シチュエーション
いつしかライブ会場の照明は落とされており、 暗闇が観客席とステージの境界を曖昧にしていた。 その闇の中で、一筋のスポットライトが舞台を照射し、 中央にいる一人の女性の姿だけがぼうっと浮かび上がっている。 怪盗アンバームーンこと、宝月香織である。 クレーンカメラが舞台上の彼女の姿を様々なアングルから捉え、 その映像をステージ脇の大型スクリーンに映し出していた。 しかし、どのアングルから見たとしても、彼女の姿には もはや痛快な活躍で世間を賑わせた義賊の面影は微塵もない。 それもそのはず、彼女はステージの上で四つん這いになり、 艶かしい肢体を観客達に晒していたのである。 警察の絡め手を華麗にかわすたびに、ぷるんと揺れて 見る者すべてを魅了してきた彼女のたわわな胸。 変身が解けたせいで幾分小ぶりになったその美乳は、 今や固い床に押しつけられ、形を歪めていた。 颯爽と夜空を翔けるたびに、ひらりと翻る ミニスカートから覗く太腿が眩しかった彼女の脚。 黒タイツが破られたせいで剥き出しになった美脚は、 今や観客達の熱視線を受けるべく、尻を高く突き出していた。 そして何よりその変貌ぶりで観客達の目を惹きつけたのは、 常に余裕の微笑みを絶やすことのなかった彼女の表情だろう。 今となっては、秘所はおろか尻の穴までも露わとなった 下半身を見せつけるという痴態を強制されていながらにして、 屈辱に耐えるどころかどこか物欲しげな表情を浮かべているようにも見える。 羞恥に頬を上気させ、媚びるような目を観客席に向けたその表情は、 ぞっとするほどの色気を醸しだしていた。 それはもはや、娼婦の表情と言って差し支えないだろう。 さもなくば――――性奴隷だろうか。 パシャッ!パシャパパシャァッ! 観客の一人が不意にフラッシュを焚いたのを皮切りに、 そこかしこでカメラのシャッターを切る音が響き出し、 その瞬間的な光で照らされた会場が、そして香織の体が明滅した。 「ぁあ……んんッ、と、撮られてるの……?」 誰にとも知れない問いをうわ言のように投げかけた彼女の横には、 一人の男が勝ち誇った笑みを浮かべて佇んでいた。 その男、飯綱剛蔵は満足げに頷くと、高く突き出された 剥き出しの秘部にささくれ立った二本の指を突き入れた。 「ーーんぅッ!?くはぁっ……」 その瞬間、香織の口から切なげな吐息が漏れる。 しかしながら、その吐息には抵抗感などはまるで見られず、 むしろ挿入を迎え入れるような甘い響きさえ感じられるのだった。 剛蔵の指がゆっくりと、そう、焦らすようにゆっくり奥深くへと 突き入れられ、そして膣壁を穿ってから再びゆっくりと戻される。 ぴちゅっ。くちっ、くちゅっ。 そのたびにとろとろと恥ずかしい雫が糸をひき、腿へと滴り落ちた。 「ふん、もうすっかり此処はグジュグジュじゃの?」 「んはぁっ……ぁう、んんっ、はんっ……だ、だってぇ……」 卑猥な水音と甘ったるい吐息が会場に響く。 先ほどまでざわめきを発したり撮影に勤しんだりしていた観客達も もはや声を発しなくなり、ただただステージを凝視していた。 ――ごくり。 静寂のせいで、誰かが生唾を飲み込んだ音までが聞こえる。 それほどまでに、汗と愛液で光り輝く香織の姿は淫靡で美しかったのだ。 静寂の意味を察した剛蔵は、香織の腿を伝う雫を指でそっと 掬い取ると、大げさなアピールで観客達に見せつけた。 その時。 ――ガクンッ。 あまりの刺激に耐え切れなくなったのか、香織の脚が急に 力を失ってバランスを崩し、突き出していた尻を幾分下ろした。 目を閉じて、はぁはぁと荒い息を口から漏らすその表情から 読み取れるものは明らかに屈辱ではなく恍惚。 ゆっくりと秘部から与えられ続けた性感の余波を少しも逃すまいと、 全身で感じ入っているようであった。 だが、剛蔵は彼女に余韻を楽しむ時間を与えるほど、 そして彼女の体を引き起こすのに言葉を用いるほど優しくはなかった。 荒い息とともに上下する彼女の腰を両腕で掴み、力ずくで 元の体勢に戻してから、これ見よがしに尻を平手で叩いた。 ピシャッ!! 「ひぅッ!!ぁう……ご、ごめんなさい……」 「呆けておるでない。ここで止めてやってもよいのじゃぞ?」 「いやぁ……お願い、その……止めないでぇ……」 ピシャッ!! 「はぁうッ!!んぁ……お願いします、続けてください……」 「ふん、美貌の怪盗と謳われたアンバームーンがこのザマか。 恥ずかしい液を垂らし、あまつさえおねだりとは……この痴れ者が」 「だ、だって……気持ちよすぎて……もう……」 (ふん、ずいぶんと従順になったものよ。……まぁ、無理もないがの) 懇願の言葉を聞いた剛蔵はほくそ笑んだ。 (このショーの幕を引いた後には、更なる調教をみっちりと 加えて性奴隷へと、いや、肉便所へと仕上げてやるわい) 剛蔵は十分な収穫にこぼれる笑みを隠すと、おもむろに着衣を脱ぎ捨てた。 魔力によるものであろうか、その下からは老体とはとても思えぬ 逞しく引き締まった肉体が姿を現した。 「あぁッ……んぅむ……はんっ……」 その逞しい腕はヒクついている香織の体を容易に抱き起こして 無理矢理立たせると、強引に口唇を奪いつつ右手で胸を鷲掴みにした。 荒々しい刺激に耐え切れなくなったのか、ビクンッと跳ねた後に ガクガクと脚を震わせてしなだれかかってしまう香織。 その体を支えながら、舌で耳たぶをねぶり首筋に沿って ちろちろと舐めてやると、香織は体をヒクつかせながら再び懇願した。 「んくぅ……お、お願いっ!お願いします…… もう、もう、私、体が熱くて……我慢できないのぉ……」 「ふん、堪忍が足らぬ奴よの。よいじゃろう、くれてやるわい」 そそり立った剛蔵自身を後ろから香織の秘所へとあてがい、 立ったままの体勢で勢いよく突き入れたその時。 「んあぁぁぁッ!!」 「「「うおッ!?」「くっ!?」「なんだッ!?」」」 自らの奥深くを怒張で貫かれた悦びに、香織は一際高く喘いだ。 しかし、会場に響くのは香織の嬌声だけではなかった。 香織の喘ぎ声と同じタイミングで、観客席からは 衝撃と困惑が入り混じった太い声が口々に上がったのだ。 その声を発した観客達自身も何が起こったのかわからないようで、 しきりに自らの股間に視線を向け、首を傾げている。 戸惑いの表情を浮かべる彼らの疑問に答えるべく、 剛蔵が香織と結合した姿勢を保ったまま口を開いた。 「観客諸兄よ、驚くのも無理はない。 じゃが、これはワシからのプレゼントなんじゃ。 今、ワシの感覚と皆さんの感覚とを共有しておるのじゃよ」 思いがけない僥倖を告げる剛蔵の言葉であったが、 言われた観客達は急には理解できなかったらしい。 先ほど感じた自らの感覚と剛蔵の言葉を照合し始める声が聞こえた。 「おい、ということは……」 「さっきの感覚って……」 「俺達今、アンバームーンに挿れてるってことなのか……?」 剛蔵の発した言葉の意味を反芻し終わったその瞬間、 観客達の戸惑いは歓喜へと変わった。 「「「「おおおおオオオオオヲヲヲヲヲヲォォォッ!!」」」」 無理もない。 もはや自分達も単なる傍観者ではなくなったのだから。 手の届かなかった美女怪盗をその手で犯す快感を味わえるのだから。 その割れんばかりの雄叫びを聞いた剛蔵は満足そうに頷くと、 再び腰を動かして香織の尻に打ちつけ始めた。 「ぁあああ、はっ、はぁぁ……うっ、ひあぁぁッ…… おちんちん、おちんちんが入ってるのぉ……」 香織の脚がガクガク震えたかと思うと、バランスを崩して ステージ上でぺしゃんっと四つん這いになった。 襲いくる性感に、もはや立ったままではいられなくなったらしい。 それを境に剛蔵は香織の腰をがっしりとその手で掴み、 自らも膝を付いて安定させると、腰の動きを速く激しくさせた。 勢いよく前後に動かされる剛蔵の逞しい腰と、 柔らかそうに波打つ香織の白い尻が勢いよく打ちつけられて パンッ!パンッ!と大きな音を立てる。 そのたびに観客席に向けられた香織の顔は肉悦に歪み、 口からはあられもない言葉と大きな嬌声が漏れるのだった。 「ッん!あぅッ!んんんあぁ!は、激し……くぁぅんッ!」 「ふん、激しいのは嫌かの?」 「ッいぃ、んはぅぅ……い、いいッ、いいのぉ……ッ! 奥ま、でっ、と……届いてるぅッ、届いちゃってるのぉ……! だめ、だめだめッ、こんなのって……気持ちよすぎるぅ……」 ハの字にぎゅっと寄せられた眉。 あまりの衝撃に開けていられないのか、固く閉じられた目。 いやいやと首を横に振るたびに、乱れて顔にかかる黒髪。 赤く上気した頬には汗が伝い、一滴、二滴、ステージに落ちる。 乱れに乱れるアヘ顔の全てを、香織は観客達に晒していた。 「あひぃッ!うっくゥ……んんんんぁあッ!! 溶けるっ、アソコが溶けちゃうぅ……だめへぇ……」 ヌチュッ!グチュッ、ジュブッ! 赤黒く光る男根が抜き差しされるたびに愛液が溢れ、 淫らな音とともに膣肉との摩擦を滑らかにしていく。 それでも肉襞は快感を少しも逃してなるものかとばかりに 肉棒を咥え込み、ぎゅうっと締めつけた。 「うっ!おぉ、こ、こりゃ大した名器じゃわい。 ワシももう、辛抱ならんようじゃの」 さすがの剛蔵も限界が近くなったらしく、 更なる高みへ昇るべく腰の動きをさらに激しくさせた。 「んああぁぁぁ、それ、それダメへぇ、気持ちよすぎるのぉッ!、 いっ、んっ、んあはぁぁぁッ、くるっ、何かきちゃうぅッ!!」 「おッ、ぐぅぅゥ、ワシもイく、イくぞぉォォォッ!!」 まるで獣のような咆哮とともに、剛蔵は熱情を香織の中へと吐き出した。 同時に香織も、そして剛蔵と感覚を共有している観客達も、 一様にビクビクと体を震わせ、絶頂の悦びを味わった。 「おっ、ぐぅッ!!」 「んんあぁッ、くっ!!」 「こ、これすげッ、んんっくぁッ」 「あッはっ、はぁぁんんんぁ、アソコが熱いっ、熱いのぉっ、 きちゃ、うぅぅんんんぁあッはあぁぁぁーーーーッ!!」 ビクンッ! 弓の弦を弾いたように香織の体が大きく跳ねたかと思うと、 一転してだらりと脱力し、ステージ上で突っ伏した。 床に横になった彼女の顔は涙と涎でくしゃくしゃになり、 目を閉じたまま「う……うぁ……」と言葉にならない声を漏らしている。 誰が見ても分かる、見事なイキっぷりであった。 それら全てが眼前に晒され、あまつさえ快感までも共有できる。 観客達にとっては極上のショーに違いなかった。 ジュプッ、ジュポッ、ジュルッ!! 「あっんんん、おむっ、はむぅぅ……おちんちん、美味しいのぉ…… もっと、もっとちょうだい?あぶぅ……んちゅぅ……」 ステージ上では、いつ終わるとも知れない肉宴が繰り広げられていた。 一人、また一人とタフな観客達が舞台の上へと上がり、 香織を取り囲んではそそり立つ下半身をつき出している。 香織はそれら全てを愛おしそうに眺め、口と舌と両手を使って 代わる代わる男達に性感を与え続ける。 貪欲に肉棒を求めるその姿は、さしずめ性の虜といったところだろうか。 そんな光景を、剛蔵はステージ脇で冷ややかに見つめていた。 横には飯綱 晃が、香織を見下すような表情で連れ添っている。 「これで少しは気が晴れたかの、晃」 「ええ。私の望み通り、最高に無様な見世物ですよ。 これこそあの高慢な牝猫怪盗には相応しい」 いい気味だ、と言わんばかりに嗜虐的な笑みを浮かべる晃。 それでも彼女から受けた屈辱的な仕打ちを思い出したのか、 ギリッと歯を食いしばる音がした。 「大衆の前で正体を晒し、怪盗の衣装のまま性の虜にする。 その姿はテレビで生中継だ。もう彼女は戻れないでしょうね」 「……うむ。そしてこの世界を統べるという我らの野望は成った。 長年待ち続けた甲斐があった……という、もの……じゃ」 大願を成就させた歓喜を噛みしめるように感慨深げに口を開いた 剛蔵だったが、言葉はふとした瞬間から力を失った。 ――違和感。 決定的な何かを見落としているような。 この愉悦が足元からガラガラと崩れ去っていきそうな。 (何を心配することがある、ワシは勝ったのじゃ) (人間とは、あまりに思い通りだとかえって不安を覚えるものじゃ) すべては気のせいだと一笑に付そうとしてみるものの、 一度覚えた違和感は魚の小骨のように引っかかり、 それでいて容易にその正体を明らかにはしてくれなかった。 答えを追い求めんと考え込んだ剛蔵の顔を、晃は不思議そうに覗きこんだ。 「どうした――ザ……ですか――ザザ……父上」 壊れたテレビのように、晃の顔が波打ち、発する言葉にノイズが混じる。 「……あ、晃」 何だ。此奴は何を言った。 違和感の元は、先ほど晃が発した言葉。 それを思い出そうと、剛蔵は必死で記憶を探った。 『大衆の前で正体を晒し、怪盗の衣装のまま性の虜にする』 これだ。 「怪盗の……衣装の、まま……?」 「父上?ザザ……いったい……ザザザ……ですか?」 長い間、ずっと執事の仮面を被って香織の傍で仕え続けてきた。 当然彼女が怪盗へ変身する瞬間もこの瞼に焼き付いている。 そう、光が彼女の体を包み込み、その輝きが収束したときには 怪盗アンバームーンの衣装を纏った香織が出現したのだった。 逆に考えれば、変身が解けた瞬間その衣装も消え去る筈ではないか。 なのに目の前の香織は、ぼろぼろに破れているとはいえ 怪盗アンバームーンの衣装のままで痴態を繰り広げている。 これは、どう考えても有り得ない光景なのだ。 「ザ……父上、何をザザ……ていルンデスカ?」 「お、お前……いったい誰じゃ?」 剛蔵の思いがけない問いかけにきょとん、とした晃。 しかし次の瞬間、晃がにやぁっと不気味な笑みを浮かべた。 「ケケケ……ナンダ、モウ醒メチマッタノカ」 「な、何じゃと?」 剛蔵がカラカラに渇いた喉を振り絞って必死に問いかけるが、 それには答えないままに晃の顔が何者かの姿に変わっていく。 変身を完全に終えたとき、そこに現われたのは一人の道化師だった。 パチンッ! ただただ呆然としている剛蔵をよそに、道化師は指を鳴らした。 同時に剛蔵の視界にピシィッとヒビが入り、そして、 ――割れた。 (……ワ、ワシはどうなったのじゃ……それにここは……?) 強烈な眩暈により、しばし気を失っていたようだった。 未だ覚醒しきっていない意識を首を振って呼び戻し、 剛蔵は事態を把握しようと周囲を見回した。 ひっくり返ったテーブルに、位置がズレたソファ。 そして上質なカーペットに飛び散らばった大きな花束。 今までいたはずのライブ会場の喧騒はかき消え、 いつぞやの宝月家のリビングがそこにはあった。 状況を整理できず、前に歩を進めようとした剛蔵は、 そこで初めて自分が拘束されていることに気付いた。 横には、同じくロープで縛られた晃が転がっている。 「こ、これは……」 「お目覚めかしら?」 「お、お主、どうして……!?」 不意にかけられた言葉の主は……怪盗アンバームーンだった。 陵辱の限りを尽くされた挙句、つい今までステージで 男どもの熱情を一心に受けていたはずの彼女。 しかし、チェアに脚を組んで座り、クスクスと笑いながら こちらを見やる彼女のコスチュームには少しの綻びも見当たらない。 「フフッ、よっぽどいい夢見ていたみたいね。 ご所望ならモーニングコーヒーをサービスするけど?」 「ゆ、夢じゃと……そ、そんなことが……馬鹿な」 そう、そんな馬鹿な話があっていいはずはない。 自分は確かにタロットを融合させて最強の力を手に入れたはずだ。 その瘴気で一般市民を掌握してライブ会場に集め、 この手で目の前の女の服を引きちぎり、黒タイツを破り、 そして陵辱の限りを尽くして彼らに痴態を見せつけたはずだ。 与え続けた暴力と快感にこの女は屈服し、涙を流して懇願しては 自ら望んで男どもの精を搾っては浴びる性奴隷になったはずなのだ。 それが……それがすべて夢だとでも言うのか。 「ふ、ふん……じゃが、ワシには『世界』の力があるわい」 剛蔵は自らが手に入れた力の存在に思い至ると、 余裕の言葉を吐きながらロープを引きちぎろうとした。 しかし、どれだけ渾身の力を込めようと、 簡素なロープはその戒めから解き放ってはくれない。 そう言えば、魔力によって筋骨隆々だった肉体は、 今や年相応の筋ばった脆弱な体に戻ってしまっている。 力を失い、ただの老人に戻ってしまったことを 否が応にも思い知らされ、剛蔵は顔面を蒼白にした。 「お探し物はこれかしら?」 「……!?な、なぜそれをお前が……」 怪盗が椅子に座ったままで手品師のように扇形に広げたものは、 剛蔵が融合させたはずのタロットカードの数々だった。 文字通り完全に手持ちのカードを失って狼狽の色を隠せない 剛蔵の目に、タロットカードの輝きが怪しくキラキラと光った。 「『愚者』の本当の力はね、人の心に入り込み夢を見せることなの。 邯鄲の夢に酔い痴れ現実を見失うその顔が『愚者』ということね」 「……なんじゃと?あ、あれは目くらましのはずでは……」 「そんなわけで、貴方が夢の世界にいる間に、カードは返してもらったわ。 やっぱり強引に融合させたんじゃすぐにバラバラになっちゃうみたい」 剛蔵の搾り出すような問いかけを完全に遮って、 アンバームーンの独演はリビングに響き続ける。 「もっとも、相手の心に入り込むには隙が必要だわ。 でも、目の前で膨大な魔力が膨れ上がっているというのに 安心しきって隙を見せる人なんて、まずいない。 本来使えないカードなことには変わりはないのよね」 でも、とそこで一旦言葉を区切ると、怪盗はサラサラと 銀色の髪をかき上げ、悪戯っぽい笑みを浮かべてこう言い放った。 「単なる目くらましと思い込んでいるのなら、話は別よ」 「――なッ、なんじゃと!?」 事もなげに言ってのけた怪盗の一言。 だがその言葉に、剛蔵は背筋の凍るような思いがした。 『愚者』の能力が目くらましというのは偽りだと怪盗は言う。 では、その偽りの能力を聞いたのは果たしていつだったか。 それは……まだ正体を明かす前、忠実な執事を演じていた頃。 その意味するところは、ただ一つ。 「貴様ッ、ま、まさか気付いておったのか!? なぜじゃ、ワシの演技は完璧だったはずじゃぞ!」 「そうね。確かに貴方の執事ぶりは模範的だったわ。 でも、そんな貴方も小さなミスをしたの。 それは、私が飯綱家の盗みから帰ってきたときよ」 「…………」 無言で続きを促すしかない剛蔵の顔をチラリと見やると、 その時のことを思い出してみろと言わんばかりに 十分すぎるほど間を取ってから、怪盗は演説を続ける。 「あのとき、私は晃からの仕打ちに打ちひしがれていた。 貴方はそんな私を労わるとき、はっきり『陵辱』と言ったわ」 「……し、執事としては……不適切じゃったということか……」 陵辱を受けた女性に直接的な言葉を浴びせることで反応を楽しむ。 好々爺の仮面からつい垣間見せてしまった嗜虐的な趣向。 それが事のすべてを露見させたというのか。 しかし、その後に続く怪盗の言葉は意外なものだった。 「いいえ。確かにその言葉に引っかかったのは事実だけど、 それ以降の気遣いは完璧な執事ぶりだったわ。 問題は『なぜ陵辱を受けたと思ったのか』よ」 「何を言ってるのじゃ。手首にくっきり荒縄の跡をつけて 泣き腫らしている女性を見て、陵辱を受けた以外に何があると……」 「投げ縄、よ」 「――ッ!!?」 完全な見落とし。 自らが犯したミスに気づき、剛蔵は言葉を失った。 「盗みに入る前、私は貴方と警察の特別部隊の話をしたわ。 投げ縄なんてクラシカルな獲物を使う変な警部さんの話もね。 その後に縄の跡をつけて盗みから帰ってきたのなら、 普通はその警部さんに不覚を取ったんだと思うはずよ」 「う……くっ……」 「ではなぜ陵辱と思い込んだのか。 それは飯綱 晃が能力を引き出したことを知っていたから。 そして、能力の正体も、彼の趣味嗜好もすべて知っていたから。 その可能性に考えを及ぼすのはそう難しくはなかったわ」 自分の不覚をなぞられる屈辱に、剛蔵は歯噛みをするしかなかった。 あの警部……確か棚橋とか言ったか。 力を手に入れた自分に愚かにも向かってきた、騎士気取りの男。 巨大な風車に決闘を挑んだドン・キ・ホーテのような滑稽な男。 だが、知らないところで彼の放つ投げ縄は自分を絡め捕っていたのだ。 「でも、私の醸し出す雰囲気から察したという可能性もあった。 それほど貴方の有能な執事ぶりは完璧だったし、 それに……親代わりに育ててくれた爺やを……疑いたくなかったわ」 そこで、アンバームーンは下を向き言葉を詰まらせた。 無理もない。 この広い家で、ずっと二人で暮らしてきた老執事との 楽しい思い出が頭をよぎったのであろう。 しかしそれも一瞬のことで、迷いを断ち切るように顔を上げて まっすぐに剛蔵の目を見据えると、再び言葉を紡ぎ始める。 「だから私は万が一のために布石を打った。 とはいえ、正直誤算ばかりで冷や汗をかいたわ。 正弘がカードを貴方に渡すなんて思っていなかったし、 対決の場に晃が居合わせたときにはどうしようかと思った」 ふと、剛蔵は絨毯の上で気を失っている晃を見やった。 今まで気付かなかったが、晃の後頭部には大きなコブができており、 その横には大きな花瓶が中身をぶちまけて転がっている。 『愚者』の未知なる能力に脅えていた晃には、 夢の世界に誘うという真の能力は効力を発しなかったらしい。 そのとき、眩い光が輝いてリビングを照らした。 思わず瞳を閉じた剛蔵が、再び両の目を開けたとき。、 目の前の怪盗の姿は変貌を遂げていた。 怪しく光る朱色の瞳。 黒一色で統一された喪服のようなコスチューム。 肩にかけているのは、その身に余るほど大きな漆黒の鎌。 その場に漂い始めた不吉さに、剛蔵は言いようも知れぬ恐怖に襲われた。 「そ、それは……ひょっとして『死神』の……」 「さようなら、爺や……今まで……本当にありがとう」 「お嬢様……」 剛蔵の発した最期の呼びかけは、果たして何によるものだったろう。 情に訴えて隙を窺おうとする狡猾さだったのか。 それとも親代わりとして、執事としての言葉だったのか。 その真意はわからないまま――死神の鎌は振り下ろされた。 そして、静寂が訪れた。 死神はしばらく呆然と立ち尽くしていたようだったが、 やがて鎌を肩にかつぎ直すと、後ろを振り向くことなく歩き出した。 その歩みとともに光が彼女の姿を包み込み、 その光が収束した後には宝月 香織の姿が現われた。 変身を解いた彼女が向かった先とは。 「正弘……」 魔に魅入られた剛蔵に決死の思いで立ち向かい、 そして臓腑を刺し貫かれた棚橋の亡骸だった。 ふらふらとした足取りで近づいた彼女は彼の傍に座り、 愛おしそうにそっと顔を撫でる。 しかし、もはや彼の体からは体温は奪われており、 流れ出していた夥しい量の血も渇きかけていた。 彼の体が放つ死の匂い。 それをはっきりと感じたとき、香織は意を決したように 立ち上がって、手持ちのカードをすべて投げ上げた。 その瞬間。 ――光とともに、魔力が迸った。 カードが宙に浮き、彼女の周りをゆっくりと廻りだす。 今度は『愚者』のカードもその輪の中にあるため、 剛蔵が強引に試みたときのような拒絶反応はない。 やがてカードは上昇しながらその輪を小さくし、 1枚、また1枚と重なり合って遂に1枚のカードとなって 香織の手元に舞い降りた。 香織はそのカードを手に取ると、祈りながら力を込める。 「お願い……『世界』……力を貸して……」 すると、カードが香織の手元をするりと離れた。 小さなカードは光を放ちながらその形をゆっくりと変え、 やがて女神ともいうべき姿になって彼女の目の前に現われた。 女神は全身がクリスタルのように透き通っていて、 優しさ、そして神々しさに溢れていた。 香織は知らず知らずのうちに膝をついて両手を組み、 目を瞑って祈りの姿勢を取っていた。 そんな香織に目を細めた女神が、厳かに語りかけた。 「私は一つだけ貴女の願いを叶えることができます。 貴女の願いを言ってごらんなさい」 「この人を……生き返らせてください。 本当に優しくて、私を守るために命を投げ捨てたんです」 「その願いを叶えると、全てのカードは消えてしまいます。 それでも後悔しませんか?」 「はい。私のこの願いが、正しいことかどうかはわかりません。 でも、私はもう一度この人と話したい。温もりを感じたい。 そして、できることなら……ずっと一緒にいてほしいんです」 迷いのない香織の言葉に、女神は軽く頷いたように見えた。 それを見て、香織は女神の顔を悲しそうに見上げた。 「ごめんなさい、そうなると貴女も消えてしまうんですよね」 「フフフ……まさか私の心配をされるとは思いませんでした。 3枚目のカードを使ってさぞかし貴女も辛いでしょうに……。 貴女のような人の願いを叶えられるのを誇りに思いますよ」 そう言うと、女神は手に持った杖を一振りした。 するとどうだろう。 床に転がっていた棚橋の亡骸に光の粒子がキラキラと降り注ぎ、 青く冷たい体が赤みと温もりを取り戻していった。 その様子を、香織は両手で口を押さえて見つめている。 今にもこぼれてしまいそうな涙を堪えながら。 「さぁ、これで私の役目は終わりましたね。 これからは自分の力で幸せを掴むのですよ」 「有難うございました……本当に……有難う……」 香織がそう言い終わるか言い終わらないかの間に、 女神の透き通った体がその透明度を増し、 やがて辺りの風景と同化して完全に消えた。 タロットカードは全ての力を使い果たし、この世から消えたのだ。 再びリビングに訪れた静寂。 香織は、女神が消えた後もその空間に向かって ただただ感謝の祈りを捧げていた。 そんな香織の後ろで、小さく衣擦れの音がした。 「ん……と、あれ?俺どうしたっけ……」 聞き慣れた声。 それでいて、この世で一番聞きたかった声。 その声に気付くやいなや、香織は後ろを振り向いて 棚橋目掛けて駆け寄っていた。 「……ん、香織?おッ、わッ」 「……正弘ッ!正弘ッ!!」 ドシン。 ちょうど起き上がろうとしていた棚橋の胸めがけて 香織が飛び込んでいったため、二人は折り重なって倒れた。 下になった棚橋の怪訝そうな顔に、一滴、また一滴と 香織の涙が雫となって落ちる。 「どうしたんだよ、香織?何を泣いて…… あれ、そういやあの化け物はどこに……」 「ふえぇ……正弘……まさ、ひろぉ……」 静かなリビングに嗚咽が響く。 棚橋はしばらくわけがわからないといった表情で ポリポリと頭をかいていたが、 「まぁ、いいか……」 と、香織を優しく抱き寄せた。 泣きはらした香織が幸せそうな表情に変わるまでの長い間、 二人はリビングの床の上で抱き合い互いの存在を確かめ合っていた。 2年後。 棚橋は再び警察官として忙しい日々を送っていた。 無言で叩きつけた辞表を、なにやらワケありと見た 上司の片倉警視正が保留扱いにしてくれていたのだ。 香織のこともあってしばらく誘いを固辞していた棚橋だったが、 やはり生活のことを考えて復職することに決めたらしい。 ただし、あの日以来怪盗アンバームーンが現われることはなかった。 それに伴い特別対策部隊は解散されてしまったのだが、 一般の犯罪を扱うことになっても敏腕警部として投げ縄を振るい、 それなりに成果を挙げているようである。 香織はというと、相変わらず教師として毎日奮闘する日々だ。 怪盗としての一面がなくなり教師の仕事に専念できるかと思いきや、 今まで神崎に任せっきりだった家事に苦戦しているため、 あまり優秀とは言えない仕事ぶりはあまり変わっていない。 そして月日は瞬く間に過ぎ、ある晴れた秋の日。 リン、ゴーン…… 街の高台にある教会の鐘が、久方ぶりに鳴り響いた。 石段の両側に並んだ招待客が拍手で迎える中、 ついさっき誓いを交わしたばかりの新郎新婦が 教会から腕を組んでゆっくりと下りてくる。 新郎、棚橋は白のタキシード姿。 やや緊張した面持ちで、動きはかなりぎこちない。 上等な服も似合っていないというわけではないのだが、 着慣れていないせいかどうも服に着られているという印象だ。 いっぽう、香織は純白のドレス姿。 この日のために誂えたというだけあって、 スレンダーなマーメイドボトムがよく似合っている。 棚橋に腕を預けた香織はとても幸せそうな笑顔を浮かべ、 いつもより大人っぽいメイクとともにその美しさを際立たせていた。 そんな香織に、無事卒業できたらしいかつての教え子、 問題児コンビの二宮と後藤が脇から声をかけた。 「先生、本当におめでとう!」 「でも意外だなぁ。先生のことだから、 てっきり泣くんじゃないかと思ったけどな」 「ふふっ、これからもっと幸せになるんですもの。 これくらいで泣いてなんかいられないでしょ?」 そう言って笑みを向ける香織の表情からは、 これからの希望を少しも疑っていない者だけが持つ キラキラとした魅力に満ち溢れていた。 その表情に見とれるまま、無言で見送った問題児コンビは、 新郎新婦が通り過ぎた後でボソボソと声を交わした。 「おい、なんだか……先生、変わったな」 「ああ、俺……ちょっとドキッとしちまった」 「俺もだ。なんつーか、綺麗……だよな」 「あぁ、こんなことなら早くアタックしておけばよかったぜ」 自らの奥底にあった香織への憧れに気づき、 問題児コンビは二人同時に溜め息をついた。 若さゆえのほろ苦い後悔を乗り越えたとき、 思春期の若者はまた一つ大人になっていくのだろう。 さて、ここで場面を式場の裏に移そう。 そこでは、祝福ムードの招待客や拍手に包まれる 新郎新婦とは裏腹に、式場のスタッフが慌しく働いていた。 どうやら黒いスーツを着た若い男がチーフらしく、 汗だくであれこれイヤホンマイクに向かって指示を出している。 幸い式は大きな手違いも起こらず無事に進行したようで、 あとは撤収を残すのみというところでチーフは休憩の指示を出した。 チーフはタバコに火をつけながら、ある中年の男の傍の椅子に座った。 「ふう、やっとこれでひと段落、か。 そういえば晃さん、今日の花火、タイミングよかったよ」 「ありがとうございます。ようやく慣れたみたいで」 上司からの思わぬ労いの言葉に、中年の男は嬉しそうな顔で笑った。 その顔を見てフッと煙を吐き出すと、チーフは続ける。 「しかし、この仕事は肉体労働も多いし、その年じゃ辛いでしょう。 今まで聞いたことなかったけど、どうしてウチになんか?」 「そうですね……実は、私は記憶を失くしてしまったんですよ。 それも、年老いた父親と二人いっぺんにね」 思いがけぬ告白にチーフはどう反応したものか迷っているようで、 表情を変えぬよう努力しながらタバコの灰を落とした。 一瞬表情に陰を落とした中年の男は、気持ちを切り替えるように 再び笑顔を浮かべ、明るい声でこう言った。 「だからこうして働きながら、記憶が戻る日を待っているんです。 でも、何故でしょうね。こうして汗水垂らして働いていると、 この暮らしも悪くないかなって思えるんですよ」 「そうですか……早く記憶が戻ることを祈ってますよ。 それまでは優秀なスタッフとしてウチで働いてください」 そう呟くと、チーフはタバコの火を消して携帯灰皿に入れ、 休憩終了の指示をイヤホンマイクに告げた。 それとともに中年の男も汗を拭きながら持ち場へ戻るのだった。 そう、この中年の男こそ、飯綱 晃の姿である。 父親と二人で記憶が戻るまで懸命に働く、というその姿は 以前の晃とは比べようもないぐらい真面目で健気でさえある。 しかし、死神の鎌で刈り取られた記憶は、決して戻ることはない。 ……永遠に。 裏で男達がそんな会話を交わしているとき、 教会の外ではブーケトスが始まろうとしていた。 未婚女性がきゃいきゃいとはしゃぎながら群がる輪の中に、 「いきますよー」という掛け声とともに香織がブーケを投げた。 晴天の中に、色鮮やかなブーケが舞う。 放物線を描きながら落ちてくるブーケは、 懸命に手を伸ばす女性から逃れるように風に揺られ、 興味なさげな顔をしている女性の元へ、ぽすっと収まった。 「……へっ?ちょ、ちょっと、ウチかいなッ!?」 「茂木先生、次は先生がサンタさんを見つける番ですよっ」 突如として周囲の注目を集め、拍手を一身に受けた茂木は 彼女にしては珍しくあたふたしている。 それを見てくすくすと笑う香織。 棚橋は、たくさんの同僚や友達に囲まれて皆に笑顔を 振りまいている花嫁に見とれていた。 思えば、出逢ったときはすぐに泣いてしまう弱い女性だった。 コンプレックスの塊と化していた彼女は、 その裏返しとして怪盗アンバームーンという偶像を作り出した。 だが、アンバームーンが世間の注目を浴びれば浴びるほど、 香織自身は傷つき、ますます自分の殻に閉じこもっていた。 それが今はどうだ。 しっかりと、自分自身が光り輝いているではないか。 そうだ。 怪盗アンバームーンは、もういない。 カードに頼り、照らされていた香織は、もういない。 そして、月が沈んだ後には…… 「正弘ー、写真撮るよーっ」 こちらに元気よく手を振る花嫁の姿を見て、 太陽のようだ、と棚橋は思った。 〜〜朧月怪盗アンバームーンFin〜〜 SS一覧に戻る メインページに戻る |