シチュエーション
「こちらです、警部」 「ありがとう。貴方はここまででいいわ」 にこりと笑みを見せて部下を労えば、一瞬ほうけた表情の後で「はッ」と教科書通りの返礼を受けた。 その礼の美しさに免じて、一瞬感じた弛みは見なかったことにするわ。 地下牢の薄暗いランプへ片手で油をさしながら、彼女──アリシア=アルヴィン警部は部下に思う。 ハンカチで手を軽く拭って、自慢のプラチナブロンドを手で梳いた。今重要なのは部下の教育よりも目の前の地下牢の主だ。 「それではアルヴィン警部、鍵はこちらに。くれぐれもお気をつけて、お先に失礼します」 重ねて一礼し階段を上り去る部下へは片手をあげるのみで返した。 眼前の鉄格子を睨み付ける。正確にはその中身たる人物を、だ。 「ばか。何捕まってんのよ、ピーター」 罵声ついでに格子を蹴りつけてやれば、やれやれといったふうの溜め息で返された。 「世紀の大怪盗兼幼馴染みが捕まったってのに、お前はもうちょっと他の反応ないのかよ」 「私には犯罪者兼変質者の幼馴染みしかいないわ」 「ひどいな。幼馴染みってのは貴重なんだぜ?大事にしてくれよ、 一週間前の職場──ああ、あれは本当に最悪の一日だった。 怪盗・ウィルからの予告状があったとの第一報を受け、すぐに情報部へ向かえば返されるのは好奇の視線。 何かと思えばとても口には出来ないような内容の文章と、予告としての日時。 そしてその結果、世紀の大怪盗殿は本日めでたく、のこのことやってきたヤードで捕らえられた訳で。 それも滅多に使わない地下牢で、縛り付けられるというオプション付きで。 「どうしてって、予告の通りだけど」 「誰があんな卑猥な内容引き受けますか!」 「え、だからアリシアが…」 「なんでそこで頬を染めるのよばかあああ!」 細身とはいえ、背の高い成人男性が頬を染める様は大変気持ちが悪い。 両腕を守るように擦りつ、身体ごと振り返ることで拒否を示せば「ひどいな」と背中に返された。 肩を竦めてマントをさばき、シルクハットを被りなおすのが目に浮かび、全力でかぶりを振る。 これだから幼馴染みは面倒なのだ。 「とにかく、あんたはもう捕まったんだから、おとなしく法廷を待ちなさい」 「それは嫌だね。俺には目的があるんだ。それまで廃業は出来ねえよ」 「なによ、目的って」 「秘密」 思わず向き直れば、ピーターは──子供の頃から変わらない──キラキラとした企み顔だった。 ああ、昔からこの顔に弱いのだ。 「取りあえず、今日は予告通りアリシアを貰いに来ただけだよ」 「ぐるぐる巻きで何言ってんのよ」 「定期的に貰わないと俺も男だからな。お前中毒性ありすぎだろ、アルヴィン警部?」 「会話をしなさいこの変態怪と」 パチン! 声は指の鳴る音と煙幕に遮られる。 「縄抜けとピッキングは、怪盗の特技だって知ってるか?」 気付けばピーターを捕らえていたはずの縄は綺麗さっぱりと消え去り。 堅牢なはずの鉄格子は開け放たれ、キイキイと音をたてている。 ヤードのど真ん中で、こんな不始末起こすだなんて! 「大怪盗ウィルをなめんなよ」 更に自分の方が二本の腕に囚われているだなんて! 「始末書ものだわ…」 「色気が無いなあ、警部殿」 「離しなさい、怪盗ウィル」 「怪盗が警部の言うことを聞くとでも?」 「……離しなさい、ピーター=ウィリング」 「幼馴染みの言うことなら尚更聞けねえな。十年越えの恋愛なめんなよ」 「ばか、もう、お願いだから離してよ。だって腰に、その」 「うん?」 「……当たって、る」 「…………やっと気付いたか」 「……簡潔に理由を述べなさい」 「久し振りのアリシアの匂いにときめいたのと、 ヤードの制服がストイックなのにときめいたのと、 地下牢っていう倒錯的な環境に興奮したからかな!」 SS一覧に戻る メインページに戻る |