満月の夜に
シチュエーション


震えている。
真夜中、地上80mになるビルの屋上で柚希(ゆずき)は悟った。
吹きつける風が怖い、深海のような遥か下のネオンが怖い。
それもあるが、彼女を真に震えさせる理由は他にあった。

彼女はこれから、街の都市伝説である『怪盗クレール・デルヌ』に成り代わり、
資産家のオフィスに忍び入るのだ。



「う、……ッく!!」

それは今日の朝。
朝早く帰宅した柚希の妹は、その白い太腿から血を流していた。

「春菜……!」

妹を出迎えた柚希は目を見開く。明らかな銃創だ。

「いやいや、私としたことが……ドジ踏んじゃった」

春菜は無理に笑みを作る。
傷が『クレール・デルヌ』としての活動でついたものだと、柚希は知っていた。

クレール・デ・ルーヌ(Clair de lune)とは仏語で月光を表す。
今、街はそれを名乗る怪盗の話で持ちきりだった。
曰く、それは義賊である。
曰く、それは天罰の代行者である。
彼女が狙うのは非合法に搾取する者に限られた。
奪うものは金品や権利書、人質など様々だが、どんな事例であれ共通する事が2つある。

一つ、犯行は満月の晩であること。
一つ、犯行日の朝に予告状を出すこと。

『今宵は満月――クレール・デルヌが悪鬼を照らす』

初めは悪戯と笑われたその予告状は、幾たびの事件を経て今や財界の最優先議題となっている。

マスメディアはこぞって彼女の謎を追いかけた。しかし核心に迫る者はいない。
“彼女”かどうかさえ自信をもって断言はできなかった。
カメラに映る美しい相貌から“女性らしい”と推測されたに過ぎない。
その犯行手口は周到にして狡猾。軍の協力を得たゲリラ戦用トラップさえ易々と突破される。
その万能ぶりにはリアリスト気取りさえ『満月の悪夢だ』と嘆いた。

しかし、財界とて無能ではない。頭の切れる者は情報を売買し、対策を講じた。
それはある朝に結実する。
予告状を手にした女が脚を撃たれる、という形で。

春菜がクレール・デルヌである事を、柚希は知っていた。
というよりむしろ、この柚希こそが春菜を『クレール・デルヌたりえさせて』いるのだ。

父が謀殺され、母が心労に倒れた後、2人の姉妹は街への復讐を決意した。
その実動役となったのが春菜だ。
19歳の柚希にとって、3つ下の春菜は頼りがいのある妹だった。
何につけても要領がよく、常に冷静。詐欺師とでも互角以上に渡り合える狡猾さを備えている。
加えるなら、運動神経も何らかの道でメダルを目指せるほどだ。

その春菜に実動を任せる一方、柚希はサポートに回った。
科学者である父に憧れていた柚希は、父の書物を読み漁り、幼少期の大半を研究室で過ごした。
「ほんわりしている」と言われながら、その実毒物薬物が大好きな19歳だ。
機械にも造詣が深く、近年極めて優秀な人工知能を開発した。
50種を超える声色を操り、ある程度ならヒトと会話まで出来るAIだ。
その性能にして基盤の大きさは500円玉程度であり、普段は春菜のヌイグルミに埋め込まれている。
これが遠隔通信から敵の霍乱まで、クレーヌ・デルヌのあらゆる行動をサポートするのである。

実動の春菜と頭脳の柚希。
この才能に溢れた姉妹は、互いに協力してあらゆる窮地を切り抜けてきた。
しかし、春菜はとうとうその翼をもがれてしまった。
予告状は出してしまっている。出向かないわけには行かない。
だが、今の春菜の脚では到底不可能な話だった。

「平気よ、このぐらい!」

恐らく何を言っても無理をするだろう春菜に、柚希は一計を案じる。
春菜の食事に強烈な睡眠薬を混ぜたのだ。

寝息を立てはじめる妹を背に、柚希は支度を整えた。
相手取るはライアック・コンチェルン、春菜の狡猾さを持ってしても苦戦する巨悪。



柚希は黒いショートヘアを靡かせ、80mの高みから対象のビルを窺う。
真夜中に関わらずほとんどの部屋に電気が点いていた。
襲われる事を想定するなら、電気を消して中で待ち伏せするべきではないか…?

『同士討チヲ避ケルタメデショウ。
 軍隊デモナイ用心棒連中ニ、大シタ連携ガ取レルトモ思エマセン』

ヌイグルミが分析する。
柚希は自分が作ったAIながらに感心した。
確か春菜は“グルミー”と呼んでいた筈だ。妹のいない今、このグルミーだけが頼りだ。

柚希は装備を確認する。怪盗らしく軽装だ。
各種薬品を入れたポシェット、脚力を補助するブーツ、身体のラインが浮き出る黒いボディスーツ。
黒で統一された服装の中、首から下がったシルバーアクセサリーが一つのアクセントとなっている。

柚希は頷いた。

「よぉしっ…お姉ちゃん頑張るからね!」

そう気合を込めて手元のスイッチを押す。瞬間、遠くどこかで爆発が起きた。

『…マタ随分ト派手ナ事シマスネ』
「大丈夫よ、あいつらの所有する倉庫だし。この時間なら誰もいないしね」

柚希は言いながら、ショットガンのような銃を手にした。
ワイヤーロープを射出する銃だ。
柚希は目を細め、腋を締めて前方のビルに照準を定める。
目標は屋上より1階層分低い位置だ。
引き金を引くと、破裂音と共にワイヤーが射出され、ビルの脇にある配管に巻きつく。

「オーケー!」

柚希は狙い通りの結果に満足げに頷いた。
ワイヤーのもう片方を手近なパイプに巻きつけ、張り具合を確かめた後、さらに滑車を取り出す。

滑車をワイヤーの上に乗せ、柚希は息を呑んだ。
ビルの高さは80メートル。もし滑車がワイヤーから外れれば助かるまい。
だが、柚希という女は並の神経ではなかった。

「だいじょぶ、私!!」

どこか令嬢然とした出で立ちの怪盗は、文字通り瞬く間に覚悟を決めて滑車を滑らせる。
滑車はビルの間の空を駆けた。
ビルの窓が迫ると、柚希は膝を曲げて飛び込む。
しゃああああん、とガラスの飛び散る音を聞きながら、柚希は身を一転させて着地した。

「……潜入成功。」

夜風に髪を艶めかせ、今宵限りの『クレーヌ・デルヌ』が笑みを浮かべる。

「何の音だ!」

廊下から騒ぎがする。
その声を聞いたとき、柚希はすでに行動に出ていた。
狙うのは時価3億の宝石「ルミナス」。その位置は把握している。9階の金庫だ。
階段の位置、警備を置きやすい位置、全て見取り図から把握済みだった。
その記憶を元に行動を起こす。

「いたぞ、追い込め!!」

ガラの悪そうな男達に廊下で挟まれる。
しかし、柚希は余裕の表情でカプセルを投げた。
同時にマスクを着ける。下はガス除けのゴム、上は赤外線センサー対策の高性能ゴーグルだ。
マスクを嵌めた直後、カプセルが地面に落ちた。
煙が巻き上がる。
その煙を嗅ぎ、男達が訝しげな顔を浮かべた。

「なんだこれ……アーモン……ド……!?」

廊下を満たす匂いはアーモンドナッツに似た。
それに気付き、一人が叫ぶ。

「おい逃げろ!!!青酸ガスだッ!!!!!!!」
「う、うぁああああ!!!」

微量で人を死に至らしめる青酸。その匂いはアーモンドに似る。
仕事上それを知る用心棒達は泣き叫びながら我先にと廊下を後にした。
忽ち見える範囲に人影がなくなる。
柚希はくすくすと笑ってそれを眺め、カプセルを拾い上げた。

「残ぁん念、ただのアーモンド臭なんだよね」

そう呟いてビルの奥へと駆けていく。

用心棒達の通信は混乱しきっていた。

「畜生!あいつ無茶苦茶しやがる!!」
「あ、悪魔だ、あんなの相手してられっかよ!!!」

柚希に対面した者が揃いも揃って泣き喚き、戦意を砕かれている。
それを耳にした他の用心棒も及び腰になってしまった。

「……流石のものだな、クレール・デルヌ」

ビルの管制室の中、モニターを前に呟く男がいた。

「煙を使って相手の心を惑わせ、カメラも無効化する。常套手段ながら効果的なやり口だ。
 このままでは、或いは突破されてしまうのではないかね?」

男が声をかける。その先には椅子に片肘をついて腰掛ける女がいた。
ライアック・コンチェルンの肝をなす実業家、リネット・ライアック。
彼女は黙ったままモニターを見据えている。
その美しい顔には額から頬にかけて大きな傷跡が残っていた。
男は気味悪そうに肩を竦める。

柚希は赤・青・黄と様々な色の煙を撒き散らしながらビルを駆けた。
虚実合わせたガスの効果により、ビルの連絡網はもはや阿鼻叫喚となっている。
そんな中、柚希は着実に目標へと近づきつつあった。
9階。目的の階だ。
階段から上がると囲まれるため、柚希は一旦ビルの外壁に取り付き、再度窓を破って侵入した。
あらぬ方からの侵入で慌てふためく声が聞こえる。
柚希はそれを聞きながら進み、十字型の通路に出ると、

「うりゃっ!!」

グルミーを遠くへ放り投げた。

(グルミーちゃん、よろしく!)

男達の足跡が近づく中、柚希は囁く。するとグルミーが内蔵された声を再生した。

「ミギャアアアアア!!!!」
「な、何だ今の声は!?」

男達はグルミーの落ちた方へと駆け寄っていく。

「……ぬいぐるみ……?」

呆気にとられた彼らはその瞬間、背後に気配を感じた。

「 チェックメイトよ。 」

声と共に数発の銃声がした。男達は叫んでその場に倒れ込む。
モデルガンを改造した、射出した弾に5万ボルトもの電流を帯びさせる銃だ。
殺傷能力はほぼ無いが、喰らうと意思とは無関係に倒れてしばらく動けない。
柚希はガンマンよろしく銃口に息を吹きかける。

『ガスマスクシタママ、何シテルンデス』

仰向けのグルミーが呟いた。ボタンでできた目がどこか冷ややかだ。

「もう、うるっさいなぁ」

柚希は倒れた男を跨ぎ、グルミーでリフティングしながら先へ進む。

十字路の先には赤外線センサーが張り巡らされていた。
それを潜り抜けると、とうとう目的と思しき部屋が視界に入る。

「よぉし、最後ね!!」

柚希はグルミーにスプレー缶を埋め込み、部屋の中へ投げ込んだ。

「ブボッ」

グルミーが悲鳴を上げて床に転がる、と同時に煙を撒き散らす。
たちまち部屋が白く染まった。

「うわっ!な、何…げほ、ごほっ!!!」
「げほ、さ、催涙弾だ!ちくしょう、目が!ごほ、げほっ!!!」

部屋にいた男達が顔を押さえながら倒れていく。
部屋を白く染める煙は全く薄まる気配がない。拡散しないように調整されているのだろう。
視界の利かない中、柚希はゴーグルで部屋を探る。
前方に台があり、その上方に穴が見えた。
柚希はその台へよじ登って穴を窺う。奥にダイアルがある。
警備体制から言って、ここが宝石ルミナスの金庫と見て間違いないだろう。

「ビンゴ♪」

柚希はぱきんと指を鳴らし、嬉々として穴に右手を突っ込んだ。
しかし、それが早計だった。

がちん。
穴の奥で音がする。ぎょっとして柚希が手を引くが、抜けない。
奥で手首をロックされてしまったらしい。

「くっ!」

柚希は眉をしかめるが、落ち着いて首から提げたシルバーアクセサリーを外す。
その小洒落たアクセサリーはピッキング用のツールだ。
組み合わせによって鍵穴の形状をしたものならば何でも開けられる。
手首に嵌められた手錠らしきものも難なく解錠できるはずだ。
普通の状態なら。

しかし最後の罠は巧妙だった。
柚希が穴に左手を差し込んだ瞬間、足元の台が崩れ落ちた。
一部が崩れ、木馬のような形が残る。
足がつくような高さではないため、当然柚希はその木馬に股座を乗せる形となる。
そして手首で釘付けになっているために逃れられない。

「・・・・・・!」

これには楽観的な柚希も顔色を変えた。急いでツールを手首に近づける。しかし。

「ああぁっ!?」

柚希の恐れていた事が起こった。股座に密着する木馬が振動を始めたのだ。
振動は強い。マッサージ機の威力を最大にしたものより更に強烈だ。

(まずい……まずいよ……!)

内腿の肉がぶるぶると波打ち、柚希の本能が警鐘を鳴らす。

「嵌ったな」

モニター前の男が呟いた。椅子に腰掛けたリネットが笑う。

「慢心したんでしょう。途中まですんなり行ったもんだから、肝心な箇所で気を抜いた。
 多少頭の回る小娘にありがちのパターンね」

リネットはそう言って席を立った。
ロシア系の血が入っているのか、長身で、器物のような冷たい目をしている。

「時価3億の宝石を狙ったんだもの。授業料は高いわよ」

リネットはモニターの柚希にほくそ笑んだ。

「くっ……!」

柚希は下半身を強烈に揺さぶられながら、必死に手首の解錠を試みる。
しかし集中できない。
ピッキングに集中するには手首の穴に向かって前屈みになる必要があるが、
そうしてしまうと振動する台に陰核を擦りつける形となってしまう。
タイツ越しの振動は強烈で、5秒も陰核を揺さぶられるとたまらない。

「っくああぁ!!!」

たまらず腰を跳ね上げてしまう。そうなればピッキングは一からやり直しだ。
台の表面はつるりとしているため、足で踏ん張ろうにも力の入れどころが無い。
結局股座に体重の全てを預けるしかなかった。

(簡単なのに……簡単、なのに……!)

ピッキング技術でいえば本家クレール・デルヌである妹にも引けを取らないはずだ。
こんな鍵穴など1分もあれば解錠できるだろう。
しかしその1分が集中できない。
落ち着こう。まずは体勢を整える事だ。
柚希は両手を穴の淵に掛け、膝を曲げて力を込めた。
しかしそうやって耐えの姿勢になった所で、台の振動は強烈すぎた。

「う、う……!そん、な……!!」

目を閉じたまま柚希は耐える。だがその身体を無慈悲な機械が揺らす。
柚希の背にぞくぞくと電気が走った。

(………ひっ、い、いくっ!!!!!)

天を仰ぎ、唇を噛み締めて美しい19歳の少女は極まった。

がくりと首を垂れて柚希は嘆く。
耐えるため身を強張らせたのに、絶頂を迎えてどうするのか。
少女は焦ってもがいた。タイツの太腿部分がぐっしょりと汗ばんでいる。
太腿だけではない、背中も、腋も、至る所にいやな汗が吹き出ている。
その汗のイメージは吸い寄せられるように局部に達した。
考えてはいけないのに、達してしまったというショックから脱せない。

「ああああぁ……」

柚希は声を上げた。
今度は陰核ではない、産道へと通じる肉びらを刺激されているにすぎない。
それでも達したばかりの女陰は気持ちよく震えた。

「んくっ!!」

すぐに2回目の絶頂を迎えてしまう。
ショックだった、このショックでしばしとはいえ柚希の思考は止まった。
何をするでもなく足を蠢かし、腰を上下させ、天を仰いで一文字叫んだ後、3度目の絶頂を迎えてしまう。

(ば、馬鹿、馬鹿!何してるのよっ!!)

3度も達した自己嫌悪から、柚希は手首を拘束する壁へ頭を叩き付けた。

「ぐっ!」

頭蓋の砕けそうな痛みが頭を跳ねる。だが少し冷静になれた。
今すべきことは何か? ――手首のロックを解除することだ。
柚希は震える手でツールを鍵穴に差し込んだ。
そう、手が震えている。手も、肩も。元凶は肺だ。
肺がまるで長距離走をしたようにびくついていて、呼吸がおかしい。
ガスマスクをしているせいで息が籠もって気持ちが悪い。息苦しくて吐き気がする。
冷静になっても状況は好転しない。
相変わらず解錠を試みては腰を跳ねさせ、前屈みになっては仰け反りの繰り返し。
息だけは刻一刻と苦しくなり、柚希はだんだんと焦れてきた。
埒があかない。

(……こうなったら1度、どんな風になってでも我慢して解錠しきるわ!!)

絶頂を危惧しながらの解錠では間に合わない。
ならば、と柚希はあえて腰を沈み込ませ、振動に身を委ねて解錠に集中しはじめた。

逆境での開き直りは時として起死回生の手となる。
……が、忘れてはいけない。チャンスの裏には、必ずリスクがある事を。

「うああ、うあ……ぐ、く、くひ………っ!!」

柚希は台に踏ん張り、絶頂を堪えた。
反射で逃げ出そうとする身体を無理矢理押さえつけ、背中の鳥肌を無視した。
その甲斐あってもう解錠できる……と、ほんの僅か気が緩んだ時だ。

どろっ

秘密の部分から、音になるようにはっきりと蜜の溢れる音がした。
背筋を電気が駆け上る。
凄まじい快感だった。押さえつけていた分、今までの比ではない。
気丈な柚希もこれには前屈みで身震いした。目の前が白み、口から涎が垂れていくのがわかった。

そして不幸は重なる。
彼女の身体が緊張から解き放たれた瞬間、穴の奥からツールの落ちる音が響いた。

(あ……いけない。落としちゃった)

柚希はぼんやりした顔で穴の下方をまさぐった。
結局またいっちゃった、無理はダメかな。彼女はそんな事を考えていたに違いない。
が、穴の中を2度ほど撫でた後、急にその動作が忙しなくなった。
目を見開いている。

(う、うそ、何で!?)

ツールが見つからない。ただ取り落としただけであるのに。
救いを求めて彷徨う指は、ついにある答えに辿り着く。
穴の奥、ダイヤルの手前に隙間が開いていた。アクセサリが悠に入りそうなほどの。
そこへ落ちたのだ。

「あ、あ……ああ………!!!!!」

柚希は目尻が裂けそうなほどに目を見開いた。

「いやああああああああ!!!!!ううウソでしょ、いやっいやあああっっ!!!!!」

半狂乱になって暴れる。
それは、彼女にもう手首の拘束を外す術が残されていない事を示していた。

錯乱、という言葉が相応しい暴れようだった。
外れるわけもないのに手首を引き抜く動作を繰り返し、台を足の裏で蹴り、吼え。
あまつさえそれで呼吸が苦しくなると、左手でガスマスクを毟り取ってしまう。
マスクの外には尚も白いガスが立ち込めていた。
ガスは多少拡散し薄まったものの、まだ歴然と残っている。
柚希は大きく息を求めてそれを吸い込んだ。

「う!しまっ…ぐぇほげほ、げほげほぇほ!うぐ、あぐふおえ!!!!」

策士策に溺れる。
柚希は己自身が撒いたガスによって、今や部屋の中でただ一人噎せかえっていた。
強烈に痛む目や鼻を払っているうち、頼みの綱のガスマスクさえ取り落としてしまう。

涙と鼻水で顔をグズグズにしながら、柚希は全てを悔やんだ。
対象物を見つけた時点で慢心しなければ。
アクセサリを手首に巻きつけて使用していれば。
ガスマスクを外さなければ。
だが全てが遅い。彼女は両の手首を穴に食われたまま、ぶら下がるようにして台にへたり込んでいる。

柚希はもう振動でイカされるしか術がなかった。

「げほっ…った、たすけ……ふぇ、たすけ……へぇえ………!!」

壁にすがるように乳房をすりつけ、苦しそうに膝を擦りあわせ続ける。
何度達しても何度達しても無慈悲な機械には赦されず、次第に薄まっていく煙の中で真っ黄色な尿を漏らした。
尿は台を滑り落ち、また黒いタイツを伝って柚希のブーツの先から滴る。
滴ってはまた滴り、気が遠くなるような時間と共に、床には空の満月のような尿溜まりが広がっていく。

ようやくに煙が晴れて警備が捕縛に来た時には、
腕の拘束はそのままに、ぶら下がるようにしてぐったりとなっている怪盗の姿があった……。






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