ひよことまさみ
シチュエーション


頭の上には雲一つ無い真っ青な空―
今晩あたり梅雨明けの発表でもありそうだ。

「まさみたん、おはよ」
「おはよ」

白い日よけ帽子から手をかざす女の子は隣の幼女よりひとまわり以上大きい。
蝉の鳴き声がどこからともなく聞こえだし、北へ向かう旅客機が大空に一本の白線を描いていく。

「おやまあ。おじょうちゃんたち、かわいいのう。ご姉妹さんかえ?」

朝顔を軒先に並べる風情溢れた民家が並ぶ石畳。
日傘をさしたおばさんが語りかける声もどこか力ないのはこの陽気のせいだ。

「おばちゃんちがうにょ、あたちたちいっしょらよ」
「ほ?」

比べ事になると譲らないひよこがずいずいと前に出てきたのでおばさんはたじろぐ。

「あたちたち、幼稚園ねんちょう同士らもん。ね、まさみたん」

おばさんは傘の間から大きい子の体つきをジロジロ見やった。

「ありま。じゃ、ふたりとも五才なのかい?」
「あんたはわかるけど…こっちのお嬢ちゃんは…」

まさみの白いワンピースが胸元から張っている。
なびく髪をおさえる指も細く長い。とても幼稚園児には見えなかった。
足元ではひよこが頬を膨らませていた。

「なんかあ…。おばちゃん、ちゅまんないぞっ!あっちいってぇ」

戯れ事も尽き、お別れをすると二人はまた歩き出した。石畳の行き止まりに笹葉で囲まれた石階段が見えてくる。
そこを登りきった先に二人の目的地はあった。

「ひぃ…はぁ…ひぃ…」
「がんばっちぇ、ひよこたん」

百八ある階段をなんとか登り切り、古いお寺の境内をくぐると、紫陽花の咲いた花道が本堂まで続く。

「あっ、たこぼうじゅら」
「しーっひよこたんきこえるよ…」

本堂の扉を全開にし、ひとり瞑想に更ける老齢の住職が視界に入った。
難しい体勢で座禅を組み、印をかたどる指がプルプル震えている。

「遅い!」

二人を見て叱咤を飛ばす。

「あっ!ご、ごめんなちゃい」

足音を殺して横を通り過ぎようとしたひよことまさみは背筋を張らせた。

全国500万人の同世代から抜粋された幼女。一同に集ってトレーニングを行う場所がこの銀賞寺―。
ひよことまさみを除く他の7人はすでに裏山に向かって出発した後だ。

「おまえら罰として裏の大本堂の雑巾がけ三往復じゃ!喝っ!」
「ひぃーっ、それだけはかんにんしてくだちゃいよっ」

まさみたんが振り向くと、既にひよこが住職の膝元へすがりついていた。
腕組む住職は手首であっちいけと払う。

「ならん」
「おねぎゃいでしゅ、おねがいしまちゅ」

お辞儀人形のように何度も頭を下げるひよこ。その健気な姿はどこか悲哀すら感じさせた。

「ならんもんは、ならん」
「もうこんどから、いたちまちぇんので…」
「だめぇじゃ」
「そこをなんときゃ…」
「だーめぇー」

坊主と幼女の押し問答がしばらく続くので、まさみは縁側に腰を落として庭をひとり眺めた。

「はあはあはあ…」

座禅を崩さない住職の前で、ひよこが大きく肩を揺らしていた。根負けしたのはやっぱりひよこの方だった。

「ふん、このハゲぼうじゅ!なにちゃっ」
「こ、これ、今なんと!」

そのいきなりの変わり身に今度は住職がたじろぐ。

「まさみたん、いいにゃ、雑巾がきぇやろう。このぼうじゅ、まるで話ならないにょ

小さなお尻をクルと回し、お泊り用リュックを掴みあげ、まさみの腰に手を添えながら奥の部屋へ進む。
渡り廊下から隣堂へ入る直前、ちらりと住職を睨んだ。

「いーだ、ぷんっ」
「ぐ!」

その我が儘ぶりにはもはや呆れるしかない。だが奥間へ消える二人を確認した住職は、
あごひげを撫でつつ秘かにほくそ笑んだ。

一方、その様子を庭先から窺っていた二人の小坊主がいた。竹箒で境内を掃きながら、首を伸ばしては引っ込めて落ち着きがない。

「おい、小無策。来たぞ」
「はい、兵糧にいさん」

まだ年端もいかない本当に青臭い感じの二人。そんな彼等を先程から釘付けにするもの、それが−

「ふふん♪ふんふん♪」

白の薄い半襦袢に着替えた幼い女の子二人が渡り廊下を歩いて大本堂の方へ向かう。
ひよこは小さな手を背中に組み、渡り廊下をスケートするように滑走してきた。

−えぇい、あんな調子のいいチビはどうでもいい−
小僧たちの視線はもう一人に注がれていた。

「小無策…」
「はい、兵糧にいさん」
「あの大きな幼女を見よ」
「なぜですか?」
「いいからつぶさに見るのだ」

まだ中学を卒業したばかりの小無策僧は、柿の枝間からその牛乳瓶のような大きな眼鏡を凝らした。

「ぶっ」
「どうよ?なっ、だろ?」

兵糧僧が肘でつついて喜ぶ。小無策は鼻を抑えながら小刻みに頷く。

「にいさん…あ、あれって…」

「ねっねっ、まさみたんどっちが早く拭き終わるかきょうちょうちよ、ねっ」
「え?ええ。いいわにょ」
「よーち、まけないのらあっ!」

まさみはモジモジと指で半襦袢の裾を何度も引いていた。
小坊主二人か股間を抑えてはしゃぐ。

「あれって、にいさん…!」

小無策が声を上げる。

「しいぃっ!」

「うにょ?」

ひよこが立ち止まり、庭先を見つめる。

「どちたの、ひよこたん?」
「うん…」

裏山から連なる竹林と小さな石庭。静寂に包まれて笹の葉だけ風に揺れている。

「いや…なんでもないにょ」

小さい顔を傾げながらも再び歩き出した。

「はぁはぁ…危なかったですね……兵糧にいさん…」
「気をつけろ…小無策、あの二人、チビスケとはいえ普通の幼女ではないんだから…」

灯籠の後ろに身を潜めた小坊主らは息を殺して汗を拭う。

「よし行くぞ」
「え、どちらへ?」
「何を言う。大本堂には例の場所があるだろ」
「あ!」

青草を踏みにじりながら、禿坊主二人はこそ泥のような身こなしで裏手に向かった。






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