ」

ユキが両手を伸ばしてきて、俺を包むように抱きしめた。
本当に、包むように、優しく。
あの時のように、背中をゆっくり細い腕が上から下、下から上と往復する。
耳元に、ユキの息がかかって、囁くような声が響いた。

「怖くないよ」

幼いユキの温かな体を思い出して、胸が切なくなる。
同時に体が熱くなってくる。
熱いけど、性的な興奮とは違う、静かな、あの時も感じたとても静かな感情はなんというんだろうか。

「どこへも行かないから……ね?」

ユキを女性として意識してからというもの、失うのが怖くてなってしまった。
成長していくのを間近で見ながら、飛び立っていってしまうのを、おそれていた。
どこへも行って欲しくなかった。

「怖かった……今も……」
「精さんの……傍にいるから。大丈夫」
「…………大丈夫、か」
「大丈夫」

自分が震えているのに気がついた。

「カッコ悪りぃな、俺」
「ふふっ……精さん、泣いた」
「なっ……泣いてねーよ」

体を離し、顔を見ると、ユキは泣きながら笑っていた。
俺は……やっぱり、泣いてんのかもなあ。

また、ユキが腕を伸ばして、俺を引き寄せた。
唇が重なる。
熱くて柔らかくて、とけそうな感触だ。

ユキが上唇や下唇を交互に軽く食み、舐め、また覆うように重ねてくる。
それはもう一度、冷えた体を昂らせようとしているみたいに、丁寧な動きで繰り返された。
侵入はしてこず、焦らせて、俺から貪るようにと、誘い込む。
少女の頃のユキとは、もう違う、と思い知らされる。

俺が、そう望んだから、か。

ユキが抱きついてくる。
自分から膝を開いて、腰を揺らし、俺を迎えようとしている。
いつになく積極的に。

さっきのユキの悪戯も、無性に可愛いものに思えてきて、俺からも口づけた。
お返しのつもりで、舌を絡めながら、蜜の溢れ返ったそこに指で触れた。

「ああん!」

体が跳ねて、ユキが叫んだ。

「しないで……! 指は……いやなの……」
「……欲しい?……その……着けずに?」
「ん……」

ダメだ、とか偉そうに言っておきながら……我ながらあきれる。
膝に手を掛け、ユキの体を開いた。
ユキの『おねがい』や『おねだり』に弱いのを自覚しつつ、ユキの片脚を持ち上げて、
すぐ自分のモノをゆっくり押し入れた。

「あ――――!」

とろとろに溶けたそこは、俺を簡単に受け入れてゆく。
少しずつ、温かくて柔らかい襞に覆われていく。

「んっあ……ああっ」
「う……」

直接の感覚は、強すぎて、気持ちよすぎて。
ユキの中は、たくさんの肉の襞が俺を包んで動いている。
めまいがしそうだ。

俺は、ユキの片脚を自分の肩に掛け、ゆっくり深く回しながら抽送を始めた。
ユキの背中が浮いた。
ひくひくと中が蠢いて、引き込むように締め付けてくれる。

一度動きを止める。
わずかな動きでも、俺のモノは直に感じて、びくびくと震えた。
それがまたユキの快感を誘うらしい。

「精さん、うご……いて……」

恥ずかしそうに小さな声で、けれど堪え切れない、というように。
ユキがぐっと腰を上げて、自分から回すように動き始めた。
細い腕が首や背中に絡みつくようにまわされる。
強くしがみつかれて、苦しい。

「ユキ、苦し……」
「ん……あ……やだ……せい……さ……あぁんっ」

ユキが俺を舐るように、ゆっくり上下に動く。
息苦しい俺は、そんなことお構いなしなユキに、耳たぶを甘噛みされ、舐られる。

「あ……ユキ」
「せいさ……ん」

首筋を舌で舐めながら下りてきて、肩に噛みつかれた。

「……ユキっ」

猫みたいだな。
必死らしく、爪が食い込んで、背中が少し痛い。

「精さ……ん……あんっ……また……やぁ……あ、はあっ……」

自分の限界が近づく。
きっと、次の時にゴム着けるのが嫌になるな。

「……言って……っしてるって……精……さっ……やあぁっ」
「ん?」

手加減は止めだ。
奥まで一気に貫いて、ぎりぎりまで引き抜く。

「だめ……離れちゃ、やだ……ああっ……ぁん……も……と」

言われた通り、打ち付けるように、突き込んだ。

「んやああああっ」
「さっき……っ……なんて言っ……?」
「あっやっ……あ……あい……てる、て言って……ね?……ん、ああっ」

それも『おねだり』するのかよ。
そんなに安売りしないぞ……と思いながら……やっぱり弱い。
ユキの耳に口を付けて、わざとごく小さく囁いておいた。

「聞こえた?」と問うまでもなく……。

「っユキ! そ……んな、締めるなっ……っ」
「せいさ……っ」

強く反応して、ユキが一気に昇り詰めていく。
ユキは俺に合わせてなのか、快感に酔ってるのか。
自分から揺れて、締めつけてあっという間に最後の所までもっていかれる。

「腰、砕けそ……」
「せっ……あ……は……!」

ユキがふるふると震えて、体を強張らせていく。
熱く蠢くようなユキのナカに、ぐいぐいと引き込まれる。
隔てる物が何もないことを、生々しく感じながら、奥へと突き込んだ。
腰から頭の先へと電流みたいなものがはしっていく。

同時に、それ以上進めない、奥深いところで、俺は弾けた。
……初めてユキの中に吐きだした。
ユキが、強くしがみついてきた。

「ユキ、聞こえる?」

声を掛けても、荒い息で、ぼんやりしている。

「ユキ」

こんな、こっぱずかしい言葉、そうそう言えたもんじゃない。
だから、「愛してる」って言うのは、しばらくユキだけに言いたい。
そういう相手が増えるのは、もうしばらくユキを独占してからにしたいんだ。

……寄り添って、そう言おう。
子どもみたいだ、と言われるだろうか。

「しあわせ」

ユキが呟くのを聞きながら、その隣にもぐりこみ、華奢な背中に寄り添った。

「幸せ」

俺も同じように呟くと、ユキが振り向いた。
指を絡ませて手を繋ぐ。
どちらからともなく、唇を重ねた。

「ユキ……」
「アイシテル」

俺より先に照れながら言って、ユキは花が開くように笑った。

――もう、春なんだな。






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