純愛ぱるぷんて・2
シチュエーション


――また今日も同じ目に遭ったら――。

電車を待ちながら昨日の出来事を頭の中で反芻すればする程、気分が暗ーく沈んでく。
周囲に自分の気持ちをわかるよう表現できるとしたら、私の周りはきっと今どんよりとした灰色の空気が渦巻いているのに
違いない。
漫画で言えば雨雲しょっちゃってます、みたいな。どのみち辛気臭いことこの上ない。
溜め息ばかりが零れる唇をそっと撫でてみる。
生まれて初めて知った他人の唇の感触は、思い描いたような甘くふわふわした幸せなドキドキなんか産み出すことなどなく、
ただ失望や現実の残酷さを思い知らされただけだった。
それすらもう夢であるかのように何の跡形も残さず朝は来る。
いつもと何も変わらない、筈――の通学風景。
ホームへと滑り込んできた車両の窓に、その姿を見つけてしまうまでは。

振り向きながら背中越しに窓の外を気にしている風だった。
一つ隣の車両にいる彼に気付いていながら、全くそんな素振りを見せないつもりになって、いつものドアから電車に乗り込む。
これまで以上に気合いを入れて足を踏ん張り、しっかりと辺りを警戒しつつ吊革を握りしめる。
つけ込まれてたまるか、こんな時に。
昨日はあれからかなり落ち込んだけど、考えてみれば、あんな男の一人や二人に振り回されてる自分が情けなくなるにつれ、
段々腹が立ってきた。
あれは事故のようなものだ。
勝手な勘違いによる思い込みで突っ走られて良い迷惑だと思う。
人のお尻を無断で触って不快な気持ちにさせた何処の誰とも知れない奴だってそうだ。
犬に噛まれたと思って忘れてしまおう。いつまでも引きずるなんてバカバカしいにも程がある。

――ただ、一言謝ってくれただけでもあっちの方がましかもしれない。
同じにしたらさすがに悪いかしら。

***

「そんなん、同じよ、同じ!許せん。あんた軽く見られすぎ!そこは怒っていいんだからね?」
「そうですか」

いいなあ、この性格。どっちかというと優柔不断になりがちな私と違って、竹をぶった切ったような早紀は本当に男前だ。
私が女なら惚れる。――あ、女だっけ。

「女なら何でもいいのか。だからって見境なさすぎるんだよね。よりによってあんたなんかに何でまたそんな気起こすかな」
「それどういう意味?」
「あら。誉めてんのよ」
「どこがだー」
「あたしが男なら、お尻の重そうなあんたみたいな女こそほっとかないって事よん」
「そりゃどうも」

一見それ程似通ってもいない早紀と私の友情の理由は、こういう所に共通項があるんだろうと思う。
駅に降り立った時、人波に揉まれる中から抜け出すのに精一杯で、一緒に降りた筈のゲス男にかち合う事はなかった。
もっとも、これまでにもバッタリ顔を合わせた覚えもなかったので、不思議はない。
しかし、朝の私は周囲をちょっと見回す程の余裕も無いのか。自分を客観的に見られる機会はそうあるものではないので、
それにはちと反省。
休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴り、席へ戻る早紀に手をふりつつ振り返ると、ふいに視界に飛び込んだ人間に目を
奪われた。
これまで気にも留めた事のなかった男の一挙一動を何気に眺めてみる。
長めの前髪が気になるのか、肘をついて上目遣いにそれを摘んだり引っ張ったりして弄っている。
邪魔なら切りゃーいいのに。
細い目がこっちに向いて、私の視線とばっちりぶつかる。
なぜか焦る私。何でだ。
でもこっちが素知らぬ顔を決め込むより先に、向こうの方がぱっと目を逸らして俯いた。
そのくせ、二、三回目をぱちくりさせては上目遣いと目を伏せたりとを繰り返す。

――何よ?
もしかして、またなんか勘違いされてるんじゃ。
冗談じゃない。私はもう関わる気なんか無いんだから。

***

「小松原さん、ちょっと」

昼休みが終わる前にトイレに行こうとして教室を出た時だった。

「私……ですか?」
「そう。ちょっといいかな?あ、友達も一緒で良いです。すぐ済むんで」

丁寧な物言いに、嫌です、とも言えず早紀とアイコンタクトをとり、頷く。
ていうかあなた誰ですか。
ちょっとこっち、と人気の少ない廊下の端まで手招きされ、しぶしぶついて行く。

「あ、俺、外山(とやま)って言います。隣のクラスのもんなんだけど、知ってる?」
「ああ、見たことなら」
「ですよねー。そんなもんだよ」

昨年も別のクラスだった人で、今言ったようにこれまで接触のなかった人だ。
そんな人が何を。

「小松原さん、下の名前は何て言うの?」
「は?」
「あ、えっといきなりごめん。びっくりするよね。色々聞きたいことがあって。差し支えなければケータイとメアドを……」
「あたし消えよっか?」

早紀が居辛そうに外山くんとやらの顔を見る。

「いや、気にしないでいいですから」
「あたしが気にするんだってば」
「待ってえぇっ!」

そう言って既に歩き出そうとしている早紀の腕をしっかと掴んで、綱引きのような体勢でずるずると引き戻した。
嫌だ!一人にしないでえぇぇ!?

「だって告白の現場に居合わせてどーゆー顔しろっちゅーの」
「こっ!?」

こくはく?

「誰によ?」
「はぁ?あんた本気で言ってる?鈍いのもホドがあるわ」
「にぶ……どうせそうですよ」

とは言え、いくら私でもさすがにこの状況では理解せざるを得ないようだ。

「ん〜まあ、間違ってはないんだけどね」
「えっ?」

ここにきて初めてまじまじと外山くんとやらを眺めてみる。
この人が?

「俺じゃないんだよね〜」

勘違いしかけてる事に気付いてか、苦笑いしながら否定する。
人の好さそうな丸っこい顔に、思わず私もつられて笑いそうになる。不思議な人だ。

「じゃあ誰?もし差し支えなかったら教えてくれない?」

すかさず早紀が突っ込む。

「や、それは、まあ……」
「だって気になるじゃない。それとも一方的に聞いておいて逃げるわけ?それってズルくない?やーよ、どこの誰ともわかんない
奴に大事な友達狙われるなんて。つうかキモイ」
「キモ……それは参ったなー」

私の前に立ちはだかって仁王立ちの早紀の迫力に負けたのか、しょうがなく白状するよと外山くんは溜め息をついた。
ああ、頼りになるわあ。

「で?誰」
「ん〜……引かない?」
「相手による」
「ですよねー」

とりあえず私の存在を思い出して欲しい。さっきから二人だけで話が進んでませんか?

「俺ね、お宅のクラスにいる奴と幼なじみでね、そいつがえらくその……小松原さんを気にしてるみたいなんすよ。で、
ちょっと一肌脱ごうと思ったわけ」
「うちのクラスぅ!?益々聞き出さずにはいられなくてよ」

ね?と血走った目の迫力に頷かずにはいられぬ私。ていうか早紀コワイ。
なんでそんなに必死になるのか。
心配してくれるのは嬉しいけど、これは人一倍強い好奇心が勝っているに違いない。

「実は……増田、なんだけど」

私より先に早紀の方が『げっ』と小さく潰れたような声を発した。そのため当人である筈の自分は反応に困っているわけだが。

「ゲス……」
「早紀っ!」

いくらなんでも友達の前でそれは無いって。

「いや、まあそうなるよね」

あ、そこはわかってるんだ。

「だったら断る。あいつ何?友達使ってどーしよーっての!?」
「どうもこうも、本人だと多分、相手してもらえないって言うから。俺が、」

あなた達……本人の意思は一体。

「何でそこまでするの?」

外山くんの声を遮って、さっきからある疑問をぶつけてみる。

「もしかして面白がってるんじゃない?……悪いけど、私、あんまりあの人にはいい印象持てない」
「そんなつもりは!……まあ多少楽しんでる感はあるかもしんないけど」
「やっぱり」

早紀の手を引き、行こうと促す。

「あ、待ってほんとに。マジな話、からかうとかそんなつもり、ないから。いや、育実が自分から女の子の話するなんてなくて。
あいつあれで結構奥手……なんだな、と」

いくみくん、て言うんだ。下の名前で呼ぶくらいだから本当に親しいんだろな。けど、それでも知らなかった友達の一面を
発見して『面白がってる』、ってのは間違いなく確かだ。――悪い意味では無く。
でも奥手ってのはどうかと思うよ。

「……わかった。けど、やっぱりよく知らない人にあれこれ聞かれてもちょっと困る。用事があるなら自分から、って言っといて
くれる?ごめんね」
「え………うん、わかった。そう言っとく」

本当はもう、あまり関わりたくない。
嫌な役回りさせるみたいで外山くんには悪いけど、とりあえずそっからでも悟ってくれれば。

「いこ、早紀」
「あ、うん。いーの?」
「何が?」
「口挟んどいて何だけど、気になったりしない?奴の考えてる事とか……あんたのことだし」
「……いいや別に」

気にしたって仕方無い。――今更、私のファーストキスが戻るわけじゃなし。

「早くトイレ行こ。時間なくなる」
「あっホントだ、やばっ!――千代、ハンカチかして」
「いいよ〜」

距離が少し進んだところで、ふと振り返ると、外山くんが軽く手を振ってきた。
何となく振り返すと、また人なつこい笑顔を見せてから背中を向けて去っていった。

「なんであの人、あんなんと仲良いのかな?」

早紀の言うことも確かに頷けるけど。

「ん〜……幼なじみって言ってたし、それなりに色々解ってるんじゃない?」

私だって最初はそんなに嫌な感じしなかったんだから。


思った通り、次の授業が始まるギリギリになって教室に駆け込む羽目になった。
出席取ってる途中だったから、席の周りや入り口周辺の一部からとは言え注目浴びるあびる。
その中には、痛いという程強く感じる誰かの視線があったと思うのは、私の思い上がりだろうか。

***

雨、ちょっとやばいかな?
昨日は結局降られる事はなかったけど、その分ずれ込まれたみたい。
早紀と門を出た所で別れ、薄暗く泣き出しそうな空を見上げて、駅まで急ごうと駆け足になる。
鞄に折りたたみ傘があったのを確認しにちょっと立ち止まったところで、ぱらぱらと足下に水玉が広がっていくのを見て、
脇の本屋の軒下に飛び込んだ。

「あ」
「……おっ」

どちらともなく小さく零れた声に顔を見合わせ、その先が見つからず飲み込む。
狭い入り口のスペースに先客があるとなっては、私としても居辛いわけで。
用もないのにわざわざ店に入ると、適当にその辺にあった雑誌を手にとってみたりする。
雨足は少しずつ強まってきて、表を行き来する人たちの動きも何だか忙しない。
それなのに、こちらに背中を向けたままあいつは微動だにしない。
早く帰りゃいいのに、と少しの間私も店内を意味なくぶらつく。

暫くして運良く?欲しい本を手に入れ店を出ると、まだそこに居た。

「……帰らないの?」
「あ……友達待ってて」
「そう」

思い切って声掛けてみたら、ちょっと驚いた様子。

――なんだ、帰れないのかと思った。
私のと同じビニール袋を小脇に抱えて立ち尽くす、雨降りの軒下に。

「友達って、外山くん?」
「!……知ってんの?」
「まあね」

あちゃ〜って小さく聞こえた。眉間にシワが寄って、細長い目がきゅっと鋭く見える。

「仲いいんだね。なんか色々、心配?とか、してたし?」
「ん〜、ああ、まあ」

あれ?何だか耳まで赤くないですか?
もしや触れてはいけない何かに触れてしまったわけじゃあるまいか、私。

「あの……」
「なにか」
「あいつ、なんか言った?」
「……知りたい?」

ああ、まあ、とぶつぶつ呟きながら、本の袋をガサガサ言わせて俯き加減にこっちに目をやってくる。
ふうん、気になるんだ。

「教えない」

ずるっとスニーカーの滑る音がして、肩が斜めに下がった。人間ほんとにこけるんだな。漫画みたい。(※あ、本当に
ずるんっていったわけじゃないですよ。だって雨ですよ。例えですよ?大惨事じゃないですか)

「お……ちょっ」
「話したのは外山くんとだから」
「……」

ちょっとイヤミだったかな。
横目でそーっと見ると、険しい目で足下を見つめたまま動かない。
怒ってる?ひええっ――恐っ!その目で睨まないでぇっ!!

……睨んでは来ない、か。
よーく見ると、目つきは相変わらず鋭いけれど、微妙に眉毛がハの字な感じ?
もしかして。

「……外山くんて面白いね」

結構この人、ややこしいのかもしれない。

「ああいうの好みなんだ?」
「別に嫌いじゃないけど」

とっつきにくそうな、何考えてるかわかんないような。

「でも、いきなり知らない人にメアドとか教えたりするのは抵抗あるんだ、私」
「へー……」
「でも、仲良くしてくれたら嬉しいかなと思う。自分からってそういうの、言いにくいし」

そんなのって、自分だけだと思ってたんだよね。でも、そうでなくて、相手もそうだったりするんじゃないか、とか。

「……あんた、小松原さん、てさ、ケータイある?」
「……あるけど」

だけど、それがどこまで本気なのかは、解らないから、少しだけ最後まで。

「……やっぱりいいわ」
「あっそう」

――迷いは、残る。

「じゃ、私行くね」

ちょこっと頭を下げて見せた増田くんを残して本屋を後にした。
すぐ背中で外山くんの賑やかな笑い声が軽い悲鳴のようなものに変わったのを聞いたけど、知らないフリして駅までを急いだ。
私は何を期待していたのだろう。
電車に飛び乗った後の軽い失望感に、それを気付かせられて首を振る。
濡れた傘を見て、お礼だって入れてやっても良かったのかもと考えたけど。

「でも外山くんいたし」

何がこんなに揺らぐのだろう。

***

次の日もその次の日も、ホームに滑り込んで来る電車の中に彼の姿を見た。
そのたびに必ず窓から振り向き背中越しに外を見る目つきの悪さに一瞬びびり、さっさと隣の車両に駆け込むという日々。
相も変わらずぎゅうぎゅうと押し合いへし合いする中で、自分の身をいかに守り抜くかを考えながら目的地に着く事だけを
頭に思い浮かべてやり過ごす。
そうした中、連結の窓越しに俯く横顔が覗くのを何気に見つけて、暫くの間ぼーっと眺めた。
こうしてまじまじと増田くんという人を見てみた事なんかなかった。いや、彼に限ったことじゃないけれど、誰かのことを
気にしたり、考え続けたりしたなんていままでにあまりない。
あまり、というのは、私にはそうした経験が、まあ、皆無と言っても良いからなので、それはいわゆる――。
いわゆ……る?
あれ?なんか悪寒が。
と同時にあり?熱が?
妙な胸のもやもやを抱えつつ、目的地へ到着する。

ぽん、と肩を叩かれて振り向くと、驚くほど至近距離であの目に射竦められ、改札に急ぐ人の波に逆らえず立ち止まる羽目に
なった。

「な、なにか?」
「あの、明日は――」
「あ、いたいたっ!」

最後まで聞き取る事は出来ずに、彼の声も姿も割り込んできた甲高い声とサラサラの髪に遮られた。
同じ駅利用の女子校の生徒が二、三人増田くんを囲んで何か言ってるようだけど、私には関係ない話、だから。

「小松原――さ――」

途切れ途切れに呼ばれたような気がした私の名前に、一度だけ足を止めたけど。

「待っ……うわっ!?」

すれ違った人にぶつかったのか、鞄が弾き飛ばされこっちまで滑ってきて仕方なく拾い上げる。
飛び出た中身を何気に手にし、見なかった事にしてみて鞄に突っ込み無言で突っ返すと、後は振り向かず一気に走り出した。
追っかけて来るなんて思いはしなかったけど、来るもの拒まずは本当なんだな――と、囲まれた女の子達に埋もれたままの
あいつを苦々しく思う。
やっぱりああいうとこが最低なのかも、と。






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