「ブラフマン」佳弥陵辱SS 『敗北』
シチュエーション


「ここは、貴方の在る場所ではありません」

少女の瞳が光を放つ。左は金色、右は碧。身を包むは白赤の巫女装束。
気圧されたように幽鬼が退く。その動きもすぐに、蛇に睨まれた蛙のように止まる。

「在るべき場所に戻りなさい」

カッ!

光は少女の全身に広がり、迸って幽鬼を貫く。

ドォンと、視えるべき者にしか見えぬ火柱があがり、異界の住人は消え去った。

「……ふぅ」

小さく息を吐く少女。身に纏ったオーラが消えると、少女はちょこんと小柄。

パチパチパチパチ……。

一人分の拍手が鳴って、電柱の陰から高校の制服が現れた。

「いやー、いつもながらお見事お見事」
「そうでもありません」

制服姿のツインテール少女、柊織葉の誉め言葉に、穏やかな微笑みを返す巫女服の娘は、名を佳弥という。

「謙遜しなさんな、世界の平和を守る正義の味方が」
「世界の平和……にはあまり影響はないかと」
「んじゃ天○州の平和?」
「どうでしょう? 統計を取ったわけではないですし」

物騒なのか呑気なのかよく判らない会話に、

「おるちゃ〜ん」

間延びした声が割り込んだ。
織葉と同じ高校の制服、ストレートロングの黒髪にヘアバンド。

「なんだ、茜か」

親友の登場に、至って素っ気ない織葉。

「なんだは酷いよ〜、勝手に帰っちゃうし〜。あっ、佳弥ちゃんと一緒だったんだね」
「こんにちは茜先輩」
「こんにちはぁ。あれ?佳弥ちゃん、服?」
「あ、戻してませんでしたね」

パッと白が黒に。佳弥は一瞬で、巫女装束から黒を基調とした中学校の制服姿になった。

「いつもながら、手品だねー」

感心した声を出す茜。彼女と織葉は、何度か佳弥の「仕事」に居合わせた事がある。

「……」
「先輩、どうしました?」

考え込んだ織葉に佳弥が小首をかしげる。

「それってさあ、あんたの時間を戻してるんだよね?」
「私と、私の周囲ですね」
「ってことは、やる度にあんたの時間が、周囲よりも遅れていくってこと?」
「細かく考えると色々ですが、概ねそうなりますねー」
「……」

無言のまま、織葉が仏頂面になる。

「? おるちゃんなに怒ってんの。話がわかんない」
「茜はいーよ、どーでも」
「ひどーいー。佳弥ちゃん説明して?」
「えーと、ですね……」

少し考えた佳弥。

「つまり先輩は、ですね」

つと視線を落とす。

「私の胸が大きくならないのはこの“着替え”のせいだと言いたいみたいです」
「それは言ってない」
「えー? よくわかんないけど胸ならおるちゃんも大差なへぎゅっ!」

最後まで言わず、茜は織葉に殴られた。

「まあ、あまり人間離れしないよーに」

こほんと咳払いひとつでまとめる織葉。

「心がけますが、相手がありますので……」
「なんだかいっぱい出るもんね。毎日お仕事してない?」
「まあ、社に帰ると大概は……」
「なにそれ」

織葉が眉を顰める。

「神社だから出ないってわけじゃないんだ」
「と、いうかですね。元から“彼等”が出やすい所に社を建てているわけです」
「あー、聞いたことあるよ。幽霊が出るから神社で対策するんだって」
「対策なんだから普通封印〜、とか結界〜とかあるんじゃないの?」
「結界はありますけど、対策、ということなら……」

佳弥はそこで言葉を途切らせたが、

「あんたが対策? やな感じだねー、それも」

織葉が引き取った。

「そんな事いったら神社から離れられないよー」
「本当は……学校に通っているのも私の我が儘かも知れません」
「「……」」

先輩二人が顔を見合わせる。

「……とりあえず、さ」

織葉が佳弥の方を向く。

「はい?」
「今夜はウチに泊まっていきな」
「……はい」

織葉の“呼び出し”はいつも、相手の負担を和らげようとする行動であることを佳弥は知っている。
笑って頷いた。

「おるちゃんあたしも〜っ!」
「あんたはバイオリンの稽古でしょ」
「うえ〜〜〜〜ん」

織葉の家は、○王州運河の近くにある。
ボロ家。

「おじゃまします」
「和刃ーっ、今夜ご飯3人分ねー」

引き戸を開けるとすぐに居間。
織葉は先に帰宅していた弟に声を掛けた。

「なんで? 今日親父も爺ちゃんも……っ!」
「こんばんわ柊くん」
「……」
「なにそっぽ向いてんのよ。そーいうことだから。わかった?」
「……買い物行ってくる」

二人とすれ違いで玄関を出て行く和刃。佳弥とは目を合わせなかった。

「ごめんねー。いつも態度が悪い弟で」
「今日は柊くんが食事係なんですか?」

柊家は母親が早くに亡くなったため、織葉と和刃が交代で食事を作っている。

「ん。あれで結構マトモなもん作るから」
「楽しみです」

「あ、ガーリックですか」
「ふっ、あんたも茜もバタートースト派なのはわかってるけどね」

織葉の部屋で、さっそくお店を広げる女の子二人。

「そうですね。でもコ○゜ンはどちらもおいしいですから」

なんでもない会話が流れていく。

「そいでさぁ、アレなんだけど」
「アレ?」
「カレラだかタルガだか」
「?」

首を傾げる。織葉と違って、車ネタには疎い佳弥である。

「やっぱ放っておくとマズい代物なわけ?」
「そうですね……まあ色々」

視線を宙に泳がせる。

「場所に根付いたり、人に憑依したり。そうなると還すのも大変ですし」
「ああ、リープスに取り憑いたことあったっけ?」
「その節はお世話になりました」

佳弥がへこっと頭を下げる。

「まあ、あたしは鳴を運んだだけだし」
「先輩がバイクに他人を乗せたのを見たのは、あれが初めてですから」
「まーねー」

織葉はさらっと流したが、視線も横に逸れた。

「でも、やっぱあーなると厄介なわけ?」
「ですね……実体がなければ送還すれば済みますが、憑依されると物理的になんとかしないと」
「殴り合いになるわけだ」
「概ね……そうなると、たぶん乃木坂さん達の方が向いてます」
「鳴はともかく、弟くんにモノ頼みたくはないわね」
「号さんも、良い人ですよ。御本人は」
「そうかも知れないけどねー」

佳弥の言葉に織葉が顔をしかめたとき。

ヴーン、ヴーン、ヴーン。

「先輩、電話鳴ってますよ」
「う、おじいじゃない事を祈る……茜?」

「どしたの、こんな時間に……え? いいの? ちゃんと許可とった?」

織葉の声色に少し驚きが混じる。

「ふーん。今どこ? んじゃ迎えに行くから駅で待ってな。いーから。んじゃね」

電話を終えた織葉が立ち上がった。

「茜先輩、こっちに来るんですか?」
「うん、親に泊まりのお許し取ったってさ」

壁に掛けていた上着を羽織る。

「迎えに行ってくる。悪いけど待ってて」
「気をつけて」

佳弥は一緒に行くことを考えたが、織葉はバイクだろう。
果たして、織葉が部屋を出て間もなく、外からエンジン音。

「乗って帰って来てくれると、いいんですけど」

織葉の愛車YZF-R1は2代目だが、先代も含めて茜が乗った事はない筈だ。
遠ざかるリッターバイクの轟音を聞きながら、佳弥はため息をついた。

「あ、おるちゃーん♪」

茜が手を振る。

「みっともないからやめなさいって」

夜といっても駅前に人通りは少なくない。
織葉は指でこめかみを押さえながら近づいた。

「出迎えご苦労♪」
「よくお許し出たわねー」
「いっつも断ってるから、今日泊まらないとおるちゃんに絶交されるーって泣いたの」
「うげ。なにソレ」
「まあまあ、嘘も方便だよ」
「おじいに伝わったら洒落にならないからやめて」

早逝した母と不在がちな父に替わって彼女を育てた織葉の祖父は、なかなか厳格である。

「だってさあ、いっつも佳弥ちゃんばっかり泊めて」

バイクを押す織葉と並んで歩きながら、茜は反論する。

「あの娘は……一人だし」
「乃木坂くんも?」
「鳴はウチに泊まったことなんてないっ! ちび(←つぐみ)だけっ!」
「えー、乃木坂くんの家に泊まった事は?」
「それもないって」
「この間つぐみちゃんが料理を……」
「あれは晩ご飯を作って置いて帰った」
「あ、ご飯作りにいったんだ?」
「ぐ」

誘導尋問だったのか、茜がニンマリと笑う。

「いやまあ、なんつーか、流れで?」

あからさまに目を逸らす織葉。

「ふーん」

にこにこ顔の茜。

「乃木坂くんとおるちゃんって、仲いいよね」
「そうかね」
「つぐみちゃん、おるちゃんに懐いてるよねー」
「どうだか」
「おるちゃんは乃木坂くんの事……」
「やめてよ」

茜の追及は、少し厳しい口調で遮られる。
織葉は、心なしか押しているバイクに身を寄せたように見えた。

先代のR1は、彼女が中学校時代に憧れていた先輩の形見だった。
全損したそれに替わってつぐみが調達した今のR1にも、エンジンパーツの一部が流用されているという。
いずれにせよ茜が知る限り、織葉がR1に乗せた他人は乃木坂(兄)ただ一人である。
それはやはり特別な意味があるのではないかと、茜は思っているのだが。

「ん?」
「なあに?」
「なんか、静かすぎない?」
「夜だもん、この辺人通り少ないし」
「そりゃそうだけど……」
「ほら、もうすぐコンビニだから、寄っていこうよ」
「あ、そうだ、あんたの分ご飯ないから。コパ○はあるけど」
「バタートースト?」
「ガーリック」
「えー」

店の前にバイクを置いて、二人は店内に入る。

「何買おっかなあー♪」

お菓子の棚に直行していく茜。
だが、織葉は店内の様子に違和感を覚える。

「ねえ?」
「なによさっきから」

「どうしてお店なのに、誰もいないの?」

「……先輩?」

織葉の部屋で正座していた佳弥が、ふと顔を上げる。
彼女は、かなり離れた場所の異変を感知することができるが、それには精神集中が必要となる。
今のはそこまで明確ではない、ほんの微かな予感、もしくは悪寒。

「……」

むろん、そういったものを軽んじる性質は佳弥にはない。
状況を探ろうと、思考を織葉と茜が通るであろう方角に向ける。
どんどん!

「ぅおーい、おりはぁ、ちょっといいかぁ?」

が、その時、ノック替わりに廊下を踏み鳴らして、和刃が織葉の部屋を訪れた。

「ハンバーグ作るけど、ソースは和風とデミグ……っとっ」
「お帰りなさい柊くん」
「う、久那巳……織葉は?」
「茜先輩を迎えに行ってます」
「へ? 橋本先輩も来るなんて聞いてねぇぞ?」
「柊くんが出た後に電話が……!」

会話の途中で、佳弥の背筋に今度こそ悪寒が走った。

「ど、どうした……」
「ごめんなさい柊くん。私も少し出ます」
「え、ああ…」

会話を早々に切り上げ、台所に戻る和刃を追い越して玄関へ。
もはや詳しい状況を探索している余裕はない。

「先輩……」

先ほど感じた織葉の位置を頼りに、佳弥は瞬間移動を仕掛ける。

和刃と会話していた時間が、およそ40秒。
部屋から玄関への移動、靴をつっかけて外に出るまで、およそ1分。

その僅かなタイムロスが、命取りとなった。

「先輩……いない?」

瞬間移動で到達した先は、駅から運河に向かう途中の公園。
薄暗い園内には、人の気配がしない。

”先輩? 先輩! どこですか!”

佳弥は、ある程度の距離であればテレパシーで意志を伝える事ができる。
むろん軽々しくできる事ではないが、織葉は佳弥の能力を理解してくれていた。
だが、今回、佳弥の呼びかけに返答はない。
思念の届く範囲の外にいるのか、それとも……

「織葉先輩! 茜先輩!」

張り上げた声も、夜の公園に空しく響く。
そして、待ち人の代わりに。

「……」

”彼等”と呼ばれる、異界の幽鬼が寄ってきた。

「……今は貴方に関わっている場合ではありません」

少女の目が鋭くなる。
暗闇、黒い制服、黒のストッキング、黒い靴。
黒一色の中で、金色の左瞳と、紺碧の右瞳が対として輝く。

「在るべき場所に、還りなさい!」

ドォン、光の柱と共に、幽鬼は元居たであろう世界へ消え去った。

「……先輩……」

佳弥が、再び織葉達を探そうと踵を返した時。
一筋の閃光が、少女を照らし出した。

「!」

反射的に振り向いて、強烈なライトに目を焼かれる佳弥。

「っ……これは……先輩の!?」

轟音と共に突っ込んでくる二輪車。
暗闇から現れたフォルムは、紛れもなく織葉のR1。

そして、その鉄の塊から、異能の少女は”彼等”の気配を感じ取っていた。

物に憑依した”彼等“は物理的に破壊する必要がある。
そして、今の間合いであれば、佳弥の力でそれを行う事は可能であった、筈だった。
だが、機械を相手にする戸惑いと、それが織葉の大切にしているバイクである事実が、佳弥の決断を鈍らせる。

「くっ!」

一瞬の迷いのうちに至近距離に迫るR1。
佳弥は、横っ飛びで空のバイクを避けた。
いや、避けたつもりだった。

「!」

前方から目標を失ったR1は、ハンドルすら切らず、そのまま直角に進路を変えた。

「ぐぁっ!」

咄嗟に力場を作ってディフェンスした佳弥だが、200kg近い鉄の塊に直撃されて吹っ飛ぶ。
折れた枯れ枝のように飛ばされた少女に、全速力の追撃が迫る。

「恰っ!」

着地と同時に地面を蹴って、再度後方へ跳躍する佳弥。
再び迫るヘッドライトに、もう一度地面を蹴ろうとして、

「!?」

着地する地面が、予想よりも下方にあった。
いつのまにか、階段上に追い込まれていたのだ。

「きゃっ」

佳弥は超能力者ではあるが、身体能力は乃木坂兄弟のように人間離れはしていない。
足を踏み外し、そのまま階下の広場まで転がり落ちる。

「っ…」

上半身を起こす少女。
「中学の制服にしては短すぎる」とPTAから批判のあるスカートが捲れ上がり、
破れたストッキングから、白い太股が露出している。

ドゥルルルル……

上方からエンジン音。やがて階段上に現れるR1の姿。

「……仕方ありません」

立ち上がり、見上げた佳弥の瞳に力が込もる。
瞬時に、少女は正装の巫女姿に変化していた。

その時。

”か……や……”

微かな思念が、異能の少女に届く。

「先輩っ!」

むろん、眼前のR1からではない。。

(……先輩の家!?)

織葉の思念は弱く、遠く、そして、

”に……げ…て……”

闇に飲まれるように消えていった。

「先輩っ! しっかりしてください先輩っ!」

叫ぶ少女の、頭上から迫る巨大な影。

「く……はぁぁぁ…」

珍しい気合いの声と共に、佳弥の足下から何かが跳ねる。
それは、なんの変哲もない小石。だが。

「!」

少女の目がカッと見開くと同時。

ゴゥオオオオオオンン!!!

凄まじい音と閃光、そして熱風。
石を弾丸替わりにした一撃を燃料タンクに受けて、
小柄な佳弥の背丈ほどもあるリッターバイクが、空中で爆散した。

「熱っ……先輩……」

降りかかる火の粉を払うこともおろそかにして、佳弥は再び精神を集中する。
織葉の思念は、既に感じられない。

「先輩……どうか……間に合って……」

叫びにも似た悲痛な祈りと共に、佳弥は柊家に向かって跳んだ。

だが。佳弥が草履も脱がずに織葉の部屋に駆け上がった時。

既に織葉は、この世界の住人では無くなっていた。






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