シチュエーション
![]() 掃除が終わると、続いてお使いを頼まれ、近所の商店街に夕飯のお買い物へと出かける。 頼まれたものはキャベツやたまねぎ、ひき肉などなど。 お使いのお駄賃はマンガ雑誌の『はろぉ』。 本当の美奈子ならば跳んで喜んだだろうけど、 まだ『ミナ』歴が浅い自分にはいまいちピンとこない。 でもきっと、これも『ミナ』になるために必要なことと割り切って、 ありがたくお駄賃をもらうことにした。 でも、ちょっと母……ううん、ママはミナに甘すぎるかもしれない。 ここ数日で、いったいいくらミナのために使ってるのだろうか。 商店街へと続く、いつもの道。いつもの風景。 数日前と同じように、出会う人はみんなミナとして扱ってくれる。 たまに「あれ?」っという顔や、不思議そうな表情をしている人もいるけど、 すぐに普通の顔になる。 みんな大人だから「触らぬ神に祟りなし」というスタンスなのだろう。 お肉屋さんでひき肉を八百屋さんでキャベツとたまねぎ、にんじんを買い、 最後に本屋で『はろぉ』を買う。 キラキラ星が輝く大きな目を持つ女の子が元気に笑う表紙に、 心の片隅に残っている「春から高校生になる男子」が、強烈な恥ずかしさを訴えてくる。 でも、お駄賃として買ってあげると母、いやママが言っていたということは 裏を返せば「ちゃんと美奈子として買って帰ってきなさい」ということなんだと思う。 恥ずかしさと義務感の板ばさみになって数分、 ようやく踏ん切りがついて『はろぉ』を手に取った瞬間、 横から声をかけられる。 「あ、ミナちゃん!……だよね?」 優子ちゃんでも、亜美ちゃんでもない、見たことない女の子。 たぶん、いや、確実に『美奈子』の友達。 似ているけれども、顔つきや身長が大きく異なる『美奈子』を目の前にして、 大きく戸惑ってる感じだ。 「こ、こんにちは……」 無難に挨拶。 しかし、彼女は自分を不審そうな目で見つめてくる。 「……本当にミナちゃん?」 「う、うん……」 なにか言いたげな瞳で、じぃ……っと顔を覗き込んでいる女の子。 「うーん……なんか違う気がするんだけどなぁ……」 「そ、そうかな? じゃ、急いでるからまたね!」 あわてて『はろぅ』をレジに持っていき、かっさらうようにして買うと走って店から飛び出した。 バラされる。 でも、なんで逃げなきゃいけないのだろう。 いまは自分が『美奈子』なんだから、もっと胸を張って『美奈子』だと主張すればよかったのかな。 息を切らせながら玄関に飛び込み、買い物かごをママに押し付けて自分の部屋へと逃げ込む。 そしてぬいぐるみに顔をうずめるようにして、本屋での出来事を思い出す。 学校で顔を合わせるはずの女の子が見せていた不審な目つき。 明日からずっと、ああいう視線に晒されなきゃいけないのかと思うと、 胸の奥に重い空気が詰まったようなどんよりした気分に襲われてしまう。 「どうすればいいのかな……」 目の前の大きなうさぎさんに語りかけてみるけど、 ただただ優しそうな視線を返してくるだけ。 「だよね……答えてくれないよね」 ふかふかのぬいぐるみを思いっきり抱きしめる。 柔らかな抱き心地と肌触りが、悲しみに覆われていた心が少しだけ癒された。 「そうだ。『はろぅ』買ったんだっけ」 初めてだけれども『いつも読んでる』少女マンガ雑誌を手に取る。 アクセサリーとか、別冊マンガとか、いろいろついている付録をはずし、 やけに分厚い雑誌のページをめくり始める。 瞳がキラキラした女の子たちが恋にがんばるマンガが多く、 「こんなのが面白いのかな」と思ってしまうものばかり。 でもいつも読んでた週刊少年誌もバトルしてるものばかりだから、 これはこれで慣れると面白いのかもしれない。 そしてマンガに没頭していくとフシギなもので、 だんだんと作中の女の子たちの心情と自分の感情がリンクしてきて ライバルの女の子に対して「ムカつく!」とか、 ヒロインが憧れている同級生に「かっこいい!」とか、 そんな感想が自然にわきあがってくる。 両想いなのにすれ違い、ケンカしちゃう2人にイライラしながら、 どんどんとページをめくり続ける。 こんなにハラハラしながらマンガを読むのは、もしかしたらはじめてかもしれない。 クライマックスに向けてムードが高まってくると、 胸の奥がどんどん熱くなっていくのがわかる。 『……お前のことが好きなんだ!』 『……あれ、うれしいのになんで涙が……』 桜の花が風に舞う校庭の片隅で、とうとう告白されてうれし涙を流すヒロイン。 きゅん! 胸の奥でなにかが締めつけられるような音がしたと同時に、 見開きで抱き合ってキスをする2人の上に、ぽつりぽつりとなにかが零れ落ちていった。 嬉しいわけでもない。悲しいわけでもない。 ただ心の底から感情を揺さぶられ、知らず知らずのうちに涙を流していたらしい。 恋愛マンガを読んで泣いてしまった……なんて、恥ずかしくて家族に知られたら…… 「美奈子ー。そろそろ夕飯の手伝いしにきてー」 突然部屋のドアが開いて、ママが入ってきた。 マンガを読んで涙を流している自分を見てママは最初驚いていたけど、 何も言わずに優しく抱きしめてくれた。 包まれるような暖かさとかすかに聞こえる心臓の音が心地よくて安らかな気持ちになったのに、 なぜか涙はとめどもなく溢れてきて、大声を上げて泣いてしまった。 その間、ママはただ微笑んでミナのことを受け入れ続けてくれていた。 一通り大声を上げて泣いてすっきりした後、 「泣きすぎて目が真っ赤よ。かわいい顔が台無しね」 なんてママはいいながらおでこに軽くキスをしてくれた。 そして言われるがまま顔を洗って、夕飯のお手伝い。 たまねぎのみじん切りを炒め、ひき肉と卵とパン粉とあわせて一生懸命こねる。 ひき肉の形がなくなるぐらいまでこねたら、今度は手の中でキャッチボールしながら ハンバーグの形に仕上げていく。 家族4人分を形作ったら、今度はじっくり焼き上げていく。 肉の焼けるおいしそうなにおいが鼻をくすぐり、おなかがぐぅと鳴いた。 「あら、今度はこっちがないたのね」 「いわないでよ」 軽口をたたきながら、ママと楽しくお料理の時間。 仕上げのソースや付け合せのサラダはママの手作りだけど、 気がつくとハンバーグはほぼ1人で作ってたことに気がつく。 家庭科は成績悪くないけど、まさかこんな上手くできるなんて。 焼きあがったハンバーグをテーブルに並べていると、ちょうどのタイミングでパパが帰ってくる。 「おかえりなさいー」 「美奈子、ただいま。料理手伝ってたのか。 ママの邪魔ばかりしてたんじゃないのか?」 「そんなことないもん」 一生懸命、ミナの口調を真似ながらパパにお返事。 「そうよー。今日は美奈子がほとんど作っちゃったんだから」 「お、それは楽しみだなぁ」 自分の部屋で明日の入学式の準備をしていた『お兄ちゃん』を交えて、楽しい夕食。 ミナの前には、かわいらしい食器と小さめのハンバーグ。 そして食べ盛りの『お兄ちゃん』の前には、大きめのお茶碗と大きなハンバーグ。 ちょっと物足りないけど、『春から小学5年生の女の子』が食べ過ぎてちゃダメだからガマンすることに。 逆に『お兄ちゃん』はまるで無理して詰め込んでいるかのように、 必死になってご飯を食べている感じだった。 この前まで私だったんだから食が細くても当然なのに、 一口一口食べるごとに本当の兄に近づく!と言わんばかりに、かきこんでいる。 「いやぁ、このハンバーグうまいなぁ」 数日前までの私のような口調で、『お兄ちゃん』がハンバーグをほめる。 「これ、美奈子が作ったのよ」 「え? ミナが!? うっそだー」 「ほんとだってー。ちゃんとミナがこねて焼いたんだもん」 「これだけ料理が上手いなら、美奈子はいいお嫁さんになれるなぁ」 「パパったら気が早いんだから」 暖かで楽しい夕食のひと時も終わり、ママと一緒に食器の片付け。 お皿を洗いながらパパや『お兄ちゃん』にハンバーグをほめてもらったことを思い出し、 ついついほほが緩んでしまう。 「そんなに笑ってたら危ないわよ」 なんてママに注意されたけれども、それでも自分が作ったものがダイレクトにほめられるのはとってもうれしい。 なんというか、兄のときには味わえなかった喜びが『ミナ』にはある。 そう考えるとミナままでもいいかな?とすら思えてきた。 新しい朝。今日から新学期、新学年。 いつもよりもちょっと早起きして、パンとスープで軽めの朝ごはん。 そして、普段学校に行く時間よりもずっと早い時間に身支度することに。 今日着る服は、この前買ってもらったリボンがついた細かい花柄のワンピース。 特別なおでかけのときに着ていくための洋服だけれども、 今日という日は自分にとって本当に特別なので、ママの反対を押し切ってこれをチョイス。 いったん下着姿になってからひざ上まである白い靴下を履き、ワンピースに袖を通す。 「ママー。ファスナー上げて」 「はいはい」 自力では上げられない背中のファスナーを上げてもらうと、体にフィットする感じが強くなった。 お店の人いわく「女の子でも着られる人が限られるほどに細いワンピース」らしいけど、 そんな大変な洋服が着られるなんて、自分はなんかすごいんじゃないかと思えてくる。 ファスナーを上げてもらったあとは、すそを直したり袖のしわを伸ばしたりして洋服の形を整えていく。 腰の部分が細いワンピースだけあって、見た目だけならば完璧に女の子らしいライン。 数日前までは嫌々着させられていたこの服も、今は着るだけでフワフワした楽しい気分になってくる。 「学校に行くのにゴテゴテしたリボンはおかしいから、今日はこれね」 ママが額よりもちょっと上ぐらいに、レースでできたヘアバンドをつけ、髪型を整えてくれた。 「はい、できあがり」 鏡に映る自分は、昨日よりも一昨日よりも『美奈子』だった。 着替えを終えると、ワンピースといっしょに買った白いテカテカした靴を履いて玄関の外へ。 そこにはカメラを持ってニコニコ笑うパパと、制服に身を包んだ『お兄ちゃん』が立っていた。 「よし、記念撮影だ」 頭ひとつぶん以上大きい妹と、まだあどけない少女の面影を残す兄。 背丈と格好、立場がアンバランスな兄妹の様子を、パパカメラマンは手にしたカメラに次々記録していく。 「こんなもんでいいだろ」 そう言ってパパは一仕事やり遂げたような笑顔を見せる。 「ささ、そろそろ学校行かないと遅れちゃうわよ」 気がつくと、ママが赤いランドセルを持って玄関先に立っていた。 「ママたちは、『お兄ちゃん』の入学式についていくから、鍵は持っていってね」 「うん、行ってきまーす」 初めてなんだけど初めてじゃない真っ赤なランドセルは、背負うとちょっと小さく感じた。 数年ぶりに歩く朝の通学路は、もう小学生でいっぱいになっていた。 自分と同じぐらいの身長の男の子や女の子も多く、明らかに浮いた存在にならなくてちょっと安心する。 「ミナちゃんおはよー」 振り返ると、そこにはにんまりと訳知り顔で笑う優子ちゃん。 「今日もかわいいカッコだね」 「あ、ありがと……」 「ホント、数日前まで……」 「こ、こんなところで言わないでよ!」 「あ、ゴメンゴメン」 本当にわかってるのかどうか怪しいけど、優子ちゃんは顔の前で両手を合わせて謝ってくる。 笑ったり。ちょっと頬を膨らませたり。 そんな他愛のない話をしながら2人で仲良く学校までの道を歩く。 「おはよー優子ちゃん……と、ええと……誰?」 向こうの道からやってきた女の子が、優子ちゃんに怪訝そうな顔で聞いてくる。 「誰って、ミナちゃんじゃん」 「え、ミナちゃんってこんなに大きかったっけ?」 「とにかく、ミナちゃんって言ったらミナちゃんなの! ね、ミナちゃん?」 「う、うん……」 「まぁいいや。ところで、昨日でた『はろぅ』読んだ?」 「うん、読んだ読んだ」 「『チョコレート同盟』、面白かったねー」 思わず感動して涙まで流しちゃった、あのマンガのことだ。 読んだ感想を話し合いながら3人で登校。 教室につく頃には、途中で会った女の子――明日香ちゃんも、 自分のことをすっかり美奈子として扱ってくれるようになっていた。 5年生といえばクラス替え。 『美奈子』として扱ってくれる優子ちゃんや明日香ちゃん、 それと亜美ちゃんと同じクラスになれればいいなと思いながら、 昇降口で先生が配っているクラス分けの表をもらう。 「おはようございます!」 もちろん、配っている先生に挨拶も忘れない。 先生はちょっとだけ驚いてたけど、すぐに優しい笑顔で挨拶を返してくれた。 クラス分けは……優子ちゃん、亜美ちゃん、明日香ちゃんと一緒! なんとか新学期からクラスで浮くということはなくなりそうでよかった。 下駄箱に靴を入れて、ピカピカの上履きに履き替える。 先っぽのゴムの色はもちろん赤。女の子色。 いよいよ小学5年生の女の子としてスタートするんだと思うと、ドキドキしてきた。 優子ちゃんと明日香ちゃんに挟まれるようにして、新しい教室の扉をくぐる。 中にはすでに数人のクラスメイトがいて、 春休みに起きたこととか昨日のテレビとかの話をして笑ってる。 その中の1人、亜美ちゃんが手を上げて挨拶してきたので、自分も挨拶を返す。 クラスメイトの何人かが「誰?」って感じで見てきたけど、 優子ちゃん、亜美ちゃん、明日香ちゃんが「何言ってんのよ、ミナちゃんじゃない」とか、 自分のことを美奈子として扱ってくれたので、回りもなんとなくそれに流されて美奈子として認識してくれた。 男子の1人が「こいつ、やけにでけーけど、本当に高橋か?」なんて言ってきたけど、 女子のみんなが「ひどーい!」とか「ミナちゃんかわいそー」とか口々に反論してくれた。 やっぱり女の子ってやさしい! しばらくすると教室に先生がやってきた。 港先生。 やさしそうな男の先生の提案で、全校集会の前に出席確認を兼ねた自己紹介wすることになった。 出席番号の順番だから自分は41番目……かと思ったけど、女子の出席番号は31番からだったので、 実際は20番目ぐらい? ドキドキしながら順番を待っていると、先生の声が自分の名前を告げる。 「はい!」 勢いよく席から立ち上がる。 優しそうな瞳、うさんくさいものを見るような目、ガンバレと励ますまなざし……。 いろいろな視線が自分に突き刺さる。 緊張する。 最初が肝心。 すぅ……と息を吸って、元気よく自己紹介。 「高橋美奈子です! よろしくお願いします!」 パチパチと拍手が鳴り、優子ちゃんが「よくできました」と目配せしてくる。 今、この瞬間から小学5年生、高橋美奈子がスタートしたんだ。 この先どうなるかわからないけど、がんばって女の子していこう。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |