朧月怪盗アンバームーン 『捜索』
シチュエーション


「なんだ……これは……?」

棚橋は呆然としていた。
愛用の投げ縄を頼りに決死の覚悟で影山邸へ侵入したはいいものの、
目にしたのは倒れている黒服、黒服、黒服。
その数の多さと手にしているあからさまな銃火器にも驚いたが、
なによりそれらが一様に気絶し戦闘不能になっている光景に愕然とした。
そこから類推される事態は一つしかない。

(どうやら先客がいたようだ……そのおかげで助かったようだが)

今の棚橋は、特命を受けているとはいえ事実上休暇中の身だ。
つまり警察の表立った援護は期待できない単身突入。
本来、想定外のこの人数と装備が相手とあっては、いかに棚橋とはいえ
無事で済むはずはなかった。
そういう意味では彼は幸運だったといえよう。

しかし、同時に怪盗を追う身としては絶望を感じずにはいられなかった。
武装した連中をものともしない圧倒的な戦闘力。
たとえ直接対峙できたとして、何ほどのことが出来ただろうか。
しかも警備が気絶しているということは、今回の犯行はとうに終わって
怪盗はこの場から立ち去っていると考えるべきだろう。
つまりは、また怪盗を取り逃がしたというわけだ。

「連邦の怪盗は……化け物かよ」

最近ハマったアニメの台詞にかけて棚橋は嘆息した。
その化け物が実は地下室で陵辱されていることを彼は知らない。

(まあいい、とにかく今回の仕事を済ませるとするか)

気を取り直すと、堂々と影山の書斎へと侵入する。
マホガニーのデスクやアンティークの鳩時計に混じって、大仰な金庫が
部屋の隅に鎮座して一際目を引いた。
目的の物は見つけたものの、暗証番号式のロックが彼を阻む。

「なんだかどっちが怪盗なんだか分からなくなってきたな」

そう一人ごちると、鑑識から拝借しておいたアルミ粉を
暗証番号を入力するキーに付着させ、軽く息を吹きかけた。
余分な白い粉が吹き飛ばされて宙を舞い、後には指紋が浮かび上がる。

(四桁の暗証番号は……どうやら0と1と6と2の順列組み合わせか)

押すべき数字はある程度絞られたものの、棚橋は少し慎重になった。
見たところそれらしき装置はないようだが、ひょっとして
何回か間違えると自動的に発報する仕掛けになっている可能性がある。
闇雲に押していくよりは、数字に何か意味が付与されていないかを
検討しておくに越したことはないだろう。

(ん……まさか、な)

ある可能性に思い当たって、棚橋はキーを四回押した。
するとピー、という電子音とともにランプが緑色に光り、
次の瞬間ガチャッという音がしてロックが外れた。

「ま、まさか暗証番号って……『2106』『ツ・ト・ム』なのか……」

あまりにも安直な解答につんのめりそうになりながらも、
棚橋は金庫の取っ手を握り扉を開けた。
そこから出てきたものは。

「おわッ!?マジかよ……」

棚橋が目を白黒させたのも無理はない。
普段厳格な人物として知られている警視総監がよだれかけを身につけて
赤ちゃんプレイを楽しんでいるとおぼしき写真。
市長が縛られマスク姿の女性に赤い蝋燭を垂らされている写真。
暴力団の組長が鬼の形相で血の付いた日本刀を振りかざしている、
身も凍るような抗争直後の写真。
そこから出てきたのは有力者の暗部を収めた写真の数々だった。
どうやら影山はこれらの写真をネタに彼らを脅迫していたらしい。
警察や暴力団が大人しく彼に従っているのも無理からぬことだ。

「しかし……盗撮にしては何か……そう、鮮明すぎないか?
ここまであからさまにやられたら気がつくだろう、普通」

確かにそれらの写真はアングルといい解像度といい、まるでスナップ写真だ。
実は『隠者(ハーミット)』の透過能力を使って撮影したものだったのだが、
そこまで考えが及ばない棚橋は、全ての現場に影山がいたものと結論づけた。

(つまり暴力団の犯行のすべてに影山はせっに関わっていた、てことか。
もちろん警視総監の赤ちゃんプレイにも、市長のSMプレイにも、な。
……個人的にはそっちの方がショックだぜ)

だが今の棚橋にはそれを押収する権限はない。
証拠品がもみ消されないように手を打つ必要があった。
棚橋は立ち上がると、ポケットから携帯を取り出した。

「あ、隊長ですか?いえ、ちょっとお金貸していただけないかなって。
そう、ビンゴです。例の雀荘でやられちゃったんですよ。
今日一日で二十一万六百円のマイナスです。お願いしますよ、それじゃ」

前もって打ち合わせておいた符牒を使い片倉に合図を送ると、
棚橋は写真を金庫に戻して入念に現状復帰を始めた。
だが誰かの気配を感じ、慌ててデスクの陰に隠れる。

ガタッ! カツカツカツ……

(あ、あれは……)

「……」

黙りこくったまま、うろうろとせわしなく歩き回る里緒を見て、一美は溜息を吐く。
危険は確かに大きいが、里緒の、親友の恋を応援しようと心にきめたのだが。

「(ドタキャンして、2人きりのデートにするつもりでしたのに……。
それに、里緒、早く来過ぎですわよ……)」

適当な理由をつけて家にこもって、明日の作戦でも練っておこうと思っていた一美。
しかし、里緒に家に強襲され、引きずり出されてはどうしようもなくて。
しかも、待ち合わせが10時なのに、待ち合わせ場所に着いたのが8時55分。

「(少しくらい女性が遅れるのがベストですのに……)」

……さすがに1時間以上前に来た人間より早く来いとか言う無茶な事は言えず。
これだけ待ちぼうけ状態だと、多分来るんですわよねえ……、と一美が考えていると。

「ねぇ、彼女達!」
「(……ほら来た)」

そう里緒と一美に声がかかり、一美はげんなりとしてそちらを向く。
すると、そこには全身から軽そうなオーラを撒き散らせた、何処からどう見てもナンパ男が2人立っていた。

「そんな風に待ちぼうけしてるくらいならさ、俺達と遊ばねえ?」
「……まだ、待ち合わせ時間にもなっておりませんの。それではごきげんよう」

そう声をかけてきた男に、一美はわざと言葉を噛み合わせずに返す。
一美も里緒もかなりの美人に入る部類なので、こう言う手合いの相手は慣れていた。

「そう言う事なんで、ごめんなさい」
「えー……、いいじゃん、俺達と遊ぼうぜー」

そう言って断る里緒だったが、その男は全く人の話を聞かずに、里緒に手を伸ばす。
一瞬里緒は蹴り飛ばそうかと思うが、ここが往来である事を思い出して慌てて自制する。
そんな里緒の方に、男の右手が触れようとして……、

「……いいってぇぇえぇ!」
「……へ?」

……その瞬間、横合いから伸びて来た手に右手首を極められ、男は悲鳴を上げた。

「すいません、待たせちゃいましたね」
「……涼人君!?」

驚いたように声をかける里緒に、涼人はにこやかに微笑む。
……その手は、まだナンパ男の右手首を極め続けていたが。

「……と、言う事なので、ナンパなら別の人にお願いしますね♪」
「わ、分かった!分かったから離せ!折れる!」

じたばた暴れる男から涼人が手を離すと、その男は右手首を押さえながら逃げて行く。
それにもう1人の男も付いて行き、里緒と一美はほっと安堵の溜息を吐いた。

「あ、ありがとう、涼人君」
「いえ、僕が遅れちゃったからこんな事になったんですから……」

そう言って苦笑する涼人に、一美は首を横に振る。

「いえいえ、涼人さんは30分も前に来ているじゃありませんか。
……1番悪いのは、待ち合わせの1時間以上前に私を無理矢理引き摺ってきた里緒ですわよ」
「……へ?」

そう言われ、涼人は呆気に取られた表情で里緒を見やる。
その視線を受け、里緒は思わず真っ赤になって、大パニックになった。

「あ、え、その、違うの!えっと、その……」
「里緒さん、何がどう違うのかは分からないですけれど、とりあえず落ち着いて」

そう言ってどうどう、と涼人が里緒を宥めていると、一美がにやつきながら口を開く。

「里緒ー?涼人さーん?……いちゃついてないで、歩きませんかー?」
「か、かかかか一美!?」
「一美さん!?な、何を言ってるんですかっ!」

その一美の言葉に、涼人と里緒は一瞬にして真っ赤になる。
そんな2人を見て、一美は心底微妙な表情を浮かべた。

「(……友人としては嬉しいけど、『レインボーキャット』の協力者としてはまずい光景ですわね、これ……)」

そして、昼過ぎ。

「へえ……、あんな美味しいお店があったんですね……」

レストランから出て、そう感心したように呟く涼人に、里緒はえへへ、とはにかむ。
そんな2人を見て、一美ははぁ、と溜息を吐き、……急にぴくり、と身体を動かすと携帯電話を取り出した。

「……はい……はい。……ええ!?お父様とお母様が!?」

急にそう叫んだ一美に、涼人と里緒は顔を見合わせて首を傾げる。
と、一美が電話を切り、すまなそうな表情で、涼人と里緒に手を合わせた。

「……申し訳ありません……。お父様とお母様が急に帰って来られたらしくて……」
「え、おじさまとおばさまが!?それじゃあ、こっちはいいから早く帰りなよ!久し振りに会うんでしょう!?」

そう、びっくりしたように叫ぶ里緒に、涼人は訳が分からない、といった表情をして首を傾げる。
と、そんな涼人に、里緒が説明した。

「一美の両親はね、いつも仕事で世界中飛び回ってて、なかなか家に帰れないの」
「あ、なるほど……。それなら、早く帰った方がいいですよ?一美さん。
……何よりも、家族との団欒が1番大事。僕は、そう思いますから……」

そう言った涼人に、一美は本当に申し訳なさそうに頭を下げる。
そんな一美を見て、里緒は苦笑すると、言った。

「ほーら!早く行くの!……涼人君は、私だけでも案内出来るから、ね?」
「……ええ!」

その里緒の言葉に、一美はようやく決心したように顔を上げ、2人にもう一度頭を下げて、走り出す。
そんな一美を見て、涼人は微笑みながら口を開いた。

「一美さんって、優しいんですね」
「そうだよ。優しくて、友達思いで……、私の1番の、自慢の親友なんだ!」

そう言ってにっこりと笑った里緒に、涼人もつられたように微笑み返す。
その笑みをまともに見てしまい、里緒は真っ赤になって視線を逸らし、……気付いた。
元々最初は里緒、一美、涼人の3人だった。そして、さっき一美が家に帰った。
3-1=2。そんな小学校1年生でも分かる計算から、導き出される答えは1つ。
……今、里緒と涼人は、2人きりになっていた。

「あ、あわわわわ……」
「里緒、さん?」

急に慌て出した里緒を見て、涼人は首を傾げる。
しかし、往来のど真ん中で、まさかこのまま里緒を放っておく訳にも行かず。
涼人はふう、と溜息を吐くと、里緒の正面に回りこんで、
……突然、人差し指を里緒の鼻先に突き付けた。

「!!?」
「……落ち着きました?」

その行動に、里緒は思わず飛び上がる。
……その次の瞬間、まるで魔法か何かにかけられたかのように、里緒の表情に落ち着きが戻っていた。

「教えてくれて感謝するよ……、父さん」

そんな里緒を見て、そうぼそりと呟いた涼人。
その言葉を聞いて首を傾げた里緒に、涼人は苦笑気味に微笑んで、言った。

「驚愕法……だったかな?パニックになってる人は何かしらの方法で驚かせてそっちに意識を向けさせれば、落ち着く。
そう、父さんから教わった事があったんです」
「へえ……、涼人君のお父さんって心理学者か何かなの?」
「いえ、父さんは探偵で、母さんは警察官で……す」

そうにこやかに笑い合いながら話を続ける涼人と里緒。
しかし、その笑みの1枚下では、涼人は自分の両親が亡くなっている事を気付かれないように、
里緒はその事を知っている事を気付かれないように、それぞれ必死だった。

「……へえ……凄いねー……」
「いえ、大変ですよ?仕事が被って喧嘩、とか結構ありま、すから」

思わず過去形で言いかける自分を必死で制しながら、涼人は言葉を紡ぐ。
里緒も、自分が知っているとぼろを出さないように気を付けながら、それに答える。

「え、えへへ……」
「あ、あはは……」

……今、里緒と涼人の2人の心の中は、相手にばれないようにしようと言う思いで一杯だった。
たとえそれが、傍から見る限りでは、初々しいカップルにしか見えなかったとしても……。


その夜。

「えへへ……」

ベッドに寝転がり、里緒は左腕を目の前に掲げる。
その左手首に光るブレスレットを見て、里緒はにへら、と笑って腕を胸に当てた。

「涼人君……♪」

そう呟いて、ベッドの上をごろごろ転がり回る里緒。
何故里緒がここまで完璧に壊れてしまっているのかと言うと。



「里緒さん、今日はありがとうございました」
「う、ううん!気にしないで!」

そう言って微笑む涼人に、里緒は真っ赤になってどぎまぎする。
すると、そんな里緒を見て、涼人も何故か真っ赤になって……、

「こ、これ!」
「……え?」

急に、涼人が紙袋を取り出し、里緒はきょとん、とした。

「え、えっとですね、それ、今日のお礼です!そ、それじゃあ!」
「え、あ、涼人君!?」

そう言って、涼人は紙袋を里緒に押し付けるように渡すと、逃げ出した。
……1人取り残されて、里緒は押し付けられた紙袋を開く。
と、

「……わぁ……」

紙袋の中に、ブレスレットが入っていた。
恐らくは真珠ので形作られたバラの花が飾りとなっているだけの簡素なもの。
だが、それは1日街を案内しただけの相手にプレゼントするには、明らかに高そうに見えて。
……そんなプレゼントを贈られる程度には特別に思われている事に、里緒は気付いて。
たちまちのうちに、顔を喜びの色に染め上げた。






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