シチュエーション
![]() 二人はその日、そのまま別れることが出来ず、浜から港へ引き返した。 「この島には、この食堂ぐらいしかないからね」 と言って、将晃がアヤを連れて入ったのは港の小さい食堂だった。 「でも、おいしいじゃない。お店のお姉さんも優しいし」 アヤはこの食堂がお気に入りだった。 その食堂は、アヤが勤めていた雑貨屋の近くということもあって、二人の気心が知れた場所だった。 店に入ると、ユキという名の一つ年上の店員がいて、二人を歓迎してくれた。 ユキは色白で少し大人びた表情をする美しい娘だ。 ユキは以前から、ぎこちない交際をしている二人を可愛く思い、相談相手になっていた。 「あら、アヤちゃん。ひさしぶり。お店止めてから初めてじゃないの?」 「はい。お久しぶりです」 「元気だった?海女を始めたんでしょ」 「ええ。まだ慣れてないですけど・・」 「以前はよく二人で来てたのにね。ね、将晃くん。最近、アヤに冷たいんじゃないの」 「そんなことないです」 将晃は少しムッとした顔でユキを見上げた。 「将晃くんも、アヤちゃんも、少し意地を張りすぎに見えちゃうよ」 「意地なんて・・はってないです」 「いい?二人とも。好きな相手なんて、想ってるだけじゃだめなの」 「・・・」 「ひとつのチャンスを失ったら、もう二度と取り返せないかもしれないんだから」 「チャンス・・」 「恋の神様はね。きっとチャンスも下さるし、意地悪もされるのよ」 「はい・・」 「アヤちゃん、自分の気持ちのままに動いてみたら、どう?」 「でも、おばあちゃんが・・」 「何言ってるのよ、孫の泣く顔を見て喜ぶおばあちゃんなんているわけないわよ」 「・・・」 「将晃くん、アヤをさらっちゃいなよ」 ユキはそう言うと優しく笑った。 しかし、ようやく取り戻したかに見えた、アヤのささやかな幸せも長くは続かなかった・・。 その日、浜辺で寄り添う二人の姿を、物陰でのぞき見ながら憤慨する男がいたのだ。 網元の源三である。 (ワシのアヤをたぶらかすとはとんでもない小僧じゃで!アヤはワシのもんじゃ!) 源三はその足で将晃の家へ押しかけ、親たちに詰め寄った。 「島中の噂を知っとるか。将晃が浜辺で女とイチャイチャしとったそうじゃ」 「島の掟を知っとろうの?お前んとこの息子は秩序を乱したんじゃ」 「島のためにならん。村のみんなが迷惑しとるんじゃで」 「そもそも、ええ若いもんが小さなこの島に残るからいかんのじゃ。勉強もせんでブラブラしとるのがいかん」 「男が女にうつつを抜かしてええことはない!将晃のためにもならんでな」 「本土へ行かせて広い世間を見させたらええ。そうじゃな1年間は必要じゃな」 「ワシが本土の知り合いに頼んでやるからな。さっそく支度させるんじゃ」 「ええか!1年間は島に帰しちゃならんぞ。腐った性根をたたき直すんじゃ。甘えさせちゃなんね!」 翌朝、アヤが将晃の家を訪ねたとき、将晃はすでに島を追われていた。 アヤの心の支えがなくなった。 アヤは心細さとたたかいながら、肌を男達に晒し続けなければならなかった。 夏の終わり頃。 アヤは仕事を終えて浜を歩いていた。 ひと夏の間にアヤの肌は、すっかり日に焼けてしまい以前の白い肌の面影は無くなっている。 「アヤーっ!」 遠くから駆け寄ってくる人影があった。 「クミ?」 それは親友のクミだった。 「クミ。久しぶり。卒業以来だね。島に帰ってきたのは。」 アヤは数ヶ月ぶりの再会を喜んだ。 「クミ。ずいぶん変わったね。おしゃれになったし」 クミはしばらく島を離れている内に今風の少女に成長していた。 おしゃれな服に身を包み、微かなメイクが華やかさを醸し出している。 「アイドルみたいでかわいいよ」 アヤはいたずらっぽく笑った。 こんな笑顔をしたのは何ヶ月ぶりのことだろう・・ 「なに言ってるのよ!変わったのはアヤの方だよ」 「えっ?」 「お母さんから聞いてたけど、やっぱり本当だったんだ。海女になったのは」 「うん・・おばあちゃんが昔やってたから。家を継いだ、というか・・」 「でもなんで、そんな・・恥ずかしい格好してる訳?変だよ・・それ」 「・・そう・・かな・・」 「以前二人で話してたじゃない。海女さんて恥ずかしくないのかな。あんな褌ひとつで・・って。忘れたの?」 「・・そうだった・・かな」 アヤはそのことを忘れたわけではなかった。今でもその気持ちに変わりはなかった。 しかし自分一人だけでは、もう、どうにもならないことなのだ。 アヤは、わずかの間しか経ってないけど、クミとは違う世界を生きている、と実感せざるを得なかった。 「そうだ!私の彼、一緒に来てるんだ。紹介していい?」 「えっ・・彼・・出来たんだ。よかったね」 「うん。高校のクラスメート。瞭くん、ていうの。アヤに紹介したくてさ」 「私も会ってみたい。クミの彼に。じゃ、家に帰って着替えてからクミの家に行くよ」 「あ・・でも、・・ごめん。もうそこまで来てるの」 「え・・」 クミが指さす方を見ると、一人の少年が浜の上に立っていた。 「やっぱり、今、紹介されるの嫌だよね・・?」 クミは申し訳なさそうにアヤを見た。 「・・ううん・・私なら・全然平気・・かまわないよ」 (クミ・・やだよ・・島の外の人に裸見られるなんて・・それも同い年だし・・クミの彼なのに) アヤは本心を心の中にしまって笑顔を取り繕った。 「そう。よかった。じゃこっちに呼ぶね。瞭くーんっ。来ていいって」 クミは浜の上で待っている少年に向かって、大声で呼びかけると、手を振って招いた。 少年は最初戸惑ったようにゆっくりと、そしてだんだんと早足で駆け寄り二人のそばで立ち止まった。 「えと・・彼が瞭くん。とってもかっこいいでしょ。」 クミはアヤに瞭を紹介した。 瞭は気まずそうに黙ってうつむいている。 「こんにちは・・はじめまして瞭さん。・・アヤといいます。」 瞭が恥ずかしそうにしているため、改めて自分が、どんなに恥ずかしい姿を晒しているのかを思い知らされる。 「アヤはね。勉強もスポーツも一番で、人気者だったんだよ。美人だし、男子からすごいもててさ」 クミはその場を取り繕うように明るく話し始めた。 「おばあちゃん孝行で、それで島に残ったんだよ。偉いよね」 それは、アヤにとっては日常よくあることだった。 浜辺で誰かと談笑する・・他の人は服を着て、自分は裸で・・ 海女を始めるまでは、とても想像もしないことだったにも関わらず、今では冷酷な現実となっていた。 しかし、今日の出来事は特別だった。 親友とその彼・・初対面の異性にまでこんな姿を見られてしまうなんて。 (なんで・・わたしだけ・・はだかで・・いなくちゃ・・いけないの?) 三人は並んで浜を歩き始めた。 しかし話はどうしてもアヤとクミの会話中心になるため、瞭は話題に乗れずに、いつの間にか二人の後に続くようになる。 瞭の目には二人の少女が前を歩いている姿が目に入る。 一人はおしゃれをした彼女。 もう一人は彼女の親友・・その子は後ろから見ると何も身に付けていないのに等しい。 自然と瞭の視線は、アヤの裸身を追うようになる。 わずか数歩先を美しい肢体が揺れるように歩いている。 風になびく黒く長い髪、健康的で鍛えられた肩、括れた腰、ふくよかな尻、すらりと伸びた長い足。 「きれいだ・・」 瞭はおもわずポツリと呟いた。 「えっ!瞭くん。アヤに見とれてるんでしょ?もう、だめだよ、あんまり見ちゃ」 クミは瞭の言葉に反応して窘めた。 「アヤにはね。将晃くんていう大好きな彼がちゃんといるんだから!」 それでも、瞭は取り憑かれたようにアヤの下半身を見続けていた。 「アヤの裸ばっかりみないでよ。もうっ!」 「そうだ、アヤ。以前この島の伝統行事のこと、話したこと覚えてる?」 クミは急に真顔になってアヤの顔を見た。 「うん、17才になったときの変な行事のこと?」 「うちのお母さんが言ってたんだけど。アヤちゃん来年は17才の儀式だね、って」 「来年・・」 「そう。クミお前は来年一年はこの島へ帰って来ちゃ絶対ダメだよ、ってこっそり言うの」 「・・・」 「それで、なぜ?儀式ってなんなの?って聞いたら、すごく辛いことよ、だって」 「・・・」 「だから、アヤはどうなるの、って聞いたの」 「可哀想なことになるかもね・・・だって」 「わたしが・・可哀想なことに・・」 「そうだよ!だから悪いこと言わないよ!島を出た方がいいよ!」 その時、三人の目に一人の少女の姿が写った。 少女は赤い着物を身に纏い、フラフラと彷徨うように歩いている。 着物ははだけ、ピンク色の着物の帯もだらしなく締められ、生白い足が歩くたびに太腿までのぞいている。 髪の毛は無造作に後で結われているだけで、風にまかせて揺れている。 その目は焦点が定まらず、虚ろで感情を失ったかのようだ。 「あの人、誰だっけ?」 クミはまるで幽霊でも見るようにアヤに聞いた。 「たしか、港の食堂で働いてるユキさん・・だよ。ほら一つ先輩の」 「あんな暗い感じの人だったっけ」 「ううん、いつも明るくて感じのいい人なのにまるで別人みたい・・今日どうしたのかな・・」 「ユキさん、一つ先輩だから・・17才か・・何があったんだろ・・」 翌日・・ユキは島を去った。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |