要12歳、職業・女子高生
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シチュエーション


「コレ……着ないといけないんだよね?」

白に近い桃色の布地で作られたソレは、女性用水着とよく似た形をしていたが、水着との最大の違いは袖があり、肩から腕にかけても包み込む形状になっているコトだろうか。
かつて体操教室に通っていたミユキは、ソレが一般に「レオタード」と呼ばれる衣裳(コスチューム)であることは知っていた。
化繊素材でできたその手触りは滑らかで伸縮性も高く、着心地自体は良さそうだし、実際体格自体が「本物」とほぼ同等なミユキにも苦も無く着ることは可能だろう。
とは言え、体操着のブルマの時とは違い、ソレがどういう局面で使用されるかよく知っているだけに、ミユキとしても少なからず抵抗感があった。

「──もしかしてココって、体操部なのかな?」
「ブブーッ、惜しいけどハズレ〜。ウチはね、「新体操部」だよん」

ミユキが思わず口にした疑問にも、奈津実が律儀に答えてくれる。

「えっと……新体操って、リボン回したり、棍棒投げたりするアレ?」

あまり詳しくはないものの、一応の知識はあったらしい。むしろ小六の男子としては博識と言ってよいだろう。

「うん、そんな感じだね。旧来の体操競技と比べると、「女の子のお遊戯」って馬鹿にする人もいるけど、実態は結構ハードで難しいスポーツなんだよ」
「へぇ〜」

そう聞かされて、実はソレに近い偏見を抱いていたミユキの認識も改まり、少し興味が湧いてきた。

「練習は火曜と木曜の放課後で、土曜の午前中は自由参加。まぁ、本物のみゆみゆは、入部してから4、5回しか練習に来てくれなかったけど」

5月に入部したとしても5、6、7の3ヵ月弱でソレはヒドい!と憤慨するミユキ。健全スポーツ少年だけに、サボりとかは許せないタチなのだ。

「ん〜、本当にそう思う?」

ゆるゆるで能天気な奈津実にしては珍しく、目が「キラン!」と鋭い輝きを発している。

「じつは、新体操部ってウチの学園にしてはあまり強くないし、人数も少ないんだよね〜。二学期の半ば3年生も引退しちゃうし、そしたら部員もみゆみゆ込みで5人しかいなくなっちゃうし」

この学園で「部活」として正式に認められるのは5人が最小人数らしい。

「幸いこの学園には9月の半ばに体育系クラブの「成果発表会」ってのがあるんだ。ほら、文化祭って基本的に文化系クラブの校内発表の場でしょう?
それに対して、体育会系の部にそういう場がないのは不公平だってコトで、一昨年から新設されたらしいの」
「え、でも、運動会……体育祭は?」
「アレって、基本的に陸上競技でしょ?そりゃあ普段からスポーツして鍛えている方が有利ではあるけど、陸上部以外は普段の活動とはかけ離れているしねぇ」

なるほど確かに、とミユキも頷いた。

「えっと……何の話してたんだっけ?」
「9月中旬に「成果発表会」があるって……」
「あ!そうそう。でね、その場にはもちろんウチの部も出場して、集団模範演技を見せることになってるんだけど……」

チラッとわざとらしく横目でコッチを見てくる奈津実の視線で、ミユキもおおよその事情を理解できた。

「もしかして、ソレにボ…ワタシも出ろってこと?」
「だいせいか〜い!」

ドンドンパフパフ〜と自らの口で擬音を入れて囃したてたのち、一転、奈津実は真剣な目つきになる。

「さっきも言った通り、ウチは人数的に結構ギリギリなんだよね。だから、できたら運動神経良さそうなミユキちゃんには、ぜひ手伝ってほしいの」

仮初の立場的にはともかく、実際には年上の(しかも色々世話になっている)お姉さんに、すがるような目で頼まれては、「男のコ」としてミユキも断りづらい。

「──まぁ、いっか。考えようによっては、ボクがこの学園で過ごした記念にもなるだろうし」

それに、新体操ってのにもちょっと興味があるし……という部分は、口に出さないミユキ。

「!わ〜い、ありがとー!みゆみゆ大好き〜」

嬉しそうに背後からじゃれついてくる奈津実の様子に苦笑しながら、一応釘はさしておく。

「でも、いくら体操経験があって身体が柔らかいからって、それだけで何とかなるものなの?」
「あー、うん、それはもちろんいろいろ練習してもらわないといけないかな。
発表会まであと2週間くらいだから多少スパルタ気味になると思うけど……ミユキちゃんなら、大丈夫だよね?コンジョーありそうだし」
「う、うん、任せて!」

サッカー歴わずか1年半足らずで少年サッカークラブのレギュラーを射止めた実績は伊達じゃない。
無論、要のサッカーセンスや基礎運動能力が高かったのは確かだが、それ以上に、コーチが教えようすることを素直に学びとる勘の良さと、進んで反復練習する根気があればこそ、だ。

「うんうん、頼もしいなぁ……ってコトで、みゆっち、早速ソレに着替えてねン♪」
「はうぅぅッ、やっぱり!?」

手にしたピンク色のレオタードを、恥ずかしそうな目で見つめるミユキなのだった。

レオタード用の下着として渡されたインナーショーツは、シンプルな白のコットン製ショーツだが、若干ハイレグ気味なのが、ちょっと気恥しい。
幸いと言うべきか、オトコノコの部分は股間に絆創膏で固定してあるため、インナーショーツを履いてもモッコリしているようには見えないが、それでも格段に窮屈な感触は否めない。
サポートブラと呼ばれる、これまた専用のブラジャー(もっともソレで支えるべき乳房は皆無なのだが)を着けたうえで、ミユキは急いでレオタードに脚を通した。
両の素足の上をナイロン素材のソレが滑っていく感触は、妙にこそばゆく、同時に心地よい。さらに下腹部を布地が覆うと、余計にその感覚は強まる。
努めてその快感に意識を向けないようにしながら、ミユキはピンク色の布を腹部から胸部にかけて引き上げ、身体をくねらせるようにして腕部にも片方ずつ袖を通す。
腕や胴に寄っている皺をのばし、ピッチリと身体にフィットさせて……完成だ。

「どう……かなぁ?」

背後を振り向くと、ひと足さきにオレンジ色のレオタードに着替えていた奈津実が、イイ笑顔で「GJ!」と親指をサムズアップして見せる。

「ぱーへくとよ、ミユキちゃん!むしろ本物以上に似合ってるかも!」

確かに、ややボーイッシュな少女(にしか見えない少年)が、僅かに頬を染めて恥じらいながら、右腕を(あたかも胸元を隠すような姿勢で)前に回して、伸ばした左腕をつかみ、内股になってモジモジしているのだ。
まさに「愛らしい」と評するべき、その姿には、男女問わず「グッ」とクることは間違いないだろう。

「お、おだてないでよ〜。で、コレからどうすればいいの?」

より一層顔を赤らめつつ、褒められて満更でもなさそうに見えるのは、気のせいだろうか。

「とりあえず、体育館での基礎練からだけど……あ、ちょっと待って」

部室を出ようとしたミユキを呼びとめると、奈津実はミユキの前髪をかき上げ、「パチン!」と何かを、「彼女」の髪に留める。

「え?コレって……」
「うん、安物だけど髪留め。運動するときに前髪が邪魔にならないようにね。それに……ホラ!」

奈津実はミユキの両肩に手を置くと、部室の奥の鏡の前に連れて行く。

「この方が可愛いじゃない?」

高さ150センチ足らずの姿見に映るのは──微かに頬を赤らめ、驚いたように自らの姿を見つめる、レオタード姿の可憐な女の子にほかならなかった。
スラリと華奢な体躯は女性的な円みには乏しいが、逆に未成熟な少女特有の稚い魅力を醸し出している。
あどけない顔つきながら、花飾りのついた銀色の髪留めで額を出した髪型と、身体の線がくっきりと浮き出る衣裳が、鏡に映る人物が、幼いながらもレッキとした女の子であることを証明している。

(なにコレ……可愛い…けど……コレって……ボク…ワタシ、だよね?)

驚愕。憧憬。戸惑。羞恥……そして歓喜。
ミユキの頭の中で、様々な感情がグルグルと渦を巻いている。

「ん〜?どうしたの、みゆみゆ?もしかして、自分のあまりの可愛らしさに見とれててた?」

ボンヤリしているミユキを不審に思ったのか、奈津実が声をかけてくれたので、幸いにしてミユキはその思考のループ状態から抜け出すことができた。

「な、なんでもない。何でもないよ!!」

(もしかして、あの絵の効力って……)

一瞬だけ脳裏に浮かんだ疑念を打ち消すようにミユキは、大声で答えた。
極力鏡を見ないようにしながら、自分の身体をペタペタ触ってみる。12歳の少年にしては多少華奢だが、間違いなく自分の身体であることを確認して、ため息をつくミユキ。
その嘆息には、大半を占める「安堵」に混じり、ごく微量ながら「落胆」の色が混じっていたのだが、ミユキ自身は気付かなかった。

「???ま、いっか。じゃあ、そろそろ行こ。こっちだよん」

奈津実に先導されてミユキは、今日の5時間目の授業でもお世話になった旧講堂へと足を踏み入れた。

「みんな〜、ろうほー!今日からミユキちゃんも練習に復帰してくれるよん!!」

奈津実の元気な声に続いて、先に来ていた数名の新体操部員に向かって、ミユキは勇気を出してペコリとお辞儀をした。

「い、今更ですけど、よろしくお願いします」

それだけで、他の部員達に驚く気配がなんとなく伝わってきて、本物の美幸はどれだけ傍若無人だったんだろうと、内心苦笑するミユキ。
それでも、部員達は温かくミユキの「復帰」を受け入れてくれたのだった。

──キーン、コーン、カーン、コーン

「お、じゃあ、今日の授業はココまで。来週は小テストするから、予習はちゃんとしておくようにな」

6時限目の担当だった数学の日下部教諭が出て行くとともに、クラスの生徒たちもいっせいに放課後モードに突入する。
板書をノートに無事に写し終えたミユキも、カバンに教科書類をしまい始めた。
実は本物の美幸は教科書類の大半を学校の机に置きっぱなしにしていたのだが、真面目なミユキは授業を少しでも理解できるよう、きちんと毎日持ち帰って予復習している。宿題は言わずもがな。
その甲斐あってか、最近は授業の内容もおおよそはわかるようになってきた。この調子だと、本物が4歳年下の偽物(?)に学力面で追い越される日も遠くないかもしれない。

「美幸さん、奈津実さん、今日はお二方の部活がない日ですよね。一緒にザ・キャロまで行ってみませかんか?」

鞄を持った睦美がふたりを、放課後の寄り道(と言うには遠回りだが)に誘ってくる。

「あ〜、いいねぇ。そろそろアソコの特選白玉パフェが恋しかったし。みゆみゆは?」

一も二もなく賛成する奈津実の言葉にミユキも頷く。

「うん、ワタシも新作のシナモンアップルクレープが食べたいかな。あ、そのあとで本屋さんに寄ってもいい?」
「ええ、もちろん。わたくしも、ちょうど買いたい雑誌がありますので……」

友達ふたりとワイワイしゃべりながら、教室をあとにしつつ、ふとミユキの心の中に奇妙な感慨が浮かぶ。
自分は、あくまで従姉の代役(?)として一時的にココにいるだけなのだ。さらに言えば、この学校に通うようになって、まだ10日程しか経っていない。

──それなのに、どうしてこんなにココにいるコトが自然で心地よいのだろう。
まるで、ずっと以前からココにいたような……あるいは、このまま「早川美幸」として過ごすコトが、ごく当たり前のように感じられる。
いや、もしかして自分は、そうあるコトを……。

「どしたの、みゆっち?さっきから何か難しい顔しちゃって。もしかしてお小遣いがピンチ?」
「何でしたら、お金お貸ししましょうか?」
「へ?」

どうやら、いつの間にかファミレス、ザ・キャロッツに到着していたらしい。

「な、なんでもないよ。ちょっと考え事してただけ」

慌ててそう言いつくろうと、ふたりともそれ以上は追及してこなかった。

「ふーん……ま、いっか。あ、わたしはさっき言った通り、特選白玉パフェのドリンクセットね」
「わたくしは、このスイートポテトパイのセットにします。美幸さんは?」
「えーっと……新作のシナモンアップルクレープも美味しそうだけど、こっちのメープルマロンワッフルにも惹かれるなぁ。うーん、うーん……」

しばし悩んだ挙句、睦美の「それじゃあ、ワッフルは皆で三等分してみませんか?」という助け舟に飛び付くミユキ。

「おいし〜!はぁ、しゃーわせ……」

満面の笑みをたたえてクレープを口にするミユキを、奈津実は呆れ顔で、睦美はニコニコ笑顔で見守っている。

「ほんっと、みゆみゆは甘い物に目がないね」
「フフッ、いいじゃないですか。あんな幸せそうな顔されたら、見ているこちらまで楽しくなってきますわ」

その場を目にした者は、誰も「ありきたりな女子高生3人組の放課後風景」だと信じて疑わない……いや、気にもとめないだろう。
実際は、3人のうちひとりは実は男子小学生だったりするワケだが、仮に「鳥魚相換図」の力が発動していなかったとしても、バレることはなかったに違いない。それくらい、ミユキは女子高生としての暮らしに、ごく自然に溶け込んでいた。

「それで、どうなのですか、今度の「成果発表会」は?」

自身は茶道部であり、成果発表会とは直接関係しない睦美が、新体操部のふたりに尋ねる。

「うーん……個人個人の演技については、なんとか形になってきた感じかにゃ〜」

パフェのアイスをちょびっとずつ舐めつつ、奈津実がそんな風に答えるのを聞いて、ミユキも昨日の練習のことを思い返してみた。
クラブにもよるが、新体操部は成果発表会には1、2年生だけが出るのが慣習だ。よって団体演技の規定である5人を満たすためには、ド素人なミユキも出場せざるを得ないのだ。
とは言え、いくら「この」ミユキの運動神経やスポーツセンスがいいからと言っても、やはり2週間程度の付け焼刃では限界がある。
そこで、3年の先輩とも相談した結果、ミユキはリボンの扱いのみ専念して覚え、かつ基礎を覚えた段階で発表会に向けた演技だけを繰り返し練習することになった。
ミユキとしては、どうせなら色々なじみがあるボールを使いたかったのだが、中学からの経験者である奈津実いわく、手具の中でもボールの扱いは比較的難度が高いらしい。
その点、リボンは動きが派手で目立つし、身体的柔軟性の高いミユキが様々な姿勢で振り回せば見た目も栄えるとのこと。
その忠告に従い、ミユキは3年の先輩からリボンの使い方の手ほどきを受けることとなった。
当初はその先輩──元副部長の御門綺羅も、「本物」の美幸の無愛想なイメージがあったのか、あまり気乗りしない様子であった。
しかし、ミユキが非常に素直で礼儀正しく、かつスポンジが水を吸うように言われた事を貪欲に習得していくにつれて、評価を一変させ、今では「明日の新体操部を背負って立つ逸材」とまで絶賛するようになった。
最近では、大学の推薦入学が決まったのをいいことに、部活の指導に入り浸り、「私の知るすべてをたたき込んであげます!」と息まいているほどだ。
ミユキとしては、そこまで過大評価してもらうのは面映ゆい面もあったが、それ以上に誇らしい気分で一杯だった。

実のところ、浅倉要少年のサッカー選手としての才能や適正は、せいぜい中の上といった程度だった。
元来の運動能力が高く小器用なので、GKを除くどんなポジションもソツなくこなせるが、同時にそのポジションのトップクラスの人間には概して競り負ける。
故に、クラブでもレギュラーでありベンチ入りはしているものの、スタメンではない。誰かが疲れたり不調で精彩を欠いたら、すぐさま代打的に投入し、その穴を埋める。試合では、そういう使われ方をしていたのだ。
その事に彼が引けめやコンプレックスのようなモノを感じなかった、と言えば嘘になるだろう。彼はお人好しではあったが馬鹿ではない。むしろ、歳の割には人一倍聡い子だ。
しかし、だからこそ、サッカーに心の底からはのめり込めなかったし、逆にそのコトを自覚してもいたので、親友の有沢耕平のように全身全霊で練習に打ち込む「サッカー馬鹿」には敵わないとあきらめていた部分でもあった。
誰かの代役ではなく、自分が自分として必要とされる舞台(ばしょ)に立ちたい。
それは、12歳の少年が抱く想いとしてはいささか早熟で、ややもすれば悲しい想いであったが、皮肉なことに、この学園に「早川美幸」として通うことで彼──いや「彼女」はその願いを叶える機会に恵まれたのだ。

(成果発表会は17日の金曜日──その晩には、ボクはこの学園を出て、「自宅」に戻らないといけないんだよね……)

つまり、発表会はミユキにとってまさに最初で最後の晴れ舞台、というワケだ。
正直に言えば、未練はある。
仲良くなった奈津実や睦美、あるいはクラスメイトやクラブの仲間達との別れは辛いし、自分でもだいぶ「星河丘学園の女生徒」としての暮らしに馴染んでいるという自覚もある。
とは言え、ココは本来自分がいるべ場所ではない。ハプニングからとは言え、従姉から一時的に「借りている」だけなのだ。

(だいじょうぶ。元の暮らしに戻るだけなんだから。きっとうまくいくよ)

ミユキは懸命に自分にそう言い聞かせていた。

(それに……耕平たちのことも気になるし)

「親友」であるはずの少年やその他の友人の状況が気がかりなのも確かだ。
自分は来て早々に美幸の友人の奈津実に正体を見破られてしまったが、もしかしたらアチラも同様の事が起こっていたりするのではないだろうか?
もしそうなら、耕平はどんな風に思っているのだろう?

──もっとも、現実には他の友人はもとより、耕平や要の両親ですらソコにいるのが偽者の「カナメ」だなんて、まったく疑う気配すらなかったのだが。
後日そのことを知ったミユキは少なからず衝撃を受けるのだが、この時点ではそんなコトを夢にも思っていなかった。

ところが。
学園側下したとある決定が、ミユキ、そしてカナメの「予定」を狂わせていくコトになるのだった。

「え?どういうコトなんですか、御門センパイ!?」
「ですから、成果発表会は19日に延期されると決まったそうですわ」

いつも観ているロボットアニメの再放送が終わったものの、何となくそのままリビングに居座って、テレビのチャンネルをポチポチ変えていたカナメに、台所で夕飯の用意をしていた母親が声をかけた。

「かなめー、お風呂沸いてるから、ご飯の前に入っちゃいなさい」
「はーい」

さして観たい番組もなかったので、素直にカナメはそう返事して、浴室に向かった。
脱衣場で何の気負いもなくパパッとTシャツと半ズボン、そしてブリーフを脱ぎ捨てると、そのまま風呂場の扉を開けて中に入るカナメ。
かかり湯もそこそこに、ザブンと浴槽に飛び込む。

「はぁ〜、極楽ごくらく」

小学生にしてき妙にジジむさい言葉を漏らしつつ、お湯につかったまま、ふと自分の、二の腕、脚、あるいは腹部を見つめる。

「うーん、ちょっとは筋肉ついてきたかな?」

その言葉通り、怠惰な生活をしていた以前とは異なり、連日のサッカークラブの練習によって各部の筋肉が引き締まり、またうっすらとではあるが、剥き出しの手足の肌も日焼けしてきたようだ。
そのことを誇らしく思いつつ、「男の子らしく」パパッと身体や髪を洗うと、カナメは10分ほどでアッサリ風呂から出た。

「あがったよー」
「もう、いいの?今日はお父さんまだだから、ゆっくりしててもよかったのに……」

要の風呂好きを知る母は驚いているが、「だって、まだ暑いし」と言うと納得したようだ。
先日の日曜日に床屋で切ったばかりの髪をゴシゴシとバスタオルで拭きながら、「やっぱり髪の毛が短いと楽だなぁ」と考えるカナメ。
元は、ミユキと同様に襟を覆うくらいのショートに近いセミロングだったのだが、思い切ってベリーショート……と言うかスポーツ刈りにしてみて、正解だったようだ。

「要、電話よー」

夕飯前なので牛乳は我慢して冷たい麦茶でも……と、冷蔵庫を漁るカナメを、いつの間にか席を外していた母がリビングの方から呼んでいる。

「んー、誰?」
「早川さんトコの美幸ちゃん。アンタ、向こうに何か忘れ物したんですって?」

はて、何の用だろう……と思いつつ、カナメは母から受話器を受け取った。

「もしもし、カナメです。どしたの、ミユキ姉ちゃん?」

何の躊躇いもなく、その自称と呼びかけを使用したことに、「彼」は気づいているだろうか?

『───えっと、ミユキです。今週末の土曜日のことでちょっとお願いがあって……』

ほんの少し間があったものの、電話の向こうからは聞き覚えのある「従姉の少女」の声が聞こえてくる。

(えーと、土曜日って……あっ!)

ようやく、カナメ──美幸は、自分たちふたりが互いの立場を入れ替えているという事象に思い至る。逆に言うと、それまでは完全に失念していたのだ。

(そうだったそうだった。17日に「オジさん家」に行って元に戻るって約束したんだっけ)

心の中でも、本来の自宅をまるでよその家のように表現する美幸──いや、カナメ。
まぁ、それも致し方ないだろう。美幸は元々自分の家の風潮があまり好きではなく、だからこそワザワザ全寮制の高校に入学したくらいなのだから。
逆に、気さくで放任主義な傾向の強いこの浅倉家の雰囲気は、「彼」の気性と非常にマッチしており、わずか2週間あまりですっかり「浅倉要」としての暮らしに馴染みきっていた。

(そうか。もう、戻んないといけないんだ……)

そう自覚した時に、カナメの心に一番に湧き上がったのは「イヤだ、戻りたくない」という強い拒否感だった。

──親友の耕平やクラブの仲間と、もっと一緒にサッカーの練習がしたい!
──悪友の島村譲たちと、スケベな本を見たり、エロ話をしてみたい!
──仲の良いクラスメイト達と別れて、ろくに友達もいない学園なんかに帰りたくない!
──「女の子だから、ちゃんとしなさい」なんてうるさいことを言われず、好き勝手なことができるこの家で、のびのび男の子ライフを満喫していたい!

言葉にすれば、そんなトコロだろうか。
とは言え、それが自分勝手なワガママだと自覚できる程度にはカナメも理性的ではあったし、内心はどうあれ、そのワガママを我慢する程度の分別はあった。

「……うん。で、土曜の夕方から、オジさん家に遊びに行けばいいんだっけ?」

渋々言葉を絞り出したカナメに対して、しかし電話の向こうのミユキは意外な提案をしてきたのだ。

『それがね……事情があって、その日は帰れそうにないの』
「へ?」

ミユキいわく、新体操部の成果発表会が19日の日曜になったため、どんなに頑張っても、ミユキが「自宅」に戻れるのは日曜の夜になるらしい。

『でも、「浅倉要」も、日曜の夜には家に戻る予定だったでしょ?』

確かにその通りだ。そして、例の絵図は、おそらく5、6時間程度は一緒に眠らないと効果が発動しないはずだ。

「じゃ、じゃあ……」
『うん。すごく申し訳ないんだけど、元に戻るのを少しだけ延長しちゃってもいい?』

カナメに異論があろうはずもない。

「もちろん!」
『それじゃあ、その次の連休は……えっと、体育の日の10月11日、かな』
「あ、でも、星河丘学園って、確かその前後に学園祭と体育祭があると思うけど?」
『……ホントだ。8、9、10日が、まさに学園祭みたい』
「そんな時に抜けるのは、クラスの人にとって迷惑だろうね」

「シメた!」と小躍りしたいのを堪えて、カナメが冷静に指摘した。

『うん、確かにそうだね。でも、その次となると……11月に連休はないし』

困っているミユキに対して、カナメはアッサリ提案する。

「いっそのこと、年末までこのままでいいんじゃない?どうせ正月には、毎年ソッチに家族でお邪魔してるワケだし」

カナメの指摘は正しいが、それは「浅倉家」の側に立つ者の発言だと気づいているのだろうか?

『う、うん。カナメ、くんがそれでいいならいいけど……大丈夫なの?』
「あ〜、オレの方はバッチリ。全然ノープロブレムだよ。むしろミユキ姉ちゃんは?」

遠慮がちにミユキから投げられた質問に、カナメは笑ってそう聞き返す。

『えっと……ワタシも、たぶん大丈夫、だと思う』

そんなワケで、今年いっぱいこのままでいられる事が決定したカナメは、その日の夕飯の席で両親に「何かイイことあったの?」と聞かれる程、終始上機嫌なままだった。

***

──プツン!

ケータイを切ったミユキは、そのまま自室のベッドの上にコテンと倒れ込んだ。

「はぁ〜」
「おりょりょ。で、結局どうなったの、みゆみゆ?」

ベッドの逆の端に座って、マンガを読んでいた奈津実が尋ねる。

「うん、大丈夫。しばらく──年末までは、このままでいこうってコトになったから」
「へぇ〜。そりゃまた、いきなり思いきったね。ま、わたしとしては、コッチのみゆっちの方が好きだから、大歓迎だよん」

ニャハハと笑いつつ、背後からベタベタと抱きついてくる奈津実に、「ハイハイ」と苦笑を返すミユキ。この程度のスキンシップには、もうすっかり慣れっこだった。
実際、ミユキ自身も、入れ替わりの継続が決まったことを、内心喜んではいたのだ。
率直に言えば、できるだけこの女子高生ライフをもう少し続けたいとも感じていたのだから、カナメの提案はまさに「渡りに船」ではあったが、ソレを正直に口に出すのは、さすがに気恥ずかしい。
ともあれ、コレで発表会に向けての懸念がひとつ減ったことは事実だった。

***

そして迎えた9月19日の日曜日。
奇しくも、この日はカナメ達の少年サッカークラブの練習試合の日でもあった。

「相手はこの近隣の強豪チームだが、お前達だって決して負けちゃいない。いつも通り、フィールドの上で思いっきり「遊んで」来い!」
「「「「はいっ!!」」」」

監督の飛ばす檄に少年達は元気のよい声で答える。

「あー、ちょっと浅倉、ちょっと待て」
「?はい、何スか?」
「キーパーの熊谷が当分ケガで欠席するから、キーパー経験者の八木をソッチに入れる。お前にはセンターバックに入ってもらうが……いけるな?」
「!当然っス!」

アクシデントがらみとは言え、念願のスタメン入りを果たしたことで、カナメのテンションはいやがおうにも高まった。

「──今日はミユキ姉ちゃんも発表会か。頑張ってるかな……」

一瞬だけ遠い空に想いを馳せたカナメだが、主審の笛の音とともに、すぐにプレイに集中するのだった。

***

大講堂の高い天井から投げかけられ照明の光が浩々とミユキ達5人を照らしている。
成果発表会の当日、ついに新体操部の番が回ってきたのだ。
4人の少女たちが講堂の中央に設けれた舞台の四方の隅に散り、5人目の少女が中央に立つ。それは、5人の団体演技をより綺麗に派手に見せるために考えられた配置だったが、問題は中央にリボンを手に待機しているのが、ほかならぬミユキ自身ということだった。

(はうぅ〜、なんで、こんな一番目立つ場所に……)

新体操経験の浅いミユキだからこそ、アラが目立ちやすい長距離の移動を減らし、少しでも演技の穴を減らすため、中央に置く──その理屈は頭で理解できても、羞恥心は別問題だ。

(それに……いつもより衣裳も派手だし……)

そう、「彼女」が今日着ているのは普段着ている練習用のピンクのものではなく、本番向け5人お揃いの真紅のレオタードだった。
首元にチョーカーのようにリボンが巻き付き、そこから伸びた2本の細い紐が交差しつつ鎖骨のやや上くらいの位置でレオタードの布地に繋がり支えている。そのぶん、背面は大きく開いており、背中の半ばくらいまで露出していた。
また、下半身はパニエを思わせるレースの襞が三段スカート状にヒラヒラと腰を取り巻いている。もっとも、本物のスカートと違って短く、さらに透けているためレオタードの下腹部はほとんど丸見えだ。
動きやすく、同時に見られることを十二分に考慮した、まさに晴れ舞台のための衣裳だった。
しかし、そんな愛らしくも女性的なコスチュームを着ていることに対する羞恥心も、今のミユキはほとんど感じていない。慣れもあるが、それ以上に本番を目前にした緊張が、それ以外の事を考える余裕を「彼女」から奪っているのだ。
すがるような想いで、右端の隅にいる親友の奈津実に目を向けると、予想していたのかわずかに微笑みつつ軽く頷いてくれる。

(だ〜いじょぶだよ、みゆみゆ。アレだけ練習したんだから、きっと上手くいくって!)

視線を交わしただけで奈津実がそう言ってるような気がして、ミユキは少しだけ呼吸が楽になった。

「早川ぁ〜!長谷部ぇ〜!がんばれーー!!」

客席の方からは、クラスメイトの少年・富士見の応援が聞こえてきた。おそらく午前中にグラウンドで行われた野球部のエキシビジョンに応援に行ったことへの感謝のつもりかもしれない。少し恥ずかしいが、彼の声もまたミユキの緊張をほぐしてくれた。

(うん、イケる!)

ミユキの瞳に気合いが籠るのとほぼ同時に、音楽がスタートした。
ファンタジックなイメージの曲を背景に、4隅の少女達がゆっくりと動き始める。

(まだよ、まだ……)

ただし、ミユキのスタートはほんの少し後だ。頃合いを見計らい、膝立ちの姿勢から立ち上がり、バレエで言うファーストポジションに近い姿勢へとゆっくり身を起していく。
ツッと一瞬途絶えた曲が、一転、激しく情熱的なメロディへと変わった瞬間。それまでのスローさが嘘のように激しく5人の少女達が動き始めた。

奈津実が、ふたつのクラブを上手に振りかざしながら、舞台を軽やかに舞う。
同じく一年の渚が体操からの転向組だ。その小柄な身体と対照的に大きなフープを、手中でダイナミックに回転させている。
二年の草壁先輩は、手品同好会にも掛け持ちで所属している事もあってか、ロープの扱いが非常に巧みで、こんがらないのか不思議なくらい複雑な動きを動きを見せて、人目を引く。
一方、今年のミス星河丘候補に挙げられる久能先輩は、派手な美貌とダイナマイトバディだけでなく、新体操の技量もピカイチであり、ボールをあたかも身体の一部であるかのように、優雅に、自由自在に操っていた。

ミユキもまた奮闘していた。
どんなに言い訳しても、ミユキの新体操歴がひと月にも満たない付け焼刃なのは事実。
それでも、生まれ持った運動神経の良さと身体の柔軟性に裏打ちされた新体操のセンスを、熱心な先輩の指導のもとに積み重ねた練習で開花させ、見事なステップを踏む。

(体が軽い……こんな楽しい気持ちで動けるなんて……)

舞台度胸があると言うべきか、ミユキは先ほどまでの緊張が嘘のように、初めての「観客の前での演技」を楽しんですらいた。
くるくると螺旋の如くリボンを回しながら、床を踏み切って宙に舞ったかと思うと、音もなく着地し、素早くリボンを宙に放り投げる。
リボンが落ちて来るまでの間に床の上で軽やかに三回転して、小ジャンプとともにピンと身体を伸ばしつつ、リボンを受けとめ、すかさずリボンを波打たせる。
個々の演技の技巧難度自体はさして高くないのだが、それをキチンと小指の先まで注意を払い、丁寧に演技する様は、見る者に感心と安心感をもたらした。
同時にミユキはそれまでの練習時にはなかった仲間との「一体感」を感じていた。

(なぜだろう……みんなの動きが手に取るようにわかる)

5人の仲間が、それぞれの演技を続けながら、同時にそれは互いの動きを際立たせるための助けにもなっている。

──ひとりはみんなのために、そしてみんなはひとりのために。

そんなある意味使い古されたとも言えるチームワークの基本を表す言葉。
同じくチームワークが必要とされるはずのサッカークラブで、誰かの「代役」を務めている時には、一度も感じられなかったその感覚を、今ミユキは言葉ではなく心で、あるいは体で理解していた。

(アハ……きもちいー!)

そのせいか、抑制の効いた「彼女」にしては珍しくハイになっているようだが、それでも演技に乱れは見られない。

ズドン!という爆音とともに曲が終りを告げ、それと同時に5人の少女達が舞台の中央に集まり、並んで決めポーズをとる。
少女達の放つ「輝き」に、その瞬間だけさらに照明の光が増したように感じられた。

一瞬の沈黙──そして直後に観客席から湧き上がる拍手と歓声。
どうやら、新体操部の発表は大成功に終わったようだ。

「やったね、みゆっち!」
「うんっ、奈津実!」

舞台を降りて、部室に戻るや否や、ハイタッチを交わすミユキと奈津実。無論、他の3人とも、口々に喜びを分かちあっている。

「お疲れ様、みんなとてもよかったわよ」

すでに引退した3年の元・部長と副部長が下級生たちをねぎらってくれた。

「どう、早川さん。新体操って、素敵でしょう?」
「はいっ、サイコーです!」

興奮と歓喜で頬を薔薇色に染めたミユキの言葉に、「彼女」に特訓してくれていた元副部長の御門は得たりと頷く。

「じゃあ、これからもキチンと練習に出てくれるかしら?」
「ええ、喜んで!!」

この時から、ミユキが本当の意味で新体操選手としての第一歩を踏み出したのだ。
そしてそれは同時に、「彼女」が今の立場を完全に受け入れ、その存在が「早川美幸の代役を努める少年・浅倉要」から「かつて浅倉要であった少女・早川ミユキ」へと変化したことも意味していた。






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