シーフクラフト〜怪盗トランプの栄光 二章『監禁』
シチュエーション


「…………ん」

怪盗トランプが目を覚ますと、そこはコンクリート打ちっぱなしの部屋だった。

「!」

咄嗟に、トランプは身体を動かそうとしたが、出来なかった。
ジャラジャラ、と鎖のこすれ合う嫌な音が部屋に響いた。
まだ朦朧とする意識の中、トランプは必死に身体を揺する。
その動作に合わせるように、鎖が音を立てた。
トランプは自分の状況を把握しようと、慌ただしい動作で自分の身体を確かめる。
視界の隅にある黒い影は、仮面のものだろう。
どうやら、仮面はまだつけているらしいが、眠っている間に顔を確認されたと想像すると、身の毛がよだつ。
腕は身体の真横の両方から、垂直に天井に張られた鎖に繋がれていた。
ちょうど、万歳をするような格好だ。
どうやら、座っている体勢らしい。
椅子というよりは、馬の背中を思わせる形をした、滑らかな光沢の機械の上にだ。
足は、その下に鎖で繋がれていて、馬に乗っているみたいだ。
トランプの目の前には誰かが座るのか、ロッキングチェアのようなものが置かれている。
ギィ、と鈍い音がし、トランプはそちらへ顔を向けて叫ぼうとした。

「――!」

口には、おそらく球状の何かを噛まされていて、言葉はおろかたまった唾液を嚥下するのにも苦労しそうだった。
その為か、トランプが座っている機械の上にはビンのようなものが置かれていて、その中に唾液は落ちていたらしい。

「んんっ!! ううっ!」

ガチャガチャと音を立てて、身体を揺り動かすも、空を掻く手は一片の自由さえ掴み取れそうになかった。

「いい恰好じゃないか、ええ? 怪盗風情が」

扉を開けて入って来たのは、かの寿新蔵だった。
仕立てのいいスーツを着ていて、口には似合わない葉巻をくわえている。

(寿……!)

「ほうほう、すごい形相で睨みつけるものだな。まあ若い女からそういう目で見られるのは、嫌いじゃないよ」

トランプはあらん限りの憎悪をこめて、寿新蔵を睨み上げた。
当の新蔵は、下衆な笑みを浮かべているばかりで、余裕綽々と言った様子だ。
彼はゆったりとした動作で、椅子に深く腰掛けた。

「気分はどうかね」

答えられないことを知っていて、わざわざ訊ねてくる。

(なんて嫌味ったらしい!)

トランプは身体を捩ってどうにか鎖から逃げようとするが、手錠で繋がれていて暴れると手首が擦れて痛い。
顔を上げたり、腕を引き寄せようとしたり、足で蹴りあげるような動作を取ったりと、トランプは動きに動いた。

「げほっげほっ、うぅっ」

顔を上げれば、嚥下できない唾液が一気に喉に落ち、むせてしまう。
仕方なく顔を下げると、今度は涎が唇の端から顎を伝って、股のすぐ前にあるビンの中に溜まる。
客観的に見ても、これ以上と無い醜態で、トランプは羞恥に顔をほんおりを赤らめた。

「ふん、お似合いだな」

つま先からじっくりと、値踏みするようないやらしい目つきで、新蔵がトランプを見やる。
その視線を受けて、ぞわりと鳥肌が立つのをトランプは感じた。

「貴様は香りなどによるものだと思っているのだろう?」

それはなぜ、というトランプの問いに関する言葉だった。

「そんなやわなものではない。あれは、れっきとした心理学に基づく影響さ」

(心理、学?)

トランプにはわけがわからなかった。

「あの一見何もない部屋にも、いくつもの視覚的な仕掛けが施してある」

指折り数えるように、新蔵は続ける。

「まあ一種の催眠術のようなものだ。人間は情報のほとんどを視覚、次点で聴覚から得る」

講釈垂れるように言う。

「静寂の中、微弱な電波を流した。人間には聞こえないぎりぎり、影響の出るぎりぎりの、だ」

そこまで言われて、ぐ、っとトランプは呻った。
あまりにも手薄だったのではない。
その電波をより高効率で活用するために、人がいなかったのだ。

「そういった諸々の影響から、貴様は袋のねずみとなったわけさ」

説明としてはおざなりにもほどがあったし、そんな催眠術とやらにも覚えがなかった。
しかしもとより説明する気などないのだろう。
この男の目的は、そんなことではないのだ。
トランプはそれほど何か言いたそうな顔をしていたのだろうか。
新蔵はゆっくりと立ち上がって、勿体ぶった動作で、トランプの口からボールギャグを外した。
どろりと、唾液が落ちた。

「……あんたの目的は、何」

睨まれてもひるみもせずに、新蔵は澄ましたような顔つきで口角を釣り上げた。

「お前ら怪盗をいたぶることだな」

そう言って、下顎とビンの間の糸になった唾液に舌を伸ばした。
黄ばんだ歯が覗き、恐ろしく濃い息がトランプの顔にかかった。
そのまま伸ばした舌で、トランプの顎先に触れる。
ざらざらとした舌の感触に、思わずぞわりと、背筋がピンとなった。
顎から唇を濡らしていたトランプの唾液を丁寧に舐め取ると、新蔵はギラギラと熱のこもった目でトランプを見下ろして、言った。

「せいぜい楽しませてくれよ」

首にアクセサリーのように下がっていたボールギャグを再びトランプに咬ませると、無線機か何かで新蔵が人を呼んだのが聞こえた。
それがトランプの悪夢の始まりだった。






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