シチュエーション
父さんは最後の方で、思い出を俺に言った。 「俺はあの人が好きだった」 と。そしてこうも続けた。 「三人じゃ余るのは仕方無かった。そして俺は負けた」 俺は、俺の母を覚えていない。大して好きでも無い女と結婚したと、父さんは本気で言っていた。俺を産んだ後母さんは家を去ったらしい。 父さんは優しかった。俺は昔からそうだと言っていた。今考えると自嘲以外の何物でも無い。 言葉の意味を知るのは父さんが死んだ後だった。 父さんの遺品、その中にあった古ぼけた、少し日焼けしたノート。妙に厚く、中には何枚かの写真が挟んであった。 大抵は同じような写真。学生服の父さんは俺にそっくりで、傍らにはいつも一組の男女が映っていた。一組と言っても、三人をどうみても、誰かと誰かに特別な関係があるようには見えなかった。 同時に綴られている日記。他愛も無い話。二人の名前。男は「佐伯悠」、女は「長山希」と言ったらしい。日記では、二人は名前で書かれていた。 この日々に終焉が来た事は、日記を見て解った。 単純に言えば女を取り合って、父さんが負けた事が書いてあった。 単純に言えば。 その日を最後に日記は綴られていない。ほんの少し歪んだ罫線が、父の涙を教えてくれた。 日記を読む度に、父さんが二人をどれほど信頼していたかが解った。同時に結末の衝撃の大きさも。 俺に衝撃を与えるくらいに。 世代を超えて、俺は機会を得た。父さんの無念を、優しさを裏切りで返した人間への仕返しを、世代を超えて。 俺は出会った。 「ねえ悠希?」 「ん?」 「あんたの席の隣のになった奴、どんな感じ?」 「…正直どうでも良いわ。なんか冴えないし、何考えてるか解んない感じ…」 「…ちょっと声大きくない?」 「良いのよ。興味無いんだから。目立たないし、面白く無い!」 どうやら父さんの分だけで済まなくなりそうだ。 SS一覧に戻る メインページに戻る |