魅惑のサイコセラピー セッション1
シチュエーション


初めての場所では、どうしても緊張してしまう。
会田徹は落ち着かない気分で、カウンセリングルームを見回した。
白い壁紙の、新しい部屋だった。狭くはないが、それほど広いとも言えない。

観葉植物と、壁に掛けられた静物画。
窓は、柔らかそうなレースのカーテンで覆われている。時計はないようだ。
黒い革張りのソファに浅く腰掛けると、低いガラステーブルの上に乗せた手を、組んだり、開いたり、意味も無く繰り返していた。

コン、コン

不意にノックの音が響いた。

「失礼します」

ドアが開き、白衣を羽織った女性が入って来た。

「こんにちは、会田さん。あなたのカウンセリングを担当する、心理士の天宮沙和子です」

落ち着いた声であいさつすると、にっこりと微笑みを向けた。

(えっ・・・こんなきれいな人がおれの担当・・・?)

予想外のことに、声がでなかった。

女性としては背が高い。
髪は黒いショート。
白衣の中には、白いサマーセーターを着て、淡いブルーの膝丈のタイトスカートを履き、シンプルな黒のパンプスを履いている。
どれもサイズが体にぴったり合っていて、上品な着こなしだった。
全体的にすらりとした体型だが、日本人女性に多い、貧相な印象は全くなかった。
スポーツを通して鍛えられたものだろう。
しなやかな体つきだけでなく、動作が非常になめらかで、歩き方も美しかった。
脚が長く、姿勢が良い。

女性がソファに腰掛けると、タイトスカートの裾がまくれ上がり、ひざが露わになった。
ストッキングに包まれた、骨格の整ったきれいなひざだった。
優美な曲線を描くふくらはぎを思わず目で追ってしまうが、テーブルに遮られてよく見えない。

内心がっかりして目を上げると、女性と目が合った。
整った顔立ち。だが、美人にありがちな冷たい雰囲気はなかった。
大きな目がややアンバランスな印象を与えるが、それが愛嬌となって、受容的な印象を醸し出す。
薄化粧が、彼女の魅力的な顔立ちを効果的に引き立てている。
柔和な表情は、静かな自信と、大人の余裕に裏打ちされていた。
穏やかな微笑を浮かべていたが、その目はこう語っているように感じられた。
私の脚に見とれていたんでしょう、全部お見通しだから、と。

内心のスケベ心を見透かされてドギマギし、思わず目をそらしてしまう。

(・・・・・・年上、だよな・・・)

学生時代も、社会人になってからも、男性ばかりの環境で過ごしてきた徹には、女性の年齢がよく分からない。
同年代の女の子とは比べ物にならない、大人の魅力。
それと同時に、若々しい肌と、軽やかな身のこなしを兼ね備えている。
おそらく、20代後半から、30歳くらいだろうと見当をつけた。


「会田徹さん、24歳未婚、山形県出身。職業はITエンジニア、W大学の物理学科卒、と」

アマミヤと名乗る女性心理士が、万年筆でカルテにさらさらと記入していく。
徹は、女性の美しい指と、そのなめらかな指先の動きに思わず見とれた。
白く、長い指。爪はきちんと手入れされており、マニキュアは塗られていない。

「それでは、症状とそれが悪化した時期・きっかけについてお話いただけますか」

はっと、徹は我に帰った。顔を上げると、女性はまた微笑みを浮かべて徹の目を見ていた。
どきっとして目線を下げてしまう。悪い癖だ。

「あ、はい。・・・えーっと・・・」

女性、特に魅力的な女性を前にすると、目を見ることもできず、しどろもどろになってしまう。
どこから話せば良いのだろうか。

五ヶ月前、不眠の症状が始まった。
ちょうどアサインされたプロジェクトが、システム設計の山場に差し掛かった頃だ。
症状はどんどん悪化し、三ヶ月経つ頃には、夜中に一睡もできないほど悪化した。
幽鬼のようにやつれ、仕事にも支障が出て、見かねた上司に心療内科受診を勧められた。
二ヶ月前のことだ。
心療内科などに行きたくはなかったが、選択の余地はなかった。
医師は、いくつか質問した後、『適応障害』と診断した。
これは正確には『病気』ではなく、『神経症』のカテゴリーに入るのだそうだ。
疲労やストレスに対処しきれなくなった時に、体が仕事を拒絶して、不眠や吐き気・下痢・頭痛などを引き起こす。
要するに、子供の登校拒否と似たようなものだという。
抗うつ剤・安定剤・睡眠導入剤を服用し、仕事の負担を軽くするように医師の指導を受けた。

以来、二ヶ月間、定時勤務と服薬を続けたが、症状の大きな改善は見られなかった。
一度、抗うつ剤を増量したが、目まいと便秘の副作用に悩まされ、増量は断念した。
睡眠導入剤で数時間は眠れるが、熟睡感がなく、おまけにひどい悪夢に悩まされている。

インターネットで適応障害について調べると、薬で適応障害を根本的に治すことはできないそうだ。
薬物療法で症状を抑えると同時に、仕事の負荷を減らすことが有効。
または、カウンセリングを受けて、自分の考え方を見直し、ストレス耐性を身につけることが根本的治療となるという。
そこで、ネットでカウンセリングしてくれる所を探して予約し、本日ここ天宮心理研究所に来たのだ、と。

口下手な徹は、つっかえながらようやくここまで話した。
感情を交えずに、事実を、間違いのないように。
長い話の間、女性心理士は、徹の目を見て、要所でうなずきながら話を聞いた。
話す言葉に迷うと、穏やかな微笑を浮かべて徹の緊張をほぐし、次の言葉が出てくるのを待った。
決して先を急がせることはなく、言葉を遮ることもなく、全身で聞き、話しやすい雰囲気を作り、間接的に次の言葉を促した。
徹が苦しかった経験を話す時には、彼女もごく自然に苦しそうな表情になった。
真面目な話をする時には、真剣な表情になった。

元来、徹は無表情な人間である。
どうしてこの人は、おれの感情を正確に読み取れるのだろう。
そもそもおれ自身ですら、自分が今何を感じているのか、よく分からないのに。
いつしか徹は、自分の口下手も気にせず、話すことに夢中になっていた。
ただ話を聞いてもらうだけのことが、これほど気持ちいいなんて。


話しやすい雰囲気を作り、ひたすら『聴く』ことで、自然に患者の心に溜まった澱を吐き出させる。
徹が知るはずもないが、これは『傾聴』というカウンセリングのごく基礎的な技術だった。
とはいえ、基本ほど難しいと良く言う通り、セラピストの技量によって、傾聴の効果には雲泥の差がある。
そして、天宮沙和子は傾聴の達人だった。
あらゆるボディーランゲージや、表情の動き、声の調子、視線を読み取り、相手の感情を自分に写し取る。
相手の発した言葉を一言一句漏らさず聞き取ると同時に、言葉にならない相手の真意を読み取る。
『傾聴』は、話し手の内面を映し出す鏡となることを理想像とする。
彼女はまさに、美しい極上の鏡だった。

もっとも、当の天宮沙和子の心の奥は、その鏡のように冷え切っていたのだが――

天宮沙和子は、徹が話し終えると、やや沈黙を置いて

「つらかったでしょうね」

と、優しくいたわりの言葉をかけた。
計算され尽くした角度、タイミング、声質、表情だった。
言葉の効果が、徹の胸に染み渡るのを待つ。

「ええ・・・・・・つらかったです」

徹の唇がふるえた。
徹を安心させるように、天宮はゆっくりと深く頷いた。

元来、徹は他人に心配されたり、同情されたりすることが大嫌いだった。
教師や母親はよく「心配した」なんて言うが、心配なんて何の問題解決にもならない。
彼らは、「心配」するだけで、自分がさも多大な援助をしているかのように振舞う。
徹にはそれが心底嫌だった。
偽善者め。

誰にも、心配も同情もされたくない。
幼い頃、泣き虫だった徹は、それを隠し、封じるため、ポーカーフェイスを装うようになった。
痛くても、苦しくても、つらくても、決して表に出さないように。
田舎者だと馬鹿にされないように。
いつしか徹の心は固い鎧を纏っていた。

その心理的防壁が、天宮の巧みな技法によって感情を刺激され、内側からこじ開けられようとしていた。
腹の底から、なまの感情のかたまりがせり上がってきて、徹の胸を圧迫した。
天宮が、その美しい顔に、慈母のような微笑を浮かべて、次の言葉を待っている。

――そうよ。出しちゃいなさい
ほら、お姉さんが見ててあげるから――

ため込んだものを吐き出したい。
胸がざわざわと波立ち、全身に鳥肌が立った。
生まれて初めての感覚に驚くが、意識ではどうにも制御できない。
長年、誰にも聞いてもらえなかった心の叫びを、この美しい女にぶちまけて、受け止めて欲しい。
脇の下と、手のひらに汗をかき、体が震えた。怖い。

「あ・・・あの・・・」
「なあに?」

甘美で、蠱惑的な問いかけに、徹の胸の奥から激情が引きずり出されていく。

すんでのところで、徹は感情を抑え込んだ。
長年積んできた理性と論理の訓練が、最後の一線を越えさせなかったのだ。
彼女は美しく、きわめて魅力的な女性だ。
そして、徹の内面を理解し、共感してくれる唯一の人間かもしれない。
でも、今日、それも数十分前に会ったばかりの女性に、自分のはらわたをさらけ出すなんて、考えられない。
それは、今この美女の前でペニスをしごいて、精液を飛ばすよりも、ずっとずっと恥ずかしいことだ。

そもそも、ほんの少し話を聞いただけで、おれの内面を理解できるはずがない。
帰納的推論を行うためには、十分な要素が必要だ。要素は明らかに足りない。
女に論理的思考はできない。
女に男の心が、おれの心が分かる訳がない。
いや、科学的には『心』なんて存在しない。
脳のニューロンと神経伝達物質が見せている幻想だ。
自分に言い聞かせ、ショートした理性の回路を繋ぎ直していく。
懸命に、激情のかたまりを喉から胸に押し返し、ポーカーフェースを取り戻そうとする。

「・・・・・・いえ・・・・・・なんでも・・・ありません」

天宮沙和子は、そんな徹の内心の葛藤を手に取るように読んでいた。
はぁ、と内心ため息をつく。

――あらあら、今ここで出しちゃえば楽になれるのに
バカね。安っぽい男のプライドが邪魔しちゃって――

もちろん、そんな心の声が徹に聞こえるはずもなかった。

「いいんですよ。ここではどんなことでも話していただいて。決して外に漏れることはありません」

お決まりの文句だ。

――楽勝かと思ったけど、しょうがない。腰を据えて兵糧攻めで行きますか――

「お仕事の話を聞かせていただけますか」

とびきりの微笑みを向けて、こう言った。


人間が、精神的な危機から、自我を守ろうとする心のシステムを『防衛機制』という。
防衛機制の中で、最も単純でかつ一般的なものが『抑圧』だ。
不快な感情を押し込め、嫌な記憶を無意識の領域に沈め、なかったことにしてしまう。
抑圧によって当座の精神の安定は得られるが、記憶は精神の奥深くに眠り、時に噴出する。
フロイトの時代から、神経症の主な原因は、この抑圧だとされてきた。
抑圧を言葉にして吐き出すことを『カタルシス』と呼ぶ。
カタルシスによって、人間の心が浄化され、緊張と不安の源が取り除かれる。

天宮は、徹の抑圧を見抜き、カタルシスを促した。
無意識の奥深くに封じ込められた感情に、的確に働きかけて。
しかし、徹の『抵抗』が思ったより激しく、アプローチを正攻法に切り替えた。
これ以上無理にこじ開けようとすると、『抵抗』はカウンセラーへの攻撃の形をとる危険性がある。
たまに患者に刺されるカウンセラーがいるのはそのためだ。
だが、その程度の操縦もできない無能なカウンセラーは、自業自得、同業者の笑いものだ。
私はそんな間抜けじゃない。本丸へ迫る道のりは、いくらでもある。
天宮はそう確信していた。

20分後――

「そろそろお時間ですね」

徹の話が途切れたタイミングを見計らっていたように、天宮が冷然と言った。

「えっ!?」

まだまだ話し足りない。
もっともっと聞いて欲しいことがあるのに。
無意識に、徹の目は、駄々をこねる子供のような表情を浮かべた。
抗議しようと口を開きかけたその時、天宮は左手首の内側に着けた腕時計を徹に向けて、
右手の人差し指を伸ばして文字盤を指し示し、口元だけで微笑んだ。
今度の微笑には、明白な拒絶の意思が込められているのが分かった。
厳しい母親に叱られた小さな男の子のように、しょげて何も言えなくなってしまう。
高級そうな優雅な腕時計が、白い手首に映えていた。

「また次回、じっくりお話しましょ」

気分屋の少女のような明るい声で言われると、逆らうことができなかった。

「はい」

そうだ、残念だけど、また次がある。

「会田さんの心をより深く理解するために、次回、心理テストを受けてください。
その次に、テスト結果を分析して、会田さんにフィードバックします。ご興味あるでしょ?
それから、ご家族とご両親について詳しく聞かせてくださいね」

やわらかい口調だったが、同時に有無を言わせぬものだった。
断ることができるはずもない。
天宮の手のひらの上で巧みに転がされていることに、鈍感な徹は気付かなかった。

「では、お待ちしてますね」

天宮が会釈して、一足先に部屋を出て行った。

(あっ・・・)

母親に去られる子供のような心細さ、恋人を見送る高校生のような切なさが胸に去来する。
追うことはできずに、ただ後ろ姿を見送るしかなかった。

残された徹は、ぐったりと疲れ果て、ソファに沈み込んだ。
(何でおれ、こんなに疲れてるんだろう・・・ただ座って話してただけなのに、)
それは、天宮が巧みに誘導して、無意識をかき回したための疲労だった。もちろん徹には分からない。

「会田さん」

ようやく立ち上がった徹が待合室に戻ると、受付の女性に名前を呼ばれた。

「本日のお会計、1万円になります」

カウンセリングに健康保険は適用されない。
1時間1万円のカウンセリングは、もちろん高額だ。
しかし、このとびきりの美女に二人っきりで悩みを聞いてもらえるなら、そう高くはない。
貯金だって少しはあるし、問題ない。徹は、そう自分に言い聞かせた。

(来た時は緊張してて気付かなかったけど、この人もかわいいな・・・)

肩までの茶色い髪、愛らしい顔立ち、薄ピンクがかった白衣の上からでも分かる華奢な体型。
今風の可愛らしい女性だった。年齢は徹と同じく20代半ばだろう。
胸元に、『麻生』と書かれたネームプレートを付けている。
天宮沙和子とはまた違う魅力の持ち主だった。

「次回は心理テストになります。3時間近くかかりますので、都合の良いお日にち、お時間を指定して頂けますか」

(えっ、3時間も!?)

徹は領収書を受け取ると、手帳を確認して来週の時間を指定した。

「お大事にどうぞ」

おぼつかない足取りで駅までの道のりを歩く。
カウンセリングの内容について考えようとしたが、胸がざわざわと波立って、思考を集中することができない。
それは、天宮が無意識の『防衛』をこじ開けようとした余波だった。
徹はあきらめて、カウンセリングの情景を頭の中で反芻した。

(天宮沙和子さんか・・・)

微笑み、きれいな膝頭、美しい指先。穏やかな声音―
残念ながら膝しか見えなかったが、そこから美しい太ももとふくらはぎを想像して思い描いた。
お尻、くびれた腰、かたちのいい胸と桃色の乳首。

(あの白衣を脱いだら、きれいな体をしてるんだろうな。あの指で、おれの体を・・・)

性経験に乏しい徹だが、妄想力は豊かだった。
笑みが浮かんで来て、あわててそれを噛み殺す。あぶない人だと思われてしまう。
そしてはっと気付いた。自分が数ヶ月ぶりに笑みを浮かべたことに。

この数ヶ月間、笑うことすら忘れていたのだ。
そんな暗く沈んだ心に、どんな形であれ、彼女が元気を与えてくれた。
天宮さんは心理士なんだ。キャバ嬢や風俗嬢ではない。
よこしまな妄想を頭から追い払う。
自分を治してくれる人を性の対象と見るべきではない。

(来週、また会える。それも、3時間も話せる・・・)

徹の心の奥底に、ほのかな暖かみが萌していた。
灰色の毎日に、唯一の楽しみが生まれたのだ。

忘れられないのは、「つらかったでしょう」と言ってくれた、あのとき。
天宮さんに導かれるまま、心の底からの叫びをぶちまけていたら、一体どうなっていたのだろう。
それは、射精よりもはるかに気持ちのいい体験だったような気がする。
言うなれば、24年間溜め込んだ精液を一気に放出するような、想像を絶する快楽。
初めての感覚が怖くて、無我夢中で抵抗してしまったが、もし次があれば味わってみたい・・・
しかし、そんな途方もない快感に、人間の理性は耐えられるものだろうか。
想像すると恐怖感におそわれ、ぶるっと身震いした。

(それにしても疲れた。今日は久々に良く眠れるかな。
・・・やっぱり一回くらいなら天宮さんをオカズにしてもいいかな?)

徹は、葛藤しつつ、帰宅のラッシュで混み合う電車に乗った。

その頃、天宮心理研究所では―
奥の部屋は、天宮沙和子のオフィスになっている。
整頓された、機能的なデスクに置かれたデスクトップPCに、沙和子が向かっていた。
眼鏡をかけ、真剣な表情で、カウンセリングの経過報告をPCに手際よく打ち込んでいる。
脇の本棚には、横文字の精神医学と心理学の専門書がズラリと並んでいた。
大半は英語だが、ドイツ語の本も何冊か混じっている。

ノックの音の後、助手の麻生恵美が入ってきた。

「お茶が入りました」
「ありがとう」

沙和子は手を休めて一息ついた。眼鏡を外す。

「どうですか、今回のCLは」

悪戯っぽい目を浮かべた恵美が聞いた。
心理学の世界では、患者をクライアント、略称CLと呼ぶ。

「そうね」

香り高いアールグレイを一口味わうと、恵美の方を向いた。

「かなりナイーブな子ね。お勉強はそこそこできそうだけど、どうしようもなくお坊ちゃん」

「内向的で、友人は少なく、恋人もなし。
裕福で教育熱心な家庭で育ったが、現在は家族とも疎遠。
東京には馴染めないが、かといって田舎に帰る決心もつかない。
仕事はそこそこ真面目にこなすけど、野心や自発性は感じられない。
対人関係に緊張・不安があり、とりわけ若い女性が怖いみたい。
恋愛経験も乏しいでしょう。
ストレス耐性が低く、情緒的・性的・社会的に未成熟。
もちろん自我同一性も未獲得。
クレッチマーに言わせれば、典型的な分裂気質。ユング派がいう内向的思考型かしら。
要するに頭でっかちのむっつりスケベね」

ふふっと恵美が可愛らしく笑った。

「いわゆる草食系の理系クンってやつですか。最近、似たようなCLばっかりですね。
天宮先生には、赤子の手をひねるより楽な相手でしょ」

沙和子は、右の口角を上げて苦笑してみせた。

「それが、意外と『抵抗』が強いのよ。
心理検査の結果を分析してみないと、確実なことは何とも言えないわ。
WAISとロールシャッハ、それに風景構成法が必要ね」

「いずれにせよ」

沙和子は椅子ごと恵美に向き直ると、脚を組んだ。
先程、徹を魅了した艶めかしくも美しい曲線があらわになった。

「来週の検査結果が出れば、彼の精神構造は丸裸。
すでに、『転移』の兆候もいくつか見られるわ。
臆病な子だから、優しく、慎重に、防衛の殻から引きずり出してあげないとね」

男が信じる理性や論理などというものは、無意識の大海の上に浮かぶちっぽけな艀に過ぎない。
無意識の渦をちょんとつついてやれば、簡単にひっくり返って、バラバラに引きちぎれてしまうのだ。
そんなちっぽけで危ういものにしがみ付いている一部の憐れな男たち。
彼らのすがり付く理性の欠片、男のプライドをズタズタに切り裂いてやったら、その時、男は――
無意識とリビドーの海に溺れてもがく、男たちの無様な姿を思い浮かべる。
ペニスをおっ立てながら、波間に醜く情けない顔を必死で突き出し、本能のまま呼吸をむさぼる姿。

(サル以下ね)

これだから、心理士はやめられない。

「心の壁を壊すんですね」
「『解放』してあげるの。理性、論理、義理、義務、正義、常識、体面、そんな男社会の下らないしがらみから」

「楽しみですね」
恵美がこらえきれないかのように、クスクス笑い出す。

「私もすっごく楽しみ」

天宮沙和子は笑みを浮かべて、ティーカップに口を付けた。
徹に向けた受容的な微笑みとはまるで違う、ぞくりとするような妖艶で冷酷な微笑みだった。






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