朧月怪盗アンバームーン 『日常』
シチュエーション


翌日の私立アイオライト学園の教室は、怪盗アンバームーンの話題でもちきりだった。
登校途中で配られていたのだろう、誰かが号外新聞を持ち込み、クラスメイト達は
それに群がって怪盗の素性や警察の失態を好き放題に口にする。
話が女怪盗の容姿に及ぶと、異性への興味から男子生徒の話は熱を帯び、
反対に女子生徒は彼らを冷ややかな目で見るのだった。
彼らにとっては、女怪盗は退屈な学校生活に刺激を与えてくれる
格好の存在だったのかもしれない。
そしてその興奮は休み時間が終わっても冷めることはなかった。


カッカッ。カッカッカッ。
黒板にチョークで文字を書く音が小気味よく教室に響く。

「ここで、旅人はその村の村長に反感をもったのですね。
その後の段落は旅人の心理を描写しているもので……」

壇上では女性教師が黒板になにやら教科書の一文を写しているようだった。
ようだった、と曖昧に表現したのには理由がある。
教師はなんとか黒板の上の方に文字を書きたいらしいのだが、
背が低いためうまく書くことができず、背伸びをするも苦戦している。
ときたま「ふっ!」「えいっ!」と小声が聞こえてくるところからすると、
小さくジャンプをして文字を書くことにしたようだ。

「やっぱりいいよなぁ、セクシーな女怪盗アンバームーン。
あんな怪盗なら俺ん家にも盗みに入ってほしいもんだよ」
「バーカ。お前ん家に怪盗に盗まれるような宝があるかよ。
せいぜい唐草模様の風呂敷かついだ空き巣がいいとこだ」
「そうだよなぁ……でもさ、やっぱり女は年上だと思うわけよ。
なんたって色気があって、そんで優しくリードしてくれてさ」

男子生徒は奮闘している教師をよそに、小声で私語を交わしている。
入学時の新鮮な気持ちも薄れ、といって受験までまだ間がある下級生は
勉強にさして身が入っていないようだった。
話しかけられた生徒は、壇上の教師を一瞥すると、授業中にもかかわらず
『年上の女性にあんな事やこんな事をしてもらう』という妄想に
ふけっている生徒に向かって言った。

「年上っていやさ、宝月先生だって年上だろ」
「うーん、なんか宝月先生は年上って感じがしねぇんだよなー。
そりゃ可愛い顔してるなとは思うけど、俺の好みとは違うな」
「カワイイ系よりキレイ系ってことか。俺はカワイイ系だな」
「あー、お前そうだもんな。こないだなんてドラマの……」

カッカッカッ、……カッ!
黒板にチョークで文字を書く音がふいに止まる。
それに気づいた二人の男子生徒は、そーっと壇上を見た。
そこには、女性国語教師・宝月 香織のこちらを睨む顔があった。

「二宮くん、後藤くん、授業中は私語禁止ですっ!」

注意を受けた男子生徒二人はあまりこたえていないらしく、首をすくめてみせた。
これが体育教師の権田先生、通称『ゴリラ』から怒られたのであれば、
俯いて反省の弁を述べたであろう彼らも、こと宝月先生に対しては別だった。
その理由の一つには宝月先生の容姿にある。
怒っているのには違いないのだが、その小柄で華奢な体格ととても二十四歳には
見えない幼い顔立ちから、どうしてもぷりぷりという擬態語がしっくりきてしまう。

「だってさー、先生も聞いたろ?昨日のアンバームーンの活躍」
「そ、そりゃ朝からテレビもその話題ばっかりでしたけど……
でもそれとこれとは話が違うでしょう!」
「あーあー、先生も怒ってばかりいないでもう少し大人の
色気ってもんを出してみた方がいいんじゃない?
『先生が色んなことを教えてア・ゲ・ル』みたいな」

男子生徒がからかうと、宝月先生は顔を真っ赤にして慌てた。

「え、あ、そんな……とにかく授業に集中してくださいっ!」

その瞬間、顔を赤らめていた宝月先生の顔がキュッと引き締まった。
軽口を放った男子生徒に狙いを定めると、右手に持っていたチョークを
サイドスローで思い切り投げつけたのだ。
ビュッと空を切る音を立てて放たれたそのチョークは、
その軸がぶれることなく一直線に飛び、音を立てて生徒の眉間に命中した。


……男子生徒の隣の、真面目に授業を聞いていた女子生徒の眉間に。


「あっ、ごめんなさい!村上さん大丈夫?」

慌てて宝月先生が駆け寄ろうとしたその時、

「あっ、さっきの背伸びで足がつっちゃっ」

バランスを崩した宝月先生は床へと派手にダイビングし、
その光景を見ていた男子生徒は、半ば呆れながら呟いた。

「今日は水色、か」
「やっぱりもう少し大人の色気を出した方がいいよな」






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