シチュエーション
![]() 一年後、季節はまた夏を迎えていた。 アヤは明日、17才になる。 その日の午後、祖母はタンスから財布を持ち出してきて、アヤに話し始めた。 「アヤ、これを持って島を出な」 「なぜ・・おばあちゃん」 「この島にこのまま残ると、良くないことが起きるからの」 「なんなの?良くないことって・・」 「アヤは今でも、将晃君のことが好きなんじゃろ?} 「・・・うん」 「じゃ迷うことはない。島を出て将晃君の所へ行くがええ」 「できないよ・・だって。おばあちゃんが独りになっちゃう」 アヤは祖母の突然の言葉に驚き、祖母の両手を握りしめた。 「婆のことはもうええ。感謝し尽くせんほど、アヤには十分孝行してもらったわい」 「そんな悲しいこと言わないで・・」 「島の掟とはいえ、今まで苦労をかけたの・・すまんかった・・」 「・・・やめて」 「これ以上お前を苦しめたら、あの世で子供達に顔向けできんでな」 そう言うと祖母は、にっこりと優しく微笑んだ。 「そんなこと・・言っちゃ・・だめだよ・・おばあちゃん」 「実はの、クミちゃんのお母さんから連絡があったんじゃ」 「クミから・・?」 「今日の夜、西の浜に釣り船が着く。クミちゃんの迎えだそうじゃ。その船で島を出な」 「やだ・・そんなこと・・おばあちゃんを独りぼっちにさせるなんて」 「気にせんでもええ!独りは慣れとるわい・・元にもどるだけじゃ」 「おばあちゃん・・」 「ええか・・アヤ!決してここに戻ってくるんじゃねえぞ!」 祖母はアヤの顔を愛おしそうに見つめると、その両手を力強く握り返した。 その夜。 あたりが暗くなって、アヤの家の戸を強く叩く者があった。 「もしもし・・こんばんは・・アヤ居るの?」 その声の主はクミだった。 「クミ・・」 アヤは戸を開け、家の中にクミを迎え入れた。 クミはかなり長い距離を走ってきたのか、呼吸は乱れ、おでこと白いTシャツにうっすらと汗がにじんでいる。 久しぶりの再会を喜ぼうとするアヤを制して、クミは声を押し殺して言った。 「アヤ。急いで!ここに来る途中、網元の家から使いが向かっているのを見たわ。もうすぐここにやって来るよ」 「網元さんの使い・・?」 「そうよ。お母さんから聞いたの。この島の娘は17才になったら、網元の生け贄になるんだって・・!」 「生け贄って・・どういうこと?」 「早く準備してっ!・・源三に一晩中、体を弄ばれるのよ!」 「・・それが・・伝統行事なの?」 アヤとクミは戸外に出ようとした。 「だめだっ!中に入って!もう・・そこまで来てるぞ・・」 その時、二人が外に出るのを制して、突然、少年が駆け込んできた。 「瞭・・!」 「瞭さん・・?」 「瞭に頼んだの。アヤの危機だから助けてって。釣り船を動かしてもらったの」 クミは外の様子を窺いながらアヤに説明した。 「ふたりとも・・ありがとう」 「いやあ・・そ・・そんな大した事じゃ・・ないよ」 瞭はアヤを見ると、急にだらしなく笑った。 「瞭!デレッとしてる場合じゃないのよ。来てるの?近くまで?」 「う・・うん。あの白い着物の婆さん、すごく早い・・もう庭先まで入って来てるよ」 「トメ婆さんよ・・あの人、年の割に身軽だし、力もあるのよね。まるで妖怪みたい」 クミは険しい表情で呟いた。 「アヤのおばあちゃん・・お願い!私たち奥の部屋に隠れて相談するから・・時間をかせいでっ!」 クミは祖母にそう言うと、アヤと瞭に目で合図を送り、身を潜めるため奥の部屋に入った。 「あんな婆さん、たいしたこと無いよ。とっつかまえて縛って逃げようよ。こっちは3人、いや4人だぜ」 「瞭・・だめだよ。あんた島のこと、何にも知らないんだから・・トメ婆さんって、武道の達人らしいんだ」 クミと瞭は戸口に気を配りながら話し始めた。 「島の男でも敵うのがいないくらい強いんだって、お父さんが言ってた」 「こまったな。じゃ、どうする。西の浜まで走らなきゃ、島を出れないぜ」 「わかってるわよ・・もうっ!今考えてるんだから・・」 「もしもし・・こんばんは。アヤしゃんは居られるかな」 戸口でトメと祖母のやりとりが聞こえ始める。 「はい、はい・・ああ・・網元様の所のトメさんですか。こんな夜分にどうされたんじゃな」 「旦那様がアヤしゃんを連れてこい、と言われるもんでな」 「アヤはもう寝ておりますんじゃ。明日、伺うよう言いますので・・今夜はお引き取り下され」 祖母はやんわりと断ったが、トメは退かない。 「旦那様は、晩酌で御酒を召されておられてのう・・酔われて、とても機嫌がよろしくてな。ところで、アヤしゃん、明日で17になられるな」 「はあ・・そうでしたかのう。最近物忘れがとんと、ひどくなって」 「とぼけなさらんでもええがな。それでな、せっかくじゃから今夜0時を過ぎたらすぐに儀式を始めると仰っるんじゃ」 「まあ・・急なことで、折角じゃがもうアヤは疲れて寝ておりますのでな・・今夜はご勘弁を・・」 「遠慮は要りませんがな。お屋敷を出る前、奥座敷に新品の布団を敷いてきましたでな。そこで旦那様に抱かれて眠るがよかろうて」 「しかし・・」 「旦那様は酔われて、アヤが欲しい、アヤが欲しい、と取り憑かれたように言っておられるんじゃ。素直に来られた方が得策ですぞ」 「じゃが・・」 「これはこれは、どうも婆様は島の掟を渋りなさるかな・・困ったもんじゃ」 「だめだわ・・押し切られるわ、このままじゃ」 クミは、戸口のやりとりを聞いて呟く。 「アヤ、私に任せて。黙っているのよ」 そういうと、クミは身を潜めたまま、戸口に向かって声をかけた。 「あら、おばあちゃん。私にお客さんなの?」 「おお、アヤしゃんか?目を覚ましたようじゃな。婆は網元様の使いじゃよ」 トメはクミの声をアヤと勘違いしたようだ。 「何のご用ですか」 「これから、17才の誕生日のありがたい儀式を、網元様がしてくださるそうじゃ。お屋敷に来なされ」 「えっ、儀式?」 「そうじゃ、島の大切な掟じゃからな。断ればアヤしゃんも婆様も辛いはめになるかのう」 「そうですか。分かりました」 「ここに晴着を持ってきましたでな」 「晴着?じゃ、そこに置いて、外でお待ち下さいな。着替えますから」 「いやあ、アヤしゃんは聞き分けの良い素直な子じゃ。それじゃ、待っとるでな」 トメは納得した笑みを浮かべると家の外へ出た。 「うまくごまかせたわ」 クミはほっとした表情で微笑んだ。 「ごまかせた、って。どうするの?トメさん外で待ってるわよ」 アヤが小声で訊ねる。 「私が、囮になってトメ婆さんについていくわ。勘違いしてるし、どうにかごまかせると思う」 「そんな・・もしばれたら危険だわ」 「そうだよ、網元にばれたらどうすんだよ」 瞭が心配して反論する。 「大丈夫だよ。網元の家に着く前にうまく逃げるから。それにもし捕まっても、私、誕生日来てないからまだ16だし。掟が厳密なら手を 出せないはずだよ」 「クミ・・なぜ私のためにそこまで・・」 「アヤのためだけじゃないよ」 クミは外の様子に気を配りながら話を続ける。 「うちのお母さん。いつもは明るくて優しいお母さんなんだけど・・ときどき寂しい顔するんだよね・・」 「・・・」 「十代の頃の話とか・・初恋の人の話とか・・そんなこと聞いたとき。いつも避けているみたいなんだ」 「・・・」 「それで最近その理由を教えてもらったんだ・・。17になったとき・・源三に犯されたって・・」 「・・・」 「あいつ・・儀式だとか伝統だとか適当なこと言ってるけど、私たちを苦しめてるだけだよ。だからもう、そんな思いをみんなにさせたくない」 「クミ・・」 「瞭、おねがい!私が源三の家に行くまでにアヤを西の浜まで連れて行って!」 「クミはどうすんだよ」 「1時間ぐらいしたら、きっと船まで走るから・・待ってて・・」 「大丈夫か・・?」 「大丈夫だって!これしかないよ・・瞭・・アヤ」 クミは意を決したように、アヤの祖母に向かって言った。 「じゃ、晴着とやらに着替えようかな・・おばあちゃん、どれが晴着なの?」 「本当に良いのか?・・これじゃが・・」 「ええっ?これが・・晴着っ!?」 クミはその晴着を見て言葉を失った。 それは「献上」と墨字で書かれてある、10cm四方の薄い白布だった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |